然(さ)る貴族より遣わされし使者は 1
乙女ゲームで精霊や神が人間になってハッピーエンドってあるけど、それって本当に幸福な終わりかな?って思ったあたりがきっかけのお話です。
他にも好きな要素ぶっこんでみました。どうぞよろしく。
先日、我が国において実に喜ばしい出来事が起こった。
世をあまねくみそなわし、時に人に手を差し伸べ、またある時には試練を与え成長を見守る、全にして善、無垢で聖なるもの、その全てである聖神様(それが4柱も!)が人の肉を纏いてご降臨あそばされたのである。
きっかけは、どこにでもいるような市井の子女であった。
だがその後、いくつかの事件を経て聖神様の御心と通じ合い、癒し、やがてはお支えするまでになった彼女こそ、まさに真の聖女ともいうべきお方なのだと、今となってはそう確信している。
なにせ彼女の存在無くば、聖神様が(しかも複数!)ただ人として生涯を送る決意を、などという奇跡が起りようも無かったのだから。
仕事上の都合、主と歓談中であった彼女に偶然お会いする機会があったのだが、いささか乳臭い、いや下町臭い……いやその、そう、言うなれば純粋でありひたむきな可憐さを漂わせる所作が、本来性別が無い筈の聖神様方に『何を差し置いてでも守りたい』とまで思わせ、また我が主であるところのキュアノス伯爵家次男インディクムが好んだ所以であろう。
……あの、常に何があろうと言われようとも仮面のように表情すら変えぬ“呪われた聖女”ペイル“女史”よりはナンボかマシである。
……ゴホン。
さて、問題はその後の話だ。
今自分はこうして馬車に揺られて西の辺境、荒野と(戒律の厳しい事でつとに有名な)修道院以外何も無いというチンリューなる地域へと送られている訳であるが……気分は売られた子牛である。
別に失態を犯した揚句……などという陳腐で些細な出来事ゆえでは無い。それはあの気味の悪い女だけで十分だ。
だが自分は、何故かその気味の悪い女の元へと送られている。
何故かと言えばそれは、我が主が望んだからだ。
正確にはそう、真の聖女たるレディ・マジェンタが是非にと願ったからであったのだが。
我が主は、まだ言葉もおぼつかぬほどに幼い頃、魔の心を持ち災厄をもたらす悪神『カエルレウス』の現し身として生きよとの託宣を受けた。他ならぬカエルレウス自身の言葉によって。
そして、その伴侶たるはブレク公爵家唯一の娘、ペイルをおいて他には無い、とも。
哀れな我が主はそれ以後、折に触れ悪神の脅威に悩まされる事となる。
それはまるで、猫がネズミをいたぶるかのようであった。
主はカエルレウスの影響を常に強く受け続け、カエルレウスのかつての悪行を夢に見たり、先の世において成さんとせん事を予期する事さえあった。
そう、それは正しく我が主が悪神カエルレウス自身へと変じてしまう過程そのものであったのだ。
近頃では時折とはいえ言動までも別人のように変わり、厄をもたらすと脅す様な言葉を吐く事さえあった。
……あったのだが、それは最早過去の話。
そう、あの聖女マジェンタが、真の聖女様が全てを解決して下さったのだ!
かつては聖女の名を冠していても、何もせずにふんぞり返っていただけのペイル女史とはまるで違う!
これほどまでに聖なる乙女にふさわしい方がいようか。いや居るまい。
だからこそ私は、彼女の願いを叶えるべくわざわざ何も無い辺境へと足を運んでいるのだから。
聖女の願い、それは罪の娘であり悪神の花嫁であったペイル女史を王都へと呼び戻して欲しいとの希望。
だがそれは、難しい難題でもあった。
なぜならそれを望む者が、彼女以外の他に誰もいないからだ。
ましてや、現神人となった聖神達が許す筈も無い。
なのに何故か、と問えば(もちろん問うたのは自分では無く聖神(現在は四聖公)のおひと方である)聖女は言う。
「わたくしなどよりも皆さまの方がよほどご存じでいらっしゃるとは思いますが、悪神カエルレウスは酷く悪知恵の働く、とても恐ろしい存在でした。ですがその魂は、この世界の創生に端を発するもっとも古きもの。そして、その悪神と心交わした彼女もまた、その英知と恩恵を授かっています。わたくしにはわかるのです。悪しき魂に心ゆだねたとはいえ、今の彼女は知識の宝物殿。放置するわけにはいきません。もし万が一にも他国が知ればと思うとわたくし、恐ろしくて……。お願いです、この国を真に思うのならば、あのような辺境の土地へと追放するのではなく、どうか連れ戻して差し上げて欲しいのです!そうすれば、彼女もきっと分かって下さいますわ。自らの犯した過ち、その罪深さがどれほどであったかを。そして感謝し、罪を償う喜びの中、永劫に仕えてくれる事でしょう。わたくしはその為にならば、全てを許してもかまわない。さあ、躊躇っている暇はありません。一刻も早く使者を。わたくしたちの手で今度こそ彼女を救い、この国、いえ世界にさえも、さらなる、そして永久の幸福と繁栄をもたらすために!!」
―――と。
王家といえども無視できないほどの権勢を誇る公爵家の娘であり、他の聖神たちによってこの国を守護する力以外の全てを封じられた悪神の花嫁……決して我が主の嫁などでは無い……となる事が決まっていたペイル女史ではあるが、やはりというかなんというべきか、悪神の嫁に選ばれるだけあって元来持っていたであろう性根の醜さがついに露呈したと言おうか……。
彼女は、偶然の出会いにより我が主インディクムと親交をもったレディ・マジェンタが、その優しきお心でお慰めしていた事をどこからか聞き付け、嫌がらせをしていたらしい。
公爵の娘であり、悪神と結託した娘。
後に花嫁になる事が決まってた為、カエルレウス神を封じる神殿にて過ごしていたが、子であった当時から隔離されていたせいか酷く我儘であったと聞く。
いずれは悪神と共にこの国を掌握し、思うさま権力の蜜を啜る気であっただろうが、そうならなかったのはやはり天がそうあれかしと望んだからであろう。
ひいては聖神様方が、些細な悪をも見逃さぬと目を光らせた結果やもしれぬ。
聖女の願いに応えて御降臨あそばされた聖神様方は、それは目もくらむような貴公子ばかりであり頼もしげな風貌のお方々ばかりではあったが、もう少し願いをお聞き届け下さるのが早ければ、と思わなくも無い。
いや止そう。全ては終わった話だ。
だが、決して短くない時をアレの様な気味の悪い女に、我が主がどれほど苦汁をなめさせられていた事かと思うと、今でも腸が煮えくりかえる思いである。
主を苛んでいた悪神が4柱の聖神降臨により消滅し、悪神憑きの『嫌がらせにしては行き過ぎた行為』が明らかになれば、ごく当然ではあるが主はもとより他の4柱の聖神様方も怒りをあらわにした。
だがペイル女史は全てが明らかになると知るや否や、罪から逃れる為か自ら辺境行きを願ったという。姑息な。
武でも政でも名が知られ、時に王にさえも臆する事なく意見を奏ずる事でつとに有名な公爵殿であったが、これには庇い切れぬと踏んだのであろう、娘の辺境行きをすぐ様許した。それこそ一片の躊躇も無く。
むしろあの厳格な公爵殿がしかるべき機関に突き出さないだけ、彼の方にも娘への愛情があったのかと驚くばかりだ。
だが、とある妾は言う。「アレは娘が、ペイル嬢が悪い」のだと。
「自分だけが助かる為、父親を利用し見捨てた浅はかで愚かな娘」なのだと。
奥方の件にしてもそうだが、かの家の家族関係が破綻していたのは周知の事実。
仕事に生きる夫を支えもせずに若い男をあさっていた妻と、神の威光を笠に好き放題であった娘。
このような家族とは名ばかりの連中に対し、愛情を注げという方が難しいであろう。少なくとも私には無理だ。
しかし、実際にはそうでなかったらしい。愛人の女の言よりだが。
だが……もし本当に、分かり難いとはいえきちんとそれが示されていたのならば、父の愛をないがしろにする娘の姿に妻で無いとはいえ寵愛を受ける女が苦言を呈したくなるのも無理は無いかもしれないと思う。
その苦言も、どうやら功を成さなかったようではあるが。
かつて彼の奥方が駆け落ちの末に死亡した際、涙1つこぼさなかったという公爵殿もまた、あの娘に翻弄された哀れなお方なのかもしれぬ。
あるいは奥方が亡くなったのも―――
ともあれ、それは今関係の無い事。
それにどうやら、ちょうど現地へ着いたようである。
思考に耽るのは止め、役目を果たさねばならない。
それがどんなに気の重い役目であったとしても―――
「は?いない―――?」
「ええ、確かに。ペイルという娘は、半年ほど前からこの院には存在しておりませぬ」
どういう、事だ?
「死んだのか?」
「さて。私どもは日々生きるのみで精一杯でして、瑣事に構いつけていられないのが実情ですから」
まるで無関心な老修道女の言葉に、何をどう言えばいいのか分からず黙りこむ。
だが生死が分からないとなれば、あるいは逃げ出し、付近の村に潜伏した可能性もある、か。
何をたくらんでいるか分からぬが、どうせ碌な事にはなっていまい。
最悪そちらで野たれ死んでいる可能性もあるが、連れ戻せなかった“言い訳”は必要だ。
人となり、聖神としての力を失ったとはいえ、四聖公のお方々は今だ人の身には余る数々の奇跡をもたらす御技をお持ちである。
下手な嘘を吐けば、即座に身を滅ぼすであろう事は間違いない。
……あの女の様に。
「甘やかされた身に、どうやらこの地の厳しさは良い洗礼になったようですな」
少しでも場を和ませようとしてわざと快活に笑ってみせるが、この老修道女、顔面をピクリともしない。
……あの女とそっくりで嫌気がさす。
良く見れば纏う修道服もみすぼらしいし、背後にある院の建物もまるで掘立小屋の様。
これ以上話す価値も無いと断じて暇を告げた。
「守護神様のご加護がありますよう」
今となっては何の効力も無い祈りの文句などいらぬ。
ましてや悪神を守護神などと騙り、崇め奉るような悪教の徒の祈りなど。
だが、この様な邪な教えも間もなく廃絶するであろう。
近い内に、全ては光に満ちた聖なる教えによって導かれ直されるであろうからな。
そう、何の問題も無い。
今や我が国には、すでに人となりし聖神そのものがおられるのだから。
「何!?生きているのか!?」
「だからよぉ、そのペイルっちゅうのは、カエルの旦那の嫁の名前っちゅう話じゃねえのけ?少なくともこの辺りで若い娘でペイルっちゅうんは、その子しかいねえしなあ。……んぅ、ヒクッ、おいアンタぁ、探してんのがホントにその子なのかどうかまではオレには分からんけどもよぉ、旦那の目の前でその子が『死んだか』なんて聞いたらぶっ殺されっぞぉ、気ィ付けろ~。んで、行くなら家はあっちの方さね。今日は祭りの日だから嫁は広場の方にいるだろうが、旦那なら家にいる―――」
赤ら顔でへべれけな酔っぱらいのくだを振り切って、再び馬車に乗り走らせる。
安っぽい酒に酔った、だらしのない農夫の顔を忘れようと必死だ。
乾いた泥にまみれた醜い姿、ああおぞましい。
ああいう者が存在するからこそ我らが都市部で食に不自由せず生きていけると頭では分かっていても、貧民街の浮浪者と同じに見えてならない。汚らしい。
この様な場所で貴族の娘であった者が無事に生きているとはどうしても思えなかったが、同名の人物がいるとなればそこはきちんと確認しなければならないのがもどかしい。
カエルの旦那、か。ふむ、もしも彼女が探している人物であるとするならこれほど愉快な事は無い。
口の端が、釣り上がるのが止められなかった。
不作法ではあるが、人が見ていないのだから良しとしよう。
畑を縫うあぜ道を、馬車で駆けて行く。
広場にも行ってみたが、似た様な泥臭い女ばかりで見るに堪えかね、すぐさま馬車に乗り込んだ。
祭りだというが、アレは何の悪神を讃える祭りだ。
女どもが揃ってたらいに足を突っ込み、何かを踏みつけている。
日に焼けた女どものそこだけ白い足が赤い色で染まっていく様は、何処か淫靡な印象だった。
が、それだけだ。
やはり主や聖女、四聖公の方々が住まう宮殿での生活ぶりを知っているだけに、清潔という面では程遠い。それに触れる?まったくもって論外だ。
周囲には果汁らしき甘いニオイ。
先ほどの男が飲んでいたものはこれが原料であったろうか?
まあいい、どのみち私が口にする事は無いのだから。
「カエルというのはお前の事か」
「は、はあ、確かに自分ですが」
薄汚れた野良着に大きなつばの帽子を被り何やら汗拭きの布を首に巻いたその男は、思った以上に若く逞しい体つきをしていた。
だがいかんせんこちらに対して萎縮しきっているせいか、おどおどとした態度で目も合わせぬその様が相手を矮小な存在に見せていた。
俯いている為か帽子のつばに遮られ、表情はおろか髪色さえもろくに見えぬ。赤鋼の色だろうか。
まあ、いい。
「あの、何かー……」
うかがう様な声音に、とっととこちらの要件を伝える。
これ以上時間を無駄にする事もあるまい。
「こちらに、ペイルという名の女がいると聞いて来たのだが」
「は、へえ?ペイルっちゅうのは、確かに俺の妻の名ですが―――」
そこへ、小走りに駆けよる小柄な者がいた。
「旦那様!」
頭巾を被り、緑のスカートをはいている若い乙女だ。
だが、そのスカートをたくし上げ、あぜ道の泥を蹴立て、みっともなくバタバタと走って来る様ときたら。
何だこの不作法な田舎娘は。この辺りでは皆こうなのであろうか。しかも大声で相手を呼ばったぞ。
淑女にあるまじき行いをしてなお平然と『旦那様』に声をかけるその乙女の顔、は……。
「旦那様!っあ、失礼しました!お客様、ですか?」
「ああ、人をお探しらしいぞ」
「人……ですか」
「それで、どうした?」
「あ、ええと、広場の方、あらかた準備が終わったのでそれを知らせてくるようにって、ランが!後は樽に詰めて寝かせるだけだから、お手伝いいただけないかって。お祭りだし、やっぱりみんな旦那さまにも参加して欲しいんですよ」
「ああ、わかった。だけんど、今は……」
「いえ、こちらはお気になさらず。用は済みましたゆえ」
遮って、にこりと。
ここに来て初めて笑みを浮かべる。いわゆる表面上の、といわれるものだったが。
「へ、へえ?よ、よろしいんで?」
「あの、申し訳ありません、お恥ずかしい。それに、何のおかまいも出来ませんで」
「お気になさらず。こちらこそ、邪魔をしました」
言い捨てて踵を返すと、私はまっすぐに馬車へと向かった。
浮かび上がる笑みを、必死に隠しながら。