白銀の騎士(3)
大勢で賑わう海沿いの市場に似つかわしくない身なりの少年がいた。陽の光を浴びて輝く白銀の髪、ワイシャツに黒く光るベストを羽織っている。名をザギ・シルヴィスター。国家機関アークロッドの中にある騎士団グレイベルに所属する、最年少の団員である。
この辺りでは顔の知れている彼は、鮮やかな色をした様々な野菜を目の前にして、品定めをしているのだ。
「そうだな。これと……これを貰う」
「毎度ながら流石だなザギ。いい目を持ってやがる」
店主の男は上機嫌で、袋に野菜を詰め込んでいく。ザギは代金を払うと、満足げに袋を受け取った。
「それはそうとお前、随分と買い込んだなあ」
店主はザギの両腕にかかった大量の袋を見て、感心したように言った。それは全て、この市場の中で買った食料ばかりだ。
「む。突然の来客なんだ」
「またジェラールか?」
「あいつが来ても、出してやる食物はない」
声色一つ変えずに淡々と返してくるザギに、店主は腹を抱えて大笑いした。
「ひっでえなあ、相変わらず」
ザギは当然だと言って、身を翻して去っていく。普通の奴ならばよろけて文句を言ってもおかしくない程の荷物を、細い両腕に下げているのに涼しい顔をしている彼はやはり流石は騎士だなと、店主は後ろ姿を見送りながらにっと笑っていた。
「で、朝っぱらから買い出しに付き合わせておいて礼のひとつもしねえってか」
「恩にきる」
「そういうことじゃなくてよ……」
黒のバンダナを額に巻く赤茶色の髪を、バツが悪そうに掻き乱して、ザギの親友はため息をついた。
ジェラール・クロフォード。ザギと同じ年であり、グレイベル騎士団に所属する一人でもある。
ザギの荷物は本人の持つそれらだけでなく、ジェラールが抱える大きな袋も含まれているのだ。流石にこれだけの量は、日頃から鍛えている騎士といえども持ちきれないだろう。この男を連れてきたのは正解だったなと、ザギは心中で密かにぐっと拳を握った。
しかし見返りを求めてくるあたり、少し面倒臭い。
「言われなくとも、お前にやるものはないぞ。あと、それ落とすなよ」
「はぁ!?」
何を今更、と言いたそうな目をして袋を指さしてくる友人に、ジェラールは二度目のため息。
「じゃあ、なんでそんな大量に……」
「俺が食べる以外に何の理由がいる」
ジェラールは面食らって、げっと言ってわざとらしく頬を引き攣らせた。ザギが並外れた大食らいであることを、彼はよく知っている。時間帯問わず、一度食べ始めると他人の数倍は涼しい顔で平らげてしまうのだ。
しかし、それにしたってこの量は多すぎる。小さなパーティーでも開けそうな気がしてくる。異常だ。となると、
「魔力の使い過ぎか」
「ちょっとな」
魔力は消費すればするほど気力と体力が削られる。時間が経てば自然と回復はするが、彼のように食べることで回復を早めようとする者もいる。もっともザギは、単純に空腹に耐えられないだけだろうが。
「ああ、そうだジェラール。確か妹がいたな」
「それがどうした?」
「服を一着、貸して欲しい」
一瞬の沈黙。
「お前が着るのか?」
「馬鹿。連れてきた少女だ」
「は」
前々から妙にクールでどことなく抜けた奴だと思っていたが、ついに少女でも攫ってきたのか。ムッツリか。ロリコンか。いやその前に犯罪じゃないのか。
「いつにも増して間抜けな顔だぞ、ジェラール。出来るだけすぐに持ってきてくれ」
「……おう」
▼
ザギは買い揃えた食材をテーブルに並べ、それらを見下ろしながらどうしたものかと思案する。あの少女に何を食べさせてやるべきか。
見たところ自分より若いようだし、やはり子どもに人気のあるメニューか。いや、起きてすぐならば軽食の方がいいか。それより粥か‥‥待て、そもそも彼女は病人ではない。本人に訊ねる方が早いか。
「まだ起きないか」
ベッドですやすやと寝息を立てる少女の顔を覗き込む。汚れた髪や肌は魔法で綺麗にした。しかし日頃から手入れされていたらしく、金の髪は窓から差し込む光に照らされてきらきらと輝いている。
(こんな娘が奴隷……とても思えないな)
徐々に顔を近づけていく。すると、少女の瞼がぴくりと小さく動き、薄く目が開いた。その色は、今までに見たことのないものだ。
(紅い)
「……うわああああぁっ!?」
完全に目覚めた少女はさらに目を見開いて、声をあげた。それはそうだ、突然目の前すぐ近くに誰かの顔が覗き込んでいたのだから。
ザギがしまったと思ったときには、既に遅し。鈍い音と共に、両者の額を激痛が襲う。少女はそのまま元通り枕に頭部を埋め、ザギはよろめきながら壁に手をつき、互いに痛みが過ぎ去るのを待っている。
(不意をつかれた……)
(びっくりした……)
思い思いに少し痛みがましになったところで互いの姿を確認する。
少女──クローディアはザギの顔を見て、はっと息を呑む。はっきりと覚えている。あのとき指揮を取り、自分の前に立った少年だ。珍しい銀の髪を、見間違うことはない。
ザギはクローディアの目をじっと見つめていた。確かにそれは深い紅。禍々しくも美しい。
「大丈夫か」
まだ額をさすりながらザギはクローディアに近づき、手を伸ばす。しかし、その手は拒まれ払われる。
「触るな!」
幼い寝顔から一変、鋭く細くなったクローディアの目は子どもとは思えない雰囲気を纏い、ザギを怯ませる。皆を見殺しにしたこんな奴に、自分だけが助けられただなんて。恩人とはいえ、許す気にはなれない。
(今すぐに出てってやる)
決心するや否や、クローディアは勢いよく布団を蹴飛ばしベッドを飛び出し、外を目指す。またもや不意打ちを食らったザギは、少し遅れて彼女を追う──
「待て!」
──はずだった。
床へ降り立ったクローディアは、その後一歩も踏み出すことなく前のめりになり、そして倒れた。
「くそっ……」
まただ。また上手く動かない。
苦渋の色を浮かべるクローディアを、ザギはため息のあとで軽々と抱き上げる。突然の浮遊感にクローディアは小さな悲鳴を洩らすが、あっという間に再びベッドに降ろされた。
「無茶をするからだ」
「五月蝿い、この人でなし!」
「ひ、人でなし」
普段慣れていない罵倒に、ショックを受けて動揺する。自分が何をしたというのだ。わざわざ部屋で寝かせてやった少女に、まさか罵られるとは夢想だにしなかった。
「僕をどうする気?」
「どうもしない。ただ目が覚めるのを待っていただけだ」
あっけらかんとするザギに、今度はクローディアが目を丸くした。というより、どういう意味かよくわからなかった。目が覚めるのを待って、そのあとは?
とにかく、信用出来る要素が少なすぎる。
「信じないぞ」
(これは、よわったな)
彼女が何をこんなに怒っているのか知らないが、少しでも信用されないことにはどうしようもない。この分じゃ料理を出したところで、毒でも入れたかと疑われるのが目に見える。
とりあえず、やれることはやってみよう。少しでも警戒を解いてくれるように。
▼
国家機関アークロッド、本部地下二階
薄暗く、小さな橙の明かりが点々と光る低い天井。国家機関アークロッド本部の地下二階、研究フロアでジェラールは壁際に設置されたベンチに、親友の姿を発見した。
「探したぞ。何だってこんなところにいるんだよ」
「勤務に決まっている……」
「ここ研究フロアだぞ。俺たちの仕事場は一階だ」
そもそもエレベーター使わなくていいだろ、とジェラールは呆れる。
「そうだなで」
生返事をしたものの、ザギは立ち上がろうとする気配がない。それどころか、話を聞いているかも怪しい。所謂、上の空だ。心ここにあらずというやつらしい。心なしか、いつもより声の調子もしぼんでいるような。
しかし彼の異変に気づかないジェラールではない。こんなときはおおよそ、こういうことだろうと察しがつく。
「何時間かぶりに顔を合わせてみたら、何そんな落ち込んでんだ」
「そう見えるか?」
「わかるわそんくらい」
冷静を装っているつもりだろうが、というより普通の人から見ればいつもと変わりない様子に見えるが、ジェラールは違う。迷いなくザギの隣にどかっと腰掛けると、身を乗り出す形で顔を覗いた。
「で?」
「……嫌われたらしい」
「誰に」
「少女だ」
親友の自分が話でも聞いてやろうと思ったことが馬鹿馬鹿しくなりそうだった。
「えっと、その少女ってのは?」
「奴隷の生き残りだ」
「奴隷!?」
この言葉足らずめと喉まで来たのを押し返し、薄くため息をつく。ようやく理解した。
昨夜のザギの任務は奴隷商人の取り締まりで、部下の騎士を率いていったのを同じ騎士団であるジェラールももちろん知っている。報告では奴隷商人二名を確保となっていたが、恐らくは奴隷のほとんどが巻き添えになってしまったのだろう。故意に殺めたのでなければ、騎士団が罪に問われることはない。特に報告する程のことでもないと判断される。
彼の言う少女は、その奴隷の生き残りというわけらしい。
「お前、話が大雑把過ぎる」
俺の理解力が高いから良いものを。そう続けるが、ちらと横目で見ればもうザギは上の空に戻っている。
(相当へこんでるな)
ここまで沈んだザギを見ることはかなり珍しい。感情をあまり表に出さないのが彼の特徴と言えるのだが、やはり様子がおかしいのは見ての通りだ。ジェラールにしてみれは、これはこれで面白いものが見られたなというのが本音でもあるのだが。
「その子に何したんだよ。助けたんだろ?」
「さっぱり心当たりがない……起きるなり"触るな"だの"人でなし"だのと」
なるほど嫌われているらしい。それもかなり、だ。
ザギがその少女の嫌がるようなことをしたのは間違いなさそうだが、本人は何も自覚していない。いつも通りと言えばいつも通りだなと首を傾ける。
はっと、ジェラールは一つの可能性を浮かべた。
「その子生き残りって言ったな」
「言った」
「もしかして、他の奴隷を死なせたのを怒ってんじゃねえのか」
「え……」
ザギはそれっきり固まってしまった。見開いた目も瞬きすることなく。顔の前でひらひらと手を振ってみても変わらず動かない。この分だと、多分それが原因ということらしい。だがこうも無言で微動だにしない人形のようにされると、心配になる。というよりは、このまま動かないのではと不安になる。
「そうか。目から……鱗が落ちたぞ、ジェラール!」
再び声を出したことで、一安心だ。でかしたと、これまた珍しく嬉しそうに言う彼の口元が、心なしか緩んでいるような。言葉の勢いのままに、ザギは立ち上がる。
「お前は天才的だ、ジェラール」
今度は本当に笑って言い放ってから、すたすたと一人エレベーターの方へ向かって行ってしまった。残されたジェラールは、まだあとに続く気配もなく、呆然とした後に身震いする。
あのザギが、冷静沈着で礼すらあまり言わないようなザギが、べた褒めするとは一体どういう了見だ。しかも、あんなに嬉しそうに笑うとは。
「気持ち悪い」