白銀の騎士(2)
序盤で一番残酷なシーンです。(作者調べ)
白銀の狼に似た髪とそれと同じ色の目、腰のベルトに携えた一本の剣。彼の後ろには馬にまたがる十数人の男たちが待機している。乗っていた馬から降りるその少年は、商人が今一番会いたくない相手だった。
「や、やだなあ。疑ってるんですか? 冷凍物なんで開けられちゃ困るんだけどなあ」
手綱を握る男は、動揺を隠しきれていない。なるほど図星か。
「すぐに終わる」
「ちょっ、あんた勝手に!」
少年は馬車の主を無視して、後ろで引かれている大きな木の箱の裏へ回り込もうとする。不意を突かれた男は背を向ける少年へ、手をかざす。その瞬間、男の指先から稲妻が放たれた。それは一直線に少年へと飛んでいく。
「!」
高速の稲妻を、少年は間一髪で横に飛び退いて回避した。まさか避けられるとは思っていなかった男は、振り向いた少年を見て、ひっと情けなく悲鳴をあげる。
「それが答えだな」
少年は短く冷たく言い放つと、続いて待機している騎士たちに向かって命令を下した。
「総員、この者たちを捕えろ」
次の瞬間には、そこはもう戦場だった。雷、炎、防御壁の魔法や剣が舞う。数の差に怯みながらも、二人の男は魔法で応戦する。
クローディアたちも、外で起こっている明らかな異常事態に気づいていた。
「おじいさん、どうなってるの!」
「これは……助けが来たのかも知れんぞ。グレイベル騎士団が!」
「グレイベル?」
聞き慣れない言葉にクローディアが首を傾げた途端、真上で爆発音が鳴り響く。飛び火した魔法が奴隷たちが収容されていた箱の上部を吹き飛ばし、さらには数人の鎖まで破壊した。クローディアのも、そうだった。
一瞬、事態を飲み込めなかった奴隷たちだったが、枷に繋がれた鎖が切れたとわかると一目散に逃げていく。よかった。ただならぬ音に焦燥感を掻き立てられながらも、クローディアは安堵した。彼らはこれで自由だ。
しかしクローディアは逃げなかった。老人の鎖がまだ繋がれたままだったからだ。
「あんたも早く逃げなさい」
「僕は大丈夫だよ。今外すから」
そうは言ったものの、鉄枷を少女の力でどうにかするのは厳しい。どうしたものか。
「きゃあああああっ!」
即座に悲鳴のあがった方へ目を向けた。あまりに信じ難い光景に、クローディアは瞠目した。
「え?」
先程逃げたはずの奴隷の一人が、火に包まれている。全身を燃やされている。手足や首に残った鉄枷から伸びる、ちぎれた鎖がゆらゆらと炎の影に揺れている。繰り広げられる戦いに巻き込まれたのだ。誰かが避けたであろう炎が命中してしまった。一緒に逃げた他の奴隷たちは、その恐ろしい姿に目を奪われてしまっている。
駄目だ、一刻も早く逃げなければ。
「逃げて、早く!」
クローディアが叫ぶ。しかしその声は、彼らの耳には届いていない。腰を抜かしてその場にへたりこんでしまう者もいた。
どうにかして逃げてもらわなければ、彼らも……。クローディアは老人の元を一先ず離れ、彼らの元へ走る。しかし人間になったばかりの彼女の足はもつれ、転ぶ。そんな彼女の頭上を、一筋の光が過ぎていく。
「あぁぁぁああああっ!!」
立ちすくんでいた奴隷に、今度は稲妻が命中する。クローディアのときとは比べ物にならない程強い電光は、一瞬にして彼の体を黒焦げにし絶命を迫る。
「そんな!」
早く、早く! 焦れば焦る程クローディアの足は言うことを聞かなかった。うつ伏せになった状態で動けなくなる。前に進まなければと足掻く間にも、飛び火した魔法が容赦なく、逃げられたはずの奴隷たちの命を奪う。とても耐えられる光景ではなかった。
そしてついに、クローディアを除く自由になった奴隷たちはただの一人もいなくなってしまった。
(嘘だ、みんなせっかく解放されたのに!)
顔をくしゃくしゃにして、とてつもなく大きく入り交じった負の感情に必死に耐えようとする。どうしてみんな死ななきゃいけなかったんだ、どうして自分は助けられなかったんだ。涙は出ない。悲しみではなく、憎悪と怒り。言うことを聞かないこの足のせいで、皆は死んだ。そう思えて仕方がなかった。
そのとき、一際大きな爆発音と共に複数人の叫びが耳をついた。顔をそちらへ向けると、先程までクローディアたちが収容されていた箱の、残った下の部分が激しく燃えている。
「あ……駄目、燃えないで!」
だってまだ、あそこには鎖が外れていない人たちが残ってるのに。彼らは木の箱に燃え移ってしまった炎から逃げることが出来ない。ほんの少し先の未来にあるのは、灼熱地獄の後の死。それだけだ。
「おじいさん! 待ってて、すぐに外すから!」
そう叫んだものの、やはり体が思うように動かない。地を這うことすら叶わない無力にのたうつクローディアの全身は、やがて土にまみれていった。
一人、また一人と火が燃え移っていく。耳に障る悲痛な声を発しながら、火達磨と化していく。クローディアは手を伸ばした。届け。届け! 老人は、クローディアを見つめて優しく微笑んだ。火に照らされて顕になったその姿は、暗闇で見たときよりも痛々しく、弱々しく思えた。やがて老人も炎に飲み込まれていった。苦しそうに暴れ、もがき、だがすぐに動かなくなる。
ぱちぱちと音を立てる火花の音が、何故だか鮮明に聞こえてきた。みんな、死んでしまった。自分は一人だって助けられなかったんだ。今度は涙が溢れてくる。すぐに零れて頬を大粒の雫が伝う。
「やめて……もう殺さないでよ!」
声の限りに言葉をぶちまけた。それは戦闘を繰り広げる者たちの耳に鮮明に届く。銀の髪の少年は剣を振りながら、うつ伏せになった一人の少女の姿を見た。
(奴隷か。どうして逃げない)
少年よりも先にクローディアに気づいた人物がいた。馬車の主、奴隷商人の男だ。見たところ、他の奴隷は全員死んだらしい。生き残った彼女は高値で売れそうな奴隷だったが、あんなに汚れてしまったのではもう必要ない。奴隷商人は剣士たちの目を盗み、クローディアに向かって魔法を放った。また彼女も、飛んでくる稲妻を見つめる。
自分も死ぬのか。国を追放され、目の前の命一つすら救えずに生き残ってしまった自分も、最後にようやく。クローディアは訪れる瞬間を覚悟した。だが、
「どうして逃げなかった」
稲妻は突如彼女の前に現れた者の剣によってかき消される。淡々とした口調。ああ、馬車の中で最初に聞いたのと同じ声だ。もはやクローディアには、その問いに答える気力も残っていなかった。
少年が、返答してこないのを不審に思って振り返ると、既に彼女は気を失っていた。かなり汚れてしまっているが、元は美しいであろう金の長い髪。頬には涙を流した跡がある。他の奴隷は全員死に、この少女だけが生き残った。少年はこの凄惨な事実をようやく理解し始めていた。だから一人、彼女だけでも助けなければ。体力の消費が激しいため、あまり気は進まないのだが。
少年は剣に魔力を込めた。すっと頭上に上げたそれを一気に振り下ろす。弓形の光を伴って一直線に進む白い斬撃は、奴隷商人たちを目がけた。彼らは魔法で防ごうとするが、並の魔力で相殺できるものではなく、呆気なく防御壁は砕け散る。光が消えたとき、奴隷商人たちは地面に倒れていた。加減をしたので死ぬことはないだろう。彼らを拘束するのは、部下の役目である。
少年は剣を収めると、クローディアを抱き上げた。