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マーメイド・クロニクル  作者: 雨宮彼方(モク)
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引きこもり人魚姫(3)


 その夜、城にて。


「一日に二度も此処へ来ることになるなんてね」


「すまない」


 黒を纏った方がフードをとる。セイディだ。対するもう一方はトリトン。昼間とは違い彼の雰囲気は穏やかである。


「まあいいさ。しかし、何故呼ばれたんだいわたしは」


 流石にこればかりはわからないと加えるも、トリトンの重い口は閉じられたまま。返答を待つセイディに、しばらくしてようやく事を口にする。







「……正気かい?」


「お前の力が必要なのだ。この役、買ってはくれまいか」


 かつてないほどにセイディは動揺した。トリトンはその様子をただ見守る。即答できることではなかったが、それでも結論をどこまでも長引かせるセイディではない。


「いいだろう」


 トリトンはセイディの答えに僅かに目を見開く。その言葉にはもう一切の迷いはなかった。


「断ると思ったのだがな」


「断ろうとも思ったさ」


 仕方ないだろうという風な口ぶりとは裏腹に、声色から後悔の念は感じられない。トリトンが礼を言うと、セイディは言葉を返す代わりに口角を上げた。


「クローディアは、あのあとどうしたんだい?」


「部屋に籠っていたな。夕食も口にしていないだろう」


「そうかい……本当に困った子だねえ」


 呆れてため息をつくが、口元に浮かんだままの笑み。しかしどことなく寂しそうな目をしていた。


「それじゃあわたしは帰らせてもらうよ」


「呼び立ててすまなかった。感謝する、セイディ」


 生返事をして再び黒のローブを纏い、セイディは城をあとにした。







 夜が明けきらない暗い海底。ランプを片手に携えたクローディアは、尚見通しの悪い道を慎重に進んでいた。住宅がひしめく城の周りと違い、街の中心から離れていけばいくほど夜の海には奇怪な生き物がよく見える。彼女も流石にその不気味な景色には慣れていないようだ。


「うひゃあ……」


 時折急に眼前を横切る魚に悲鳴をあげながらも、彼女に後戻りをする決心はない。


(怖い……夜の海がこんなだなんて知らなかったなあ)


 ランプがなければ、そのまま朝まで立ち往生することになるのかなと考えたところで、顔色が恐怖に染まり、頭をぶんぶんと振った。冗談じゃない。クローディアは持ち手を、今までより強くぎゅっと握り締めた。

 道は覚えているはずだ、何度も、何年も通っている。ただこんな時間に訪ねたことがないというだけだ。


 ぼんやりと、親友の魔女の姿を思い浮かべる。彼女ならきっとわかってくれる。城には自分の味方なんていなかった。姉たちも、父親も。居場所と呼べるものは、なくなっていた。

 もう帰らなくたっていいんじゃないか、トリトンが連れ戻しに来ても、自分はもう戻りたくない。王家の位から外されても構わない。セイディと二人でずっと一緒に暮らしていけたら、どんなに幸せなのだろう。クローディアはそんなことを思った。それはとても強い願望であり、これから叶うことでもあるのだと、少し微笑む。


 気がつけば暗い海底のクローディアの向かう先に、ぽつりと微かな明かりが見えてきた。クローディアは改めて決心する。







「僕はもう、城には戻らない」


 セイディは呆れて少し笑ったが、それでもやはりクローディアを快く受け入れてくれた。


「また来ちまったんだねえ」


「あのね、セイディ。僕セイディと一緒にここで暮らす。城にはもう戻る気はないんだ」


 セイディは目を丸くして絶句した。正確には、何かを言おうと口を開いたところでそれをやめてしまった。そして少し嬉しそうに微笑む。それが答えだ。


「ありがとう……でも、本当にいいの? 追い返さないの?」


「あんたが言ったことじゃないか」


 笑って「それにわたしは魔女だからね」と加えた。


「当然のことをしないのが魔女さ」


 クローディアには、彼女がとても頼もしく思えた。いつも彼女は強くて優しいたった一人の味方だが、このときはより一層強く見えたのだ。

 やっぱり受け入れてくれた。セイディはあいつらとは違う。


「それにしても、こんな早い時間から。ちゃんと寝たんだろうね」


「うーん、あんまり」


「やっぱりね」


 ため息をつきながらも、わかっていたらしくセイディはキッチンへと向かう。


「お茶を淹れよう。そしたら少しでも眠るんだよ」


「ありがとう」


 クローディアも途中まであとをついて、いつも二人で座る小さなテーブルについた。自ら考えついたこととはいえ、夢のようだった。絶対に抜け出せるはずのない、クローディアにとっては監獄のようなあの城から抜け出して、これからは毎日好きな人と好きなことを存分に楽しめる。


(もう、王女として振舞わなくていいんだ。人間の世界にも行かなくていい)


 王女としてではなく一人の人魚として、一人の少女として生きるのだ。


「クローディア」


 名前を呼ばれて振り向くと、二人分のティーカップを持ったセイディがこちらに来るところだった。椅子に座るとカップを置き、横を向いて指をひょいと跳ねさせた。するとキッチンの奥から皿が二枚、ゆらゆらと揺れながら二人の前にたどり着いた。皿の上にはクッキーが数枚。


「僕も魔法が使えればなあ」


「あんたにゃ才能がなかったのさ。その代わり、誰にも負けない知識を持ってる」


 セイディはにっと笑うと、紅茶を喉に流し込んだ。


「そんなのいくらあったって、魔法には勝てないよ」


 クローディアは頬を膨らませて拗ねた顔をする。紅茶を一口飲む。いい香りがする、美味しい。


「魔法がなくたって偉大にはなれる」


「なりたくないよ、そんな大変そうなの」


 くらり。


(あれ)


 なんだか視界が霞む。何故だか力が抜けていく。体が、頭が重い。


「セイディ……?」


 どうしてだろう、すごく眠い。目を開けていられない。

 セイディ、なんでそんな悲しそうな顔してるのさ。僕、何かしたのかな。ねえ、僕……。


 数秒も経たぬうちに、クローディアはテーブルに突っ伏して寝息をたてていた。







 暗闇の中で、その人は何故か鮮明に見えた。顔は見えないが、少しウェーブのかかった長い金の髪。そんな人は一人しか知らない。


「お母様っ!」


 手を伸ばしても、動作が驚くほどに遅くて。目の前の彼女は振り向いたものの、すうっとあちらへ遠のいてしまう。


 行かないで、行かないで。

 もうどこにも行かないで!


「やだ、やだよう……」


 涙が頬を伝う。姿が見えなくなるまで彼女は、こちらを見て微笑んでいた。







「クローディア」


 薄暗い空間で、一気に目が覚めた。彼女の全身を震わせるその声は、すぐ近くから。


「目は覚めたようだな」


「お父様」


 今最も恐れる人物、トリトンが目の前にいた。クローディアは恐怖した。しかしそれ程威圧感は感じられず、寧ろ彼は静かな目をしている。


 ここはどこだろう。セイディの家だろうか。クローディアはトリトンの隣に並ぶ人物を見て、目を引き攣らせた。


「セイディ!」


 あまりの驚きで声が裏返る。即座にセイディの元へ向かおうとするも、身動き一つとれない。クローディアは、十字型の鉄板に手足を拘束された状態ではりつけられていた。


「何、これ」


「クローディア、お前に言っておくことがある」


 当然のごとく混乱するクローディアに、トリトンはあくまで淡々と言葉を綴っていく。セイディは、何も言わずに佇んでいる。感情は、その顔からは読み取れない。トリトンは少しの間を置いて、告げた。


「お前を、人間の世界へ追放する」


 すぐに言葉が頭を巡ってくれない。何と言った。父親は、王は今何と言った。どれだけ時間が経ったか、実際には十数秒だったがクローディアにはとてつもなく長く感ぜられた。


「人間の世界へ、追放……?」


「そうだ。お前は一五を迎えたにも関わらず、人間の世界を拒み続けた。日頃の行いとて、王女としてあるまじきものばかりではないか。今までのわたしが甘かったのだ、自分の娘だからと。だが、最早これ以上見逃しはしない」


 トリトンはクローディアを連れ戻しに来たわけでも、ましてや城を去ったことを許しに来たわけでもなかったのだ。


「いやだ、嫌だ! セイディ、助けて!」


 セイディはトリトンにも勝るかも知れない魔女、親友である彼女はきっと自分を助けてくれる。そう思った。


「それは、出来ないんだよクローディア」


 セイディは苦しそうに表情を歪め、そして目を伏せた。クローディアは意味が理解できない。


「出来ないって、どういうこと?」


「わたしは、こうなるようトリトンに手を貸したのさ」


 言葉を失った。セイディがトリトンに手を貸した。すなわち、クローディアの追放を後押ししたのだ。

 どうして。その言葉は声にすらならなかった。親友だと思っていた、唯一の味方なんだと思い込んでいた。けれどそれは違った、クローディアの馬鹿な思い込みに過ぎなかったのだ。


”当然のことをしないのが魔女さ”


 嘘つき、結局はお父様を裏切るようなことはしないんだ。クローディアの目から、光が消えていった。


「警告をしておく。追放後、お前が人間に人魚の存在を知らしめるような言葉を洩らせば、お前は泡となって消えるだろう」


 消える、つまりは死ぬということだ。しかしそんなこともうどうでもいい。半ば放心状態で、クローディアはトリトンの警告を聞いていた。


 人間の間で人魚は伝説として知られている。その心臓を食らえば不老不死になると言われているらしい。だから人魚の存在を知られてはならない。

 こんなときまで、彼は国のことばかり。クローディアは何の反応も示さない。トリトンはそんな末娘の姿を一瞥し、最後に彼女に向けて言った。


「別れだ、クローディア」


 その言葉を合図に、クローディアの拘束が解かれた。かと思いきや、どこから現れたのか二人の兵隊が彼女の両腕を片方ずつ、がしっと掴んだ。クローディアはもう、抵抗しなかった。


「セイディ」


「ああ、わかってる」


 セイディがクローディアに手をかざす。すると、その手から光が溢れてクローディアを包み、消えた。


「!?」


 その途端、それまでの呼吸が出来なくなる。海水が口から喉を伝い、食道や気管へ入り込んでくる。視界もぼやけ、目が痛くなる。


「行け」


 トリトンが兵隊に短く命令した。その瞬間クローディアの体が激しく上方へ引っ張られる。腕を掴む二人が猛スピードで泳ぎ始めたのだ。

 クローディアは呼吸をしようと試みるが、いくら吸い込んでも空気は入ってこない。それどころか苦しくなる一方だ。


「おやめください。あなた様の体はもう、人間なのです」


 兵隊の一人が言った。クローディアは言われるままに口の中の水を吐き出し息を止めた。だが既に意識は朦朧としている。

 違和感を覚え、勢いに抵抗して何とか自身の体を目にする。やはり鮮明には見えなかったが、そこには確かに、見慣れた鰭はなかった。その代わりに顔や腕と同じ、白く細い二本の人間の足がある。


 海底が暗く見える。人間の目で見る海は、今までのそれとは全く違う。暗く、冷たく、恐ろしい。しかし見えたのはここまでだった。クローディアは静かに目を閉じていく。限界だった。

 瞼が落ち切る直前、白く温かい光が見えた気がした。







 白い砂浜に、足跡が二人分。荒く髭をはやした二人の男。一人が、波打ち際で何かを見つけたようだ。


「おい、これ見てみろ」


 仲間を呼び寄せ、足元に転がるものを指差す。否、ものではなく、それは人だった。

 金の長い髪は砂にまみれているが、美しい容姿を持った少女。しかしその容姿とは裏腹に、纏っているのは服にも見えない、薄汚れた白い布。着ているというよりは、単に体に巻き付けているだけのようにも見える。

 少女は足を波に打たれる状態で、倒れていた。


「生きてるんだろうな?」


「ああ、生きてる」


 二人は互いの顔を見合わせ、にやりと口角を吊り上げた。


「こいつには、いい値がつく」


「引きこもり人魚姫」ラストでした。なろうとフォレストページで投稿形式が違うので、どうしても文字数が安定しません。

人間になったクローディア、続きもどうぞお付き合いください。

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