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大きな勘違い



「はい、今日はここまでっ。お疲れ様だったね、よく頑張ったよ鈴音」

「あ、ありがとうございました」

やはり、一ヶ月のブランクは大きかったようで、もちろん頭はパンク寸前だったが、体力も落ちていることを実感する。まだ三拍子のリズムから抜け出せてない足がふらつく。

「お疲れ様、鈴音。まだ迎えは来ていないみたいだね」

すかさず掛けられた声で、疲れが何倍にも膨らむ。ダンスを覚えるのに頭を使いすぎて今まで忘れていた。

「……私の迎えの者が誰かなんてわかるんですか」

「わかるさ。君の家の執事だろう?君の家は我が家の大事な取引先だし。顔は知ってる」

取引先という言葉を使っているものの、簡潔かつ厳密に言えば、店と大事なお客様の関係。カイゼルの家は、うちの服飾の商いの、所謂、一番のお得意様なのある。つまり立場的には私の方が弱く、私はこの男の機嫌を損なってはいけないのだ。

彼はこれをちらつかせることで、私がなにも言えなくなるのを知っている。

分かっているからこそ私に近づくのだろう。この優越感溢れる笑みの由来だ。他に言い寄れば喜ぶ女の子がいくらでもいるだろうに、明らかに嫌悪感を漂わせる私に、半ば脅すように言い寄り、反応を見て楽しんでいる。この男には嗜虐趣味の変態の気があるに違いないと、私は密かに思っている。

ご両親とご兄弟は立派なのを知っているだけに、残念でならないが、きっと家族が立派過ぎる故の反動なのだろう。庶民の言葉では、グレちゃった、というらしい。

家族にコンプレックスを抱く点においては、同情の余地がなくはない。


「何の用ですか」

赤塚が本当に来ていないか確かめるため、私はホールの出口へ向かいながら聞く。

「用がないと君と話しちゃいけないの?」

「カイゼル様の貴重なお時間を私に割くなんて、時間が勿体無いと思いまして」

これは本音だ。暇なのだろうかと、本気で考えてしまうくらいに、私に費やしている時間が多い。

「様だなんて他人行儀だなぁ。普通に呼んでよ、カイゼルって」

「そんな図々しいこと出来ません」

そうこうしているうちに、玄関ホールへ出る。カイゼルの言う通り、赤塚はまだ来ていなかった。いつもは時間ピッタリに来るのだが、今日に限って来ていない。

そういえば赤塚を朝から見ていないことに今更ながら気がついた。執事兼教育係とは言いながらも、その他に任されている仕事も多いと聞いている。きっと仕事が長引いているのだろう。

「図々しいなんて事はないよ。僕だって君のことをそうやって呼んでいるし」

そういえば、許可した覚えはないのに出会ったその日から名前を呼び捨てにされている。

「カイゼル様の迎えはまだいらっしゃらないんですか?」

突破口を見つけるべく、話を変えてみる。

「来てたんだけどね。君と話そうと思って、さっき時間を潰すように言ってきたから、大丈夫」

「……そうですか」

残念な気持ちが声に出ないよう、努力して相槌を打つ。

「せっかくだし、外散歩しない?」

返答も待たずに勝手に私の手を引き、玄関を通り過ぎ外へ出る。

いささか足が縺れそうになってよろめきながら外へ出ると、夜の涼しい風が顔にあたる。練習でほてった体に心地好い。カイゼルへこののムカムカした気分も、少しは冷めるかもしれないと、大人しくついていく事にする。

カイゼルは何も言わずに、玄関を出てすぐ右にある、庭園へぐいぐい進んでいく。手首を捕まれていたのだが、いつのまにか手をしっかりと握られている。抵抗する気力も失せ、私はカイゼルにこの先何を言われようと、適当に相槌を打つだけに徹する事を決めた。

「舞踏会は半年後だね。君はどこまで習得したの?」

「20までです」

後10ヶ月にしては相当少ない数に、カイゼルは少し驚いたように眼を見開いたが、すぐにああ、と納得した。

「一ヶ月休んでたから当然か」

貴方のせいです。とは、とても言えない。

「僕はもう全部習得したんだ。だからこれからは暇だな」

「もう、ですか」

優秀振りをアピールされ、家族が立派過ぎてグレた説は消えてしまった。私が同情するのはおこがましいだけだったようだ。自信に満ち溢れた態度は虚栄ではなかったということで、ますます嫌味な男だと認識し直す。

「明日からは僕が教えてあげるよ」

「結構です」

思わず即答してしまい、苦しく補足した。

「えぇと、か、カイゼル様を独占してしまったら他の方々に嫉妬されてしまいますので」

嘘はついていない。私とカイゼルの仲を誤解したらしく、カイゼルファンのご令嬢達からいやがらせをされたことがあるのだ。ダンスシューズに硝子片を入れられたのが今までで一番の実害だった。他にも、練習中に足を引っかけられたり、ドレスにお茶をこぼされたり、などだ。事故に装われてはいるが、単なる事故とは考えられない程の高頻度で起こっていたし、何より謝罪を述べる態度があからさまに悪意に満ちていた。


「させておけばいい」

呑気に無責任に、カイゼルは笑って言う。

「何かされたら全部僕に言えばいいよ」

それが出来れば苦労はしないのだ。あまりに周りが見えていない発言に少し苛立ち、遠回しに嫌みの一つでも言いたくなってしまった。

「……カイゼル様にご迷惑はおかけできません」

「どうして?」

「ヒュース家の方々にご面倒をかけるわけにはまいりません」

ヒュースというのは、カイゼルの家名だ。

「ヒュース家は、関係ないでしょう?」

「こうしてお構いくださるのも、私が揚羽家の者だからでしょう」

「そんなこと」

「カイゼル様は、交流のある家の娘である私があまりに出来が悪いのを見兼ねて優しくしてくださっているのですよね」

「違う」

「いいえ、違いません」

何だか言っているうちに熱が入ってきてしまった。

このまま勢いで一芝居打ってみようと、何故か私は考えてしまい、涙を滲ませてみる。これでもアカデミーの初等科では、劇で主役をつとめた事もある。口から自然とその時の台詞を引用した言葉が出てきて、我ながら大したものだと、内心自画自賛する。

「カイゼル様、もう我慢ができません。私は、辛いのです」

「何が、辛いの?」

カイゼルがやや困惑しているのがわかる。珍しいカイゼルの様子に、私はますます調子に乗る。

「こうしてカイゼル様のお傍にいることがです。貴方が立派であればあるほど、私は貴方には相応しくないと痛感させられてしまう」

「鈴音……」

カイゼルの顔が深刻になっている。勢いに乗じて、繋いでいた、否、握られていた手をさりげなく外す。

「だから、もう、私に、構わないで下さいっ……。貴方に相応しい、私よりもずっと素晴らしい女性が、必ず、必ずいるでしょうから……」

「そんなふうに、思ってたんだ、鈴音……」

「……今まで言い出せませんでした。私、私辛くて……。でも、一ヶ月振りに貴方と会って、こうして言う決心がつきました。だから……」

この辺りで最後の別れを告げれば、完了だと、私は作戦の成功を、何故だか根拠もなく確信する。


「だから……さよっ……ぬわっ」

決して上品とは言えない声を上げてしまい、そして陥った状況を把握して私は、作戦の失敗を悟った。


カイゼルが、私を抱きしめている。


「嬉しいよ鈴音。そこまで僕の事を思ってくれてたなんて」

大きな大きな誤解を招いてしまったようだ。勢いに任せて喋ったせいでどこでどう誤解を産んだのかさっぱり分からなかった。

「は、離してっ、くださいっ」

「離したら君は行ってしまうだろう?」

お察しの通り、そのつもりだった。

「鈴音。君は可愛いよ。不相応なんかじゃない」

カイゼルが耳元で囁くので、全身に鳥肌がたち、身震いする。

とにかくこの状況を好転させようと、必死で適当な言葉を並べた。

「離してくださいっ……。そんな慰め要りません。不相応なのは私が一番よく分かっています。それに、私……」

何か適当な言い訳をと頭を巡らし、意識せずポロリと言葉が出てくる。


「約束を……」


「え?」

「……約束を、約束をしている方がいるんです」

カイゼルの腕が強張る。

「……結婚の?」


「いいえ。けれど、私は必ず待っていると、約束しました」

何故だか考えなくともするする言葉が出て来て、それにしても曖昧な言い訳だと我ながら思う。カイゼルの言葉に乗じて、結婚の約束だと言えば良かったのに、それは違うとブレーキがかかる。

待ってる、とは、何だろう。


「その人が、君が一番大切に思っている人?」

「……え、えぇ」

低くなったカイゼルの声に、ぎくりとする。

「許せないな」

「え……?……っ痛」

カイゼルが呟いて、腕の力を緩めた、と思ったら、両肩を掴まれて、傍に立っていた大木に押し付けられた。背中に木の出っ張った所が当たり割りと痛い。思わず、何をするんだとカイゼルを見ると物凄く恐い眼をしていた。

「か、カイゼル様……?」

「鈴音、僕はね、舞踏会で、君に正式に結婚を申し込もうと思っていた」

「そ、そんな……」

常軌を逸した言動に、返す言葉が見つからない。

カイゼルは両腕を私の頭の両側について、囲い込むように私を見下ろしている。それほど身長の高くない私は、背丈のあるカイゼルにこうされると、もう完全に身動きがとれない。

「君にそういう人がいたとしても、僕は諦めないよ」

本能的に脳が危険信号を発している。

「あ、あの、離して……っ」

思わず腕を突っ張ってカイゼルを押し退けようとしたが逆効果で、両手首をそれぞれに掴まれて木に押さえ付けられた。

もはや抵抗する術が、言葉しかない。

「……あの、離してください」

「嫌だ」

カイゼルは拗ねた子供のように答える。

「その君の大切な人って、どこのどいつ?」

「えぇと……」

具体名を適当に挙げるともっとややこしくなるということは、流石にわかっていた。

「……と、遠い土地にいらっしゃる方です」

「前はここにいたの?君を置いて行ったってこと?」

「えぇと……」

あまり言うとぼろが出そうだ。

「そんなに詮索なさってどうなさるおつもりですか」

「君の前に二度と現れないようにする」

本当に頭のネジが一、二本飛んでいったのではと疑ってしまうような発言に、頭痛がした。

「そんな勝手な事……──」

「その前に」

有無を言わさない口調で私の言葉を遮ると、カイゼルはただでさえ近い顔の距離を縮めてきた。

流石に知識と経験共に不足した私でも、カイゼルが何をしようとしてるかは、想像できた。押さえられている手は私の頭のすぐ両横にあり、身動きどころか顔すらそむける事が出来ない。



私は思わず目を瞑った。








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