あなたはわたしで
くるくると、私は一人でダンスを練習している。相手は誰かもわからない透明な人だ。
くるくるくるくる、止まらなくなる。不意に手を離され、よろけ、床に倒れた。
辺りを見回す。
これは、夢。
だって、こんな世界知らない。
──タンッ、タンッ、タンッ──。
規則正しい、何かが弾む音。
振り返ると、見たこともない変わった服を身に纏った、肩ぐらいまで伸びた、毛先のくるくるとした、黒い髪の女の子の、後ろ姿。日の光が髪に射して、茶の色を発している。純粋な黒色ではなく、茶色がかかっているのだと、思う。
その子は、茶色に黒い線が模様になって入っている大きな球を、片手で地に叩きつけて、その球は面白いくらいに跳ね上がって、またその子の手に戻る。
それをまた叩きつけて。
その、繰り返し。
規則的な音は、それが生み出していた。
地面は平らで、クリーム色の固い土が覆っている。
その子は不意に、滑らかな動作でその球を両手に持って、しなやかに腕を上に、伸ばす。球は、その手から離れて、カーブを描いて飛んでいく。
宙に浮いた、黒い縁取りの白い板に、小さな四角が描かれていて、その前に、奇妙な網籠がついている。球はそれに向かっていって、その網籠に、すぽりと入った。けれどその網籠には底が無くて、するりと球は通り抜けて、地面に、落ちた。
何度か弾んで、転がる。
こちらへ、転がってくる。
私はしゃがんで、それをとる。
表面が細かい細かいつぶに覆われて、変な感触。到底片手では持てなくて、両手に抱えたそれは、軽快に弾んでいた印象とは裏腹、結構重い。
「バスケットボールっていうの」
顔を上げると、女の子が、こちらを向いていた。知らないけど、見慣れている気がする、顔。多分、私と同じくらいの歳だ。
「…………バスケットボール?」
聞き慣れない、単語。
「忘れちゃったもんね」
忘れた?
ううん、その前に、この声は。
「前にも夢に出てきたのは、あなた?」
泣いていた声。
私を責めた声。
「……そうだとも言えないし、違うとも言えないかな」
意味がわからない。
「何をしてるの?」
更に意味のわからないことを聞かれる。
「なにって?」
「いつまで忘れているの?」
それは、こっちが、聞きたい。
そう、訴えようとして、言葉が出なくなる。
本当は、逃げてるだけなのだと。
心の何処かでわかっていたことに、気が付く。
「でも、」
今日、決めたのだ、思い出すと。
けれど。
顔を上げたら、優しい顔があった。
笑ってはいないのに、酷く優しげな顔が。
「恐いね」
そう、思い出すことが、とても、恐い。
「恐いよ、とっても。自分を守るために必要だったんだもの」
私の言葉を、言い訳を。
「あの人達の側が、暖かくて、心地よくて」
ずるずると、思い出さずにこのまま時が過ぎれば良いのにと、きっと私は、願っていた。
優しさに慣れて、もう、一人では立てなくなってしまいそうなくらいに。
「ずっと一緒にいたいと思ったの」
笑う声がして、顔を上げた。
笑った声が確かに聞こえたのに、その子は、何もなかった様な無表情。
今、気付いた。
この子は、とても優しげなのに、一度も微笑まない。
「当然だよ。居心地が良いんだから」
「え?」
「あそこが居心地が良いのは、当然。"るい"の居る場所だから」
愛おしむように目を細めて、少女はその名を口にした。
ルイ、さんが?
わからない。
「……あなたは、だれ?」
「"すずね"」
「え……?」
それは、私の名前だ。
言う前に、少女が光に掻き消された。目を開けていられないくらいに、眩しくなる。
目を再び開けると、窓からの光が更に射し込んで顔に当たっていた。眩しいと思ったのはこれだったのかと考え、起き上がる。
「…………?」
何かの夢を見ていた気がしたが、綺麗に忘れていた。
『鈴音』
不意に思い出したのは、ルイさんが私を呼ぶ声。思い出した瞬間、息が詰まった気がして、慌てて吐き出す。
今日帰ってくると言っていた。
早く会いたい、と、そう思った。