方向を固める
ベッドの傍らの椅子に腰掛けて、遥祈は鈴音を見つめる。
昨日シャルレの屋敷に運ばれてから、鈴音は熱で寝込んだまま、目を覚まさない。
昨日の、朝というにもまだ早過ぎる時間帯に、遥祈は連絡を受けた。ルイの元には女の部下や下働きが殆どいなかった為、天宮の家で働く若い娘達数人を伴って、シャルレの屋敷に駆け付けたのだ。既に医者が処置をしているところだった。
見つけて早々に要が外したらしいが、まだ手首には痛々しい跡が残っていたし、足首にもそれらしいものがあった。どこかで捻ったのか、片方の足首は真っ赤に腫れていた。世話係の娘に手伝わせて、鈴音を着替えさせた時に、腹に殴られたような跡もあるのを見つけた。よく見れば、治りかけてはいるが手足に無数の小さな切り傷があるし、髪で隠れているものの、こめかみには一際大きな傷もある。
その上、要の話では、襲われかけていた上、目がよく見えないと言っていたとのことだ。
いたたまれなくなって、遥祈は鈴音から目を逸らす。
ゲームと言うには、重過ぎる。
何故。
グレイスと話をしたときから、ずっと考えている問いだ。赤塚に直接問いたださない限り、答えは得られないと分かってはいるが、考えずにはいられなかった。
ノックの音がして、返事をすると、ルイと要が入って来た。
「鈴音の様子はどう?」
ルイが開口一番にそう聞く。
「相変わらず。熱が下がらないわ」
「そっか……」
ふと、何も言わない要を見やると、釈然としない顔がある。それもそのはず、今まで遥祈とグレイスの話の概略を、ルイから聞かされていたのだ。グレイスと話をしたのは半月ほど前の事だが、要には今までゆっくり話をする時間がなかったのである。
わざと尋ねてみる。
「要、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……」
要は頭を掻きながら、部屋の隅に置いてあるソファに腰を降ろした。
「わかんねーことばっかりだろ。まだ整理が出来てない」
至極尤もな意見だ。
遥祈だって、整理がつかずにいる。
要はソファの前のテーブルの上に置いてあったグラスに、水差しの水を注いだ。
一気に飲み干して些か乱暴にテーブルに置く。
「とりあえず、あんまり派手な行動をせずにゲームを進めろって事でいいんだな?」
ひどく端的な結論だが、間違ってはいない。
「そう、表向きには、あくまで、要がたまたま鈴音を助けて、たまたま知り合いだったルイ・シャルレに預け、たまたまその知人の天宮遥祈に世話を頼んだ。っていう体裁」
「……だから」
ルイが要の隣に腰を降ろしながらおもむろに口を開く。
「もし、鈴音の記憶がすぐに元に戻らなくて、家に帰りたいと言ったら、それを無理に引き留める事は出来ないね」
「ただの誘拐犯になっちまうもんなぁ」
要がぼやく。
「だから宜しくね、要」
久し振りににっこり笑って言われたルイの言葉に、要は警戒心を覗かせる。
「……何が?」
「誘拐犯の役」
「はあ?!何だそれ?!」
「だから、要が誘拐犯のふりして鈴音を引き留めるんだよ」
「何で俺が」
「俺は次期当主だし遥稀は貴族の奥方様だし、要君は違法の運び屋だし」
「ぬぅ……」
「まぁ鈴音に嫌われちゃうだろうけどこれも全部鈴音の為だよ。頑張って」
「う……」
要の口からうめき声しか出なくなったところで、遥祈は黒いものを滲み出す満面の笑みのルイに言う。
「瑠依、そのくらいにしときなさい」
ルイが少しつまらなさそうに遥稀を見た。
「いつもより止めるの早くない?」
「整理出来ない情報詰め込んだ後に訳のわからないこと言うと、さすがにパンクするかと思って」
要は二人の会話に呆ける。
「…………は?」
ルイは残念そうな笑みを要に向ける。
「要、今の冗談だよ」
「…………あのな……」
要は脱力してルイを睨みつけた。ルイは笑みを浮かべたままそれに応える。
「ごめんごめん、冗談だって要ならすぐにわかると思ったんだ。まさか本気にされるとは思ってなかった」
「…………」
無言でそっぽを向く要。ルイは、要同様、まだ使われていないグラスに水を注ぎながら、何事もなかったように話を再開する。
「要に頼みたいのは鈴音の素性の調査。ここに引き留めておけるように手を打っておく必要があるから」
要が何だか嫌そうにルイをちらりと見た。
「手を打つって、例えば?」
「中産階級以下なら養子縁組でも何でもここに引き留める術はある。貴族ならその家と友好関係を結んでおかないと」
「……怖えー……」
「ルイ・シャルレはそういう人間なんだ」
さも、瑠依の方は、そんな蜘蛛の糸を張り巡らすような事はしないと言わんばかりだ。異を唱えるべく、要は口を開きかけたようだが、そこから言葉が生まれることは結局なかった。
考え直して止めたらしい。
賢明な判断だと遥祈は思う。
妙な沈黙が生まれたところで、遥祈は元々胸の内にあった懸念を思い出した。
「……心配な事が一つあるの」
ルイと要が同時に遥祈を見た。
「今の鈴音の歳、見たところ、だいたい十五、六でしょ?」
まだ幼さが残るものの、今は三人の内で一番年下の要とそう変わらない。
「もし、貴族で成人してるなら、婚約している可能性が非常に大きいわ」
「……ああ、貴族女の結婚は成人と共に、とか何とか。あれって本当だったのか」
ませてんなー、と要は呑気にミツバシラでの常識で物を言う。
「…………別に、それならそれでも、友好関係を結ぶことに問題はないよ」
そう言ったルイを、要は面白そうに見た。
「おー、ご立派な意見」
無表情のまま、明らかにからかいを含んだ要の言葉に何の反応もしないルイ。それをにやにやしながら見ていた要は、何かを思い出したように、あ、と声を上げて嫌そうな顔をした。
「相手、赤塚だったりしてな」
途端に、ルイの手にしていた水入りのグラスに、亀裂が走った。