やっと
男が這うようにして逃げていくのを見て、漸く我に帰る。無惨に破られた服に気付いて思わず手で隠そうとしたが、何せ縛られたままなので上手くいかない。そうしているうちに、青年が踵を返して私の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫だったか?」
男に向けたものとは全く違う、気遣うような優しい言葉に、思わずまた涙が溢れてきた。
「……はいっ……有難う、ござい、ましたっ……」
青年は私の頭を優しく撫でた。
「もう大丈夫だから」
ただ何度も頷いた。まだ本当に良い人なのかもわからなかったが、みるみる安心感で胸がいっぱいになる。そのせいか何だか急に、ぼーっとしてきた。降り続けていた雨の音がやけに耳元で大きく鳴りだす。
少し沈黙して私を見ていた青年が聞いた。
「お前、名前は?」
「……鈴音、といいます」
揚羽の名はとりあえず伏せておこうと思った。みっともなく溜まった涙を指で拭っていると、青年の反応がおかしいことに気付いた。表情まではよく見えないが、ひたすら沈黙している。
「……あの……?」
「…………鈴音、本当に鈴音なのか……?」
肩に手を置かれて顔をのぞきこまれる。
「……はい、鈴音、ですけど」
それ以外、答えようがない。
「……身近に、赤塚ってやつ、いる?」
「…………赤塚の、知り合いですか?」
よもやこんな所でその名前が出てくるとは思わなかった。1日ほどしかおそらく時間は経っていないが、懐かしい気持ちになる。何故この青年は私と赤塚の事を知っているのだろう。
「赤塚はどこだ?くそっ、なんでこんなことに……!?」
私の肩に添えた手に少し力が入った。とても怒っているのはわかるが、何故なのかがわからない。前に会った事があるのだろうか。頑張って見つめてみるが、簡単に視力が良くなるはずもなく、ぼんやりとしか見えない。
「すみません、私、目がよく見えなくて……あの、お知り合いでしょうか?」
赤塚を知っているなら、先生や兄の様にアカデミーでの知り合いなのかもしれないと思ったからだ。
「……目が、見えない……?」
私の肩を支える青年の手に力が入り震えが伝わる。とても驚いたように声も震えている。罪悪感を覚え、説明を加える。
「……あ、いえ、あの、ちょっと、その、事故があって一時的にですけど」
知り合いかもしれない人に余計な心配をさせてはならないと思って多少誤魔化す。しかし、青年はあまり納得してくれなかったようで、そのまま押し黙ってしまう。
「……あの、赤塚の……、兄達の知り合いでしょうか?」
「……いや」
いたたまれず同じ質問をすると、青年ははっとしたように息を飲み、否定をしたものの言葉をつまらせ、そしてゆっくりと、その人は言う。
「……そう、だな。知り合いだ。……ずっと昔から、お前を知ってる」
私の肩に添えられた手がずっと震えている。
「お前は、知らないかもしれないけど」
その人のどこか泣きそうな声に、こちらまで、泣きそうになる。
「……ごめんなさい」
謝ると、いや、とその人は小さく笑う。
「知らなくて、当然なんだ。お前は悪くない」
「あの、お名前は……?」
「要、だ」
カナメ。
頭の中で反芻して記憶を探っていると、急に抱きしめられた。
「……やっと、見つけた」
私の首元に顔をうずめた要という青年は、本当に泣きそうな声で、そう言った。