表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/84

捻り出す策




ゆらゆらと。

私は仰向けに水に浮かんでいた。

ただ静寂に包まれている。

見上げていた真っ白な空から、雫が落ちてくる。

澄み切った音が広がって、それが無数に、重なっていく。



雨だ。



雨、は、あの人が嫌いだった。




あの、人……?







また、知らない誰かのことだ。


すごく、懐かしい気がする。













「……っ……」

急に、夢の淵から引きずり出された。乱暴に簡素なベッドの上に放り出されて、衝撃で頭がはっきりとした。一瞬夢を見る前の事が思い出せなくて怪訝に思うが、ベッドの傍らに立つ男の姿が視界に入って思い出した。あまりに私が色々質問をした為、うるさいと言って薬をかがされたのだった。

頭の芯が、ずきずきと痛い。

「よく眠れたか?」

右側に馬車の中で言葉を交わしていた男。左側には、恐らく御者台にいたもう一人の誘拐犯。

「こんな所で悪いなぁ。お嬢様には我慢出来ないだろーが、まぁ我慢しろよな」

ん?なんか矛盾してんな、と、もう一人の方が独りで爆笑した。この甲高い声は、間違いなく馬車の中で聞いた声。誘拐犯が二人であるのは間違いなさそうだ。

「おい、ネビ、お前が訳のわからん一人ツッコミ入れるから、お嬢ちゃんビビってんじゃねぇか」

甲高い声の方はネビ、と言うらしい。

「お前の一人ツッコミの方がつまんなくて痛ぇよっ」

ネビが、低い声の方に言い返す。正直どっちも面白くないと思う。

「おもしれぇ冗談言ったって仕方ねぇだろ。お嬢ちゃんは何言ったって笑えねぇだろーし、お前が笑うのはむしろうぜーし」

なかなかシビアな意見だ。

「おい、ダズ。ひでぇ言い草だな。俺だってお前笑わせてぇ訳じゃねえんだからなっ」

低い声の方はダズと言うらしい。左右で挟んで漫才ともつかない掛け合いをされても困るのだが。

ここで、しくじった事に気がついた。馬車から降りる時が逃げられるかもしれないチャンスだったのに。私はうっかり寝てしまっていた訳だ。色々情報を少しでも引き出そうと質問を重ねたのが裏目に出てしまった。

どうやって逃げよう。

ぼやけた視界で辺りをこっそり見回すと、少し広めで、けれどぼろぼろの部屋のようだ。私の居るベッドは一番奥にあり、それに等間隔でベッドがもう二つある。一番遠いベッドの向こうに、ドアがぼんやりと見える。

「お嬢ちゃん、逃げようったって無理だぞ?足縛られてんだから」

私の挙動不審に気付いたらしく、低い声の方、ダズが言う。

兎跳び、という案が頭の浮かんだが、即座に却下した。

「まあ大人しくしてるこったな。お嬢ちゃんのおうちの方にはちゃんと連絡しといてやったから、まぁ、一週間くらいで帰れるさ」

身代金要求のくせに、随分な言い方だと思う。

「一週間たっぷり楽しんだ後に金持ちになれるって訳だ。なんていい仕事」

最低な仕事だ。睨みつけたら、誘拐犯は二人揃って笑った。

「もう諦めな」

「運命だったんだ、運命」

そう簡単に諦められるものではない。

だが、私の意志など問う事もなく、にやにやしたような声で二人は話し始める。

「おいダズ、どっちが先だ?」

まるで手に入れたおもちゃでどっちが先に遊ぶのかを決めるかのようなとても嫌な会話に、耳を塞ぎたくなる。

「そりゃお前、じゃんけんに決まってんだろ」

本当におもちゃの取り合いの様だ。

「おぉそうか」

意外と素直に納得するネビという男。

「行くぞ、じゃんけんほいっ」

沈黙。手元の型まではっきりと見えないが、どうやらあいこであったらしい。

「あいこでほいっ」


それが、十回くらい続いた。

このまま永遠にあいこを繰り出してくれはしないだろうか、と、期待しないまでも願う。

仲が悪そうだが、二人組で誘拐犯をするだけあり、気が合うのかもしれない。

一見、ひたすらじゃんけんをしている平和な男二人組の光景を、ぼーっと見ている場合ではないことにはっと気が付く。

とにかく縄を解く方法を考えなければならない。ナイフ、は、この人達が持っていそうだが、奪えるはずがない。

ふと、昔の記憶が浮上する。

確か昔に読んだ冒険物語で主人公達が縄に縛られた場面があった。谷底に落とされそうになった場面を回想する。あの時主人公たちはどうやって逃げたのだったか。主人公の友人のフィリップとかいう人が、いつの間にか縄を解いていた。

そう、確かこんな台詞。


『お前!いつの間に!?』

『へへっ、間抜けさんよ、此処には石っていう立派な刃物がごろごろ転がってんだぜ?』


このシーンが好きで、何度も繰り返し読み聞かせてもらい、自分一人でも読みふけったお陰で、一言一句違わずに覚えている。ないと思っていた自分の記憶力を、初めて誉めた。

そのシーンで学んだこと、尖っている石なら、縄も切れる、ということだ。


石の様に鋭いもの。触ると痛いもの。そして、ここで手に入れられそうなもの。

ガラス、だろうか。

部屋を再度目を凝らして見ると、隣のベッドの傍らの明かりを置く台のような所に、黒っぽいワインボトルの形をしたものとグラスらしきものを見つける。あれを上手く割って、その破片を手に出来たら。


「やりぃ、勝った!」

漸く決着がついたらしく、ネビさんの方が歓声を上げた。あいこが何回続いたのだろうとふと興味が湧くが、そんな事気にしてる場合ではなくなっている。思わず縛られた足をつっかえにして後ろへ下がるが、すぐに冷たい壁に突き当たる。こうなったらとことん反撃するしかない。

「おとなしくしてりゃあひどいことしないからよ?なぁ…………うげぇ!!」

予想以上にまともにヒットしてしまった。縛られた両足のまま思いきり反動をつけて蹴ったので、のけ反る男。ダンスシューズが丈夫に作ってあって底が固い上、ヒールがあるからかなりのダメージのはずだった。思惑通り、ダメージを受けた所を押さえて床で悶えている。

それを見ながらじゃんけんに負けてほぞを噛んでいた方の男、ダズは大爆笑した。

「ぎゃははははは!!お前阿呆だろ、なぁ?!阿呆だろ?!」

身をよじってお腹を抱えている。仲間の事を笑っているとは思えぬ程の馬鹿にしきった笑い方だ。

「…………うるせぇ……、おい、お前、次はもう容赦しねえからな……」

「ぎゃははっ!お前っ、そんな体勢じゃあ何の迫力もねえよっ!!ぎゃはははは、だっっっせぇ!!」

私をおそらく凄い形相で睨んだネビも、ダズの言葉に簡単にあしらわれた。

「……ダズ、お前も後で覚えとけよ……」

ネビは床に伏したまま、尺取り虫の様に動いて、一番扉に近いベッドに這い上がった。

「もう俺は寝る!お前、静かに見張っとけよ!」

「静かにって、おいネズ、俺はお預けか?!」

声を上げたダズに、ネズはざまぁみろ、と笑う。

「じゃんけんに勝ったのは俺だからな。最初は俺だ」

そのままネビは薄い毛布を被った。

「っち、つまんねぇな」

舌打ちをするダズ。そう悪態をつきながらも、ちゃんと主張を聞き入れるのに意外性を感じる。

「よかったなお嬢ちゃん。つまんねぇから一緒に酒付き合え」

ダズは残りの一つのベッドに腰を下ろしてワインボトルを手に取った。お酒は飲んでは駄目だと赤塚に言われている。覚えていないからわからないが、手のつけられないくらいに酔っ払うらしいからだ。

「……出来れば私はお酒じゃなくてお水が欲しいです……」

こんな時に酔っ払ったらどうなってるかわからないので、一応願い出てみる。

「おお、そうか、でも旨い水じゃねえぞ?井戸水を携帯したやつしかねぇ」

「それで充分です」

わがままは言ってみるものだ。悪人だが、気は良いらしい。

「どこに入れたっけな」

ダズは部屋の隅に置いてあった荷物を屈んで探る。私はその隙に、ベッドの傍らのワインボトルとグラスを見る。頭の中ではどうやって割るかを悶々と考えていた。

最悪、兎跳びに失敗した振りをして体ごと突っ込むしかない。

きっと次は蹴りは通用しないだろうから、逃げるなら今夜しかないだろう。

「お、あったあった」

ダズは小さな水筒を手に大股で戻ってくる。それをそのままグラスにたっぷり注いで渡してくれた。両手首を縛られた状態ながらグラスは持てた。一つしかないグラスを渡してくれたからするに、ダズはボトルから直接呑むつもりらしい。

心の中で万歳する。手が滑った振りをして落とせば良い。一欠片でも手に入れられれば良いのだ。とりあえず喉は渇いていたので一気に飲み干した。温かったが、それが気にならないほど美味しく感じる。

よく考えたら、誘拐されてから何時間も経っている。お腹がそろそろ鳴り始める気がした。

私の様子を見ていたダズさんが、やはり直接瓶に口をつけてお酒をあおりながら笑った。

「てかお嬢ちゃん、あんた肝座ってんな」

しみじみと感心したようにダズが言った。

「……そうですか?」

確かに普通のお嬢様が持っているような、繊細な神経は持っていないが。

「おうよ、だってあんた、今誘拐されてる真っ最中なんだぜ?」

緊張感に欠けているように見えるのかもしれないが、頭の中はどうやって逃げようかと必死だ。悟られたら困るので、そう見られていることは好都合だ。適当な苦笑いを返す。

ダズは良い飲みっぷりで続ける。

「しかも明日にゃ確実に貞操奪われるって時にだ」

まさか処女じゃないって事はねぇだろ?と、聞く。もうちょっと婉曲な表現を使って欲しいものだ。確実な危険が迫っているのに平静でいられるのは、逃げる望みが残っているからだと思う。もしくは単純に、危険を自覚出来ないほど私は阿呆なのかもしれない。そう簡単に逃げられると考えるのは、甘いだろうか。

「お嬢様らしくないって言われないか?」

「……自覚はあります……」

庶民だと嘘をついていてもその嘘を疑われることは一度としてなかった。ダズがぎゃははと笑うと。

「……うるせぇっ!」

ネビの寝ぼけた声に私は驚き、わざとでなく、グラスを手から離してしまった。これで、わざと落とす振りをせずに済んでラッキーだと頭をよぎったのだが。

ごとん。

予想とは違う音に、慌てる。割れていない。

反射的に、無理矢理体をよじって、ベッドから半分落ちた様な体勢になりながら、割れないグラスを拾った。腹筋を目一杯使って元の体勢に戻る。

その行動にダズが笑った。確かにはしたない行動だったが、私にそんなことを気にしている余裕はない。

割れないグラスを、睨み付けた。

「割れなくてよかったな、座ってたからだろーな、ネビが起きずに済んだ」

座ってたから、というダズの言葉にヒントを得る。落とす高さが足りないのだ。となれば。と考える思考は訝しむようなダズの声で中断された。

「何だお嬢ちゃん、さっきからグラスを大事そうに」

「ぅえ?!い、いや、その……」

ばれる、と焦って思うと余計に慌てる。慌てる私とは裏腹にダズは、したり顔で頷いた。

「もう一杯欲しいんだろ?」

「……あ、はい……。」

助かった。ダズは傍らに置いてあった水筒を掲げ、グラスを差し出すように促す。私はまた身をよじって、縛られた足を下ろし、ベッドに座る体勢になる。この方がベッドの上で足を抱えて座るより楽だと初めて気がついた。グラスを持つ両手を差し出して注いでもらう。またたっぷり入れてくれた。誘拐犯というこの状況さえなければ、親切な人だと感謝していたに違いない。

まだ喉が乾いていたのは事実なので、再び一気に飲み干す。

「いい飲みっぷりだなぁ」

そう言うダズの方も、多分お酒はもう半分くらいになっている。

「お前っ!!……俺の分も残しとけよ…………」

ネビが起きていたのかと思ったら、寝言だった。何度目かの、ぎゃははという笑いを響かせながら、ダズはベッドの上を横切って、私に背を向け、ネビのベッドの方に向き直った。起きないと確信しているのか、何を思ったか笑いながらネビを足蹴にしている。


今だ、と、思い切り床にグラスを叩きつける。形容できないようなすごい響きを上げて、綺麗にグラスは割れてくれた。

「きゃ、す、すみませんっ!また落としてしまいましたっ……」

慌てた演技をして、床に座り込み、破片を一所に集める。

「あーあ、まぁ縛られたまんまだから仕方ねぇよ、怪我してねぇか?」

ダズは首を傾けて、ガラスの割れっぷりをのぞきこんだだけだ。さっき割れなかったのに、という事は考えずに済ませてくれたようだ。

きっとお酒のおかげだろう。

「こいつこの音でも起きねぇのか、気持ち良さそうに寝やがって……」

またネビを足蹴にすべくそちらに注意を向けたのを見計らって、一番使えそうな破片を枕の下に隠した。グラスの底の部分で比較的大きく、鋭い部分と手で持てるような部分が両方ある破片だ。残りの破片を大型化床に集められたのを確認して、ベッドに上がる。手首と足首を縛られていると本当に不便だ。ベッドに上がるだけでも、それこそ芋虫の様に這い上がる様にしか出来ない。

ダズは、ネビに飽きたのか、大きな欠伸をした。

「もう寝るか。お嬢ちゃんも寝な」

そういいながら真ん中のベッドに寝転がる。

「あ、はい」

素直に返事をした私をちらりと見て、ダズは何だか下品に笑った。

「明日に備えて、な」

思わず睨むような視線を返すと、ダズはまた、ぎゃはは、と笑った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ