ばれた
とうとう私は耐え切れなくなった。
「ね、赤塚」
「何ですか?」
「暇~。…………です」
「それは困りましたね」
昨日は赤塚が水とスープを用意してくれている間に寝てしまったらしい私。眼が覚めたときには、もう母様も父様も兄も茜も、出掛けてしまっていた。茜は今日部屋に来るって言っていたから、早めに帰っては来るのだろうが、正確な時間を聞いていなかった。
まだ昼を過ぎたばかりで、何もすることがない、というか、何もできない。赤塚は応えて相槌を打ってくれるものの、それ以上何も言ってくれない。
「……何かいい暇潰し法知りません?」
仕方ないので無理矢理話を振ってみた。
「そうですね……いつもは何をして過ごしていらっしゃるんですか?」
「……お勉強」
「嘘を言ってはいけません」
即効返された。
「嘘じゃな…――」
「お昼寝でしょう?」
「う……」
確かに赤津の話の最中でいつもうたた寝してしまうが。
「それ以外での時です。私が貴女の傍にいない時は、何をしていらっしゃるんです?」
「うーん……乗馬したり、茜とお話したり、下町行ったり……あ」
口がすべった。
「……下町……?」
心なしか低い声。
「……えぇ、っとぉ……し、下、した……」
駄目だごまかせない、と直感した。
「私に何の報告もせず……?」
つかつかと赤塚が近づいてくる。いつもは足音たてないことから察するに、相当怒っている。汗が、つー、と頬を流れる。
すぐ近くで足音が止む。私の向かう机にとん、と乱暴ではないが手を置く音。多分、いや絶対、今赤塚は私を睨んで見下ろしている。
「まさか、一人で?」
そうです、と、声に出して認める勇気は私にはない。
「……沈黙は肯定ととりますが?」
今までになく怖い。
「……ごめんなさい……」
すると、急に頬に伸ばされた赤塚の冷たい手に、少し驚いた。
「……何かあったら、どうするんですか」
嘆息混じりに漏れる言葉。
「……何にも、なかった、よ?」
「運が良かっただけです」
そうかもしれない。
「……ごめんなさい……」
赤塚は私の頬から手を離して、大きな溜息をついた。
「だから貴女は目が離せないんです」
私が沈黙しているとややあって赤塚が口を開く。
「私には許してもらえないと思いましたか?」
正直に首を縦に振った。
「……私は貴女に信用されていないようですね」
「……違っ、違うのっ」
思わず立ち上がって赤塚の服を掴み、赤塚の顔があるであろう方へ顔を上げた。そんなに傷ついたような声をされるとは思わなかった。
「誰にも、言ってなかったの。……下町の生活に興味を持つなんて、非常識だって言われると思って……だから赤塚を信用してないとかそういう訳じゃなくてっ」
赤塚は沈黙している。
「……今まで黙ってたのは、ごめんなさい。でもっ……」
上手く言葉が見つからなくて思わず俯いた。
肩に手を置かれる。
「……私がいじめているみたいになってしまいましたね」
赤塚が苦笑した。
「冗談です、ご安心下さい」
「……へ?」
「始めから知っていましたから」
赤塚の言葉を飲み込むのに時間がかかる。
「…………えええぇ!?はじっ、始めっ、始めからって、そういうこと?!」
「えぇ、貴女がこっそり下町に行っていたのは始めから知っていました」
「うそ……」
不意打ちだ。口はぱくぱく動かせるのに言葉が出てこない。
「気付かれないように見守るのは大変でした」
笑いを含んだその声に、脱力して椅子に座る。
「なんだぁ……焦って損した」
「いつ口を滑らすかと思っていましたが、結構長くもちましたね」
「……馬鹿にしてる?」
確かに今まで滑らしそうになった瞬間は確かに多々あったが。
「おっとこれは失礼」
今までの怒った声とか傷ついたような声は全部演技ということに思い当たる。
「……赤塚って、嫌な性格」
「今頃気付きました?」
「…………」
嫌味を言ったつもりだったのに、何でもないことのように返される。
「……赤塚今絶対笑ってるでしょう」
きっと怒りの声を出しながらも笑っていたに違いない。
「いいえ、そんなことは」
既に笑いを含んでいる声に、とても悔しくなる。
「そんなに膨れっ面をなさらないで下さい」
「…………」
何も答えないで拗ねていると、赤塚が少し困ったように言った。
「仕方ありませんね。……今度、下町に連れていくと約束したら許していただけますか?」
「……本当に?」
「嘘でも冗談でもありませんよ」
「……じゃ、許してあげる」
「有難うございます」
ちょっと偉そうに言ってみたら、笑いを堪えたように礼を言われた。
それはまるで子供扱いに手馴れた親のようで、いつでも優位なのは赤塚なのだった。
またしばらく沈黙が訪れて、私は早くもまた退屈し始めていた。赤塚は部屋の中にいるようだが、書類をごそごそしているような音しかしない。おそらく、部屋の入口付近にある客用のテーブルを使っているのだろう。先程私が沈黙を破る前も同じ状況だったと思う。赤塚はずっと、何をやっているのだろう。見えないからわからない。
「赤塚」
「はい」
「さっきから何やってるの?」
尋ねてから、言葉遣いに気を使わなくなっている自分に気付いた。
「鈴音様のお世話係の候補を探しているんです」
「私の?」
「ええ、いつまでも着替えの度に掃除婦を呼ぶわけにもまいりませんし」
確かに、昨日はそのまま寝てしまったが、朝、着替えはさすがに赤塚に手伝ってもらうわけにはいかないので、屋敷の中の女の人、つまりお掃除のおばさんをわざわざ呼んで手伝ってもらったのだ。
着替えじゃなくても困る事はある。食事だ。スープやパンなら、始めに位置を教えてもらえば一人で食べられる。が、それだけで済むはずはなく、フォークやらナイフやらを使わなければたいていのものが食べられない。勿論、私はそこまで器用ではない。ではどうするのかというと、食べさせてもらうしかない。
今のままでは、その役目を担えるのは赤塚しかおらず、さすがの掃除のおばさんもそこまで引っ張り出すわけにはいかなかった。だから、朝食と昼食は、赤塚に食べさせてもらっていた。子供扱いされている感じ、というか事実そうなのだろうが。ちょっと屈辱的なことだった。
何より、赤塚は、私に関すること以外でも様々仕事を任されている。今は私のことを最優先するよう言われてはいるものの、色々な面で不都合が出ているのは明らかだった。赤塚の私にかかる手間の時間を短くする為にも、一刻も早く世話をしてくれる女の人が必要だった。
「何かご希望はございますか?年齢や性格等は特に重要項目ですが」
「うーん……具体的に聞かれても……」
すぐに答えられるものではない。
「例えば、同年の者ならこのように暇な時に話し相手にちょうど良い事もあります」
「同じ歳…………あぁ!」
とても良いことを思い付いた自分を、賞賛する。
「どうしました?」
急に私が声を上げたので、いくらか不審げに赤塚が問う。
「杏奈っていう子がいるのっ!」
「…………杏奈?」
「そう、下ま……じゃなくて、ん?いや、もうバレてたんだった。そう……そう、えぇっと、下町の友達で、偶然、ダンスホールの所の食堂で働き始めた給仕さんなの」
下町の話はさっきの今なので混乱している。
「……下町で仲良くなられたのですか?」
赤塚はどこか引っ掛かったような言い方をする。それが何なのかはわからなかったが。
「そう、その子が偶然あそこの食堂で働くことになったの。あの日……あ、怪我した日ね、お昼を食堂で食べた時に、会って。貴族だったことバレちゃったけど」
「……そうですか」
赤塚の反応に不安を覚える。
「……駄目?下町の友達、って」
「何故です?ご友人はご友人なのでしょう?」
よかった。
「へぇ……赤塚、たまにはいいこと言う」
「失礼ですね」
「ふふっ」
ちょっとからかえたことに、嬉しくなるが、一つまた別の懸念に思い至る。
「…………でも、引き抜く事になっちゃうのかな……おばさんがまた大変になる……?」
私だけの勝手でおばさんや杏奈に迷惑はかけたくない。よく考えたら杏奈も、私の世話係を喜んでやってくれるとも限らない。
「……やっぱり、駄目、かな……」
あまりに考え無し過ぎて、浮わついた気持ちがしぼんでいく。
「……心配ありません。本人の意志を尊重して是非を問えば良いですし、その杏奈という者が了承すれば、食堂の新しい給仕の雇用手配もこちらがすればいいのです」
赤塚は私の躊躇を察してくれたみたいだ。
「……でも、赤塚が大変じゃない?」
ただでさえ私を見てなきゃいけないのにと心配すると、赤塚は笑った。
「私の今の役目は貴女の為に全力を尽くす事です。そんな事、重要な取引先で緊張を強いられることと較べたら楽なものですよ」
「……赤塚でも緊張することあるの?」
驚きだ。
「鈴音様は私が悪魔か何かとでもお思いになってるんですか?」
「い、いやいやいや、そんなことは思ってない、デス」
思っていないこともないが、否定しておく。
「なら宜しいですが」
「うん、そうだよ」
あはは、とごまかして笑った、その時。
「…………あれ?」
「どうしました?」
「う、ううん、何でもない」
今、白い世界に、色が滲んだ気がした。
でも、それだけ、ただ一瞬だけ。
『眼は、見えるようになるわ。』
ふとよぎったそんな言葉は、誰からの言葉だっただろう。