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映る世界




白い世界。

どうやら、この白は、光を知覚している事に因るらしい。瞼を閉じると、普通である時と変わらず、暗い世界になるからである。何度瞬きを繰り返しても、白と黒が交互に入れ代わるだけ。

それはあまりに単純で、味気無い世界。






私は今、家へと帰る馬車に揺られている。街道の両側に立つ木々の合間から漏れる夕日の光が、時折馬車の小さな窓から入ってきて、私の視界をちらちらと曖昧に照らす。

光の強さに因って明暗が微妙に変わるのが分かるのは、お医者様によると、『救い』らしい。神経が死んでいない証拠だという。つまり、元のように眼が見えるようになるかもしれないということだ。私はその事に単純に喜んだが、他の人達の反応は寧ろ前より一層、重くなってしまった。回復するかもしれない、ということは、回復しないかもしれない、ということ。回復したとて、それがいつになるのかわからない。

そう、皆は思ったのだろう。



今馬車には、私の隣に兄、向かいに茜、その隣、つまり私の斜め向かいに赤塚が座っている。と、兄が教えてくれた話である。

「……」

空気がやたら重い。勿論私のせいではあるのだが、いくら何でも重い。先程までは、張本人のくせにおそらく一番事態に楽観的な私が、ここは明るく振る舞わなければ、という使命感に駆られ、色々と話題を振ったのに、全て不発に終わるという始末だった。皆、微笑みを声に滲ませて応えてはくれるのだが、いまいち覇気が無く、すぐに会話が途絶えてしまったのだ。

因みに話題は、兄と赤塚と先生のアカデミー時代の話。話題を出すという必要に迫られなくても、実は聞きたくて堪らない内容だったが、二人とも、ノリが悪かった。

今考えてみると、元々ノリの良い人達じゃなかったので、仕方ないかもしれない。そんなこんなで、結局私も疲れ、今は喋るのもちょっと気が乗らない。

眼が見えないとこんなに疲れるのだと、初めて知った。だからと言って、三日間寝続けた私が眠れる訳でもないし、眼は見えないから他の三人の様子を観察出来る訳でもない。おまけに誰も喋らない。正直言って退屈だ。外の景色がわからないから、家まで後どれくらいかもわからない。暫く一人で悶々としていると、馬車が止まった。

「着きましたよ」

兄が教えてくれ、内心だいぶ大袈裟に喜ぶ私。お尻も痛くなってきたところだったので、助かった。

だがそこで、一つ問題発見に気がつく。どうやって馬車を降りるかだ。馬車に乗ったときは、見送ってくれた先生が、私に有無を言わせず、横抱きで、乗せてくれた。

かなり恥ずかしかったので抵抗したが、無理だった。王子様役が先生だからこそなせる技だったのだろうが、お姫様役が私では総崩れだ。今、先生は勿論いないので、急に抱き上げられる心配はないだろうが、流石に一人では降りられない。すると、いち早く降りたらしい赤塚が、回り込んで私の座っている側の扉を開けてくれたようだ。扉が軋む音と共に、涼しい風が吹き抜ける。

「鈴音様、お手を」

「有難うございます」

助かったと思ったが、赤塚の出す手の位置がわからなくて意外と苦戦してしまい、すぐにそれと悟った赤塚が、空を掴む私の手を握ってくれた。

再度、礼を言おうと思って顔を上げたら、先に赤塚が耳元で言う。

「抱き上げてさしあげることも出来ますが?」

明らかに笑みを滲ませた声。

「い、いいい、いいです!結構ですっ!」

盛大に噛みまくりながら、首をぶんぶん横に振ると、赤塚はしれっと

「では、足元にお気を付けて」

などと言う。先程までの重苦しさは微塵も感じられない。

既に兄様と茜は馬車を反対側から降りていて、このやりとりには気付かない様子。

冗談を言うなら、重苦しい馬車のなかで言ってほしかったが、茜や兄がいたので控えていたのかもしれない。余計な事を考えながら、つい、眼が見える時の気軽さで降りようとしたのがいけなかった。スカートの裾をおもいっきり踏ん付けた。

「ぅわっ……!!」

我ながら情けない声を上げて、思わず唯一の支えであった赤塚の手に縋る形になってしまう。そこは流石赤塚で、機敏に反応してしっかり支えてくれた。半ば抱き留められている恰好になる。

「……ご、ごめんなさい……」

「いいえ。ですがこれでは、一人で降りさせるわけには参りませんね」

これ以上お怪我でもされたら大変です、と、苦笑しながら言われた。




「鈴音っっ……!!」

玄関の広間に響く、母様の声。

来る、と、身構えようとした瞬間に、ものすごい勢いで抱き着かれた。身構える前に来られたので、そのまま後ろへ倒れそうになるが、そこは赤塚が手慣れたもので、さりげなく腕を出して支えてくれる。

「……か、母様……」

抱き締める力が強すぎて苦しい。

「鈴音っ、あぁ鈴音、痛かったでしょうね、こんなに包帯だらけになってっ。眼まで……あぁ、ママが悪かったわ、もう一年くらい早くからレッスンを受けさせていれば、こんな、自主練習に行って余計な怪我を負わずに済んだのにっ」

ごめんねを繰り返し泣き声になってる母様。覚悟は出来ていたがいざその時になってみると上手く対処出来ない。

「か、母様落ち着いて。治らない訳じゃないんだし……ないんですから」

きっと治ります、と念を押す。ようやく腕の力が緩み、母様が離れ、頬を撫でられる。私や茜の顔や頭を撫でる兄様達の癖は、母様譲りかもしれない。

おそらく母の顔があるであろう位置に目を向ける。そろそろ日が沈んで来たらしく、白の世界はいくらか暗くなってきている。

「……そうね、前と同じ、綺麗な瞳だものね。今見えないって言うのが信じられないくらい。きっと、治るわね」

「はい、必ず」

母様が目に涙を溜めながらも微笑む顔が浮かんで、微笑み返した。

母様の笑顔が見れないこと。今まで思い付かなかったがこれは、不自由であることの次に、痛手かもしれない。

「赤塚」

母様が真剣な声音で呼ぶ。

「はい」

赤塚はずっと私の斜め後ろに立っていたらしく、返事の声がその方から聞こえる。

「貴方は、鈴音の眼の回復に全力を尽くしてください。それと鈴音が不自由のないように、出来るだけの事をすること。そうね、男性の貴方には出来ないこともあると思いますから、女性の方を一人雇いましょう。そちらの手配もお任せします」

「かしこまりました」

普段私達の前ではふわふわとして頼りなさげだが、さすがは商売人の妻、指示にはてきぱきと余念がない。

「それじゃあ鈴音、ごめんね、ママはこれから大事なご相談があるの、パパが既にお相手してるからお手伝いにいかないと。あぁ、そうだわ、パパも、とっても心配なさっていたのよ、ただお仕事があったから。今度会ったら元気な声を聴かせてあげて頂戴な。いい、何でも赤塚に言うのよ?それじゃあまたね」

母様はもう一度私をぎゅっと抱きしめると、慌ただしく行ってしまったようだった。言いたいことを淀みなく一息で言い終えられるのはもはや特技だなと改めて感心してしまった。


「鈴音、僕も外せない用事があるので、行かなければいけないんです。こちらには五日程滞在していますからまたそれまでに、お話しましょう」

前方からの兄の声。お決まりのように頭を撫でられる。

「はい、わざわざ私の為に有難うございました」

おそらく兄様の顔があるであろう方向へ顔を上げて笑みをみせる。今気付いたけど、これで見当違いの方を向いていたらおかしな光景なんだろうな、と全くどうでも良いことを考える。

「じゃあまた」

兄は軽く私の頭を抱きしめた後、離れていった。

「お姉様」

最後に茜が、手を握ってくる。多分皆、私がわかりやすいように順番に声をかけてくれているのだろう。

「私もこれから用事があるのでいかなければならないのです。明日、お姉様のお部屋にお邪魔しても宜しいですか?」

「もちろん。きっと退屈してるから楽しみに待ってる。ありがとね、茜」

「お姉様っ……」

手を握り返すと、驚いたことに茜が抱き着いてきた。普段は母様達の大袈裟なスキンシップを、やや遠巻きに見ていた節があった茜だったが、とうとう母様達に感化されたのだろうか。やっぱり親子は親子だなぁ、と思いながら茜の頭を撫でる。割とすぐに茜は離れて、最後の言葉を赤塚へ向けた。

「赤塚、くれぐれもお姉様が困ることのないようになさってくださいね」

「承知しております」

では、と小さく挨拶をして、茜は行ってしまった。

「では、お部屋に戻りましょう。私の手につかまってください」

赤塚が、わかるように私の指先に手を触れた。言葉に従って差し出されている手を握る。が。

「ふへっ……!?」

「……っと」

あろうことか、第一歩で自分の足につまずいた。流石の赤塚もこれには予想していなかったらしく、焦りの声を微かにもらした。

「…………」

自分の足につまづくという、目が見える見えない以前の問題を晒してしまい、かなり恥ずかしい。

「段差でもありましたか?」

わかっているくせにわざとにこやかに聞いてくる赤塚。

「そ、そうみたいですね」

乗じてそういうことにしておく。すると赤塚が、私の体を支えたままの体勢で沈黙する。

「……赤塚?」

「失礼します」

「え?きゃ、ぅわっ……」

急に言われ、認識する前に浮上感。

本日2回目の横抱きである。

「ぅえっ、ちょ、ちょちょっと、いきなり何でっ……?!」

恥ずかしいのに、目が見えないことで余計に助長される、慣れない不安定な浮遊感に、思わず赤塚の首の後ろに手を回してしがみついてしまう。

「この様子では、階段などとても一人で昇らせるわけには参りませんから」

「うう……」

返す言葉が見つからないまま、赤塚は既に歩き始めている。

馬車に乗る時は一瞬だったが、抱えられたまま歩かれるのはかなり、怖い。地に足がついていないから、頼れるのは、音と、赤塚に触れている感触だけ。家の中は静かで、赤塚の足音も微かにしか聞こえない。

赤塚は確かに私のすぐ近くにいる。

しかし、それ以外はただ光があるかないかの世界しかわからない。

あるはずの物が、記憶に確かにあるものが、急に薄れてゆく気がする。

不意に、私と赤塚だけ、違う世界に放り出されたような気分になる。


取り残されていく、感覚。自分の居る場所が、分からなくなる。


無意識にしがみつく腕に力がこもっていたらしい。

「怖いですか?」

赤塚が聞いてきた。

「……だって、今の私には赤塚がいることしかわからないから」

自分でも何を言っているのかよく分からなかったのに、赤塚は察してくれたらしい。

「大丈夫です。目が見えなくなっても、貴女がいる世界はちゃんとここにありますから」

「……うん」

急に、恐くなった。

触れていなければ、誰かの声を聞いていなければ、自分と世界との繋がりが、曖昧になってゆく。一人では、いられない。

心の中から空虚なものが広がってゆくような、寂しさが襲う。

赤塚に、今私が確かに感じられる唯一のものに、強く縋る。


「……こんなに怖いなんて」


今まで平気でいられたのが不思議でたまらない。鼻の奥に鈍い特有の痛みが走って、洩れそうになる声を必死で押し止めて。

「…………っ……」

赤塚の歩みが止まる。

大丈夫だと言っているように、背中にまわされた腕に優しく力がこもる。

「今は私がいますから」

だから怖がらないで、と、そう言った。

額を押し付けて、赤塚の胸を貸してもらう。


少しだけ、涙を我慢する為に。


微かに香る香水が鼻をくすぐって、少しだけ、安心した。



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