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その愛称



意識が浮上する。

けれどまだ眼を開けられない。柔らかいものに身体が沈んで、再び眠りの中に吸い込まれてしまいそうに、気持ちが良い。

しかし、その誘惑に意識を委ねてしまうより先に、聴覚が外の世界へ反応した。

「どうして犯人が捕まりませんの?!」

茜が、珍しく誰かに激昂している。茜は怒ると怖いから、怒られるのが私でなくて良かったと他人事のように思う。

「茜様、お気持ちはわかりますが、鈴音様がお目覚めになってしまいます」

怒られているのが赤塚だとわかる。いや、怒られているというよりは、怒りを理不尽にぶつけられているという感じだ。

既に私は起きてしまっていて、つまり、寝た振りになってしまうので少し罪悪感をもつ。だが、まだ眼が開けられない。

「お目覚めになった方が良いではありませんか!もう三日経つんですから」

私は三日も寝ていたらしい。はて、何があったのだったか、と考える。

「落着きなさい茜。お医者様は目覚めるまでは絶対安静だとおっしゃったのでしょう。無理矢理起こすのは安静とは言いませんよ」

兄の声。声だけなら、三人の兄とも良く似てて区別がつかないけれど、この丁寧な口調は二番目の兄だ。仕事で他の地方へ行っていたはずなのに、ここにいるということは、わざわざ心配して来てくれたのだろうか。というより、ここはどこだろう。

ノックの音。

「……はい」

一瞬、誰が返事をすべきか戸惑ったようだが、最終的に兄が返事をした。

「失礼するよ」

この声は、先生。

「ジュリアス」

兄の声。そういえば先生の名前はジュリアスだったと、思い出す。

が、何故、兄が先生を名前で呼ぶのだろうと疑問が浮かぶ。

「ちー君じゃないかっ。可愛い妹の為に駆け付けて来たのかい?」

ちー君、という愛称に誰のことかと考える。2番目の兄の名前は、稚冬(チフユ)という。だからちー君ということだろう。何故、先生が兄を愛称で呼ぶのだろうか。

「……ジュリアス、その呼び方は…――」

「赤っぴもお疲れ様だねっ。ずっとここにいるんだろう?」

赤っぴというのは、つまり、赤塚のことだろうか。


「……嘘ぉっ!!」

思わず、がばりと状態を起こしてしまった。

目を開けようとするが、三日間外気に触れなかった為か、痛みに耐えられず、思わず両手で覆った。

かなり間抜けな図に、一同沈黙する。

「お姉様っ……!!」

茜が真っ先に我を取り戻したらしく、私の手を握ったのが分かった。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫」

手を握り返すが、まだ目が開けられない。仕方ないから暫くは目を瞑っていることにする。寝起きで目が開かないみたいな図でかなり恥ずかしい。実際寝起きだが。

「良かった。どこか痛いところはありませんか?」

兄の声。気配で茜の傍に立ったのがわかると同時に、優しく頭を撫でられた。妹達の頭を撫でるのは、兄三人共通のくせだ。

「お久しぶりです、稚冬兄様」

兄は暫く勉強の為に西方へ行っていたので、会うのは数カ月振りだ。

「安心したよっ。生徒達も心配していてね、やっと良い報告が出来るよ」

その声で、一番気になっていた事を思い出す。

「あの、ここは……」

「ダンスホールの会館の宿泊施設です。頭を強く打たれていたので、場所を移動するわけにはいきませんでした」

赤塚が説明してくれる。だから先生が気軽に来られるわけだ。

けれど、まだ腑に落ちない。

「あの、私、何がどうなってるのかよく……」

何故私は三日も眠っていたのだったか。記憶を辿るけれど、曖昧だ。さっき赤塚は頭を打ったと言っていた。

「……私もしかして、ダンス中にこけて頭ぶつけたりしたんでしょうか」

私なら有り得ると、聞いてみたが、皆の反応は思っていたようなものではない。

「覚えてないのかい?」

先生の声が些か緊張を帯びた。それほど深刻な事が、あっただろうか。

「……記憶が、はっきりしていなくて」

「どこまで覚えてる?午前から自主練習を始めた日は?」

そういえばそうだったと思い出す。思いがけず杏奈に会い、これから毎日会えると喜んだこと。その後ミーシェが来て、カイゼルから離れられるという、私の希望が打ち砕かれたのも記憶にある。

「……食堂で食事をして、午後から練習再開して…………その後から、わかりません」

どうしても、午後のレッスンの途中から、思い出せない。

暫くの沈黙がある。

気配と、先生のいつもつけている香水の香りで、先生が近くに来たのがわかった。

「三時の休憩に、ミーシェに頼まれて、更衣室に虫を追い払いに行ったことは?」

「……そんなことが、あったんですか?」

少し考えるが、全く覚えていない。

そういえば、茜が犯人がどうのなどと言っていた。頭をぶつけたらしい私。捕まらない犯人。この皆の深刻ぶり。ぐるぐる考え、私の想像は膨らむ。

「……まさかっ、ミーシェに何かあったんですか!?」

「違うよっ」

「「「違います」」」

四人全員から即否定された。因みに一人だけ異口同音でないのはもちろん先生である。

「何かあったのは鈴音、貴女ですよ」

やや呆れたように教えてくれるのは兄。

「ミーシェは無傷だから安心しなさい。大変だったのは君だよ」

「はぁ……一体何が……?」

一人だけ深刻さに欠けてしまっている状況に、いかに自分の記憶力が当てにならないかを痛感する。この分では、覚えたダンスのステップもごっそり忘れてそうだ。

「その場に居たのがミーシェだけだったからミーシェに聞いた話だけどね」

先生は前置きをして、説明してくれた。

「更衣室の窓の外から、石が投げ込まれたんだ。恐らく君を、少なくとも外から見えた人影を狙ってね。ミーシェが君より窓際にいたら、ミーシェが狙われたんだと思うよ」

つまり無差別。

「物騒ですね……」

私が思わず言うと、何故か周囲から溜息が漏れた。

「お姉様、何故そう他人事なのです。お姉様が被害を受けたのですよっ」

茜に怒られるが、何しろ覚えていないのだから、実感がわかない。

「その石が運悪く君の側頭部に直撃したんだ。ガラスの割れる音を聴いて、私とカイゼルが駆け付けた時は、酷い状況だったよ。君は頭から血を流して倒れていて、その上、下敷きにしたガラスや後から降って来たガラスで腕や足も血まみれだった」

「そうだったんですか……」

トラウマになりそうな光景だ。ミーシェは相当恐かっただろうと、心配になる。確かにそれならば、これだけ心配されるのも当然かもしれない。

「……ご心配おかけして申し訳ありませんでした」

「いやいや、こうして無事であれば心配した甲斐があったってものさっ」

「……ジュリアスの言う事は相変わらずよくわかりませんね」

笑う兄の言葉に、疑問が復活した。

「……あの、先生は、兄様と赤塚と、お知り合いなのですか?」

兄と赤塚が友人同士なのは知っていたけれど、先生との関係は全く知らなかった。そういえば歳が同じくらいだと、今思い当たる。

「うん?赤っぴやちー君から聞いていなかったのかい?私達三人はアカデミー時代の大親友なんだ」

「ちー君に、赤っぴ……」

特に、赤っぴ、が何とも言えず、可愛い。兄の苦笑する声がする。

「ジュリアスが勝手に付けたあだ名です。僕や赤塚は嫌がったんですけどね」

ハイテンションな先生に押され気味の兄と赤塚が、眼に浮かぶ。

「きっと、アカデミーでもとても人目を引いたのでしょうね」

茜がしみじみと言う。確かに、自由奔放な女神の様に美しい先生と、冷たい感じはするが美形な赤塚と、礼儀正しく穏和で、妹から見ても格好良くて素敵な兄。特に女性からの視線はすごかったに違いない。

兄は更に苦笑を濃くする。

「成績は良かったけれど問題児でしたからね」

「問題児?」

シツレイダガ、先生はともかく、兄様や赤塚が、と聞いてもぴんとこない。

「赤っぴやちー君は、すましてるくせに、お茶目で悪戯好きで好奇心旺盛だったからねっ」

「そうなんですか……」

先生が言うと全て可愛く聞こえるのは何故だろう。

「ジュリアス、自分の事を棚に上げないで下さいよ」

兄のちょっと困ったような声が可笑しい。

「失敬失敬。もちろん悪戯の先導は私だったからねっ」

言われずとも何となくわかる。私が少し笑って少し沈黙が生まれた後、兄が訝しむような声で言った。

「赤塚、さっきから殆ど口を利きませんね」

そういえばそうだ。

「何だい、鈴音に若かりし頃の自分を知られて恥ずかしいのかい?」

先生が言う。

「いえ……」

赤塚が、怒りとか恥ずかしさとか、そういう感情とは全く違う声音で、言い淀む。


「……鈴音様」

「はいっ?」

思わず声が裏返った。条件反射に怒られそうな気がしてしまい、背筋が伸びる。

「……どうして目を瞑ったままでいらっしゃるのです?」

やはり、目を瞑ったままで会話に参加するのは、違和感があったのだろう。

「目が外気に慣れていなくて開けられないのではないんですか?」

兄が代弁してくれた。

「そう、その通りです。どうにも目にしみてしまって」

「……少しよろしいですか?」

赤塚が近付いてくる気配がする。兄や茜、先生はベットから少し距離をおいたようだ。

「我慢して開けてみてください。瞬きをして構いませんから」

嫌がる瞼を頑張って開けると、自然と瞬きが多くなる。回数を重ねるたびに涙が出てきて、目のしみるような痛みが和らいでいく。最後に痛みを振り切るようにぎゅっと目を瞑って、そしてしっかりと目を開く。



「……私の顔が見えますか」


「……見えません」


周りの人達の息を呑む気配がする。



気配や声の聞こえる位置で、赤塚が目の前にいるのは、わかる。


わかるのに。




この眼に映るのは、ただ、白いだけの世界だった。









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