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困るのは




「どうして……」

目の前の光景に、私は絶句した。



ここはレッスンホール。正規のレッスンは夕方から始まるのだが、今はまだ午前中である。私が何故こんな早くからいるのかというと、一ヶ月の遅れを取り戻す為である。

レッスンを再開して二週間経ったが、当然のことながら遅れを取り戻せるほど習得ペースが上がっていないのは、私も自覚するところだった。当然先生はそれがわかっていて、追加のレッスンを申し出てくれたのだった。

私がここに居るのは不思議じゃないし、先生がいるのも当然だ。不可解なのはもう一人の人物。

「……カイゼル様、どうしてこんな時間からいらっしゃるのですか?」

カイゼルはご機嫌な様子で笑う。

「鈴音が午前から練習すると聞いたから」

思わず背後にいる先生を振り返る。先生は肩を竦めて首を横に振り、綺麗な瞳で、僕が知らせたんじゃないよ、と訴えている。ダンスホールの管理人でも買収したのだろうか。

「……でもカイゼル様はもう全曲習得したのですよね?」

「鈴音の練習相手に使ってもらおうと思って」

余計な気遣いに、社交辞令の笑みすら上手く浮かべられているか怪しい。急遽決まったこの練習の為に、泣く泣くキャンセルした予定に思いを馳せると、更に虚しくなってくる。本当は今頃、下町で友人と楽しく過ごしているはずだったのに、この落差は何ということだろう。自業自得だから仕方ないと言い聞かせようとして、否、この爽やかに微笑みを浮かべるこの男にも一端があると考えても良いことに気付き尚のこと顔がひきつるのを抑えられなかった。

「それは有り難いね、せっかくだからバシバシ使わせてもらうよっ」

あくまでも明るい先生を、思わず恨みのこもった眼で見つめてしまう私に、先生は艶やかにウインクをする。大丈夫だ、と言いたいようだ。

確かに先生がいれば、昨日の様な事はないだろうが。私にはもう一つの懸念があり、不安は晴れない。しかしそこまで先生が気付けるはずもなく。ただの懸念で終わればいい事を願うしか出来ない。爽やかに、にこやかに、私をはさんで微笑む二人に気付かれないよう、私は小さく溜息をついた。



12時を告げる鐘が聴こえ、それとほぼ同時に先生が手をパンパンと叩く。

「じゃあ休憩っ。昼ご飯を食べよう」

先生は、曲の途中だろうと何だろうと、お昼の時間は守る主義の様だ。私もお腹が鳴りそうで大変だったのでちょうど良かった。先生の言葉を合図に、私はカイゼルからそそくさと離れる。カイゼルと先生の言葉通り、私の相手はずっとカイゼルで、それを傍から先生が見て指導する、という形でやっていたのだ。全て習得したと豪語するだけあって、やはりカイゼルのダンスの技量は並ではなかった。相手が先生の時の様にやりやすく、とりあえず練習は真面目に付き合ってくれたことに安心した。

けれど休憩になった今、安心は続かない。案の定、距離をとろうとした私の手を、かわす間もなく掴むカイゼル。仕方なく私は言葉を探す。

「……カイゼル様、お相手有難うございました。先生も、ご指導有難うございます」

まだ休憩になっただけなのだが、他に良い言葉が見つからなかった。

「まだ午後からレッスンは続けるからねっ」

先生にもその通りの事を言われた。

「鈴音、お昼はどうするの?」

相変わらず自分本位で話すカイゼル。さりげなく握られた手を離そうと画策するが、難しい。

「……えぇと、食堂で何か頼もうかと思っています」

この建物はいわば、貴族の多目的会館の様なもので、地下には食堂があり、とある腕の良いコックが食事を作ってくれる。愛嬌のある下町出身のおばさんがその人で、私とは顔見知りだ。因みに私が下町にこっそり身分を偽って遊びに行くのを知っている数少ない人の一人である。下町に行けなかったせめてもの慰めとして、おばさんの料理を食べていきたい。

「じゃあ僕もそうするよ」

「私もそうしよう」


二人の言葉に、え、と不満の声を漏らしそうになるのを必死で堪えた。






「……あのぅ」

「何?鈴音」

「何だい鈴音っ」

私の呼び掛けに二人共、同時に応えてくれるが、我先にと言わんばかりの勢いに、気圧される。

「……何故お二人は私を間に置いて座られるのですか」

だだっ広い食堂の一角、私の両隣に一席も空けず座り、なおかつ椅子を二人して寄せてくるものだから、正直狭い。

「私とカイゼルが隣同士で座るのかい?やれやれ、それはぞっとしないな。ん?いや、ぞっとするのかな?まぁとにかく、私は鈴音の隣に座りたいのさっ」

美しく微笑む先生。

「はぁ……」

よく何を言っているのかわからないが、さりげなくカイゼルの悪口を言っているように聞こえる。

「もともと二人きりで食事するつもりだったしね。鈴音の隣以外で食事したくないな」

にこりとカイゼルは笑うが、そんな約束はこちらとしてはした覚えがない。

おそらく先生の方は、私とカイゼルを二人きりにしないように取り計らってくれているのだとは思うが、カイゼルと同じ分だけ距離を詰めてくるのはやり過ぎではないだろうか。カイゼルもその意図を知ってか知らずか、いつもより五割増しほど距離が近い。空気が気まずく、正直、逃げたいと思った。


「おまたせいたしました」

そこへ、ちょうど料理が運ばれてきた。給仕さんにお礼を言おうと私は振り返るが、その姿に呆ける。


「杏……んぐっ!」

思わず漏れそうになった言葉をすんでのところで抑える。

「おや、新入りの子だね」

私の動揺に気付かない先生は軽く声をかける。

「今日から働く事になった者です」

私の方をいたずらっぽい眼でちらっと見ながら、給仕さんは料理の皿を置いた後、慎ましやかに頭を下げる。

給仕さんは、私の下町の友人、杏奈だった。


後ろで高めにくくってある、橙に近い赤色の長く綺麗な髪、同じ色の瞳。給仕さんの制服である、紺のワンピースに白いエプロンという出で立ちであるから、違和感を感じるものの、杏奈である。双子の姉妹とかでなければだが、時折私に寄越してくる視線が、何よりも物語っている。

「それでは、何か御用がございましたらいつでもお呼び下さい」

「あ、あ、あのっっ……!!」

頭がパニック中の私は、それでも咄嗟に杏奈を呼び止める。急に立ち上がった私に、両側の二人が驚いているのを何となく感じつつも、今は構っていられない。

「何でございましょうか?」

杏奈はわざとらしくにっこり対応してくれる。

「え、え、えぇっとぉ、ちょっとお話がっ……。せ、先生っカイゼル様っ、ちょちょちょ、ちょっと失礼しますっっ」

言い訳など考えている余裕などない私は、噛みまくりつつ、曖昧な言葉を発する。どちらかが私を呼び止める声も、聴こえていないフリをして、杏奈の手を引いて私は厨房へと駆け込んだのだった。



「びっくりした、何で杏奈がここにいるの?」

「それはこっちの台詞よ、鈴音がまさか揚羽の、貴族のご令嬢だったなんて」

「う……ごめんね、今まで嘘ついてて」

「いいのいいの」

杏奈は私の肩をポンポン叩く。

「その代わり、今更あんたへの態度は改められないからね。これまで通り」

「うぅ、杏奈……、ありがとう」

厨房の隅っこで話している私と杏奈。今の時期は人が少なく、厨房は例のおばさんのみだから問題はない。因みにおばさんは注文の品を作り終えたので、お茶を飲んで休憩している。

「それで、どうして杏奈がここに?」

杏奈はふふ、と笑う。

「少し前から決まってたの。今日、本当は会う予定だったでしょう?その時に話そうと思ってたの。まぁでもドタキャンされて、まぁ仕方ないかと思ってここに来たら、鈴音がいるんだもの。おばさんに事情聞いて、やっと合点が言ったってわけ」

「成る程……。あれ、じゃあもしかして杏奈、今日から毎日?」

「そうだけど?」

「やったぁー!!」

「ぅわっ、な、何、鈴音?」

私は思わず杏奈に抱き着く。杏奈が驚いているのがわかっていても、嬉しさで興奮は冷めない。

「私今日から毎日一日中、ここでダンスのレッスンなの。だからこれからは杏奈と毎日会えるっ!!」

「毎日ダンスのレッスンて……貴族は大変なのね」

杏奈はしみじみ呟く。

「注目してほしいのはそこじゃないんだけど……」

私の興奮に比べ、杏奈反応の薄さに少しがっかりすると、杏奈はにっと笑った。

「わざとよ、わざと。私もすごく嬉しい。日が登ってるうちはここで働いてるから、寂しくなったらいつでも来なよ」

「杏奈っ!」

「はいはい、嬉しいのはわかったから」

再び抱き着こうとしたのを制され、少しショックだったが、杏奈にはちゃんとした意図があったらしい。

「私の事はいいとして、鈴音、あんた行かなくていいの?」

「どこに?」

疑問符を飛ばす私に杏奈はを溜息ついた。

「一緒にいたイケメン男性二人の事よ。ん?金髪の方って、男よね」

その言葉に、すっかり忘れていたことを思い出す。

「そうだった、ごめん杏奈またねっ」

「はーい、鈴音様、お茶のおかわりのときはお呼び下さいませ」

手を振って業務用の口調になる杏奈。私は厨房からいそいそと出ていった。



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