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珍しい笑み





覚悟を決めたその時、口元を横からのびてきた誰かの手に覆われた。

「いけませんね、カイゼル様。まだ成人を迎えてない鈴音様に手をお出しになるなんて」

「お前……」

間一髪とはまさにこのことで、これほどまでに声を聞いて安心したことはかつてなかっただろう。赤塚の声に、涙が出そうになるくらい安心する。

「鈴音様、遅くなって申し訳ありませんでした」

赤塚は私の口を覆っていた手をどかす。既にカイゼルは手を離していて、私は思わずカイゼルを避けるように赤塚に寄り添った。

「遅かったね、揚羽家の執事」

カイゼルは至極不機嫌になっている。

「仕事が長引いたものですから。それまで鈴音様のお相手をして下さったようで。感謝致します」

嫌味にしか聞こえない、挑発的な赤塚の言葉に内心焦る。非が向こうにあるとはいえ、怒らせるのはまずいのではないかと思う。

「構わないよ。鈴音と話すのは楽しいからね。それじゃあ鈴音、また明日」

心配をよそに、カイゼルは意外にも赤塚の言葉わ気に止めた素振りもなくあっさりと引き下がり、私に軽く手を振ると、去って行った。




「……はぁ」

カイゼルの姿が見えなくなったのを確認して、私は思わず溜息をついた。

「鈴音様」

赤塚の怒ってるような声で、ぎくっとする。

「な、何?……何ですか?」

赤塚の顔は険しい。

「何故あの様な状況に?」

「……色々、不可抗力が……」

私の言葉に赤塚は溜息をつく。また小言を言われるのだと思ったが予想は外れ、赤塚は真剣な顔をして私に聞いた。

「彼が原因ですか?」

「原因?」

色んな意味でカイゼルは元凶だが、赤塚の意図するものがわからず首を傾げた。

「レッスンを一ヶ月お休みになっていた原因です」

「……ああ」

出来れば家の者には知られたくなかったのだが、もはや違うとは言える状況ではないので、私は頷く。

「いつからですか?彼が言い寄ってくるようになったのは」

「…………」

言ったら怒られる気がして、躊躇する。

「鈴音様?」

なお黙り込む私の顔を、赤塚はのぞきこんだ。

「おっしゃってください」

「う……」

この眼に見つめられると嫌とは言えない。

「レッスンに初めて行った日。……です」

「そうですか……」

赤塚は嘆息する。

「何故もっと早くおっしゃってくれなかったのです」

「だって……」

迷惑がかかると、思ったのだ。私が一人で処理出来れば良いと、最初は楽観視していた。

「迷惑がかかるとでも?彼が揚羽の得意先の貴族の御子息だからですか?」

「う…」

図星をつく赤塚に何も言えない。

「私だけにでも教えていただきたかった」

ただでさえ出来の悪い私は赤塚に迷惑を、掛けっぱなしであるのに、更に迷惑をかけることなど出来なかった。しかし、結果、大きな迷惑をかけてしまうことになってしまった。

「これからはレッスン後すぐにご帰宅出来るようにお迎えに参ります。それでも、例えばレッスン中に、何かあったらすぐに私に教えてください。いいですね?」

「……はい、ごめんなさい」

もはや謝る他に術はない。俯いていると、何故か赤塚の苦笑が降ってくる。

「私は怒っている訳ではございませんが」

「だって……」

結局、私自身では何も解決出来ていない。レッスンをさぼったのも、ただの逃避でしかなかった。

赤塚は私の肩に手を置いた。

「良いですか、今まで貴女が黙っていたことの方が、私には嘆かわしいのですよ?」

「え……?」

「信用されていないのかと」

「そういう訳じゃ…っ」

信頼してるからこそ、迷惑を掛けたくなかったのだ。

「ならば、ちゃんと話してください。そうでないと、私の教育係としての立場がありません」

珍しく赤塚は微笑んで、私の眼を見る。

「それに、ご両親は、貴方に嫌な思いをさせてまで、あの家からの利益を得ようとは思われないでしょう。揚羽はそんなに軟弱ではありません」

「でも……」

多少なりとも不利益にはなるのは私でもわかっている。

「父様達には、言わないでください」

「鈴音様」

「父様や母様が私を優先することがわかるからこそ、知られたくないんです」

ただでさえ、出来の悪い私は気苦労をさせている。出来ることなら、まだ頑張りたい。自分で状況を打開したい。

「赤塚には迷惑かけてしまうかもしれないけど……」

顔を上げて見れば、優しい顔で苦笑した赤塚がいる。

「わかりました。ただし、私には必ず頼ること。いいですか、何かあってからでは遅いのですよ」

「はい……」

事実、何か、がありかけた。赤塚の協力を得なければ、カイゼルを打破するのは難しい。

「宜しくお願いします。有難う」

「それが私の務めですから」

赤塚が教育係に抜擢されたのが、今なら分かる気がする。怖かった赤い瞳が、今は温かく頼りになるものに感じるのは、虫が良すぎるだろうか。

「では、行きましょう。あまり帰りが遅くなると奥様が心配なさいますよ」




それに気付いたのは、庭園を出て、玄関前に来た時で、今まで月明かりや、窓から漏れ出る室内からの光しかなかったから、気付かなかった。きちんと明るく照らす街灯の元で、ようやくそれに気付いた。

「赤塚……その頬……」

赤塚の頬に誰かに殴られたような痣があった。後ろで束ねきれていない、比較的短い横の髪で隠れてはいるが、今は強めの風で、あらわになる。

「あぁ、気付かれてしまいましたか」

赤塚は何でもないことの様に飄々と言った。

「それだけ酷かったら誰でも気付く……っていうか、大丈夫?ちゃんと冷やした?」

よく見れば見るほどひどい痣になっていて、皮膚が紫色に変色している。

「ご心配なく」

「心配に決まってます!」

「ですが、ほら、風さえ吹かなければ全くわからないでしょう?」

「そういう問題じゃないっ」

赤塚はただ苦笑している。

「誰に殴られたの?喧嘩でもした?」

「私事のちょっとした揉め事です。……昨日の晩に」

そういえば昨日の夕方から赤塚に会っていなかった。私事と言われ、全く思い当たらないほど赤塚のプライベートを全く知らないことに気付き、とても興味が湧く。

「……修羅場?女の人取り合ったとか!」

「楽しそうですね」

「う……ごめんなさい」

しかしここで食い下がってはせっかくの機会を逃すかもしれない。

「でもだって、気になるもの。赤塚のプライベートの事、一度も聞いた事ないから」

赤塚は笑みを浮かべ、目線を私から前方へと向ける。

「聞いて面白いものではありませんよ。まぁ、鈴音様の推察は遠からず、と言ったところでしょう」

「恋人取り合ったの?」

赤塚の恋人ならきっと綺麗な人なのだろうと、勝手に想像図を膨らませる。

「恋人ではありませんが……そうですね、向こうにとってもこちらにとっても大切な人の事で一悶着あった、と言っておきましょう」

「わー、罪作りな人っ」

物語のような話に、思わず興奮して声をあげる。

「……ええ」

赤塚が苦笑とはまた違う、穏やかな笑みを浮かべ、私を見た。


「本当に、そのとおりです」

意味深な言い方だ。

「もしかして、その人私の知り合い?」

だとしたら、更に詳しく話を聞きたいところだ。

「さぁ、どうでしょう」

私が敵うはずもなく、赤塚にお茶を濁され質問をのらりくらりとかわされ、悔しがったのは言うまでもないことだった。






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