梅雨のお休み
久し振りに晴れた空は雲一つない。
雨上がりの独特の香りと、陽の光の香りを吸い込む。
私、佐倉鈴音はこの空気が好きだ。
「皆でお昼食べるの、すごく久し振りな気がする」
高校に入って皆のクラスが離れてから、晴れた日はここ、学校の屋上に集まって食べることにしている。しかし、梅雨の時期で雨が続いていて、ここ二週間くらいはそれぞれのクラスでお昼を食べていた。
「そうね」
あまり嬉しそうでもなさそうに、一応頷いてくれるのは、幼馴染みの一人、遥祈ちゃん。彼女は同じクラスだから、常に一緒にお昼を食べている。
「雨でもどこかに場所があればいいんだけどね」
そういうのは、同じく幼馴染みの一人、瑠依くん。彼は別のクラスだから、学校で一緒にお昼を食べるのは久し振りだ。
「雨の日の昼くらい、別でいいと思うけど」
「えー、そういうこという?」
そっけない遥祈ちゃんの言葉に瑠依くんが苦笑する。
「いいでしょ、どうせ行き帰りも一緒なんだから。どんな天気でも毎日会えるじゃない」
幼馴染みたる由縁、家が近所である為に、学校の行き帰りもほぼ必ず一緒という習慣は、それこそ小学校の頃からのこと。
「それとはまた別問題だよ」
遥祈はいいよね、と不満そうに瑠依くんが付け加える。
その時、扉が乱暴に開く音がした。
「鈴音」
「え?……わっ」
現れた要くんが何かを放って寄越し、私は慌ててキャッチした。
「ちょっと要」
「それやる」
遥祈ちゃんの嗜める声に答えず、要くんは瑠依くんの隣に腰を下ろしながら言った。
「有り難う……って、これって……」
両手に乗るくらいの薄いピンクの袋の包み。綺麗にあしらわれてたであろう口を括る白いリボンは一度開けられたようで、かなり乱暴に縛り直されていた。
外見や重さから察するに、おそらくお菓子が入っているのだと思う。
「もらったの?」
「気がついたら机に置いてあった」
甘いもん好きだろ、と笑う。
「得体の知れないもの鈴音に渡さないでよ」
「毒味したから大丈夫だろ?」
眉をひそめる瑠依くんに要くんがムッとしたように返す。
「味も悪くなかった」
「……そうゆう問題でもなくて……」
どこを突っ込んでいいものかわからない。
誰かからの要くんへの好意が込められたものであろうのに、簡単に私が受け取ってよいものでは無いと思う。
「……手紙入ってるよ」
とりあえずリボンをほどくと、中身に小さな丸いクッキーの入ったビニールの袋と、メッセージカードが入っている。わざわざ二重構造にするなんて、配慮されている。
メッセージカードを、中身を見ないように取り出して要くんへ渡す。
「……誰だ?」
「同じクラスの子だよ」
首をかしげた要くんを、メッセージカードを遠慮なく覗きこんだ瑠依くんが小突く。
「……?」
それでも疑問符を浮かべる要くんに、遥祈ちゃんが溜め息をつく。
「報われないわね」
「もう少し広い視野を持った方がいいと思うよ、要」
遥祈ちゃんと瑠依くんの言葉に、要くんが口をへの字に曲げる。
「お前はクラスの女子の名前全部把握してんのかよ?」
「学年の男子も女子も把握してるつもりだけど」
瑠依くんの返しに、うええ、と要くんが呻く。
「それ役に立つのかよ」
「生徒会の仕事をする上ではね」
瑠依くんは生徒会役員で書記をしている。詳しい仕事内容はよく知らないが、優秀で他の役員もかなり頼りにしていると聞く。
秋になったら3年生から2年生へ会長の任が降りるため、次期生徒会長になるのではと噂もある。
「で、どうするのそれ」
「…あ?」
「ちゃんと読みなよ。今日の放課後でしょ」
どうやらメッセージカードには、お決まりのように、呼び出しの日時が書いてあるようだった。
「……めんどくせ」
「要」
瑠依くんがいつもより低い声で要くんを呼び、真顔で視線を送ると、要くんは罰が悪そうに視線を反らす。沈黙が生まれるが、それでもなお刺さる瑠依くんの威圧に根負けしたようで、要くんは頭をかきながら盛大に溜め息をついた。
「わかった、わかりました!未練持たれず、恨まれず、だろ?」
「わかればいいのよ」
遥祈ちゃんの言葉に、私は初めて、瑠依くんだけでなく遥祈ちゃんからの威圧もあったことを知る。対面にいる瑠依くん要くんとは違って、遥祈ちゃんは横に座っていたから気付かなかった。
妙な間が生まれたので、私は思い切って、常日頃思っていたことを聞いてみることにした。
「……あの、断るの決定?」
私の質問に、3人が驚いたように目を剥いた。
「いや、あの、いつも思ってたんだけど、皆、最初から断る前提で話してるから。名前知らなくても良い人かもしれないし、だったら考えてみても良いのかなーって……」
この3人の、私の幼馴染みたちはとても人気がある。堂々といきなり告白される場面にも遭遇してきたし、こんな風に呼び出されたりすることも珍しくない。噂もよく耳にするし、私や遥祈ちゃんと付き合っているのかとか、どういう関係なのかと聞かれたり、仲を取り持ってほしいと言われたこともある。おそらく私が知らないところでもそういう話はたくさんあるだろう。それなのに、3人の答えは常にNO。それどころか、迷うようなそぶりすら見たことがない。
残念ながら縁のない私は想像しかできないが、高校2年生ともなれば、彼女や彼氏というものを持ってみたくなるのではないだろうか。
そういうわけでかねてから抱いていた疑問を口にしてみたところ、予想を超えて3人を驚かせてしまい、私は慌てた。補足説明にも反応が薄く、3人ともこちらをまじまじと見ている。
「え、あの、その……私、なんか変なこといった?」
「……いや、珍しいなと思っただけ」
要くんがそう答えたあと、口角をあげて意地悪そうな笑みを浮かべた。
「鈴音もそうゆうことに興味を持つようになったか」
「え!?いや、あの、そういう意味じゃなくて……っ」
興味を持つも何も、私には縁がない。同じ歳なのに、何だか親や兄のような言い方に少しムッとしてしまう。
「要くんは興味ないの?」
「めんどくさそうだし」
さらりと返される。不満そうな顔をしている私を見て笑い、要くんは一瞬だけ遥祈ちゃんと瑠依くんをちらりと見る。
「腹減った。早く食おうぜ」
その言葉はどこか棒読みで、話を逸らされた気がしてならなかったが、お腹が空いているのも、昼休みの時間が限られているのも事実だった。
自分の手に持ったままのクッキーの包みを思い出す。
「これは……」
要くんが食べたのはほんの二つか一つだろう。残りを全部私が食べて良いものか躊躇してしまう。
「皆で食べましょう」
遥祈ちゃんが手を伸ばしてきてクッキーを一つ取り、口へ運ぶ。
「悪くない味ね、でも」
鈴音のクッキーの方が美味しい、と、綺麗な笑みを浮かべて遥祈ちゃんは言った。
「そっ、そんな褒めすぎだよっ……」
普段あまり笑わないクールビューティーともっぱら誉めそやされる幼馴染みからの不意打ちに、思わず照れる。
食べることと同じくらい、料理とお菓子作りが趣味の私にとって、そういう言葉は嬉しい。私が作るものを常に美味しいといってくれる幼馴染みからであってもだ。
このクッキーを作った顔も知らない女の子に少し申し訳ない気持ちを抱きつつ、私も一つ食べてみる。
「わ、美味しい」
粉砂糖のかかったクッキーはサクサクしていて、口の中でアーモンドの香りが広がる。
思わずもう一つ、と手を伸ばそうとして、遥祈ちゃんに止められる。
「お弁当を先に食べた方がいいわ」
「あ、そうだね」
昼休みに食べ切れなくても、クッキーならおやつにもできる。
「あ」
今日の夕飯はどういう予定だったっけ、と考え、はっと思い出す。
「今日、お母さんが夕飯食べに来てっていってたの思い出した」
「おー、行く」
要くんが即答する。いつの間に食べ始めていたのか総菜パンの三つ目を開けていた。
「新作料理?」
にこにこ笑みを浮かべる瑠依くんはちょうどお弁当箱を開けたところだ。中身から察するに、今日はお父さんが当番なのだろう。茶色い卵焼きが見える。
「楽しみね」
遥祈ちゃんも、手作りのサンドイッチに手をつけ始めていた。
「うん。あと、明日休みだし、泊まっていくわよねって」
私の母は料理研究家で、たまに新作料理の味見会と称しては、幼馴染み達を招待する。物心つく頃から定期的な行事となっていて、お泊まりの習慣も残っている。自分の実の娘と息子のように皆を可愛がっているため、張り切り様も半端ではない。
私から3人の予定を聞き出し、今日を狙って新作料理の完成を急いでいたらしい。
3人も開催を楽しみにしていてくれたようで、三者三様に喜びを滲ませているのがわかる。
「じゃあ要、放課後の用事、さっさと済ませてきてよ」
「へいへい」
瑠依くんの言葉に、要くんは最後のパンの袋をぐしゃっと潰しながら返事をした。
皆の同意が得られてようやく、私は急いで御弁当の包みをほどく。
気がつけば、昼休みが終わるまで後15分になっていた。