雪獄 04
戦闘糧食
帝国は早くから、保存の利く持ち運びにも容易な携行食の開発に力を注いでいた。我々の世界においてはナポレオンが発想し、賞金を出して開発させた缶詰であるが、この世界では魔導院という研究機関の知識者達が開発を行った。市井の発明家なども、等級は違えどその大半は魔術師であり、魔術師以外の者、つまり衆民が何らかの歴史に残る発明をしたという記録は、この頃の帝国には存在しない。
ただし、公的な記録に存在しないだけで、衆民によるものではないかと思われる発明は散見される。
翌日。
「ここらでいいか」
行軍を再開して、既に昼中。
索敵魔術に補足されたことを寒川が告げ、さらに一時間ほど歩いた後。
有木が呟いたのは、氷結した小川に差し掛かった時のことだった。
索敵魔術といっても、さほど深刻に考えることはない。
特に、広域索敵魔術は、広範囲を魔力波によって走査して、群体を感知する魔術だ。故に、専門の二等魔術師が最低でも五人、かつ大量の魔力を要するため、頻発はされない。とはいえ、これは帝国式の基準であり、連邦のそれの詳細はもちろん国家機密であるため分からない。有木の知る帝国式とて、どこまで本当のことを言っているか。
だが少なくとも、大規模な魔力を使用するのは間違いなく、その強力な魔力波によって、索敵に掛かったかどうかは、等外魔術師が一人いればすぐに判明してしまう。
そして、広域索敵魔術で判明するのは、飽くまで魔術の範囲内に存在する群体そのものの数であり、内訳ではない。「この辺りに何やら集団らしき反応がある」程度が判るだけであり、具体的な人数までは感知できない。
どのくらいの人数から「脅威たり得る群体」と判断しているのかまでは、これもまた国ごとに違うらしいから、この際考えない。それが分かれば、各国軍隊の、小隊や中隊ごとの平均的な処理能力が明らかになる。
何故部隊、というより群体としてしか感知されないのかと言えば、例えば一人で彷徨っている人間は、魔術師でない限り戦力として考えられないためである。戦術魔術師、つまり二等以上の等級の魔術師の場合は、その身が持つ強大な魔力が感知されてしまうため、一人であっても警戒される。
しかし敵と味方をいちいち区別出来るほど、便利な魔術ではない。
だから索敵の手順は、魔術師が走査によって判明した群体の位置を地図に記し、その上で、念信魔術で展開中の各隊に連絡を取り、その部隊の現在位置に齟齬がないことを確認するという形になる。
連絡が取れない群体が存在した場合、それは敵軍の可能性が大であり、至急部隊を展開して目視による索敵を行う必要がある。鹿の群れであることも多いと聞くが。
そして、帝国と睨み合いをしている現状、樹林帯の索敵に使える戦力はさして多くない。ある程度以上の規模が集結を発見したならば、話は別だが。
最後に、森の中で潜伏、逃走している味方は自分達だけではないだろうから、そうそう索敵部隊には見つからない。見つかったら、運がなかったと諦めるしかない。流石にいち下士官如きにそれ以上のことは出来ないのだ。
以上の理由から、有木は追っ手についてそこまで深刻に考えてはいなかった。
だから立ち止まり、呟きを漏らしたわけだが。
「何がですか?」
牧野が無邪気な顔で訊いてくる。この無邪気さが愛しい。全く今すぐぶん殴ってやりたくらいに。
義堂だけが事情を理解しているようだった。眼帯の抜剣突撃兵は、周囲の地形を見ながら、確認する。
「編成はどうしますか?」
小川といっても、随分昔から流れているものらしく、川縁は削れて、座れば大の大人でもすっぽり隠れることが出来る。
「小川の中に横列に布陣して。頭巾はきちんと被れよ。それと、義堂と僕で五人ずつの班を作る。それぞれが両翼から敵を警戒する」
「ちょ、ちょっと待って下さい、軍曹どの」
慌てて声を挙げたのは、宮嶋上等兵だった。予想はしていたので大して不愉快でもなく、有木は平然と応じる。
「何。後背の警戒はしなくていいよ」
「はい、い、いいえ。森の外縁まで後少しではありませんか。何故ここで止まるのですか? 索敵網にも掛かりました。こんなところで足を止める意味なんて……」
「意味ならある。義堂兵長、説明出来る?」
「俺が? いや、自分がでありますか」
今、俺と言ったか。苦笑を堪える。
義堂は、自分に水が向けられるとは思わなかったらしい。狼狽こそしていないが、驚いて地金が出たのだろう。まあ錆が出たのではない。見えた地金はどうやら鋼のように思えたので、有木には寧ろ愉快だった。
義堂は防寒帽の隙間に指を入れて引っ掻きながら、面倒そうに説明する。
「ああ、要するにだな、森の外縁は今、帝国と連邦が睨み合ってるか、激突してるかなんだ。いや、咆声が聞こえない以上、まだ睨み合いってところだろうな。つまり、今、連邦軍が一番戦力を集中させているのが、外縁なんだよ」
「あ……」
宮嶋がきょとんとする。有木は満足して、後を引き継いだ。
「義堂兵長の言う通りだ。そして帝国の主力を目の前にしているっていうのに、敗残兵相手に正面戦力を割くほど、連邦軍も馬鹿じゃない。僕達は両軍の激突、その混乱に乗じてこの森を脱出する。というか、そうでもないと脱出なんて出来ないよ」
凍傷になりつつある目尻を掻きながら続ける。
「それで、僕達は激突までの間、ここで待機し、近づく敵がいたならば実力で以てこれを排除する。下手に戦端が開かれる前に森を抜けようとすると、撃ち方用意万端の咆歩兵が僕達を迎え撃つというわけだ。だから待つしかない。納得した? まあしなくてもいいから配置に就いて。君は小川の担当だ」
「し、しかし、追っ手だって我々よりは多い数でしょう! それなら、森外縁の隙を探したほうが……」
「まず、ない。そんな隙を作って、連邦の誰が得をするのか考えてみろ。それに、追っ手の数が多くても、この地形ならある程度は踏ん張れる」
殴って黙らせるなり斬って黙らせるなり出来たのだが、有木はそれをしなかった。兵卒達には、自分が冷静に指示を出しているのだと印象づける必要があったし、ここで狂乱して人を斬るような人間の命令など、誰も聞きたくないだろう。何より、昨夜つくっておいた明るい雰囲気を、戦闘が始まるまでは出来るだけ持続させたかった。だから飽くまで理性的に宮嶋を論破する。
「それでも、数が多ければ……」
「多すぎるということはないよ。この樹林帯は下手な小国より広い。索敵魔術の支援があるとはいえ、大集団を一カ所に集めて移動させていたのでは、いつまで経っても目標を発見することは出来ない。必ず分散させての捜索をする。他には?」
宮嶋の反論はそこまでだった。努めて笑い、その肩を叩く。
「後方、つまり帝国と連邦の戦闘が始まったら、すぐに逃げに入る。ここで死ぬまで座禅陣を組むわけじゃないんだ。そんな悲壮になることはないよ」
上等兵が不承不承矛先を引っ込めると、有木はすぐに編成を行い、全員に着剣させた。全員の背嚢から弾薬を取り出し、全て小川の班に分配する。分散する班は鞄の弾薬のみだ。
「寒川伍長」
「は、はい」
全員が背嚢を降ろし、戦闘準備を始める中、おろおろと周囲を見回すだけだった元病院付衛生兵に声を掛ける。
「小川の班の指揮は、君が執ってくれ」
「え? ええ?」
反応の鈍さに苛立ちを覚えながらも、これも予想していたので辛抱して続ける。
「君の階級が一番高いというのもあるけど、咆を撃っている間、指示を出す人間は武器を持っていないことが好ましい。で、君、当然、咆は下手だよね。かといって遊ばせるつもりもない。もちろん、負傷者が出たら仕事をしてもらうんだけど、それは戦闘終了後にしてもらいたい。つまり、戦闘の間、君に衛生兵として仕事をしてもらいたくはないんだ」
出来るだけ穏やかな口調で告げる。
動揺ばかりが目立ったが、寒川は理性的な女性であった。
一般に男性兵士は勇敢であるが、女性兵士は忍耐強いと評される。この場合もそれが当てはまったらしく、寒川は感情的に拒絶するのではなく、震えながらも冷静な口調で意見した。
「私は指揮経験なんてありません。そもそも咆をいつ、どのように撃てばいいのかも分かりません。軍曹のご期待には添えないと思います」
期待などしていなかったがもちろん言わない。口に出してはこう告げる。
「今から、いくつかの樹の皮を剥いでくる。目印だ。その目印までの距離がおよそ五〇米。敵がそこに差し掛かったら、撃てと叫べ。それだけでいい。後は兵が各個に撃つ。簡単な仕事だろう?」
寒川はそれでも、即答しなかった。青ざめた唇に指を当て、考え込んでいる。しかしその表情は、どう断ろうかを考えているふうではなかった。出来るのかを自問していると、有木には感じられた。特に根拠はない。ただ、ここでやると言わなかったらどうすべきかをぼんやり考えていた。答えは決まっていたが。
「……ご期待に添えるか、分かりませんが」
やがて寒川が、震えながら顔を上げる。
「分かりました。生き残るためにやります」
「うん、良い返事だ。つまり、僕達は生き残るためにこの場で戦わねばならない。解ってくれて嬉しい」
寒川の肩を叩くのはぎりぎりで自制した。軍規では異性間におけるそのような行為も、懲罰対象になりかねないからだった。
正直、両軍の戦端が開かれるのがいつかは分からない。
寒川には行き交う念信の多寡を監視して貰っているから、念信が激しくなればいよいよ交戦ということは分かる。だがその時刻までは予想出来ない。
有木は自分の経験から、軍の再編・戦闘再開の時間を何となく予想しているに過ぎない。
兵には自信満々に語ってみせたが、半分以上はただの当てずっぽうだ。一日中、ここで待っていて戦闘音が聞こえてこないなら、さっさと森を抜けようと考えている。
そもそも、戦闘斥候を派遣するまで、帝国軍四個師団は樹林帯前に布陣していた。連邦に対して連戦連勝を重ねての位置だ。しかしこの森林で足止めを受けることになった。連邦軍の総数は未だ不明。樹林帯各所に展開していたのは間違いない。しかし、総数では間違いなく帝国軍が上のはずだ。
考えてみれば帝国軍は誘い込まれたのかもしれない、この針葉樹林帯に。そして斥候部隊は奇襲に遭い、壊滅。この森で騎兵は威力をほとんど発揮出来ない。そして歩兵も分断されがちになり、僅かでも離れたところを片端から、包囲殲滅を受けたのだ。
しかし、それも森の恩恵と帝国の油断があったからこそ。
そして、帝国軍は馬鹿ではない。
次は恐らく、各個撃破など不可能なほどの大規模な軍勢を投入する。帝国の物量ならば、魔術によって森を開拓しながらの強行進軍とて可能だろう。
さほどの時間を置かず、戦闘は再開される。
それが有木の予想の根拠。
つまり帝国の強大さへの確信とも言える。
同時に、先遣の捜索連隊が悉く潰走したのは、帝国の持つ病理故だとも、有木は確信している。
派遣された捜索連隊には、二等魔術師は一人も含まれていなかった。
どうにも体調がよろしくないのでして、などとあわれっぽく告白したりなどするのだが、一日にマルボロ10本以上も吸い尽くし、酒、飲むとなればビール一缶平気でやり、その後ラーメン一杯掻き込んだりする。そんな病人あるものか。
魔術が世界的にどこまで影響を与える存在なのか、ということは、この手のファンタジーにおける最大にして永遠の課題ですね。制限を設けないと他の職業の意味がなくなってしまうわけで。
ファンタジーの開祖J・R・R・トールキン氏も、魔法使いは数えるほどしかいない、という制限を設けていますし。
まあだから何だという話ですが、他の登場人物を輝かせようとするなら、どうしても魔術師というのは何かの制限を持たせなければならないのだなと。
なお、義堂がここで少し地金を見せていますが、それを有木が怒らない理由のひとつは、罪人兵なども利用している当時の帝国軍で、兵卒に対していちいち細かく怒鳴りつけていては、いつまで経っても何も出来ないからという事情があります。有木個人の人格の問題でもありますが。