雪獄 03
帯刀本分者
帝国軍に規定においては、上級下士官(曹長以上)のものに支給品として軍刀の装備が定められている。その他にも特定の兵科(騎兵、輜重兵、憲兵等)についても帯刀が許されている。
支給品の鋭剣は工業生産品の鋭剣であるが、その脆弱さを嫌い、私費で刀を購入する者も多かった。そのため、転属等により兵科が変わった後も、帝国軍の慣習として、帯刀本分者はそのまま帯刀を許可されている。兵科が変わること自体が少なかったのも一因である。
下士官ではなく兵卒が帯刀を許されているのは、本文中の抜剣突撃兵のみである。
五人の処断が終わり次第、有木達は場所を移動した。死体が残るのは不味かったが、埋葬している時間もなかった。
如何にこの森と雪とはいえ、戦闘音を聞きつけられる可能性は極めて高い。見つからなかったのが幸運なのだ。
数時間ほどを標準よりやや早めに移動し、十分と思える距離を取る。殺害現場から出来るだけ離れておく必要があった。
手頃な窪地を見つけたところで、有木はやっと休憩を部下達に命じる。全員、肉体面ではまだ余裕があるが、有木が味方を斬ったことで精神面での動揺が生じているように見えた。
だがそれでいい。有木は思う。
有木は軍曹という立場にこそあるが、目下の者を怒鳴ったり殴ったりはどうにも苦手である。故に勘違いした兵卒どもが、自分を舐めた態度を取ってくることがあり、そうなってやっと鉄拳を振るうという悪習が身についてしまっている。だがもちろん、この場ではそれは、如何にも不味いことであった。
その意味で、今し方の騒ぎは有木にとってしばしの幸いであったと言える。彼らは有木が斬首を行った姿を見て、軍規と階級の存在を否応なしに思い出しただろう。少なくとも摂津達のような、「既に自分達は軍隊ではない」という甘い幻想を捨てたはずだ。その分、有木はより詳細な観察に晒されることになるが、やむを得ない。他のことならば、拳や剣でなくとも示せることだ。
三々五々、兵達は背嚢から取り出した乾麺包や水筒で腹を満たし始める。
とりあえず有木も鰯の油漬けの缶詰を取り出しながら、新たに加わった二人の女性兵士に、改めて名乗らせる。
義堂晶兵長。
寒川静枝伍長。
怯えて唇が紫になっている寒川のほうはとりあえず自分の白外套を被せておき、義堂のほうを観察する。
帽子と白外套、歩兵咆などは全て他の兵士達と同じだが、それなりの拵えが施された鋭剣が異彩を放つ。
階級が下士官に達していない者で帯刀を許されているのは、抜剣突撃兵のみだ。
抜剣突撃兵とはつまるところ、名誉呼称である。実際は歩兵と変わらない。
咆が未だ普及していなかった頃に、最前線で鋭剣突撃を行うのが役割であり、当時は騎兵に次いで戦場の華であった。
今は兵士の中で、剣技に特に優れた者にのみ与えられる。名ばかりのものであるが、剣技巧者である証明とあって、憧れる者は多い。
「隻眼で抜剣突撃兵とは、初めて見た」
女性というのも初めてだが、それは口にしない。この時代の帝国にも性道徳観念はある。
「はい。いいえ、これは拝命した後に戦場で負傷したものです。爆風の破片でやられました」
「それは運がなかったな。だがそれでも……五人か? それを相手に立ち回っていたのだから、たいしたものだ」
「八人でした。不意打ちで三人。ついでに言えば、相手は強化手術を受けていない罪人兵でした」
手助けしたつもりはなかったが、放っておけば義堂はあの五人を皆殺しに出来たという意味だ。
「君の強化手術は?」
「八号強化術であります。三年前に……」
「最新式か。羨ましい。四〇程までは生きられるんだな」
強化手術は兵士達の肉体を強化する代わりに、外見年齢が手術時のまま固定されることや、寿命の短縮などの副作用がある。
自分の余命はあと五年ほどだ。術式を体から抜いても、二、三年しか延びないという。そして戦時中にその機会は訪れないであろう。
「三年前ということは、本来の帝国軍の基礎訓練過程を、全て受けているな」
「はい」
つまり、十分な訓練を受けて戦場に出された最後の世代というわけだ。実戦経験もあるようだし、この状況下では願ってもない兵士を拾った。
現在の帝国は、未だ人口も物資も充実しているが、戦線が延びきってしまったことから、少しでも数字上の穴を埋めるために、促成栽培した兵隊を戦地に送っている。
改めて見ると精悍な顔立ちの少女だ。切れ長の目、薄い唇、尖りすぎない鼻梁。
眼光の鋭さと眼帯とが剣呑な雰囲気を放っているが、それも彼女の峻烈な印象を強めるに留まり、野性的ではあれども粗野ではない。雌虎のような少女であった。三年前に手術を受けてこの外見だというなら、まだ少女だろう。もちろん年齢を聞くのは禁忌だ。
「答えなくてもいいんだが……その眼帯の下は、空か?」
「はい。いいえ、魔眼が入っています。遠見の……」
「遠見か。抜剣兵としては歯痒かっただろうな」
「偵察には役立ちます。両目での戦闘が出来ないので、やはり剣は以前より鈍りましたが」
まだ距離を取られているな、と感じる。まあそれも当然か。男所帯の中に女二人。この勇敢な少女兵は、寒川伍長を守れるのは自分しかいない、くらいの自負を持っていてもおかしくない。この寒空ではまずあり得ないが、有木が彼女らを兵の慰安に使う可能性とて、義堂は考えているだろう。そしてその可能性が皆無ではないのが帝国軍の現状だ。
尤も、帝国軍軍規には男女関係のそれに関する厳しい罰則があるが……
他に弾薬の有無などを聞き出し、十分に義堂兵長が戦力たり得ることを確認した後、有木は改めて寒川伍長に向き合った。
二重の外套に包まれ、更に支給品の甘酒で多少は落ち着きを取り戻したのか、彼女の顔色は先程より良いようだった。
こちらも二十歳ほどの、おとなしげな美人の範疇に入る顔立ちだったが、恐怖に縮こまった顔がこちらの不安を逆に掻き立てる。繊細さと神経質さを感じる細面で、まだ衝撃が抜けきらないのか、目が泳いでいる。
「寒川伍長、まず軍規に則り、魔術等級をお聞きしたくあります」
「は、はい、私は等外魔術師ですので、軍曹どのが全てにおいて上官となります」
「ああ、成る程。では、そのように、寒川伍長」
魔術師の軍隊における立場は、当然ながら衆兵(一般に、魔術師ではない者を衆民と呼び、その中で軍属の者は衆兵と呼ばれる)のそれと異なるものである。
等外魔術師に関しては完全に軍属として扱われるため、階級が上の有木は、上官として彼女に接することが正しい形となる。これが二等魔術師となると非常に厄介かつ面倒な話となってくるのだが。
とりあえず、この年齢で伍長であるから三等か等外であろうとは思っていた。有木は安堵して先を続ける。
「専門兵科を聞きたい」
「隊付衛生兵です。所属していた部隊が壊滅したので、味方と逃げていたのですが、ほとんどの人とはぐれてしまいました。それで、たまたまあの人達と遭遇して……」
恐怖が蘇ったのか、再び身を震わせる。義堂が彼女の肩を抱いている。気遣いの出来る少女だ。女性の気遣いの面倒さを嫌う有木はその辺りを全て義堂に任せ、質問を続ける。義堂に関しては珍しさ故の興味からあれこれ聞いてしまったが、彼女は魔術師だ。何を出来るのか、それによってこの集団の生存率が大きく左右される。
「念信術については?」
「一通り。ですが、魔力波傍受などの魔術は使えません。等外ですので、治療魔術も血止めくらいで。あとは全て、手作業による治療です」
「それでも、念信の多寡は分かるよね?」
「はい、そのくらいなら……」
「結構。さっきから気になっているんだが、軍隊言葉に慣れていないね。もしかして、民間からの徴兵?」
「あ、はい。元は野戦病院の病院付衛生兵でした。でもその、いろいろあって前線に。その前は帝都の看護学校に。あの、言葉遣い、お気に障ったのなら申し訳ありません」
「いや、気にしない。ということは、咆の扱いは?」
「その、ほとんど……」
「分かった」
攻性魔術については効かなかった。等外魔術師には無理な芸当だからだ。
「それじゃあ、寒川伍長。食事が終わったら、あそこにいる、腕に包帯を巻いている宮嶋上等兵の傷を看てやってくれ。とりあえずそれが最初の命令だ」
「わ、分かりました」
頷いて乾麺包を取り出す寒川を見ながら、有木は嘆息を堪える。せめて傍受が出来る念信兵だったなら、敵の位置を把握しながら行軍することも出来たが、それも望めないようだ。だが味方の陣に近づけば念信で救助を呼べる。
だから傷の手当てを命じさせた。そうすることで、「有木軍曹どのは従順な部下には優しいようだ」と思わせられれば、とりあえず寒川を拾った甲斐がある。
そして、懸念の宮嶋に関しては、「傷の手当てをしてくれた女が部隊にいる」という足枷を付けられる。男はそういった意識に弱いというのを有木は十二分に承知している。自分も男だからだ。
そして何より、寒川と義堂が、傷の手当てを出来る女性と、剣に秀でた女性ということを示せば、「余計な荷物を拾った」という意識を兵達は持たない。
道草だったが、結果としては得たもののほうが多いだろう。
と、有木は思い込むことに決めた。
「全員、食べながら聞け」
女性兵士との辛気くさい会話を終えると、有木は立ち上がった。
「今夜はここで野営とする。これから気温が一気に下がるから、行軍は危険だ。連邦もそれは同じだから、夜襲はまず心配しなくていい。この窪地を覆うように天幕を張って、その上に雪を被せて偽装しろ」
全員の目に理解と安堵の色がある。敵中進軍は体力よりも精神面での疲労が大きい。それはそのまま体力を消耗することにも繋がるのだが。
「火を焚くことは厳禁とする。暖は甘酒で取れ。足りなかったら融通し合え。僕の分も多少は融通してやる。明かりに関しては、必要な場合のみ、寒川伍長に照明魔術を頼め。兎に角、火は駄目だ」
尤も、強化兵は寒暖耐性もある。一晩くらいならば保つだろう。
「払暁と共に行動を開始する。明日中には必ず本陣に辿り着く。もうそのくらいの距離だ。だから食料は朝飯分を残して全部食べていい。それから、そうだな。牧野一等兵、吉田一等兵」
呼ばれた少年兵二人が立ち上がり、寄ってくる。有木は彼らに至極真面目な顔で、周囲にも聞こえるような明晰な声で告げる。
「便所を掘れ。場所は後で伝える」
牧野は真面目に返答したが、吉田のほうが僅かに嫌そうな顔をした。これが帝国の典型的な軍曹ならば殴り飛ばしているところだが、有木は苦笑いすると、彼の頭を拳骨で軽く小突いた。
「そんな顔をするな。君達に頼んでいるのはとても重要な役割だぞ。何せこの生き残り集団の命が懸かっている」
冗談だと思ったのだろう。牧野も吉田も吹き出した。
他の兵士達も笑った。そりゃ大変ですな。確かに大事であります。牧野、しっかりやれよ。
有木も調子を合わせながら、まあこれならば夜間に逃げ出したりはすまいと、努めて気楽に考える。死の恐怖下で理不尽を受けると、人の心は容易く折れる。冗句を言える余裕を見せることは、こういう場面でこそ大事なのだと思っている。
「全員、でかいのは今夜中に全部出しておけよ」
寒川が赤面し、また兵達が笑った。義堂も背を丸めて笑っている。
有木はそれらを見渡して満足すると、自らも腹を満たすべく、缶切りを取り出した。
夜半に僅かな降雪。これは有木達生き残りの兵にとって、天恵であった。
麺包は本当は字が違うのですが、常用漢字ではないため、表示されない可能性を考慮してこちらの字にしております。ご了承ください。
ちょっとあざといとは思いましたが、以前の小説からこちらへのガイドを作りました。お待たせしてしまう分、少しは楽しんで頂こうと思いまして……
有木が彼らの処断を行ったことに関しては、この時代の命の価値観とでもいうべきものが混じっています。
しかし、雪国で火も使わず飯食って寝るとか、想像するだけで地獄ですよね。
シンデマスのアニメ、本当のシンデレラがPだという衝撃の展開にドキドキが止まりません。しぶりん可愛い。