北部野営 04
温熱管【おんねつかん】
素材は銅を中心とした合金で、複数種類のパーツを組み合わせ、野営陣地全体に行き渡るよう設置が可能。
文中で示されている通り、当時としては画期的な技術であったが、無論問題もあった。
可能な限り軽い合金を使用しているとはいえ、運搬の際にはそれなりの重量となり、撤収の際に放置すれば部隊規模を知られる手掛かりとなってしまうため、急拵えの陣地には利用出来ず、設置および撤去に手間が掛かるというものである。
しかし寒冷地において一定期間滞在する折には有用であり、特に現場の兵士から非常に重宝された装備品であるのは事実だったようである。
「圧が漏れてるんだ」
「圧?」
訓練終了後、片付け作業が済んで各々持ち場に復帰する中、休憩が割当てられていた有木と義堂は、九七式歩兵咆を前に話し込んでいた。
弾丸をひとつ取り出し、鈍く光る鉛のそれを掲げてみせる。
「椎果弾は構造上、火薬が弾けてからその衝撃で弾丸の尻が膨らんで、咆口内を密閉する。つまり密閉が完成するまでのほんの半瞬、弾丸の隙間から圧が抜けるわけだ」
「よく分からないが、その隙間を予め塞いでおくことは出来ないのですか?」
「出来なくはない。滑腔咆の時と同じように、弾丸を紙で包んで装填すればいい。でも、八八式と違って線条に燃え滓が詰まりやすくなるから、急射時に不具合を起こす可能性が高いし、やめたほうがいいね」
特に北方戦戦は今も雪に覆われている。紙が湿気って不完全燃焼を起こせば、事故に繋がりかねない。
「まるで試したみたいな言い種だ」
「試したさ。君だってそうだろ。僕らは九七式を撃つのは初めてじゃない。訓練も十分受けた。その時にいろいろ試したさ」
義堂は開いている左目、その茶色の瞳を見開いて、肩を竦めた。
九七式歩兵咆は、制式採用から既に数年が経つ。その間の配備は遅々として進まず、特に北方方面軍のそれは顕著であった。理由は明白だ。織戸凌馬中将だろう。衆民出身、魔術の才を一切持たない陸軍将校として実質最も高い階級にいる男は、魔導院から当然の如く警戒の対象とされている。
「で、その圧を逃さないようにする方法はあるんですか?」
「研究はしているらしいよ。軍機だから詳しくは知らないけど」
「へえ」
今度は目を眇める。軍機の片鱗を何で知っているのか、という疑問だろう。どうも話し好きなのは自分の悪癖だ。有木は頭を掻く仕草で誤魔化しながら続ける。
「ええと、何だったかな。そう、で、君に言いたいのは、義堂兵長」
「うん?」
どうも過日の逃避行の際に随分と気に入られたらしい。誤解していた。彼女に女性らしさがないというのは戦場においての話であった。こちらに向けられる目に女性特有のからかいの色があり、有木はどうにも、この兵卒が下士官である自分に対して敬語を忘れることを、許容してしまう傾向にあった。咳払いをして続ける。未だ最前線とはいえ、有木柾義は死神の隣席から立つと、軍曹らしさなど欠片もない男になる。
「画期的とはいえ、所詮は工業生産品なんだ、九七式も椎果弾も。だから、弾丸の飛ぶ位置はだいたい変わらない。何せ同じ工廠で造られているから。そして、君は魔眼を併用して、概ねの距離を掴む才を持っている」
遠見の魔眼はそれだけでは、特製の水晶体に過ぎない。彼女が目測だけで大体の距離を言い当て、それにほとんど齟齬がないことを知った時の有木の驚きはそれなりのものだった。それは得ようとして得られる才能ではない。つくづく義堂晶は、戦闘者としての資質に恵まれた少女であった。
「射撃は調練を積めば、誰でもそれなりになる。でも施条咆で狙ったところに当てるには、距離が重要なんだ。どのくらいの距離でどこに当たるのか。僕は試したけど、正直さっぱりだったね、まるで才能がなかったらしい」
「そうなのか」
「でもまあ、大隊長どのにも言った通り、戦場でやろうなんて考えないでくれ。会戦ではとにかく数撃ちまくることこそが重要だ」
「無粋だな」
「伊達と酔狂で死ねるなら本望だけど、実際無粋なものだからね、戦争は。僕はそんなもので死にたくはない」
「へえ」
話しながらも荷物を片付け、有木と義堂は野営地に到着する。他の兵士もたむろしている場所は、温熱管が据えられた野外の休憩所だ。天幕の中は割当てられた大休憩時間以外は、怪我人、仮眠を必要とするほど疲労の濃い者、そして魔術師のみのものとなる。
とはいえ、雪を融かした湯を通す温熱管が周囲にあるため、露天であるにも関わらず相当に暖かい。これは本来、天幕の中を温めるために張り巡らされるものだが、効率的な配管を考慮した結果として、外部に露出した管が集中する箇所がある。兵士達の休憩所としてそこが利用されるようになるのは当然の判断だった。
暖として焚き火を使ったのでは煙が上がり、敵に居場所をこれ見よがしに教えているようなものだが、温水を利用したこの温熱管は、設置時に雪掻きを入念に行えば、発生する蒸気はごく僅かで済む。それに水蒸気は白く、雪原では目立ちにくい。融雪のための熱源は三等衛生魔術師によって行われるため、大規模な魔力探知を行われない限りはこれもやはり察知されない。野営用の暖房器具としては実に画期的であった。非戦闘時に暖を取ることが出来るか否かで、兵の士気は全く異なる。人間は温かい食事を取れないだけで弱っていくのだ。
有木と義堂は、誰かが気を利かしてそこらに置いた木箱に腰掛け、申し合わせたように煙草を取り出した。燧火を擦り、紫煙を吐き上げる。
ふと義堂のほうを見遣ると、眼帯の抜剣突撃兵は、施条咆を脇に立てかけ、座るのに邪魔な鋭剣を杖のようにして、煙草を燻らせている。色気など皆無だが、男の目から見ても惚れ惚れするほど様になっている。このまま額縁に入れれば週刊大衆新聞の表紙を飾ることも出来るだろう。
義堂は自分がどのような目で見られているのかを承知していたらしい。有木の視線に気づくと流し目を作り、口元を皮肉げに吊り上げて見せた。恐ろしく格好がいい。
有木は参ったとばかりに苦笑。男性的な魅力で完全に敗北している。そのくせ顔立ちそのものは美人と愛らしさの中間に位置するのだ。彼女には戦闘者としての資質を併せても、美しい毛並みを持つ獰猛な白狼を思わせる吸引力があった。
日照りが長すぎたかな、と自戒しながら、有木は所在なげに遠方に視線を飛ばす。すると自然と、これから向かう峻険な山々が目に入ってくるのだ。
「山は嫌いだ」
「有木軍曹どのは、猟師出身ではありませんでしたか?」
義堂晶という少女の感心なところは、他の兵の目があるところでは、きちんとした敬語と態度を取り戻すという規律正しさだ。おかしな親しみを覚えて、公の場で上下関係を無視する間抜けではない。軍隊慣れしているのは気性ゆえだろうか、それとも?
分かるわけもない。有木は肩を竦めて義堂の疑問に応じた。
「猟師みんなが山好きだと思ったら、大間違いだ。それに僕は三男坊でね。兄貴達を間違っても出し抜くわけにいかないから、山歩きは近所でしかやってなかったんだ」
特に狭隘な村落ともなると、子沢山は当然のことながら歓迎されない。山でもしもは付きものであるため、次男までは許容されるとしても、長男が健在である時の三男坊など、食い扶持が増える厄介者以上の存在ではない。有木柾義が軍隊に早々に出されたのにはそんな背景があるのだが、もしかしたら自分の山嫌いはそういう、故郷への恨み辛みもあるのかもしれないなとふと思う。だからといって、軍隊生活に慣れてしまった自分が今更、どうこう言えるものでもないが。
だからといって、あの土地が嫌いであったかと問われれば、有木は「否」と言わざるを得ない。空気だけは良く、上流階級の静養地でもあったあの場所は、今の有木という人間を形成するにあたり、決して欠かすことの出来ない出会いを示す場所であるからだ。そしてその出会いから生まれた様々な因子が、自分を死地から幾度も救ってきた。知識とは力だ。知恵とは命そのものだ。有木が下士官の分際で未だに勉学を信奉するのは、その出会いが起因している。
「卯要塞。さて、何人死ぬかな」
「軍曹どのの下なら、生き残れそうな気がしています」
「買いかぶりすぎだね。鉛弾は僕を避けて通ってくれるわけじゃない。鉄量は誰にも正しく平等だよ。快いほどに」
「知っておられますか? 馬車に轢かれたら死ぬしかないけど、馬車道に出なければ轢かれることはないんですよ。軍曹どのは馬車道と歩道を見分けられる方です」
帝都風の言い回しに、有木は目をぱちくりさせる。街道整備が近代化されているのは、帝都を除けばごく僅かな大都市だけだ。馬車道などという上等なものを表現するのは、義堂が帝都に近しい人間であることの証左だった。
「兵長、きみ、帝都の出身かい?」
「はい。ええ、まあ、一応。そういうことになります」
煙草を桶に捨てて(これは出来る限り野営の痕跡を残さないために定められた規則であり、天野諒平麾下の部隊が最初に設けたとされている)、極めて希有な態度として、歯切れ悪くそう言った。
「何だ、煮え切らない返事だな」
「いえ、まあ。生まれたのは別の土地のようですが、自分はそれを知らなくあります」
有木は一瞬押し黙る。彼女の問題にこれ以上踏み込むべきか? 分隊長として考慮する必要があった。単に生地と育った土地が違う程度ならいいが、彼女の態度からして今少し複雑な事情がありそうだと察したのだ。有木は自分が繊細な人間だとは考えていないが、無神経であって良いとも割り切っていない。
考えても分からないので、素直にこう訊くことにした
「それは僕が聞いてもいい話かな」
「ここでは少し」
確かに人目が多い。今は雑談程度だが、本人の出自を掘り出すには些か無粋な場所であろう。有木は頷いた。
「じゃ、やめておこう。機会があったら聞かせてくれ」
「では今度、二人きりの時に」
してやられた。
少女突撃兵の外連味たっぷりの甘い声は予想外に響き、周囲の兵が露骨に有木に注目する。といっても冷たいものではなく、日照りだらけの兵隊特有の、謂わばやっかみ混じりのものであった。
有木は吐息。
全く軍隊生活というのは面倒くさい。
卯要塞攻略の日取りが決められたのは、その日の夕刻であった。
作戦前のインターバルということで。
次回から作戦開始ですが、また更新までお時間を頂くことになります。
今しばらくお待ち下さい。