北部野営 02
椎果弾【しいかだん】
我々の世界で言うところの『ミニエー弾』が最も近い形状を持つ。
火薬の着火時にその衝撃で弾丸後部が膨らみ、ライフリングによってジャイロ効果を得ることで弾道を安定させるという、画期的な弾丸である。
これによって、それまでの滑腔式とは射程が桁違いに伸び、一時的に帝国の戦力は他国に比して十倍近いものになったとまで言われる。
が、これもまたすぐに他国によって模倣・開発されることになり、戦争そのものの性質が変化していく要因となる。
何事かと皆が注目している先を見ると、ちょうど粉砕された的の木片が見えた。人型の、頭部が綺麗に消し飛んでいる。
四〇〇米の位置のものだ。
天野はそこに向けて歩いていく。途中で記録をつけている兵士を掴まえ、何事か問うと、
「五度目です」
「ほう」
「それも一〇点です。あの分隊が今のところ、一番ですね」
四〇〇米先の頭部に五回連続で命中させている分隊がいるらしい。
その分隊の元まで辿り着くと、その場に寛いだ様子で座っていた軍曹が、如何にも嫌そうな顔を、一瞬だけして立ち上がった。天野は犬歯を見せて、にやりとする。
その軍曹の脇では、背後の同僚から膝射姿勢のまま、装填済みの咆を受け取る若い兵士。鋭い視線は微動だにせず、的を睨み付けている。
厳密には装填作業を行わないのは規則違反なのだが、目的は射撃技術の向上であるため、とやかく言う場面ではなかった。釣瓶撃ちとも呼ばれるこの流れ作業を汲んだ撃ち方は、咆の登場初期から使われている戦法でもあるからだ。
発咆。
六度目の頭部命中。
拍手すら起きた。
「貴様、良い腕だな」
「はっ」
気配は感じ取っていたのだろう、立ち上がりざま振り向いた兵士は、こちらを完全に向く前に眼帯を着けていた。敬礼。
「光栄であります」
「貴様、名は?」
「はい。義堂晶兵長であります」
眼帯をした精悍な面構えの女性兵士だった。髪は肩まで伸ばしているが、それと体つき以外に女性らしさと呼ばれるものは見当たらない。色気より、兵としての鋭気が滲み出る佇まいであった。
僅かに膨らんだ胸元にある略綬を見て、天野は頷く。
「成る程、抜剣突撃兵か。その上、咆上手と来た。良い兵を見つけたじゃないか、ええ? 有木軍曹」
「はい。先月の戦闘の際に顔見知りになりましたので、今回の編成に加えさせて頂きました」
水を向けると、少年の容姿を持つ有木柾義軍曹が、佇立したまま返答。殊更に生真面目な顔は、こちらに苦手意識を持っていることの裏返しだ。悪童の顔になって天野は笑う。
「編成を担当しているのは浜地曹長だったな。奴を買収したのか?」
「いえ、単に何度かお話させて頂いただけであります」
この時代の軍人には三種類の人間がいる。命令を忠実にこなすことのみに集中する者、命令を最低限の労力でこなす者、最低限の労力でこなした上でささやかな政治を行う者。
有木は小さな政治活動によって、己の分隊に非常に心強い戦力を得たわけだ。これが戦場において生死を分ける。
有木軍曹。こいつはこの糞のような戦争を生き残ろうとしている。己の頭を使って。
「しかし命中率が良いな。何かこつでもあるのか」
「は。まあ」
そしてこの軍曹は、自身が注目されることが自身の生存を危うくすると心得ている。だからこそ、大隊長から直々に声を掛けられることを、光栄と思うより厄介と感じるのだろう。しかし、隠し事をするほど馬鹿でもない。
持っていた望遠鏡を掲げ、有木は説明した。
「単に、義堂兵長が一発撃った後、自分が修正を指示しただけであります。後は全て、兵長の咆の腕前です」
無論、それだけでないことは気づいていた。天野は義堂と名乗った抜剣突撃兵に向き直る。
「兵長、その眼帯の下は魔眼か」
「はい」
彼女は眼帯を捲ろうとしたが、それを天野が制止する。再び気ヲツケの姿勢を取り、義堂は補足した。
「遠見であります」
「成る程。遠見の魔眼と照星を組み合わせると、遠くを狙えるのか。道理だな」
「そこに、別の人間の視点を加えることで、精度を上げます。人間の目玉というのは、案外性能が悪いものですから」
義堂が続けた。
「それに、魔眼は片目です。有木軍曹どのが、自分の左目の代わりをすることで、より精確な射撃が可能となります」
「フムン」
続いて有木が追加で応じる。
「ただ、その間、自分は射撃が出来なくなりますので、このような調練の場でしか出来ない芸当ではありますが。それと、まあ」
「装填の手間だな?」
「はい。装填しようとすると姿勢が変わるので、どこを狙ったのか不確かになります。釣瓶撃ちが出来る戦場など、そうそうないでしょうが」
有木のその言葉には答えず、つと頤に指を当てて、一瞬考える仕草をする天野。
だがすぐ顔を上げて、
「分かってはいたが、やはり五〇〇は無理か?」
一番遠くに置かれた的を見て言う。破壊されている物は、見た限りではなかった。
「はい。不可能であります」
「はっきり言うな」
思わず苦笑するも、有木は取り合わず、
「五〇〇米を狙って、咆身を固定して撃ってみたのですが、同じ場所に飛びません。弾筋がぶれていると感じます」
「やっぱりそうだよな」
もちろん、今、天野が確認した全ては、魔導院や軍上層部、そして工廠でとうに検証されていることだ。しかし実際に自分の目で確認出来る機会が訪れたのだから、確認しておかない手はない。天野は頷いた。十分な情報だろう。
「そのまま続けろ。ただし規定の弾数を撃ったら交代するのを忘れるな。義堂兵長、貴様だけ撃っていたのでは、草餅は貴様一人のものだぞ」
楽勝と思って表情を緩ませていた他の分隊員が、慌てて表情を引き締めた。有木はこっそり、悪趣味な、とでも言いたげな顔をしてから、了解しました、と応じた。
「九七式の調子はどうだ」
訓練を再開する兵どもを尻目に、天野は話題を少し変えた。あまり苛めすぎても良くない。士官の顔に戻す。
「はい。良好であります」
「問題点は何かあるか?」
「はい。この射程なら誤差の範疇ですが、装填は八八式のほうが速くあります。あちらは引っ掛かるものが何もありませんので。強いて言うなら、あまりに弾の飛距離が違いすぎて、新兵達の感覚が狂っています」
「まあ慣れろ。これはすぐに主流になるぞ」
帝国でも、そして敵国でもな。
心の中で付け足す。彼は等外魔術師でありながら、織戸派、つまり軍の中では衆民寄りの立場にあった。
「射程はどんな感じだ」
そういったことは集計担当に聞けば分かるが、現場の声を聞いておきたいと思ったのだ。
「はい。今、お聞きの通り、じっくり狙いを付けても、四〇〇米先まで当てられるのは難しく。義堂兵長でも、戦場でその距離は難しいでしょう」
「難しいか」
「訂正致します。四〇〇は曲芸であります。実戦では出来ません」
「貴様、もう少し真綿に包んでものを言え」
思わず笑う。
「どのくらいまでが、まともに当たる?」
「はい。感覚としては……もうご存知だと思いますが」
「言え。貴様の意見を聞いている」
「はい。精確に狙うならば、二〇〇米。兎に角数撃って当たればいいならば三〇〇米。それが大概の兵に狙える限度でしょう。自分もそのくらいであります」
「だろうな。魔導院でも同じ結論を出しているよ。幕僚達もな。動いている敵に当てられそうか?」
「こちらに向かってくるなら兎も角、横に動かれたら難しいでしょう。後は腕前の差になります」
「ふむ」
平野での、戦列歩兵を相手にした戦闘ならば、また話は違ってくる。射程に入った途端にひたすら撃っていれば良い。事実、西部戦線はそのようにして勝利した。
「後は、至極個人的なことなのですが」
「うん」
「はい。少し咆身が長く感じます」
有木を見る。身長は一六〇糎に届くか届かないか。その体躯に、約一四〇糎の歩兵咆は、確かに長く思えた。強化兵に特に多く見られる弊害だ。
天野は今度こそ考える。
「山岳地帯に入ることになる。やはり、取り回しは短いほうがいいか」
「飽くまでも自分は、であります。他の身長の高い兵士には好みがあるでしょうし、咆剣の長さもあります。ただ、義堂兵長のような咆上手には射程を犠牲にする利点が特にないかとも思われます。尾根から尾根へと遠撃ちするような状況も、考えられますし」
「分かった。貴様には九七式の騎咆を支給する。希望者を一通り募って、条件に該当するならそいつらにも配ろう。どうせ山岳攻略に、騎兵はさほど連れて行けん」
「は。ありがたくあります」
有木がしまった、という顔をした。
天野がしてやったりと笑う。
貸し一つ、というわけだ。天野は階級ごなしに命令することに何の抵抗も感じない人種であるが、しかし相互の納得の有無というものの、その重要性も同時に理解していた。
それにしても、と天野は改めて感じる。
有木柾義。
やはりこの男、身分不相応に、妙なことを知っているな。
体調悪いッス。