北部野営 01
施条咆【ライフルド・クラッカー】
線条を刻み込んだ咆の形状そのものは、既に咆登場初期から考案されていたが、装填に手間が掛かるという理由から普及には今少しの時間が掛かり、その間、主流となったのは滑腔式の歩兵咆であった。
つまるところ、集団戦法において、一発の命中率を上げる手間より、数撃って当たることこそが優先されたのである。
命中精度と速射性能の両立が実現されるのは、後述される椎果弾の登場を待つ必要がある。
「左眼は閉じるな」
「え?」
「人間の目玉っていうのは、当たり前だが柔らかいんだ。片目を閉じただけでも歪む。そうすると右眼の視界も歪になる。だから両目を開けろ。難しいなら、左眼に眼帯を着けても良い。とにかく、両目を開けて撃つんだ」
「……外れた」
「雪の散ったところはちゃんと見ていたか? よし、装填はするな。足もそこから動かすな。視点も出来れば。布藤上等兵、兵長に次の咆を渡せ」
「あの、軍曹どの。よろしいのでありますか? 装填を自分達がやってしまっても」
「的当てだろ、これ。装填作業なんて兵長はやり慣れてるんだから、的に当てるほうが大事だ。それにいろいろ、試したいんだ」
「撃つぜ、軍曹どの」
「いいよ。右に少しだけずらせ」
「分かってる」
「物わかりの良い兵は大好きだ」
雪原に咆声が絶え間なく響き渡る。
天野諒平は、一見茫洋に思える眼差しを、雪原の向こうへと投げかけていた。
その先でたびたび木片が弾け、兵達が記録をつけている。
樹林帯での会戦から一ヶ月。
地の利が敵にある状態での戦闘を善しとしない軍上層部の一派の主張が通り、天野率いる第六一六大隊を含めた北方方面軍第三および第四師団は、敵が陣を張りにくい山岳部を抜けて連邦領に侵入すべく、森を大きく迂回。
その間、第一・第二師団は森からの追撃を阻止すべく布陣。本国からの増援を待つ。
どちらかと言えば、死傷率の高い山岳戦闘を織戸派に押しつけたというのが本当のところであろうが、さて。
ともあれ、山越えにはそれなりの準備が必要となる。
師団は山岳地帯を前にして、本格的な陣地を作成。帝国からの補給を待つこととなった。
本格的な冬が到来すれば、山岳部の攻略は不可能になる。しかし陣形が延びがちになってしまう地形を前に、偵察を始めとした下準備が必要であり、そのための一ヶ月であった。
補給もほぼ完了しており、天野を始めとした各隊指揮官は余った時間を、新兵装の調練に充てていた。
的は一〇〇米ごとに五つ立てられており、それを歩兵咆(この世界における銃器のこと)で射撃。最も成績の良かった分隊には、天野の私物である草餅を与えることにしている。甘味は戦場においては最高の贅沢であり、誰もがそれなりの真剣さで訓練に挑んでいた。分隊に分けている理由は、成績を小分けに確認するという理由は別として、もちろん草餅に限りがあるからだ。配る数は少ない方がいい。まだ食用の稲作は、酒造用と違い十全には普及しておらず、餅は高級品である。
的は人型を模しており、各所に得点を設け、単に末端部に当てただけでは成績が上がらないものとしてある。
この訓練は数日続けられている。距離だけでもかなりあるため、特に新兵が戸惑っているようだったが、新型咆の訓練を既に受けている大半は、当時の勘を取り戻すように次々と成績を上げていった。
「こんなことしてる場合じゃねえんだけどな」
瞼を半分降ろして、天野はうめく。
すぐに戦闘が起こるような位置ではないが、それでも一応は最前線だ。そんなところで射撃訓練などという悠長なことをしている自分達に、今更ながら頭痛を感じる。
とはいえ、織戸凌馬中将が帝都に召還されている現状、彼が今冬中に麾下の師団に合流出来るのか、その目途が立ってからでなければ、進軍することが叶わない。議会がどういう意図で織戸中将を召還したか、天野も多少の情報は掴んでいるが、流石に時間が経った。明日にでも進軍開始の下知があってもおかしくない。
「なかなか調子は良いようです」
「悪かったら困る。大体、制式採用されてから何年経ったんだ。今更不具合なぞ、笑い話にもならん」
望遠鏡を手に各隊の成果を確認していた鷹栖最上級先任曹長が、その広い肩を竦める。
「やっと我々の大隊全てに行き渡りました。後は新兵どもが慣れれば、十分実戦で使えるでしょう」
「魔力部隊の数が足りない。院幕僚の阿呆どもが」
「滅多なことを言わんでください。罪人兵や農兵を任されなくなっただけでも、善しとしましょう」
特にびくついた様子もなく、鉄面皮の鷹栖。天野の言動には慣れているし、聞き耳を立てている者がいないことは鷹栖が一番よく分かっている。
愚痴を言っても仕方がない。天野も調子を合わせて眉を聳やかし、最寄りの分隊に声を掛けた。
「ちょっと、俺にも撃たせてくれ」
「はっ」
手渡された歩兵咆を、重さを確かめるように振る。
「咆口内の清掃は済んでおります」
「うん」
軍曹が差し出してきた実包と槊杖を受け取る。
歯ではなく、手持ちの短刀で薬莢の端を切り、玉薬を流し込む。次に弾丸を落とし込むのだが、弾の形状がこれまでと違っている。
今までは球形のものだったのだが、この咆の弾丸は円錐というか、椎の実のような形をしているのだ。弾丸の後部に溝が掘られていて、尻には窪みがある。窪みには木屑が詰められていた。これは椎果弾と名付けられている。
咆口を覗けば、その丸い円筒内に四条の線が刻まれているのが分かる。
九七式歩兵咆。
初めて軍に制式採用された施条咆である。
開発されてから数年、大半の兵はこれを使用した訓練を一定期間受けている。ただし、全体、特に北方への支給が政治的事情で大幅に遅れ、先月までは司令部をはじめ、半分くらいの部隊にしか配備されていなかった。今冬、ようやく全体に行き渡った形となる。
天野は鼻を鳴らし、鉛の椎果弾を咆口に入れる。槊杖で玉薬と共に突き固める。槊杖を軍曹に返し、的に向けて構えた。
ごく簡素な構成を編み上げる。天野は等外魔術師の位階を持っていた。
発咆。
火薬が弾け、椎果弾の尻の窪みに圧が掛かる。
これにより、弾丸の後部が広がり、咆口内縁に接触。
四本の線条に引っかかり、回転しながらその威力を高め、輪動効果によってその弾道を安定させ、咆口から飛び出す。
乾いた轟音と共に、二〇〇米先の標的の頭部が砕け散った。世辞を言ってくる軍曹に、
「あの距離を外した奴は懲罰ものだぞ」
釘を刺し、顔を引き攣らせた彼に、意地の悪い笑みと共に九七式を返す。背後で鷹栖がため息をつくのが聞こえた。
九七式の射程は画期的というより暴力的、革命的という表現のほうが正しい。八八式の射程が五〇米ほどであると考えると、実験における射程はおよそ十八倍。次元が違う。無論、実際に当てられる距離、そして致命傷を負わせられる距離はその三分の一以下だ。しかし、射程もそうだが、命中精度・威力ともに、従来の滑腔式とは、比較するのもおこがましいものである。
織戸中将の副官である御前埼、本多両将軍は、再編成の折りに人数には差して固執しなかった。その理由がこの九七式だ。有木も幕僚会議に出席して、自らの部隊編成を申請した。
既に西部戦線においては正統王国の軍勢を完膚なきまでに打ち破った。それはそうだろう。相手は未だ滑腔咆が主流であり、戦列歩兵が横列を組んで歩いて来るのを、六倍の射程から一方的に鴨撃ち出来るのだ。それは最早、戦争ではなく虐殺か処刑のようであったという。
時代が変わりつつある。これまでの戦法が今後、通用しなくなっていくというのが、軍部の持つ共通認識であった。
そして、
「まあ、一方的なのも、どうせ今のうちだからな。出来れば今年、来年中に出来るだけ外国を駆逐しておきたい」
「はい。北部は出来るならば、今冬中に」
「大隊長風情が言っても詮無いことだが」
気のない口調で会話しながら、視察を続ける。
と。
おお、という歓声が上がる。
お待たせしました。
予定外のことがいろいろ重なった昨今。
つーか前の会社でコケてから、何もかも上手くいかなくなったなという感じですな。
ま、愚痴はともかく、北部戦線における次なる戦闘が開始です。まだ準備段階ではありますが、ここを疎かにするといろんな展開が唐突になりますので……
フル杖で英雄章取ったので、お嬢お持ち帰りしますね。