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絆 2

 GINは一本を吸い終えると、「零と芳音くんの様子を見て来る」と先に部屋へ戻った。それと入れ替わる形でエレベーターの扉が穂高の目の前で開いた。次に穂高が捉えたのは、青ざめた顔で目を吊りあがらせている望と、ホテル従業員の制服をまとった熟年の女性だった。

『安西さま、ご案内出来ず申し訳ありませんでした。支配人の阿南靖子でございます』

 女性がエレベーターのボタンを押したまま望を先に促す一方で、穂高に視線を定めて簡単な自己紹介と謝罪を述べた。

『お嬢さまから、お父さまとはぐれたとのお電話を直接私の方に頂戴いたしまして、安西さまへのご挨拶が遅れました』

 穂高は阿南のそれを聞き、望の小ざかしい知恵に眉をひそめた。

『今回のご厚意、感謝します。娘が無理を言ったようで、却ってこちらこそ申し訳ない』

 望の動きに注視しながら椅子から立ち上がり、焦れったい思いで社交辞令を交わす。望の視線はすでに部屋の方へ向かっていた。恐らく阿南に部屋番号も聞いているのだろう。

『パパ、芳音が倒れたそうね。どうして私に黙っていたの』

 案の定、尖った声が人目もはばからずに批判がましい言葉を放った。

『お前に話しても無駄にうろたえるだけやろう。風間と土方が対処しているから心配はない。落ち着いたら呼ぶさかいに、お前はラウンジで待っとき』

『どうしてパパはいつもそうやって肝心なときばかり隠し事をするの?』

 感情をむき出しにしてそうがなる望の隣で、阿南の戸惑う顔が暗に指示を求めていた。

『阿南さん、せっかくご案内いただいたのですが、まだ取り込み中なので、娘をラウンジまで戻していただけますか』

『パパ!』

 悲痛な声に一瞬だけ怯む。だが、今は望を部屋へ通すわけにはいかなかった。

『かしこまりました。確認もせず、大変申し訳ありませんでした』

 阿南が筋違いな詫びを告げ、エレベーターのくだりボタンをすぐに押す。穂高は望の肩を掴んで回れ右をさせた。

『パパ、待って。私に出来ることだってあるはずよ。芳音は今朝だって、私が呼んだから』

『ええから。何も会わせないってわけやない。とにかく下で待て』

 すぐに開いた扉の向こうへ望を押し込んだ。どうにかこの場をしのげたと思った気のゆるみが穂高を油断させた。

『安西さん、まだもう少し……いッ?! 望ちゃん?』

 その声にぎくりとして振り返る。

『風間』

 望を押し込んだ手が、彼女から離れた。振り返ってGINを見れば、再び現れた彼の手にカード式のルームキーが握られていた。栗色の髪が、穂高の前を通り過ぎる。

『望、待ち』

 すり抜けた望の腕を掴むよりも早く、彼女の手がGINの手からカードキーを抜き取った。

『待ってらんないっ』

 望に突き飛ばされたGINがバランスを崩し、彼もまた望を捕らえ損ねる。

『ちょ、待っ』

 閉まる間一髪のところでGINが扉の前に辿り着き、脚を挟んでどうにか施錠を防いだ。穂高も遅れて部屋の前に追いつき、望をとめるつもりでGINを押しのけて先に部屋へ踏み込んだ。

『……』

 やや狭い通路からベッドのある奥へ通じる一歩手前の場所で、望は身じろぎもせずに立ち止まっていた。佇む彼女のうしろ姿が、ほんの一瞬だけ翠と重なった。数歩近づいた穂高の目にも、望を立ち止まらせた光景が目に焼きついた。

 大の大人が芳音を好きなようにおもちゃにしていると見えなくもない、その光景に息を呑む。理屈では承知していたくせに、かっと頬が熱くなった。完全に意識を落とした芳音の着衣は過剰なほどゆるめられ、小さく開いた唇は不自然に濡れていた。そして零のしていることは、誰よりも望が見たくなかったものだろう。

『口の中に傷でもあれば、もっと吸収が早いのでしょうが』

 芳音から離れた唇が、それを手の甲で拭いながら、なんの情感ものせずに淡々と状況を語った。

『風間。やはりこの方法ではこれが限界です』

 穂高と望は零の死角に立っていた。入り口から入って来た気配をGINのものだと思っているのだろう。

『血管とリンパの両方から吸収させた方が、早く発動効果が出るかも知れません』

 零は無機質な声でそう呟くと、自らの唇をかりりと噛んだ。ローズピンクの唇に歯形が浮かび、やがて彼女の唇を毒々しい紅に染めていった。真っ白な肌と対を成す深紅が、再び芳音の顔に近づいてゆく。

『……めて……』

 唸るような低い声が望の口から漏れたものだと気づくまで、穂高もただ呆然と立ち尽くしていた。零の肩がびくりと大きく揺れたが、彼女はこちらを振り返らなかった。

『望、こっちへ』

 はたと我に返った穂高は即座に望の腕を掴まえた。だが、これまでにないほど強い力で一瞬の迷いもなく振り捨てられた。

『やめてッ』

 栗色の髪が穂高の前から逃げて行く。それはためらうことなく芳音の許へ走り、濡れ羽色の長い髪を掴んで芳音からその髪の持ち主を引き剥がした。

『芳音を傷つけないで。何してるの!』

 そう叫ぶ間にも、望は芳音を背にし、守るように精一杯両腕を広げて零の前に立ちはだかった。

『辰巳さんのことを餌にして、芳音を何かに利用しようとしてたの? どうして芳音を傷つけるの? 穢さないで。芳音の意思じゃないことを勝手にしないで』

 何をどう解釈したのか、望はありったけの声を張り上げてそう訴えた。

『落ち着いてください。私も能力者です。芳音くんをサルベージしているだけです』

 零はそう説明する傍ら、すかさず望の腕を取って動きを封じた。

『やッ、離して!』

『聞いてください。やむを得ない状況なので堪えてください。粘膜接触でないと、彼の一番強い思念を増幅させられ』

『汚い手で触らないで!』

()……っ』

 零の説得も言葉途中で、望に手を噛みつかれて途切れてしまう。穂高が彼女に近づくよりも一瞬早く、GINが穂高の脇を通り抜けた。

『望ちゃん、ごめんね』

『!』

 言うなり、GINが手加減なく自分の懐へ望を押し込め、額に素手の右手を押し当てる。あらわになった彼の両目が、濃くて深いグリーンに鈍く光った。

 ――ざわり。

 穂高の腹の底で、どろりとしたものがとぐろを巻くように渦巻いた。

 翠が生きていたころ、いくどとなく悩まされた悪い夢を思い出す。辰巳は翠にとって、兄を殺した仇でもあり、兄の虐待から救った恩人でもあり、そして――翠の初恋の相手でもあった。

 GINのグリーンアイズは辰巳を連想させる。日本人の瞳としてあり得ない色は、想像もしなかった非現実に満ちた翠の過去を嫌でも思い出させる。

『……ッ、イヤ……やめ』

 望の強張る肩や、驚きと恐怖で見開かれた瞳が、翠を彷彿とさせる。望を襲った塗り潰したい過去までもが溢れ出し、穂高の中で翠の過去とのザッピングを繰り返した。

『――な、せ』

 体が勝手に動いていた。望をきつく抱いた傷だらけの右腕をねじ上げる。

『いッ()

 膝を折って小さく呻くGINの声を無視し、彼の腕の中から崩れ落ちてゆく望を取り返した。だがあくまでも力を入れず、怯えさせないようそっと自分の懐に収め直す。そのときだけは、穂高の中から理性が完全に消し飛ばされていた。すっかり流されてなくなっていたはずのネガティブな感情が一気に噴き出し溢れ返った。

『娘に触るな』

 自分でも誰に警告しているのか解らなくなっていた。目の前にいる深緑の冷ややかな瞳で見つめ返す男が、GINなのか辰巳なのか。その見極めが出来ないほど激昂していた。

『すみません……視えちゃった。話すよりも思念をぶつける方が手っ取り早かったから』

 懺悔のように零すGINの顔が、自嘲で醜くゆがんだ。

『のん……どこ……?』

 緊迫した空気が、不意に呟かれたたったひと言で氷解した。

『泣かな……今、……行く』

 咄嗟に芳音へ視線を送る。GINもすぐに膝を折り、芳音の額に掌を押し当てる。芳音がひどく苦しげに眉をひそめた。そして瞼を閉じたまま、うわごとのように望を呼んだ。

『……戻った。今の望ちゃんの声が聞こえた、のかな』

 その言葉で全員が、ほうと深い溜息をついた。腕に抱えた望を見れば、彼女もまた意識を失っていた。芳音の昏睡に近い状態とは違い、音にもならない小さな声で呟いている。それがただの失神だと穂高に知らせ、もう一度小さな溜息をつかせた。

『……かの……ん……芳音……』

 乞う声に根負けする。心の中で白旗を揚げる。もうどこかで解っていたはずだ。自分は、ふたりの在り様を気持ち悪いと思ったのではなく――。

 それ以上は、無駄なプライドが言葉に置き換えることを頑なに拒んだ。

『風間。望に何をした』

 その声は先ほどよりは、少しだけ尖った感情が削がれていた。

『人工呼吸みたいなもんだから勘弁してやって、って送るだけのつもりだったんだけど。今の俺は微調整が利かないから、思念としてぶつける前に、俺の中にあるモノをまともに覗かせちゃったみたいだ。辰巳の持ってるモノまで視ちゃったのかも知れない。申し訳ない』

 ふたりの無事を知った安堵が、穂高に理性を取り戻させた。GINに対する自分の態度が、望の暴走に動揺した末の八つ当たりだったのは明白だ。

『いや……こっちこそ悪かった。要らんとばっちりを食らわせたな』

 詫びを入れつつ、望を抱き上げる。人に頭を下げるのは好きではない。穂高のそんな負けん気が、GINから目を逸らさせた。

『いえ……なんつうか、色々、合点がいきました。安西さんが過保護なのも、芳音くんが望ちゃんを壊れ物みたいに受けとめている理由も』

 GINは笑みらしきものを浮かべ、なんとも言えない心情を帯びた声でそう言った。彼は折った膝を大儀そうに伸ばして立ち上がると、ベッドの脇から身をずらし、穂高にその場を譲った。促されるままに望を抱いてベッドへ近づけば、すでに了解しているとばかりに零が上掛けをめくる。望をそこに横たわらせると、芳音が当たり前のように身をずらし、すり寄っていく望を包んで寝息を立て始めた。

『赤ん坊のころから、こんなんやったんや』

 ふたりでひとつの、一卵性双生児のように。同じような顔をして、同じように笑みを浮かべ、安心し切った表情で、深い深い眠りを味わっていた――今のふたりのように。

 口を揃えて同じことを言い、そうかと思えば、望が駄々を捏ねると芳音がそのフォローをしたり、芳音が泣きべそを掻けば望がそんな芳音をあやす。姉と弟、ときどき兄と妹のようにしか見えていなかった。どちらも同じように、我が子として愛おしく思っていた。

『けど、どれだけ足掻こうが、芳音の父親にはなられへんねんな』

 自分には見えないモノだけれど。GINの中か周辺にいるであろう、辰巳に届けばいいと思って口にした。

『この一年の間で、芳音が昔の面影を感じるようなツラを見せたのは初めてや。吹っ切れたみたいな、おぼこい顔して寝とる』

 それは辰巳が芳音に施したものだろう。芳音が一番欲しかったモノ――辰巳のクローンではなく、自分として、自分の意思で、自分の望むように生きる、という選択肢。

『不器用なところは親父譲りやなあ』

 呆れた声に苦笑が混じる。初めて、辰巳が不憫に思えた。変わることや変えることを、卑怯とひとくくりにしてしまうその頑固さは、克美や芳音に気の毒なほど受け継がれている。それもまた辰巳の後悔のひとつだろう。そう思うと、長い間抱き続けて来た彼への劣等感が、同情へと変わっていった。

『これって、辰巳にも聞こえてるんかな』

 独り言のように、後ろに控えたふたりにぽつりと零す。

《芳音が俺にこだわったのは、自分が俺の命を代償として存在しているという囚われから。否定して欲しかったからってだけだよ。穂高クンが至らないからじゃない。そんな脆い絆じゃなかったでしょ?》

(!)

 それはあらぬ方向から、でも確かに聞こえた。GINの声ではない、悔しいほどに落ち着いたバリトンの声で。

 ――合格。キミがいい子でよかったよ、穂高クン。翠ちゃんとお幸せにね。

 二十数年前、子どもをあしらうようにそう言われたときの声と同じだった。

『あ。ひょっとして今、漏れた?』

 間抜けたGINの声が辰巳の声を掻き消した。

『漏れ……?』

『辰巳って、すっごい我が強いよな。ぼぉっとしてると乗っ取られかねない。怖いわー』

 と、軽い口調で明るく言うが、GINの方を振り返って彼を見上げてみれば、憔悴の滲んだ青白い顔をしているくせに、無理な作り笑いを浮かべていた。

『俺の幻聴と違うたんか』

 自分が至らないわけではない、そんな脆い絆ではなかっただろう、と言われた、とGINに聞こえたままを伝えると、彼はひどく残念そうにうな垂れて愚痴を零した。

『あー、やっぱ、まだコントロール出来るほど回復してないか。でもまあ、あとで数時間も仮眠を摂れば戻るだろうから、あんま警戒しないでくださいね』

 そう取り繕うGINの瞳を見れば、先ほどよりもかなり淡いグリーンに落ち着き始めているようだった。

『風間』

『はい?』

『あいつは……辰巳は、ここにいるんやな。むこうには俺の姿や考えやなんかも、全部視えている、ってことなんかな』

 ただ自分には視えていないだけで。芳音の痛烈なひと言で、嘘にまみれた全部の落とし前をつけるために。嘘を真に変えようと、曖昧な次元に必死で留まっている。絆、という、聞く方が恥ずかしくなるような言葉を選んだのは、辰巳こそが切りようがないほど強く結ばれているもの。誰と繋がっているのかといえば、それは――。

『ええ。“ありがとうさん。芳音をよろしく、お父さん”――って、辰巳からのメッセージです』

 相変わらずのふざけた口調が、穂高へ届けられた辰巳からの最後のメッセージだった。

『……』

 懐かしい二度目の感覚が蘇る。翠に対してだけでなく、彼のたった一人の息子に対しても、自分を認めて“もらえた”ことが、こんなにも平常心を崩させるとは思わなかった。穂高は思いも寄らない衝撃を堪えようと、唇をきつく噛んだ。腹立たしいと思いつつ、少しだけ、自分に認められたいと粋がる芳音の心境が解るような気がした。

『……俺ら、阿南支配人と話して来ますね。安西さんはふたりの傍にいてやってください』

 GINのその声に黙って頷くと、彼は小さく一度だけ笑って零とともに部屋を出て行った。

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