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会いたい人 1

 望と穂高の親子喧嘩につき合わされた結果、芳音がGINや零とともに渡部薬品を出たのは間もなく昼になろうというころだった。

 喧嘩の原因は望の同伴だ。穂高が望を連れて来いと言ったのは、自分がGINたちを芳音に引き継げば会社を退けるつもりでいたかららしい。望は穂高をある意味で正論と言えなくもない理由で批難し、穂高は穂高で別の面からの正論で言い返す、という泥仕合を見事に演じてくれた。

「初対面の人の中に芳音を独りにしろ、って言うの? 今の今、何があったのかこの目で見ていたのに? パパは心配っていう概念がないの? その場にいればどうにか出来るのに、どうして私がついて行っちゃダメなのよ。結局のところ、パパは自分が仕切りたいだけで、芳音のことなんて考えてないんでしょ」

 気持ちはありがたい、と思った。正直、甘えたい気持ちが先にも立った。だが芳音の意向は、そのすぐあとに述べられた穂高の正論へと傾きを変えた。

「えらい言われようやな。芳音本人の意向を丸無視しているお前の方が、よほど自分が仕切りたがっているだけで芳音にとってどうするのが最善かを考えていないようにしか聞こえへんけど」

「揚げ足を取らないで。屁理屈よ、そんなの。帝都ホテルのことは、私も聞いたことがあるし、昔のオカルト雑誌の切り抜きも友達に見せてもらったことがあるわ。調べてもいないくせに大丈夫だなんて勝手に太鼓判を押さないで」

「売り上げ部数を意識した似非情報より、まだ風間の情報のがマシやっちゅうねん。風間が調整の加減は把握出来た言うてるし、心配はない」

「心配ないって、何を根拠に言ってるのかわかんない! 実際にさっき芳音は」

「だから! さっきのでそれも解決したと言うてるやろうが。そもそもお前が行ったところで、足手まといになることはあっても、役に立つことはひとつもない。藤澤会事件以降、どういう意味であのホテルが有名になったかを考えろ。たった今説明されたばかりやろうが、このイノシシ娘」

「イノ……っ、ああもう、それは取り敢えずいいわ。それが理由で私を制限するっていうのなら、芳音にだって同じリスクがあるはずでしょう。言ってることが矛盾してるわ」

 埒の明かない屁理屈めいた押し問答を見かねたのか、GINが恐る恐ると言った口調で

「あ~、取り込み中すみませんけど、あちらの阿南女史とのアポまで、あと一時間を切っちゃってるんですけど」

 と、口論に割って入った途端。

「やかましわ。部外者は黙っとけ」

「うるさい。邪魔しないで」

「……はい」

 よく似た剣呑なふたりの目つきがGINを黙らせ、そして彼の肩をすくませた。

(ダメだこりゃ。ふたりともガチギレしてるし)

 取り敢えず望を穂高から一度引き離すのが賢明だと考えた。とにかく頭を冷やしてもらわないことには、話が先へ進まない。

「のん、ちょっとおいで」

 芳音は望の腕を掴み、突然のことに呆けている全員を無視して社長室を一度出た。

「なによ、まだ話の途中」

 と、我に返って反撃し掛けた彼女をエレベーターホールの隅へ追いやった。

「落ち着けってば」

 苦笑交じりに諭しながら、彼女の額にコツリと自分の額を押し当てた。

「ほら、去年みたいに熱は出ていないし、どこも痛くなってもいないしさ。それに」

 もしそれが例え自分の中にある無意識下で作られた幻影だとしても、まやかしでインチキかも知れない催眠療法の一環だとしても。

「一緒にいることで、もしのんまであの光景を見たら、きっとのんには耐えられないと思う。多分吐きそうなくらい苦しい思いをする。夢でうなされるような思いもする。俺の想像が映像化されただけかも知れないけれど、そういうモノが見えちゃうかも知れない場所なんだ。のんがアレを見たときの俺と同じ思いをするってのは、どうしても、イヤだ」

 説得するつもりだった強い声が、最後には途切れがちの細い声になる。再び脳裏にあの光景が蘇った途端、何もありはしないのに、血の臭いすら勝手に感じ始めた。芳音は背筋に寒いものが走る錯覚を覚え、一度だけ肩を震わせた。

「……そんなに、リアルだったの?」

 映画のCGやネットの動画でそういうのを見ても平気だ、と主張する望の声は、穂高に同意する芳音を責めるというよりも。

「そんな思いまでしているのに、それでもやっぱりどうしても、辰巳さんから直接聞きたいのでしょう? なら、せめて隣にいさせて。お願い」

 心からの不安や心配を訴える中に、芳音への理解が淡く混じる。そんな望の声を聞けば、却って怖気づいていた自分を奮い立たせようという力で満ちて来る。望だけには伝えてあった胸のうちを改めて明示され、そして変わらずにその願いが息づいていると再認識も出来た。

「答えを聞いたところで、結局俺は俺を優先しちゃうことに変わりはないんだけど」

 辰巳に聞きたいことが、たくさんある。辰巳に言ってやりたい文句が、腹の中に山ほど溜まっている。そして、相談したことがある――息子として、父親に。

「親父を超えたいんだ。そんでもって、ホタとも対等でありたい。こればっかりは、のんに助けられていたら認めてもらえないから。だから、待ってて。せめて帝都ホテルの傍とかで。ホタの心配する気持ちも解るんだ。俺ものんにキツい思いをさせたくはない。解って?」

 こんなとき、周囲をそっと確かめてしまう自分はやっぱり小賢しい小心者だ、としみじみ器の小ささを痛感する。他者の気配がないのがはっきりすると、芳音はくっつけていた額を少しだけ浮かせた。代わりに別の場所を一瞬だけ触れ合わせる。

「芳音、ずるい」

 はにかんだ声が、芳音の卑怯を小声で罵った。

「GINさんと零さんを呼んで来て。ホタの説得はのんに任せる。先に行ってるから、待っている場所をメールで送っておいて」

 互いの息遣いが解るほどの距離、息を殺してそっと囁けば、ようやく望が首を縦に振った。

「芳音、ひとつだけ、お願い事をしておいていい?」

 珍しくおどおどとした口調で望が告げた“お願い事”は、ことが済んだあともGINを引きとめておいて欲しい、ということだった。

「粘ってたのは、それもあったからなのか」

「……うん」

「どうして?」

「あの人はママを知っていたわ。それに、もしあの人たちの言っていることを信じていいとするなら、ママの思い入れがあった場所に、何かが残っているかも知れない、ということよね。……辰巳さん、みたいに」

 泰江の前では話しづらいから、と苦しげな笑みを浮かべて縋る目で見上げられたら、口にする答えはひとつしかなかった。

「わかった。ホタがいないうちに、のんの意向を伝えとく」

 望の切実に訴える瞳には、幼い少女が亡母を慕う、といった甘える色合いは薄い気がした。何を求めての願い事なのかは、芳音の想像には及ばないものだろう。だが望からは、自分が辰巳に尋ねたい思いと似通った雰囲気が漂っていた。

「ありがとう。ふたりを呼んで来るわ」

 芳音は「いってらっしゃい」という言葉を最後に社長室へ駈け戻る彼女の背中を見送った。

「のんでさえビクついてないんだし。大丈夫だ、俺」

 隠していた負けん気が混じった自分へのエールをポツリと零し、芳音はエレベーターのボタンと気持ちの切り替えボタンを同時に押した。




 日本帝都ホテルまでの道のりを、質疑応答のような時間に使う。穂高の用意してくれた送迎車のハンドルを握るのは、秘書の馬宮だ。体のいい諜報員といったところだろう。会話を続けながら別の話を筆記するのは、接客業に長年携わって来た芳音にとって造作もないことだ。芳音は後部座席で隣に座るGINに筆談で望の意向を伝えた。同時に口頭で伝えた言葉は「いつまで日本に滞在しているのか」という、彼がふたつの問いに対して同時に答えやすい質問だ。

日本(こっち)に息子みたいなもんが住んでるから、そこの厄介になっている分、自由が利くよ。ほかに依頼案件があるなら対応出来る」

 久し振りの何でも屋稼業だな、と、彼は懐かしげに目を細めて笑った。そして馬宮の死角では、そっと芳音の指先に触れた。

《翠さんも心残りがあって、まだ安西さんの周辺に魂の欠片を漂わせてる》

(!)

 脳に直接言葉が溢れ、思わずGINを凝視する。同時に彼の触れた指先が芳音のそれから離れた。芳音にはその瞬間の自分がどんな表情をしていたのかは解らなかった。だが前から馬宮に

「どうしたの?」

 とバックミラー越しに尋ねられておよその見当がついた。それには「マナーモードにしていた携帯に驚いただけ」と適当にごまかした。


 助手席に座る零の補足があったとしても、GINの話すことは芳音の理解や常識の範疇を超えていた。解らないなりに咀嚼出来たことと言えば、

“人を含めたすべての物は、“風”、つまり大気を介して自然に還る”

“個体差と心残りの強さによっては、魂が浄化されず、個を保ったまま風の流れの中に漂い続けることもある”

“ボランティアに近いと思われるGINの仕事は、“風”と彼らが呼んでいるGINの能力で浄化されないでさまよっている魂を自然へ還すこと”

 といった類の話だ。子どものころに穂高がよく説いていたアニミズム信仰とよく似ている。さしずめ彼らはシャーマンと言ったところか、と聞いたら苦笑された。

「ホントはね、誰にでもある能力なんだよ。解りやすい例えで言えば、自分のすごく大切な人のことなら、ある程度何を考えているか、何を思っているのか、自分に関すること以外なら割と見抜けちゃうってことがあるだろう? 自分に関することだと客観視出来ないからアレだけど、基本、誰もが感じられるそういう現象の強化版みたいなモノ、って言えばいいかな。多分、だけどね。研究者なんて存在しないし、俺の持論でしかないけれど」

 本当は誰もが声や想いを感じ取ることが出来る。無意識に皆が知っているから、シャーマンやスピリチュアルといった類の概念や言葉が存在したり、神話や伝承が世界各国で似通っていたりする。

「実はオカルト話めいたものじゃないんだよ。脳ってのは電気信号を科学信号に置き換えて情報の授受をする。そのときに発生する計測不可能なほどの微量な熱を、どれだけ個々が感知できるかっていう科学的な話なんだけどね」

 感覚で神仏や伝承に置き換えて伝えられて来た太古では、自分や他者の感覚を信じ、素直に受け入れられた。なのに今は、文明の発達が感性を鈍らせてしまったがために、偏見と先入観が感じ取ることを阻んでいる。

「キミは感度がすごくいいから、出来ればシェフじゃなくてこっちの道にスカウトしたいなー、と思ったくらいなんだけどね」

 GINは冗談めいた口調で笑いながら、唐突に芳音をその道への勧誘をにおわせた。

「や、俺には店があるし。っていうか、感度ってなんっすか」

 複雑な心境にさせられた褒め言葉らしき口説き文句に、露骨な声と表情でGINを牽制した。そんな気はさらさらない。

「ほかに言い様がないんだもん。阿南女史の話だと、キミが日本帝都ホテルを訪ねてから、高千穂の間の空気が温まるようになったらしいよ。昨日の下調べでは、キミの視た光景とはまるで違った。能力者以外で干渉出来るやつなんて、俺は今までに一度も会ったことがない」

「能力者以外ってことは、ほかにもシャーマンみたいな人がいるんですか」

「ああ。特技を活かしてカウンセラーをしている仲間もいれば、戦地で上層部の思念を読んでパイプ役を担っているヤツもいる」

「みんな、GINさんみたいに人の思考を読めちゃうんですか?」

「いやいや、それは《風》の能力を持ってる俺ともう一人のヤツだけ。それぞれが自分の能力に合ったやり方で、求める人には忘れ掛けている方法を探る手伝いをしてる。零もそのひとりだよ」

「え、そうなんですか?」

 と、芳音が助手席に視線と声を投げ掛けると、能面のような無表情が、わずかに後部座席の方へ傾いた。

「お望みであれば、最も強くしたい感情を増幅して差し上げられますが」

 と言いつつ零の横顔は、明らかに芳音から申し出られるのを拒んでいた。

「あ、いえ。俺、欲張りですから。むしろもそっと抑えたいっていうか」

 妙な圧迫感をかもし出す零の視線に気圧され、しどろもどろと答えた芳音だが、ふと指先に気配を感じ、咄嗟に触れて来たGINの手を払いのけた。

「ちょッ!」

 今、頭の中を読まれるのはマズい。そう思って咄嗟にGINの手を払いのけたのに、彼が触れた瞬間に変わった表情が、芳音のそれを無駄な足掻きだったと思い知らせた。

「ゴチソーサマでした」

「――ッ!?」

 くつくつと声を殺して笑うGINは、間違いなく芳音がふと浮かべてしまったあれやこれやの、いわゆる“欲”という言葉で連想された諸々を覗いたに違いない。予測の非現実的さとバカバカしさに自分で呆れるものの、そうとしか思えないGINのリアクションに、顔が厚くなる。芳音は土足で自分の中へ踏み込まれた屈辱から、つい噛み付くような強い視線を彼に向けた。

「ま、そんなに警戒しないでよ。こんなのは、特に発達した五感のひとつと同じ種類のものであって、例えば芳音クンや望ちゃんの味覚が人より敏感ってのと似たようなモノ。完全に全部を視れちゃうわけでもないし、得意不得意とか相性とか、いろんなものが関係して来るし。これでも一応コントロールはしてるつもり。映像までは視てないよ」

 視られたら、堪ったものではない。という本音は辛うじてどうにか呑み込んだ。

「考えてみたらそうですよね。全部無差別に流れ込んで来たら発狂しそう」

「そのとーり」

 なんの違和感もなくそんな風に考えてしまえるほど、芳音にとってGINの語ったオカルト現象に対する概念には、妙な説得力があった。




 日本帝都ホテルの阿南支配人と会うのは、実に十ヶ月ぶりとなる。あれ以来一度も訪ねなかったのは、学校を休んでいる暇がないから、という物理的な理由だけではない。

「随分時間が経ってしまったけれど、あのときは高千穂の間まで同行しなくてごめんなさい。とても悔やんだわ」

 阿南は芳音の姿を見とめると、まずそれを口にした。

「口では昔話、都市伝説、なんて笑ってみても、どうしても足がすくんでしまって」

 自嘲気味にそう零した彼女に、芳音も本音で言葉を返した。

「こちらこそ、ご迷惑を掛けたまま一度もお礼に伺わなくてすみませんでした。ちょっと、また変な現象とかにはまったら、なんて思ったら、どうしても足を向けるのが怖くなっちゃって」

 自分の連絡先を伝えていなかったことも、併せて謝罪した。

「だから、阿南さんが謝ることじゃありません。俺が無理なお願いをきいてもらったのだし」

 芳音がそう言って無理やり笑みを浮かべると、彼女はどこか懐かしそうな目で芳音を見上げ、そしてやっと笑ってくれた。

「ありがとう。風間刑事から事情は聞いているわ。指示どおり、窓は全開放させるようにしました。私は同席せずに、安西さま親子をお迎えすればいいのね」

 阿南は途中から視線を芳音からGINにずらし、古い呼び名でGINに対してそんな確認を取った。彼女の目がどことなく剣呑になり、そして口調が尖っている。敢えて昔の呼び方をする辺りからも、過去にあった刑事と被疑者としての確執を拭い切れていないこと心情が察せられた。

「もうデカは廃業したんっすけど」

「確認事項への返答のみでお願いいたしますわ、風間刑事」

「……仰るとおりです。お願いします」

 そのタイミングで零が一歩前に出て、阿南に手を差し出し

「では、鍵をお預かりいたします」

 とその場を収めるように話をまとめた。そして彼女は阿南へ更に一歩近づき、耳元に何かを囁いた。

「……そうね。もしあの人の中に私がいるのなら」

 阿南が零にそう答えていたが、芳音にはその意味までは解らなかった。

「では、行きましょうか」

 淡々と告げる零の無機質な声が、却って芳音に答える声をつかえさせた。

「大丈夫だって。空気が変わったし、昨日見た限りでは、俺の知らない辰巳がいた」

 GINが笑って肩を叩き、芳音の先を行く。軽く杖に自重を掛ける彼に手を貸しながら、零もエレベーターホールに向かう。

(……中国から、わざわざ来てくれたんだよな。不自由なんだろうに)

 自分と、辰巳のために。そこに思い至ると、ようやく足が動いてくれた。

(一番強く欲するもの、か)

 零の話をきっかけに、改めてそれを意識する。強く持っていたい思い、願いは、恐怖や不安なんかじゃない。

(父さん……俺は、俺のままで、在りたい)

 イエスの返事が聞きたかった。気遣ってのものではなく、心からの肯定を。それが克美を見捨てることではない、と、彼女のために全部を捧げた人にこそ認めて欲しかった。それで初めて赦される気がした。辰巳の息子としてだけでなく、守谷芳音として生きること。

 芳音は自分に言い聞かせ、それに勝る強い思い、長い間押し込めて来た願いを頭の中で復唱した。

「零さん、代わります」

 零とGINを呼び止める声にも、彼らの許へ駆け足で近づく靴音にも、もう迷いは混じらなかった。

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