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Bizarre Visitor 2

 芳音たちは馬宮の案内に従った。秘書室で業務をこなしている社員たちに軽く会釈をして通り過ぎると、その奥にある社長室の前で馬宮がインターホンに向かった。

「失礼します。馬宮です。望さんと海藤辰巳の息子さんをお連れしました」

(え……?)

 芳音は馬宮の告げた自分の肩書きに目を見開いた。私的な用向きであれば、「芳音」だけで事足りる。つまりその紹介の仕方は、客人に対するものだ。

(芳音)

 小さく呼ぶ隣からの声が、芳音の身を軽く屈ませた。「海藤辰巳の息子」と表現されて固まった全身に戸惑っていたが、右手が強く、それでいて柔らかく握られた途端に自由を取り戻せた。隣を見れば、望が自分に耳を貸せと促している。更に身を屈めると、

(克美ママのことじゃなくてよかったわね。そうでしょ?)

 と、明るい声が心地よく鼓膜を揺らした。途中から芳音の“辰巳探し”につき合ってくれた望だからこその言葉が、たくさんの思いをこめられた上で芳音に投げられる。

(今度こそ、芳音の欲しいものだといいわね)

 無邪気な幼さを含む笑顔が、にわかに芳音を力づける。ネガティブな発想はネガティブな事態を呼ぶ。励ますような微笑を見たら、何度も望から繰り返されたその忠告を思い出した。

(うん、そうだな)

 望の言葉と一瞬だけ触れた指先のぬくもりが、芳音の緊張を解いていった。


 穂高の応答を受けた三人は、馬宮を先頭に社長室へ足を踏み入れた。望は馬宮に促され、入口付近に据えられている秘書のデスクに腰を落ち着けた。

「思っていたより早かったな。バイトやら新学期の準備やらで都合をつけるのに暇が掛かると思うとった」

 穂高が入口の真正面に位置するデスクから立ち上がりながらそう言った。

「いえ。先輩たちが飲んだくればっかだから世話係になるんだろうな、と思って予定を空けていたから」

 芳音もまた穂高に目で促され、間を詰めるように中央の応接テーブルへと歩みを進めた。

「ああ。お前との電話を終えたあとに泰江から連絡があった。臆面もなくそろって来れるところを見ると、小言のネタはないようやし。望が世話掛けたな。ご苦労さん」

 事情次第では、馬宮に泰江の部屋まで望を届けさせるつもりでいたらしい。

「せやけどその必要もなさそうやし。望には関係のない話、と言えばそうなんやけど。望、先に帰っておくか?」

 と、穂高が視線を飛ばした先へ尋ねたとき、芳音も釣られてそちらへ視線を泳がせた。望の不穏な目つきが穂高と芳音の間を数回行き来する。やがて望は何かに気づいたような明るい表情を宿し、

「芳音のフォローが必要になったら、すぐに対応したいから」

 と力強い声で穂高に意向を返した。同時に彼女は穂高を相手に怯むことなく、有無を言わせない強いまなざしをまっすぐに向けた。それがそのまま芳音へスライドした途端、彼女らしい不敵な色を帯びて微笑をかたどった。

(もう何を聞いても驚かないわ。大丈夫)

 望が唇だけでそう告げる。ただそれだけで、気持ちが凪いでいく。礼節を重んじる穂高が、強引に優先順位を変えさせてでもという火急の件は、克美のことでないとするなら残るはひとつしか思い当たらない。

「ホタ。辰巳関係の人ってことなら、のんには辰巳のことも全部伝えてあるんだ。隠し事はしたくないから、一緒にいてもらってもいいかな」

 望の厚意に自分の意向を添える。穂高はかなり渋った表情を浮かべたが、一度はとめた足を再び客人と面するソファに進め、同時に隣へ来るよう目で芳音を促した。

「風間と土方さんの読みどおりやったな、やっぱ。しゃあない、本題に入らしてもらいます」

 という溜息の混じった穂高の声が、芳音の意識を客人に向かわせた。


 勝手に客人はひとりだと思い込んでいたが、実際には穂高や克美とほぼ同世代ではないかと思われる一組の男女だった。

 穂高と向き合う位置に腰掛けていた女性だけが立ち上がる。ふたりの間には杖が置かれていた。それは男性の足が不自由であることを示しており、一階の受付で人目を引くものだとは認識出来たが、ふたりの存在そのものが、それすらかすんでしまうほど際立っていた。

「突然お呼び立てして申し訳ありません。土方零と申します。今はこちらで自営のシェフをしています」

 女性の方からそう自己紹介をされ、差し出された名刺を両手で受け取る。中国語と思しき漢字の羅列とアルファベット、そして日本語という組み合わせで、

創新飯店(チュァンシィンファンディアン) 神童(シェントォン)

 と記されていた。そこに零のフルネームと携帯電話の番号が手書きで添えられていた。

「残念ながら、今回はシェフとしてスカウトをしに来たわけではないのですが」

 と苦笑を浮かべる零を間近に見て、不覚にも一瞬見惚れてしまった。ソファの背もたれで隠れていたため、うしろ姿を見たときは一瞬克美かと思ったほどよく似て見えた。だが、こうして面と向かってみると、まったくの別人だ。濡れ羽色をした長い髪が第一印象を勘違いさせた。カーキ色のパンツスーツがスレンダーなスタイルによく似合う。左右対称で整っている無表情は人形のようだったのに、笑んだ途端に魂の宿った人へと変わったのが、かなり強いインパクトを与えた。芳音が一瞬彼女に見惚れたのはそこにある。女性として、というよりも、芸術性という意味合いの方が高い。

「あ、いえ。まだ自分、学生だし。それに、住所が香港とか、無理だし」

 答える声が、頼りないものになってしまう。どことなく掴みどころのないミステリアスな彼女は、芳音が初めて出会うタイプの人物だった。

 しかし座ったままの男の方が、そんな零以上に強烈な形で芳音の関心を強く煽った。

「今回は(わたくし)というよりも、風間の用向きで訪ねました」

 零にそんな形で紹介された男が、待ちかねたように芳音を見上げた。

「座ったままでごめんな。風間神祐です」

 芳音より低い位置からそう名乗った男が、屈託のない笑みを浮かべて芳音に手を差し出した。

(握手、かな)

 言葉として思い浮かぶのは、そんなどうでもいいことばかりだ。芳音の意識は、風間神祐と名乗った男の観察に集中していた。

 じっと見つめる先に差し出された彼の右手は、人の皮膚だと思わせる質感がほとんどない。ケロイド状の傷痕は消えることなく、彼の戦歴を如実に語っている。日常生活の中で負うことはあり得ないと思われる大きな傷痕だった。

 異質過ぎる右手から視線を滑らせ、彼全体を注視する。

 もう防寒の役目など果たしていないであろうボロボロになった深緑のコートは、彼をホームレスに見せていた。だが異臭を放ってはいない。コートの中に纏っているカジュアルシャツやジーンズは、どこにでも売っているごく普通のものだ。背中辺りまで伸ばした髪が無造作に束ねられているものの、両サイドの髪は後れ毛というのもおこがましいほど束から取り残されて顔の右半分を覆い隠している。わずかに覗く頬に、手と同じような傷痕が見て取れた。うしろ姿しか見えなかったときにはまるで気づかなかったが、癖の強い髪も洗いざらしただけ。それらからも彼の性格が見て取れた。

(色々と策を巡らせるような細かい性格ではなさそうだな)

 芳音は自分の分析を言葉に置き換え、出会い頭のときよりも冷静さを取り戻している自分にほっとした。風間の第一印象もまた、肯定的な方向へ修正されていた。

「初めまして、海藤ではなく、守谷芳音です。母親に海藤を名乗るのは禁じられていたので」

 芳音は改めて自己紹介を告げたあと、慣れない挨拶のために、まずは握手を求めているらしい風間の方へ手を伸ばした。

「無理言ってごめんね。やっと安西さんと時間の調整がついたから」

 風間がそんな合いの手を入れたかと思うと、それを言い終えもしないうちに芳音の手をぐっと握り、そのまま一気に手繰り寄せた。

「うゎ?!」

 その握力も腕の力も、一般人のレベルではない。長身でそれなりのウェイトもある芳音が、難なくバランスを崩した。咄嗟にテーブルへ左手をつく。傷痕だらけの風間の素手が、無防備な芳音の頭を掴んだ。

「無理ついでに、もう一個ムチャさせてな? 不意打ちが一番効果を期待出来るから」

 有無を言わせない勢いで腕を後ろへねじられ、ロウテーブルでしたたかに膝を打つ。

「ちょッ!?」

 腕が解放されたかと思うと、ロウテーブルの上でうつぶせに固定された。

「すみませんが、あなたが帝都ホテルで視たものを確認させてもらいます」

 芳音の後ろについて風間以上に締め上げているのは零だった。彼女もまた、その体格からは想像がつかない力で芳音を押さえつけるので、抵抗することすら出来なかった。

「何言ってるかわかんな、ってか、痛いっつの! 離せッ」

 明らかにふたりとも、訓練を受けている“何か”のプロだった。

 望の叫ぶ声がする。穂高が荒い動きで立ち上がるのがかすかに見えた。だがどれもこれも、どこか遠くから眺めているような光景で、ぼんやりとしか捉えられない。

 何が起きているのか解らない中、芳音の頭の中に(・・・・)風間の声が直接響いて来た。


 ――落ち着いて。俺たちは辰巳が遺していったモノをキミたち親子に届けたいだけなんだ――。


 芳音の視界を占めるのは、深緑の隻眼。映像で見た辰巳のカラーコンタクトで彩ったものとは異なる風間の瞳。虹彩そのものが深緑を放つ異質な瞳が芳音の瞳をまっすぐに射抜いた。

 それとまともに目が合った次の瞬間、芳音の見る景色がいきなり一転した。

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