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意外な後押し 5

 三人で望の手作りディナーを味わう傍ら、望は昨夜克美が零した寝言のことを、芳音は克美に学費などの支援を打診したい意向があることと、それが克美の精神面にマイナスの影響が及ぶのかどうか、などの相談事項を藪に伝えた。

「医者なんてなあ、症例を統計にして勝手にあーだこーだと定義づけて、対症療法をするだけだ。百パーセントの保障や確信の答えだと解釈されると適わねえが」

 そんな前置きを残しつつ、藪個人の経験値と主観で、という条件付ではあるが、問題ないだろうとの答えをもらえた。

「その心配は、おめえがここを出て行くときにするべきだったな。今だから言えるが、克美がてめえを要らねえと解釈しかねないおめえの進路決定を聴いたときぁ、本当のところ、克美の悪化を考えた」

 渋い顔できゅうりの塩揉みを頬張る藪は、敢えて芳音に伏せていた理由を語りはしない。

「克美はそのでけえハードルを自力で超えてるんだからよ、アイツが自分を切り替えるきっかけさえ掴めりゃ問題ねえ、と思ってる。おめえがアイツを頼りにするのは、逆に張り切れる素になれていいんじゃねえか?」

 今回の帰省でクリアすべき課題をひとつこなせたのに、芳音の口の中で噛み締めるささみ肉のホイル焼きの味は苦かった。望ひとりのことでキャパがいっぱいいっぱいになっていた、器の小さな自分を痛感させられる。

「芳音よ、てめえはどこを見て、何を目指してるんだ?」

 急に黙り込んだ芳音を怪訝に思ったのか、藪は味噌汁をすするついでを装う形でそんな問いを投げて来た。

「え、と」

 口ごもり、つい望へ視線を向ける。不安そうに自分を見つめていた瞳とまともにかち合った。目が合うと同時に彼女の両目がゆるい弧を描き出す。

“大丈夫”

 何に対して“大丈夫”なのかと自分でも思うものの、なぜか彼女が芳音にそう伝えている気がした。

「おめえの年のころに、辰巳は親父から逃げたいのに逃げられないって腐ってた。穂高はてめえのことでいっぱいいっぱいになって、警察の世話になるような自棄を起こしてた。それを思えば、おめえは年の割にやることやってる、と思えねえか?」

 芳音を見透かすように、それだけを暴露する。そんな過去は、知らない。望が芳音を代弁するかのように、藪の発言に突っ込んだ。

「警察のお世話って、うそ。だって前科があるなら、パパが今あの立場にはいるはずないでしょう? それに辰巳さんって、こんな年のころ、もうそんなことに手を染めてたの?」

「穂高のはチンピラに絡まれた正当防衛、前科はねえよ。繁華街なんかをうろついてたバカではあったがな。てめえの立ち位置も考えずにやらかしやがって、当時週刊誌に散々遊ばれてたぞ。辰巳も逃げるなら未成年のうちが有利だったろうに、結局面倒くさがって実際には動きゃしなかった。おめえらの目にあいつらがどう見えてようと、それを上回るじじいから見りゃ、ガキはガキ。そんでもって、ガキはガキらしく暴れときゃいいんだ。恥を掻けねえ年になってから病むよりゃよっぽど健全だ」

 完ぺきな人間なんざこの世に独りもいやしねえ。その拘りは荷物にしかならねえぞ。

 藪がその話題を締めるのに用いたそれは、小骨のようにいつまでも芳音の中に刺さって疼かせた。




 芳音が帰るとき、望が去年と同じように公園まで見送りに出てくれた。そして今年も公園の前でバイクを押して歩く足がとまる。去年は名残惜しくて立ちどまったが、今年は少し違っていた。

「んじゃ、明日、九時ごろ迎えに来るから」

 ここで坂の上りと下りへと分かれる意向を告げ、バイクにまたがったものの、エンジンを掛けられなかった。芳音はヘルメットを手にしたまま、かくんと頭を垂れた。

「パパのときがキョーレツだったせいか、克美ママも藪じいもマナママも、こっちが拍子抜けするくらいあっさり認めてくれたわね」

 少し無理を利かせた明るい声が、ごく間近に聞こえた。芳音のすぐ傍らに立った望が胸元で握り拳を作ったのを盗み見る。

「ってことは、要はパパさえ粉砕すれば万事解決よ。楽勝ね」

「壊してどうすんだよ。説得だろ」

 苦笑しながらゆるりと顔を上げたら、不意に我慢の限界を超えた。

「ちょっとだけ、甘えていい?」

 芳音がそう言い終えたときには、すでにちょうど芳音の目線と同じ高さにある細い肩に額を押しつけていた。

「何が不安なの?」

 と語り掛ける望の声は、穏やかに紡がれた。

「全部なかったことにしたいわけじゃない、けど」

 あやすように背中でリズムを刻む望の手に心地よさを覚えながら、思いつくままに支離滅裂を語った。

「後悔もしてないんだけど。辰巳のクローンじゃなくていい、ってすごく嬉しかったけど。だけど、克美はあいつ以外の言葉は利かない、ってことなんだよな。辰巳ならきっとあんな克美を望んだわけじゃない、って思ったから何度も北木さんとちゃんと向き合えって言って来たんだけど」

「克美ママが独身を通して来たのは、芳音を辰巳さんの代わりじゃなくて、自分の息子だからという責任とか愛情とか、そういう気持ちからでしょう? それは芳音が責任を感じることじゃないと思うわよ」

「うん。でも、もっと巧くやれてたら、克美も自由になれてたんじゃないかな、とか。俺が俺をやり直すのは、そのあとでもよかったんじゃないかな、とか。俺のが克美より全然先が長いんだし」

「でも、つらかったんでしょ?」

「……うん。けどさ……誰かの犠牲の上にあるシアワセとかって、いつかしっぺ返しが来そうで……カッコつけじゃなくて、そんなワガママな理由で、イヤなんだ」

 望が答えに詰まるのが解っていたのに、吐き出さずにはいられなかった。彼女が「自信がない」と弱気になったとき、あれだけはっきりと「これでいい」と言ったくせに。

「克美を鳥かごから出せるヤツは、もう世界中のどこにもいないんだ。これから先もずっと、克美がああして過去の中に閉じこもってるんだろうな、って思ってるくせに」

 辰巳や高木の犠牲を踏みつけにして。

 克美の未来を犠牲にして。

 穂高の望に対する気持ちを踏みにじってまで。

「このまんま、自分たちだけ前に進んでっていいのかな」

 傷つけると解っていて、芳音は望を不安にさせるようなことを口走った。ある日突然しっぺ返しが来て取り上げられてしまうくらいなら、自ら断ってしまうほうがまだ痛みを罪悪感でごまかせるのではないか。そんな計算があった。

 耳許に小さな溜息の吐息が掛かる。さぞ呆れたことだろう、と、心の中で苦笑する。甘えた肩がついと遠のき、夏なのに額だけにひんやりとした冷たさを感じさせた。く、と奥歯を噛み締める。引っ叩かれるか殴られるか、それとも罵声を浴びせられるか。そんな覚悟で固く目も閉じた。

 一度は遠のいた人特有のぬくもりが、今度は芳音の額よりも下に――軟らかでしっとりと濡れた質感をともなって帰って来た。あまりにも唐突で意外な望からのそれは、多分そういう関係になってから初めてだ。

 意表を突かれて反射的に顔を引こうとしたら、逃がすまいとするかのように彼女の両手が芳音の両頬に力をこめた。そのとき初めて彼女に包まれていたことに気がついた。

 不謹慎な衝動と困惑が、芳音の両腕を望の背へ回させる。あと少しで掴まえ返せると思った瞬間、彼女の両手が頬から離れ、そして彼女自身も数歩ほどあとずさった。

「芳音のセルフネガキャンは、私が今全部食べてやったから。もう大丈夫よ」

 伏せた顔は栗色の髪が隠してしまい、悔しいほど素の表情を晒してはくれない。

「だからちゃんと笑って克美ママに“ただいま”って言うのよ」

 まるで去年の仕返しのように、望は自分だけ言いたい放題をし終えると、機敏にくるりと背を向けた。

「じゃ、おやすみなさい」

 芳音はそれに言葉を返す権利さえ与えられず、呆然としたまま彼女の姿を見送らされた。

「俺よか“克美ママ”の心配かよ」

 本人が消えてからそんな憎まれ口を零し、煽られた衝動をねじ伏せる。

「セルフネガキャンなんて、食い物じゃないっつの」

 悪態と裏腹に、口角がゆるゆると上がっていく。確かに喰らい尽くしてくれたらしい。散々考え悩み抜いて決めたことなのだ。今更退くのは、これまで助けてくれた人に対し、今以上に顔向け出来ない自分に成り下がるということだ。

「うし! 肉弾戦覚悟で生活費の借り分を受け取らせるトコから始めるか」

 まずは自分の発言に責任を取り、身奇麗にしてから改めて駄々ってみる。克美のことだ、メンドクセーとか言ってしまいにはブチ切れて踵落とし――というシナリオを想像したところで、急に時間が惜しくなって来た。

 バイクを息づかせ、思い切り噴かせる。アクセルをいっぱいに切れば、愛車が早く風を切りたいとけたたましく鳴いた。

 芳音は爽快な風を浴びながらポジティブなIFをあれこれ思い描き、それを楽しみながら帰路に着いた。

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