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意外な後押し 2

 芳音はいつもの如く、外堀を埋める根回しから段取りに入った。

 まずは藪に相談だ。望をともなって帰省することと、克美への“サプライズなお土産”が彼女に悪影響を及ぼさないかどうかを訊いてみた。話してみれば藪は薄々察していたようで(もしくは泰江から聞いていたのかも知れない)、問題ないだろうとの回答をもらった。

 次の根回し相手は泰江と穂高だ。藪からの回答を伝えた上で、望と一緒に帰省したいと許可を願い出た。穂高への口どめは却下されると思ったが、泰江はそれも込みでOKの返事をくれた。どうしても望を連れて行きたい理由も伝えたからかも知れない。泰江の許可が“全部ひっくるめて”の許しだったこともあり、芳音は礼の言葉が巧く出せなくて苦心した。


 専門学校の夏休みは短い。果穂が彼氏の休暇に合わせてお盆辺りに休みたいというので、芳音が望と信州に向かったのは八月に入って早々だった。

「一年前を思い出すわね」

 窓の外の景色が高い山々に変わってゆくのを嬉しそうに眺めながら、望がぽつりと零した。さっきまでのハイテンションが嘘のように静かな声だった。

 彼女の膝の上では可愛いラッピングの施されたマドレーヌの詰め合わせが、望の手で大事そうに守られている。克美への土産らしい。

「去年は逃げるみたいな気持ちでこの景色を見ていたの。でも今は違って見えるから、なんだか嬉しい」

 ありがとう。独り言のように呟くそれは、窓や景色に向かって言っているのかと思うほどそっけない。可愛げのない芳音の相棒には、それが精一杯なのだろう。望が微塵も可愛げを見せないときは、気が滅入っていない証拠だ。「ありがとう」の素直さに免じて、寂しくなるほどの無愛想な態度は見逃してやることにした。

「あ~、でも二泊三日って、結構ハードスケジュールだよな。バイト、四日しか休めなかったから。ゆっくり出来なくてごめん」

「芳音の場合、生活が掛かってるんですもの。芳音がお母さんに言ってくれなかったら、克美ママに会える機会そのものがなかったはずよ」

 望がそんなフォローを入れながら、ようやくこちらを向いてくれた。ほとんどノーメイクに近いナチュラルなメイクは、わずかながらも昔の面影を残している。去年と違い、今年はパンツスタイルで髪もひとつに束ねている。芳音が「午前中は閑古鳥だから大丈夫だ」と言ったのに、店の手伝いをする気満々らしい。

「貴重な実地体験のチャンスを逃すもんですか。フルで『Canon』に入ってやるんだから」

「や、それ俺が藪じいに殺されるんだけど」

「ちゃんと藪じいのところにも顔を出すつもりよ。夜に」

「っていうかね。藪じいンところにも顔を出すって条件で、ちょっとお願い事をしたから、のんもそれにつき合ってよ」

「どういうこと? お願い事って、何」

 実は望にも“克美へのサプライズ土産”の話をしていなかった。事前に話せばガチガチになった挙句、逃げられそうな気がしたからだ。しかし剣呑な目つきが「話せ」と命じ、芳音に有無を言わせない。

「えぇと、ですね、実は」

 しどろもどろと核心を避けつつ、藪に話した“望の連れて行き方”を彼女にも説明した。

「――ってわけで、ですね。克美にはまだ、のんを連れて行くとは言ってない、ということなわけで」

「ちょ、何それ。私のこの漲るやる気はどうしたらいいのよ。っていうか、私、お母さんからは独りじゃ危ないから芳音ちに泊まりなさいって言われて別荘の鍵を預かって来てないわよッ」

 だから顔を近づけるな、そしてがなるな、と声を大にして訴えたい。忙し過ぎて、入学式以来(ぶっ倒れて看病してもらっていて手も足も出せなかったときを除けば)まともに顔を合わせたのが久しぶりだという状況を考えろ、こっちの内心をちょっとくらいは察してくれ――とは、口が裂けても言えなかった。

 芳音は襟首を掴んだ望の手を引き剥がし、むせる振りをしつつ、可能な限りさりげなく言った(つもりだった)。

「彼女連れてくから泊まれるようにしといて、とは言ってある」

「――ッッッ!!」

 望の引き攣れた声なき声と、松本着を告げる車内アナウンスがコラボレートした。




 十時半には松本駅のホームに着いていたはずなのだ。

「なぜに十一時だし」

 駅から『Canon』までは、徒歩五分も掛からないはずなのに。

「だって。そもそも芳音が最初から私にも教えてくれてたら」

「絶対! 逃げてた!」

「う」

 望は妙な音を漏らしたかと思うと、またズンと重石が載ったかのようにうな垂れた。

(ちょと、いじめ過ぎたかな)

 芳音は小さな溜息をつくと、しおれた彼女の頭をくしゃりと撫でた。


 駅のホームで望を説得すること二十分強。ネックレスのヘッド化していたリングを半ば強引に外して望の薬指に無理やりはめ込み、穂高にだけ言っておいて克美には内緒なんてフェアじゃないと反論し、アレも穂高と同じで頑固になり出すと長丁場になるからと脅しまくり。それでもすっかり十三年前の少女に戻ってしまっていた望には頑ななまでに怯えられ、拒まれて。そして芳音は、とうとうキレた。

『ここまで来ておいて、往生際が悪いってば』

 十三年の歳月を埋められるかどうかという不安は解る。自分の“たくさんいるお母さん”のひとりに会う、という弾んだ気持ちも解る。

『でもさ、もう六歳のガキんちょじゃないじゃん? のんも、俺も』

 諭す言葉がつい尖った。望に直接苛立ちをぶつけたのは初めてかも知れない。一瞬「しまった」と思ったが、敢えて謝らず、そしてその姿勢も崩さなかった。そこは望を甘やかしてはいけない場所だと思ったからだ。

『あのさ、のん。俺のこと、キライなの? 約束は、反故ってこと?』

 ホームの椅子に腰を落としたまま、ずっと俯いていた望が初めて顔を上げた。真っ赤な顔をして必死で涙を堪えているのを見たら、さすがに一瞬ひるんだ。

『そういう顔するならさ、行こうよ。大丈夫だよ。そんなことでのんの印象が悪いほうに変わるなんてことないからさ』

『芳音は、怖くないの?』

『何が』

『また……パパが言ったのと同じような台詞を聞かされること』


 ――姉弟同然に育ったくせに、気色悪い。


『不愉快だけど、怖くはないよ。俺、ホタに言ったじゃん。“他人認定ありがとうございます”って』

 うちの場合、そこから始めないと。それに、克美は穂高ほど常識的な人間じゃない。実はそこに期待していたりする。そして何よりも穂高になくて克美にある、自分たちよりの感覚に期待したのは。

『戸籍上なら克美は辰巳の義理の娘なんだぜ? 少なくても、そういう形の家族でありたかったわけじゃないってのだけは、きっと解ってくれるはず』

 芳音はそう言って望のバッグに手を掛けた。

『のん、行こう?』

『……うん』

 ようやく望の手が、それを制するのを諦めた。


 そして現在に至る。ビルの前まで来たふたりだが、芳音が小さな異変を察知したと同時に、勘がMAXで警鐘を鳴らした。

「なんか、すっごく嫌な予感がする」

 ビルの入口に出すはずのライト式の看板が、表通りに面して出されていない。

「なに?」

「や、看板。夜は店じまいするけど、昼間はランチ目当てのお客もいるから開けるって言ってたのに、奥の通路に押し込んであるからさ」

「そう言われてみれば。でも、ライトは消してないわよ?」

「うん、それがね、なんかすっごおおおく、いやあああな予感がするんだよね……」

「ちょっと、何それ意味わかんない」

 嫌な予感、イコール、祭りの予感。若い客の一部がよくこの手のイタズラをやらかす。圭吾もそのひとりなわけだが、彼に今回の帰省は知らせてない。スケジュール的に無理だからだ。ほかの若いお客という可能性もあるが、午前中の『Canon』は基本的にママたちのサロン的利用がほとんどだ。そしてこの時間であれば、子どもたちの昼を作るため帰ってしまう。その辺りのお客にこんな下らない遊びをする人は、もちろんいない。

「取り敢えず上がろうか」

 ただし、中の様子を窺ってから。望にそんな断りを入れ、芳音が先に階段を上がった。

 懐かしい格子扉とその横で店先を守るランプが目に入る。自然と懐かしさで目が潤んでいた。たった四ヶ月目にしていなかっただけなのに、自分で思っていたよりも里心がついていたらしい。しかしそんな感傷も一瞬にして消え失せた。

(ちょ、待て。すっげえ……うるさい)

 出入口の格子扉は、厚重厚な作りでかなりの防音効果があったはずだ。静まり返った閑古鳥の時間帯でも、店内で流しているバロック音楽がビルの通路まで漏れて来ることはない。なのに、やたら騒がしい。二階のテナントは『Canon』だけなので、そこからの騒音であるのは確定事項だ。

(のん、ちょっと、こっち)

 芳音は昇り切った階段からそのまま三階へ続く階段に足を踏み上げた。折り返しの踊り場でしゃがみこむ。ついて来た望も芳音に合わせ、膝を折って身を丸めた。

(なに?)

(なんかわかんないけど、店のほう、克美だけじゃないっぽい。ちょっと様子見てから呼ぶから、ここで待ってて)

 彼女にそれだけ言い残し、身を低くしたまま階段をまた下りる。壁に背をつけて入口の脇に立ち、格子扉の隙間からそっと店内を覗いてみれば。

(げっ! なんで満席なんだよ!)

 しかも平日昼間、更に言えば、月初だというのになぜか北木が克美とキッチンに立っている。月初は会計事務所にとって繁忙期のはず。皿洗いを手伝っている場合じゃないはずなのに。

(とにかく北木さんを引っ張り出そう、うん)

 彼を外へ呼び出して事情を聞けば、あとはアドリブでどうにか対応出来ると踏んだ。

 扉に向き直り、一度だけ深呼吸。今来たばかりを装い、格子扉をゆっくりと開ける。

「ただいま。みんな、いらっしゃい」

 芳音のその声に、ドアベルがいつもと変わらないよい音色でちりんと出迎えた。そしてさっきまでの喧騒が、水を打ったようにシンと静まり返る。

「あれ?」

 全員の怒気を孕んだ剣呑な顔が一斉にこちらを向いた途端、芳音の愛想笑いが思わず引き攣った。脳内で誰かが「逃げろ」ときつく言い放つ。だが、芳音が一歩後ろへ引くよりも早く、中央テーブルの一番手前に座っていた客が立ち上がって芳音の腕を捕まえた。

「おまっ、彼女どうした、彼女!」

「いッ!?」

 それを合図とばかりに、客が一斉に(とき)の声を上げ出した。

「お前、東京に進学じゃなくてリア充探しに行ったのかよ!」

「あんた、四ヶ月しか経ってないでしょうが! ママほったらかして何リア充宣言かましてるのよ!」

「察して敵前逃亡か! 彼女どこに隠したッ、彼女のダチ紹介しろ! つか彼女どこだ、彼女!!」

 理解した。取り敢えず満席の理由は理解した。だが、情報の漏洩元が解らない。解らないというよりも、確実に、明らかに、たったひとりにしか話していない。その相手には口どめをしておいたはずだ。お客にバレたらこうなることは解っていたからだ。

 芳音の中で、焦りと狼狽が別の感情にシフトする。芳音の胸倉を掴んでがなっている元高校の先輩だった客の手を無理やり外しに掛かる。そして同時に叫んでいた。

「克美――――――ッッッ!!」

 キッチンを睨みつければ、克美が居室へ逃亡を図るところだった。




 店の内側から入口を封鎖してから約五分。滅多に声を荒げたことのない芳音が怒声を上げたことで静まり返った『Canon』には、告別式かと思うような静寂の中、遠慮がちにバロック音楽だけが流れていた。

「つまり、先輩が克美と北木さんが話してるのをデバガメって、チェーンメール状態にした、と」

 確認しがてら、席に戻った先輩を見下ろし目を細める。

「やー、後輩だけに送ったんだけど、ビックリだね。テヘ」

「テヘじゃないっすよ」

 胸倉掴める立場じゃねーだろ、という言葉を割愛してやる代わりに、両のこめかみへグーでグリグリのお仕置きをお見舞いしてやった。

「逆の立場で考えてやってくださいよ。知らない人からいきなりワーっと来られたらどう思います?」

「……反省しま」

 先輩の完敗宣言を受けて、今度はフロアをぎとりと見渡す。

「冷やかさないから」

「ジロジロ見ないから」

「ちゃんとフツーにお客するから」

「……帰る気は、ないんすね……」

 芳音の声に、皆が一斉ににっこり微笑み「うん」とひと言元気よく。ものすごく、嬉しくない。ここが妥協点かと諦めをつけ、カウンターに並べてある伝票に目を落とす。結構みんなコーヒー一杯で粘っていたわけでもなさそうだ。

「彼女がどんな子か気になったのもあるんだろうけど、結局みんな、芳音くんに会いたかったのもあるんだよ。その辺で勘弁してあげたらどうだい?」

 芳音に区切りをつけるきっかけをくれるのは、やっぱりこんなときでも、北木のひと言だった。よく見れば、今日はスーツではなくベージュのチノパンにソフトシャツというラフスタイルだ。

(えーと、ひょっとして、北木さんも無理やり出て来てくれたのかな)

 経営者なので時間の自由が利くとはいえ、自分のために都合をつけてくれたと思うと嬉しかった。そして克美が彼には話していた、ということも芳音をほっとさせた。北木は克美にとって、やっぱり“特別な人”なのだと再認識させられる。それが安堵の理由だった。

「だね。克美にいつまでも天岩戸されてても困るし」

 北木にそう言って苦笑を返し、居室の扉に足を向ける。

「かーつみー。ただいま。怒ってないから出て来いってば」

 それから数秒後、ようやく天岩戸がほんの少しだけ開いた。おどおどとした大きな吊り目が芳音を見上げて来る。

「ごめん。北木さんにはつい」

「それは当然っしょ。俺、北木さんにも知らせたかったし、怒ってないってば。それよか、彼女を三階手前の踊り場に待たせたままなんだ。連れて来てよ」

 顔に「なんでボクが?」と浮かばせた克美に「行けば解るから」と伝えて無理やり店の外へ追い出した。

「ちょ、お前、それはオカシイだろ! いきなり彼氏の母親とタイマンとか、おかしいだろ!」

「タイマンって発想がおかしいだろ、バカっ母!」

 そうがなって扉を閉める直前、カツンと床を蹴るヒールの音が聞こえた。そして小さく聞こえた「克美ママ」というか細い声。そして芳音はまた入口を死守する。お客に“なんちゃって母娘”の再会を邪魔させないために。

「うっし。ちょっと早いけど、今日は俺が作るっす。ランチ食う人ー」

 芳音が自分に客の注目を集めてカウンターへ伝票を取りに行くと、客たちは一斉に関心の向かう先をランチのほうへ変えてくれた。

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