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過渡期 1

 私学の女子高を学び舎とする望に、休み時間の教室で繰り広げられる光景は結構な苦痛をもたらした。

(エスカレーターでそのまま大学へ、っていうコースの子がほとんどだし。お嬢さま学校の肩書きに憧れる親をタゲる経営陣の思惑も、まあ解らないではないけど……実態って、こんなもんよ?)

 日直だった望は教科担任の許へ届けるためにノートをまとめていた。その教壇から教室をふと見渡して目に入ったクラスメートたちの態度や、交わされる会話をまともに耳に入れた瞬間、思わずそんな感想が浮かんで溜息が漏れた。

 スカートを思い切りはためかせて風を作るクラスメートたち。もちろん下に短パンを履いているが、それにしてもいただけない。

「うっそ、マジでやったんだ、臍ピアスっ」

「うん。彼氏がソッチのプロだから、やっとプールの授業もなくなったし、やってもらったー」

「今、ビミョーに“やる”に違う空気混じってた」

「あ、バレた。えへへー」

「えへへー、じゃねーよっ」

 下品な笑いが教室に響く。あんな会話はしないものの、つい数ヶ月前までは、自分も彼女たちと似たような種類の人間だった。そう思うと自然に顔をしかめてしまう自分がいた。

「安西、どうした? 未提出があったとか?」

 そう声を掛けて来たのは、毎回望と日直が当たる安藤七海だ。名簿順で日直がローテーションされるため、彼女とはほかのクラスメートよりも話す機会が多い。

「ああ、ぼうっとしちゃってただけよ。チェックはもう済んだから、行きましょうか」

 望はそんな返事とともに、コン、とノートの束を整える音を響かせた。


 教科準備室の教卓へノートを置き、七海と教室へ戻る。彼女が不意にプリーツスカートのポケットをまさぐった。

「安藤さん、ケータイの電源を入れっぱなしにしているの?」

 そう尋ねたのは、多分マナーモードのバイブで着信に気づいたからだと思ったためだ。彼女はディスプレイを眺めたまま

「うん。だって彼氏となかなか会えないしさ。あっちは共学だから、何かと心配だし。送ってくれたときには即レスしておきたいの」

 と弁解に聞こえる言葉を返して来た。

「別に、責めてるつもりはないんだけど」

「だって、安西が人にそういうツッコミ入れるなんて今までなかったから。内申を気にして自治厨になってるのかと思って」

(そういう目で見られてたのか、私って)

 新学期が始まってから、しみじみと思わされること。それは、これまでいかに自分が他者に関心を寄せていなかったのか、ということだ。

「自治厨って、なに? それに、内申なんて今から足掻く必要がないって思ってるけど」

「あ、そ。相変わらず自信家なのね。でも、安西は家の大学に行かないんでしょう?」

「自信家じゃなくて、やりたい仕事があるから専門学校に進むのよ。ねえ、自治厨って、なに?」

 どうやら返信が終わったらしい。彼女は携帯電話をパタンと閉じると、初めて望に顔を向ける気配を見せた。

「自治厨は気にしなくていいから。それより、さっきから人のケータイを食い殺す勢いでガン見しまくってるんだけど、チクり目的じゃないなら、一体なに? そっちの方が気になるわ、私としては」

 言われて初めて自分の視界に気づく。かわいいパステルピンクの本体に小さなストーンでデコレートした携帯電話と、それを握る七海の手が視界の中心にあった。慌てて彼女の顔に視点を合わせたら

「……だからどうして真っ赤になってるんすか、安西望さん」

 と笑いらしきものをかたどっている七海の呆れた瞳が望を見つめていた。


 望は七海のペースに引きずられ、そのまま学食へ連行された。窓際のテーブル席に落ち着くと、なんだかんだと訊かれた挙句、結局彼女に吐かされていた。

「は……。“用事がなくても連絡して来い”って言われても、何を送ればいいのか解らない、って、どんだけ」

 七海がまたそう繰り返して笑いを噛み殺す。望が俯いたまま噛み殺したのは、手製の玉子焼きと「話さなければよかった」という羞恥心だった。七海は学食のカルボナーラをすすりながら、返す言葉もなく黙々と弁当を口へ運ぶ望の意向をさらりと無視し、そして質問の回答もないまま対象となっている“相手”の話にしがみついた。

「まあ、二学期に入ってからこっち二週間くらい? なーんか雰囲気が変わったなあ、とは思ったけど。まさか安西が男でキャラの変わるタイプとは思わなかったから、意外」

「男って、ヤな言い方。幼馴染って言ったはずなんだけど」

「私の彼氏も元はただの幼馴染よ。要はつまり彼氏って肩書きが追加されたんで、変に意識しちゃってどうしたもんだか、って感じ。そんなところでしょ?」

 答えらしきものがようやく彼女の口から出て来てくれた。それにほっとしながら、それでもやっぱり微妙な差に食いつき、訂正を求める自分がいた。

「彼氏って言葉の連呼はやめて欲しいんだけど。幼馴染だから。それに、元々無駄なことが好きではないの。用もないのに、どうしてメールを送ったり電話したりしなくちゃいけないのか解らない、っていう意味なんだけど」

「じゃ、スルーしてればいいじゃん。したいのに出来ないから、人のケータイを必死こいて睨んでいたわけでしょ?」

「……」

 朝には自信満々の出来だったピーマンの肉詰めが、ものすごく苦く感じてしまう。

「だから何送ってるんだろう、とか気になっちゃったわけでしょ?」

「……」

 乾き始めた七海のカルボナーラソースが、もったいないと思ってしまう。

「私なら、ほかの子よりも多少は話したことがあるし、普段から恋バナばっかしてるし、訊けばホイホイ喜んでメール内容を見せてくれるとでも思ったんでしょう?」

「恋バナばっかしてるの? あなた」

 目の前の七海が、漫画かドラマのワンシーンのような見事さで、ついていた肘をテーブルからカックリと落とした。

「ひょっとして安西、私をバカにしてると思ってたんだけど、実は安西の方がただのバカ?」

 打ちつけた肘をさすりながらそう尋ねて来た彼女に、腕を労わる言葉など浮かばなかった。

「私の質問にひとつも答えてない人に答える義務なんてないと思うけど」

 まどろっこしさに苛つき、棘のある言葉を吐いてから生ぬるいおひたしを口の中へ放り込んだ。目の前でどんどんソースが乾いてくっついてしまうパスタが不憫でしょうがない。望は迷わずパスタに箸を伸ばした。

「食べないならいただくわよ。パスタがかわいそう。もったいない」

「ちょ、うそマジ?! あんたホントに安西望?!」

 どういう言われようだ。というよりも、なぜこうまでいちいち自分の一挙手一投足に驚かれるのかが解らない。

「ねえ、私って、あなたから見て、どういうキャラ設定なの?」

「一流企業の社長が猫かわいがりしている、高慢ちきなお嬢さま。いかにも“私は本来あるべきお嬢さまのテンプレートですぅ”って顔しといて、裏で社会人のおっさんばっかを相手に、男を取っ替え引っ替えしている真性親不孝女。あ、これは私個人の意見じゃなくて、クラス全体の総意ね。人の目ってのはどこにでもあるんだっつうの」

 からん、と望の手から箸が落ちた。七海だけが、そのあとを目で追う。望はバスタの落ちた弁当箱を見つめたまま、それより上に視線を上げることが出来なかった。

「……」

 返す言葉が見つからない。かぁっと頬が熱くなる。あまりにも簡潔明瞭に自分を言いまとめられて、ぐうの音も出なかった――的確過ぎて。

「ほらね。夏休み前までの安西だったら、もしこんな言葉を聞いてもしれっとして聞こえない振りしちゃう人だったのに。何ショック受けてんのよ。つか、私ひょっとして地雷踏んだ?」

 踏んだ。大いに、盛大に、思い切り。クリティカルに、地雷どころか最終兵器のボタンを思い切り踏みつけた。

 そんな望の心の声が発せられる代わりに、望の腰掛けていた椅子のひっくり返る大きな音が辺りに轟いた。

 ――パァン!

 椅子の倒れた音に驚いた皆が一斉にこちらへ視線を注ぐ中、盛大な音が学食に響き、一瞬にして食堂が静まり返った。七海の左頬が、あっという間に手形を模して真っ赤な色に染まった。

「見下しているのは、安藤さんの方でしょう。さんざんちゃかした理由が解った気がしたわ。私みたいな腐った人間が、今更メールの一本も送れないとか、なに純情ぶってるんですかー、みたいな。騙されてる相手がお気の毒ー、みたいな……芳音は私なんかに騙されるほどバカじゃないわよっ、芳音をバカにしないでっ、色ボケ女っ」

 あとのことを、望はよく覚えていない。とにかく濡れた頬が気持ち悪かった。叫び過ぎて、喉がひどく痛かった。痛かったのは、喉だけではなかった。髪を引っ張られたような気がする。その日一日頭皮が痛んだ。やたらギャラリーがやかましくなって、それも望をかなりエキサイトさせた。

 そしてとてつもない違和感を覚えたのは、七海が最後に笑ったこと。

「あんたの芳音クンとやらに、会ってみたくなったわ。この私が、絶対トモダチになりたくないタイプって思ってたのがあんただったのに。興味を持たせるような人に改造しちゃうなんて、どんだけ面白い人なんだろね?」

 職員室でこっぴどく叱られ、生徒指導室で反省文を書かされていたとき、彼女がそう言って初めてほかの子にも見せるような笑みを零した。




 それからひと月後。十月の声を聞くころには、制服もブレザーと厚手のスカートに変わる涼しい気候になっていた。文化の秋、読書の秋、スポーツの秋、そして、ごく一部では、失恋の秋とも言うらしい。夏休み明けに臍ピアスをしたと言っていたクラスメートが、今はそれを悔やんで愚痴を零していた。朝から、それも涙目で。更に望の眉をひそめさせるのは、教室ではなく通学路で恥じらいもなく、といった部分だ。望が泰江に申し出て車の送迎から電車通学に切り替えた日を境に、彼女とは同じ電車に乗り合わせるようになった。気が合わないので、普段はもちろん別の車輌に乗る。だが今日は、彼女が遅刻したらしく、同じ車輌に乗り合わせてしまった。

「ってかおい、どこ向いて聞いてんだってば。ちゃんと人の話、聞いてる?」

 あと何駅で救いの扉が開かれるのかと、停車した駅をチェックした瞬間にそう突っ込まれて溜息が出た。

「聞いてるわ。だから、別のお店で出来るだけ早くピアスを塞ぐ方法を教えてもらえば、って言ったでしょう」

「ソッチじゃないっ。この、この……ッ、だめだめグダグダな状態をどうしたらいいのかっていう話の方! もうすぐテストなのに、全然手につかないー! エスカレーターって言っても一応適正試験があるじゃんっ。ヤバいよあたし、どうしよう」

「グダグダをどうしよう、なのか、テストどうしよう、なのか、今ひとつ私には解らないんだけど」

 望は「あとひと駅」という呪文を心の中で唱えながら、彼女に素晴らしく営業的なスマイルを投げ掛けた。

「黙って聞け」

「どうしたらいいかって、今訊いたじゃない」

「く……っ、これだから変に頭のいいヤツは嫌いなのよ。クソ腹の立つっ」

「思うに、その一見バカっぽい言葉遣いがバカを呼び寄せてしまうんじゃないかしら。ナツメさん、先生にはきちんと普通の言葉遣いで話すし、印象もいいわよ。たまに職員室で話題に出てるけど」

「い? なんて?」

「解らないことを放っておかない、粘り強い子だから、なんとか大学へ進ませてやりたい、って」

「うっそ、マジ? ってか、今軽く聞き流して戻って来たけど、あたしのこと、バカって言わなかった?」

 その瞬間に、電車が停まり、救いの扉が全開した。

「あ。早く降りないと」

「待てコラ。話をそらすな、高飛車お嬢」

 同じ制服を着た女子が、最寄駅のホームにどっと溢れ出す。望は罵声を浴びせながらあとを追って来る彼女の手を取り、救いの扉の向こうで自分を待っている、救いの女神を探しながら改札口へ向かう階段を降りた。

「のーぞみー。こっちー!」

 対面する階段の向こうから、大きく手を振る女神がいた。

「おはよー、七海。ナツメさんと一緒ー」

 そう返しながら、彼女と繋いだ手ごと自分の手を振り返す。隣から「げっ」という声が聞こえ、そして向こうで待ち受ける七海の唇も「げっ」とかたどり望を笑わせた。




 木枯らしが吹き出したころ、今更と思いつつも泰江に改めて謝罪した。

「ねえ、お母さん。学校で喧嘩をしてしまったとき、恥ずかしい思いをさせて、ごめんなさい」

 最後のお客を送り出した彼女がデスクに戻るタイミングを見計らい、淹れたての温かなジャスミンティーを彼女の頭上からそっとデスクに置くついでのようにそう言った。

「え~、恥ずかしいかなぁ。私、すごく嬉しかったんだよ?」

「嬉しい? どうして?」

 まあるい笑みを浮かべて見上げて来る彼女が嘘を言っていないと解るので、余計に不思議に思ってそう尋ねた。

「そりゃあね、相手さんや先生方には申し訳ないと思ったけれど。ほかのお母さん方からも、のんちゃんのことを“よく出来たお嬢さんで羨ましい”って誉めていただくたびに、嬉しいけれど寂しかったの。私だけ、娘の失敗でご迷惑を掛けた方に謝る、って経験が一度もなかったんだもの」

 泰江はついと視線をそらし、ティーカップにそっと口をつけた。

「はぁ~、おいし。こういう思いをさせてもらえているのも、私だけ。子どもって、無茶したり親を困らせたり。その大変さももちろん解るつもりでいるけれど。自分のことでいっぱいいっぱいが当たり前なのんちゃんたちの年代って、親の立場から見たら対応が難しくて本当に大変なんだろうな、とも思うけれど。でも、子どもたちがそう出来るのは、親御さんへの甘えや信頼、そういう絆が無意識のうちに安心を与えてくれているからだとも思うのね」

 彼女の言わんとしていることが、解った。望は空になったトレイを抱きしめ、髪でそっと顔を隠したが、口を突いて出そうになった「ごめんなさい」という言葉は呑み込んだ。きっと彼女を余計に落ち込ませるだけだと思ったから。

「初めてのんちゃんのお母さんっていう役目をさせてもらえた気がして、嬉しかったの。のんちゃんが私をお母さんとして受け容れてくれたのかな、なんてね……嬉しかったの。何よりも、それが一番、真っ先に浮かんだの」

 本当は、のんちゃんに喧嘩出来るほどの相手が出来たことを真っ先に喜ぶべきなのだろうけどね、と言って、彼女は苦笑した。

「のんちゃん、忘れないでね。私はいつでも、のんちゃんと芳音君の味方だよ」

 夏休みから口癖になっているその言葉に、芳音の名がつけ加えられていた。

「……ありがとう。お母さん」

 ありったけの気持ちをこめて、満面の笑みをかたどる。慣れない態度にぎこちなさを感じて不安になったが、ほんのりと頬を染めて笑った泰江を見たら、釣られて自然な笑みを浮かべることが出来た。

「やっぱり私は、贅沢だね。そんなのんちゃんが見たかったんだぁ」

 泰江には打ち明けた、翠の遺品のネックレス。それを彼女の前でも普通に身につけた上で、彼女を母と呼ぶ。後ろめたさや罪悪感を見せずに心からの笑みをかたどる。それを喜んでくれる彼女が自分の母親であることこそ、自分には過ぎた贅沢だと思ったが、望はその言葉を自分の心の中にだけ留めておくことにした。

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