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後悔 3

 興信所を営む松野と知り合うきっかけにもなったその一件。薬品特許の関係でよく世話になっている弁護士から紹介されたその男は、特にこれといった特徴のない、どこにでもいそうなサラリーマンにしか見えなかった。満員電車に乗ればすぐに埋もれてしまいそうな、と言えばいいのだろうか。よく言えば、見た目も雰囲気も世間から逸脱することのない、適度に世間を渡れる人柄。ストレートに言えば、平凡過ぎてどこか頼りなさげな男だった。

『松野総合調査事務所代表、松野と申します』

 短く刈込まれた頭髪に数本の白髪がわずかに覗く、四十代半ばから五十路手前ぐらいと思しき彼は、柔和な笑みを浮かべたままさっそく本題へと穂高の弁を促した。

『社員ではなく、直接私にご依頼と承っております。特に極秘を要するという意味合いでしたら、尚のこと包み隠さずそちらの事情をお話し願えますか?』

 そう言って穂高を見据えた途端、彼の表情が一変した。目だけが笑んでいない、あからさまな作り笑い。依頼人に対して不遜なまでに注いで来る品定めの視線。慇懃なほどの敬語を使う点を除けば、どこか既視感を覚える緊張感。それが穂高にひとりの男を思い出させ、同時に松野の第一印象を覆させた。

(……海藤辰巳、と似通った世界の住人か)

 かつて不審を感じた翠の主治医を辰巳に調べてもらった時に抱いた、根拠なき信頼がにわかに湧いた。

『そうですね。ですが、その前に、初歩的な質問にお答えいただきたい。――“どこまで”やっていただけるんですか』

 健全でクリーンな経営をしている者から見れば、この問いは不信を臭わせていると解釈される類の、不快を伴うものだろう。だが、彼は面白い案件を見つけたとばかりに目を細めた。

『ご要望とあらば、“どこまで”でも。ただし、あくまでも詳細を伺った上で私がその気になれば、という条件をご了承いただけた場合に限りますが』

 彼とアポイントを取ってから数日しか過ぎていない。それにも関わらず、既にこちらを調べた上で訪問して来たらしい。彼の手際のよさと、腹立たしいほどの尊大ぶりが、却って穂高をその気にさせた。

『些細な案件と落胆されるかも知れませんが、実は娘に関することで、娘周辺の人物を内々に調べていただきたい』

 交渉が、始まった。


 結論として、松野は穂高の依頼を請け負い、経費として前金を受け取ってから穂高の前を辞した。それからわずか半月ほどで、報告書を手に再び穂高を訪ねて来た。

『畑山聖斗、十八歳……最近のガキは、みんなこうなんか』

 思わず素の表情で地の言葉を吐き捨てる。差し出された報告書をひととおり読んだ直後の感想がそれだった。

 望を襲った犯人は、大学受験に失敗して遊び歩いているものの、周辺の目から見ればごく普通の家庭で育ったという地味な経歴の少年だった。ただ、親や近隣、望と関わる友達などは、彼の裏の顔を知らないようだった。

『小遣い欲しさで安易に手を出す子は多いようです。私にも高校生になったばかりの娘がおりますが、普通の家庭で育った一見普通の子でも、ダイエット感覚で簡単にドラッグに手をつける子がいるらしいです』

 愛想笑いを消した松野が、無表情をかたどった。穂高が主観で称した“無表情”とは、彼の場合堪えた怒りを表していると、その時初めて気がついた。

『お嬢さんの友達、山下カナさんとつき合っている木島義人が、畑山聖斗と古いつき合いとのことです。恐らく会話の中で、お嬢さんが社長の娘さんであると知ったのでしょう。この少年、この半年ほどドラッグの売上を伸ばせていないようで、“上から制裁を受けるから買ってくれ”と泣きつかれた知人も何人かいました』

『泣きつかれた子らは、通報しなかったのか』

『自ら厄介ごとに首を突っ込むほどのバイタリティなど、今の若者にはありませんよ』

『確かに。で、これはつまり、望を手懐けて中学生層にもルートを作ろうと目論んだか、もしくは』

『お嬢さん自身にドラッグの味をしめさせ、コンスタントな売上を目論んだか』

『人の言いなりになる性分ではないと、すぐに判るだろうな。家の娘は、気が強い』

 冷静に努めようと思うのに、語尾が次第に震え出す。組んだ両手の甲に、ぎちりと爪が食い込んだ。

『社長が仰っていたその日、確かにお嬢さんは山下カナと出掛けています。ただし木島義人と畑山聖斗と四人で、ですが。映画のチケットを四枚とも中学生料金で買っています。受け付けた職員が男子二名に学生証の掲示を求めたところ、風貌がどう見ても中学生らしくないのに女子生徒と同じ学生証を持っていたことに不審を覚え、四人の顔を記憶しておりました』

 また、穂高の自宅にほど近い川沿いの土手に、タイヤのスリップ痕があったと証言したのが、犬を夜の散歩に連れていた老人だったとの報告を受けた。事故を心配して犬とともに土手を降りて確認したところ、丈の長い草木がなぎ倒されていたものの、誰もおらず何もなかったのでそのまま警察に届けず帰ったという。

『タイヤ痕は、バイクのようです。細いタイヤ痕だったので、その老人は事故を起こしたバイクが草に隠れて見えないだけではないかと心配して土手下を確認したと言っておりました。畑山聖斗の自宅へ侵入し、バイクの写真を撮って来ました。メーカーにタイヤを照合させてみたところ、タイヤの溝などが一致していました』

 警察に届けられていない。それを幸いとするか、不運とするか、と松野に問い掛けられた。

『問われるまでもない、という答えでは答えになりませんかね?』

 渇いた声が、社長室に響く。

『いえ、充分です。社長とは気が合いそうですね』

 彼はそう言うと、別の封筒を取り出し、応接テーブルの上に滑らせた。

『余計な報告かも知れませんが。罪を贖える年齢ではないと社長が仰るならばと思い、彼のご両親についても一応調べて参りました』

 有名国立大への合格率が高いということで知られている進学塾の名が、畑山夫妻の勤務先として記されていた。畑山夫妻の経歴と、聖斗の父親が職場で起こしたトラブルの詳細も調査されており、その報告書を読み進めるうちに、穂高の眉根が不快げに寄せられた。

『……また、教職者か』

『また、とは?』

 つい口を滑らせ、無駄に松野の関心を引いてしまった。ネグレクトだった翠の両親もまた、学校教諭という肩書きだった。

『いや、他人の子を見るのに精一杯、という教師が多いな、と。子持ちの部下などからも、そういった話をよく耳にしていたので』

『しかし、それは我が子に対する責務を怠っていい理由にはなりませんね』

『ごもっとも』

『本題に戻しましょうか。畑山聖斗の素行を、両親は認識していた模様です。退職金の前払いを申し出て、その金の使途は不明です。その前後、保護者とは考えにくい不審人物が畑山講師を訪ねています。事務の女性が彼らの“これで息子と縁を切って欲しい”と頭を下げている姿を盗み見ていました。その件は塾長に報告されています。畑山夫妻は、次に保護者から芳しい結果が出なかったとクレームが来た場合、退職勧告する旨を申し渡されているようです。母親の方が現在心療内科に通院中。精神安定剤が手離せない状態です』

 精神医学に関することは、得意分野ではありませんか、と松野が意味ありげに呟いた。

『……妻に話す気はありませんよ。女性は分析よりも先に感情が立つ』

 穂高はやはり独り言のようにそう呟くと、ふたつの報告書を手にとり、テーブルの上でひとつの束に整えた。

『先方は、聖斗クンが望と交流のあったこともご存知のようでしたか』

『はい。バイクを修理に出させないのも、物証が外に漏れることを恐れてのことと推察されます。私が安西社長の秘書と偽ってご自宅を訪問した際、顔色を変えて扉を閉ざされました』

『それで松野さんは、先方になんと?』

『近々社長自らが、お互いにとって最善と思われる打診に伺うであろう、と伝えて参りました』

 彼の行動は、パーフェクトなまでに穂高の意向を汲んでいた。どす黒さを伴うゆがんだ悦びが、穂高の顔を左右非対称にゆがませた。

『随分とこちらのプロファイリングが出来ているんですね。趣味が悪い』

『渡部のお家騒動が盛んだった頃に、あなたが起こした傷害事件。当時大学の人文社会学部に在籍していた私にとって、あなたは非常に興味深い“被害者”でしたから』

 渡部で“未婚の母から生まれた、渡部の名を穢す後継者”として一族から疎まれて来た穂高が死を求め、それでも渡部の名を穢さぬようにと自ら命を断つのではなく、敢えて裏社会のクズを挑発して自分を襲わせるよう仕向けた、その精神構造が面白かった。松野は臆面もなくそう言って笑った。

『まさかそんな頃からストーキングされていたとは思いませんでしたよ、松野さん』

 既に過ぎた昔話だ。多少の不快は堪えようと作り笑いを浮かべるが、どうにもぎこちないものになる。

『ストーキングだなんて、人聞きの悪い。ああ、ストーキングで思い出しましたが、お嬢さんは未だに畑山聖斗からストーキング被害を受けているようです。ご注意を』

『!』

 どうにかかたどった作り笑いが、張りついたように固まった。返す言葉も紡げないまま、松野は穂高の前から立ち去った。

 こちらに言葉を出させ、あくまでも自分の立ち位置を受け身に据え置き、回りくどいやり方で自分の意向を伝えて来る。松野の抜け目ないやり口が、久々に穂高の青臭い闘争心を煽った。




 とあるレストランの個室に畑山聖斗の父親を招待したのは、秋の深まった肌寒い夜だった。季節がひとつ巡るほどに実行が遅れたのは、畑山を確実に捕らえるための根回しに時間を要したせいだった。

『御多忙のところ、わざわざご足労いただき恐縮です。初めまして、安西望の父です』

 わざと低姿勢な口調で語り掛け、何も知らずに訪れた畑山の驚愕に満ちた顔へ微笑を投げてやった。

『菱川さん、これは一体、どういうことですか。お宅の息子さんが成績のことで相談があるというから僕は』

『畑山さん、私が無理をお願いしたんですよ』

 菱川という穂高と同世代の男は、美輪メディカルの営業部長のポストにいる。まめに渡部薬品へ日参して来るが、砕けたプライベートの席では少々鼻に突くタイプの男だった。

『彼には公私ともに私もお世話になっているんですよ。特に、子供の進路については先輩なので』

 敢えて菱川へ繋ぐ言葉を託した物言いをする。何も知らない菱川は、恩着せがましく畑山を諭した。

『畑山先生にとっても、いいお話じゃあないですか。ぜひ、安西社長の相談に乗ってやってくださいよ。お嬢さんが今、不登校らしくて、信頼の出来る家庭教師を探しているんですよ。なかなか立場上、じかに名前を出せないということで私を頼ってくれましてね。ね? 社長』

『ええ。おふたりとも、取り敢えずテーブルへどうぞ』

 促すつもりで差し出した穂高の右手が、ほんのわずかに震えていた。


 食卓を囲む三人の中で唯一事情を知らない菱川が、穂高の思惑どおりこちらの流したい情報を勝手に喋ってくれた。

『社長は先輩なんて言ってくれますけど、家は息子だけですからね。娘に対してどう接したら、と相談された時には、お役に立つような話など出来なくて』

 菱川は機関銃のように独擅場を演じる一方で、器用にオードブルを平らげた。

『いえ、息子さんのストライキの話を聞いた時は、菱川さん以上に口うるさい自分だと反省させられましたよ。ただ、さすがに家の場合は、殴り合いで和解という手法をそのまま倣うことが出来なくて。どうしたものかと考えあぐねていたんです』

 愚痴に聞こえるそんな言葉で合いの手を入れながら、冷えたワインに口をつける。そっと畑山を盗み見れば、ほとんど食事に手をつけず俯いたままだった。

『畑山先生、よい家庭教師をご紹介くださってありがとうございます。なかなか優秀な経歴の方ですね。先生の後輩、ですか』

『え、ええ、はい。大学時代の』

 彼はおどおどとした態度をあからさまにし、ごまかすようにオードブルのマリネを頬張った。


 酒がほどよく回り、穂高と菱川の舌をなめらかにさせた。

『仕事を理由に、我が子の変化に気づかないなんて言い訳は通用しませんよね』

 自戒と自省のオブラートに包み、畑山へ糾弾の言葉を口にする。

『いや、確かに。この頃は未成年の犯罪も多くなりましたけど、その責任の一端は親にもある、そう思いますよ。私も息子が加害者にならないかと、ニュースを見るたびに戦々恐々としてしまう』

 菱川の無自覚な追い討ちが、畑山の顔色を青白くさせる。穂高はあくまでも他人事として菱川の私見に言葉を返した。

『それは、どうでしょうか、菱川さん。罪を犯したその贖罪を、親が肩代わりするのは道理じゃない。私はそう思いますよ。教え諭す責任は親や社会にあると思いますが、物事の善悪を判断すること、一線を越えないよう自制すること、これらの欠如がすべて親の責任とするならば、例えば先日起きた大学病院医師の息子が起こした集団リンチ事件、あれもあの医師に全責任がある、ということになる。医師仲間だというある人の話では、彼は非常に子煩悩で、教育に熱心なだけでなく、家族間のコミュニケーションも取れていたのに、と話してくれた彼自身も、かなりの衝撃を受けていました』

『ふむ。要は、本人の気質や生き方の問題、ということなんでしょうかね』

『だからと言って、知らぬ存ぜぬと、親が他人事のように無関心でいていい話でもありませんけどね』

 そんな話題になる頃には、メインディッシュのステーキ皿が下げられる頃合いになっていた。

『畑山先生、あまり食が進まなかったようですね。口に合いませんでしたか?』

 白々しいほどとぼけた口振りで、彼の言葉を催促した。

『あ、いえ。そんなことは。こんな高級な食事を摂る経験があまりないので、緊張しておりまして』

 既に彼の目はあらぬ方へ泳いでいた。彼は決して穂高と視線を合わせようとしなかった。

『無理なお願いをした手前、出来る限りの心づくしをと思ったのですが、却って私にとっても気楽な居酒屋の方がよかったかな』

 意地悪くそう切り返せば、菱川が腹を揺らして豪快に笑った。

『確かに。社長は場所によって口調が変わる。居酒屋でぶっちゃけた話の時には、関西弁丸出しですもんね』

 自分の知りえた情報を語るのが大好きな、お山の大将タイプの菱川が、得意げに穂高の過去話を畑山に語り聞かせた。

『こちらの社長さん、これでも若い頃は随分やんちゃをしていた人でしてね。絡まれたヤクザを相手に、全治半年の重症を負わせる事件で世間を騒がせた、っていう武勇伝があるですよ』

 べらべらと語られたそれは、かつて『週刊エイト』に掲載された記事内容そのままだった。多少の脚色はあったものの、畑山に聞かせるには丁度いい脅し具合だと思い、穂高は口をつぐんで菱川に喋りたいだけ喋らせた。

『当時十八歳の社長が、その若さで警察に言ったんですよね』

 ――渡部の家は一切関係ない。罪に問われるならば、自分自身で責任を取る。渡部の親には知らせるな。

『――って。あれは、正当防衛の確信があっての言葉だったとは読めなかったんですよ、当時の私は』

 おだてて次に待つ商談への布石にするつもりなのか、菱川はそんな形で穂高の持論を暗に求めた。

『週刊誌からの情報を読んだのなら、ご存知でしょう。そこに書かれていたとおりですよ。自分が渡部の実子じゃないと知って自暴自棄になっていた頃で、家出してそいつの女のヒモ生活してましたから。恨まれて当然だし、死んでもいいや、とも考えていたし』

 ――やるなら徹底的にやろうよ、死ぬ気でさ。

 過去に零した言葉を四半世紀ぶりに口にする。畑山の目を見据えながら、逸らす気さえ萎えさせるほどの強さで彼の瞳をまっすぐ捉えた。

『……ってつもりだったのに、釈放されちゃった、という無様な話。武勇伝なんかじゃあないですよ』

 畑山から視線を外し、大袈裟なほど大きな溜息をつく。何も知らない菱川までが、なぜか寡黙になってしまった。

『おふたりとも、何固まってるんですか? 若気の至りって話なだけで、何もあなた方を取って食おうって話じゃあないですよ?』

 絶妙なタイミングでデザートが運ばれて来た。居心地の悪い沈黙が、ギャルソンによるデザートの解説により、再び和やかな雰囲気に戻された。

『あ、の』

 畑山が膝に置いたナフキンをたたみながら、落ちつきのない所作で立ち上がった。

『妻が、今臥せっておりまして。大変申し訳ありませんが、僕はこの辺で』

 しどろもどろにそう釈明する彼の声は、滑稽なほど裏返っていた。

『あ、安西さん。また後輩から直接お電話するよう伝えておきますので』

 言葉半ばで後ずさりし始める彼に、穂高は茶封筒を差し出して引き止めた。

『それは配慮が足らず、すみませんでした。娘に関する資料です。畑山さんに確認していただきたく』

 おずおずと近づき、封筒を手にした彼へ、菱川には聞かれないほどの小声で畑山にとどめを刺した。

(聖斗クンには娘がお世話になりました。あなたの親としての有りようを、今後も拝見させていただきますよ)

 そう囁きながら、茶封筒を人差し指でコツリと数回指し示した。

『し、つれい、しま、す』

 肌寒い季節にも関わらず、畑山の額に浮かんだ汗の玉が、いく筋も鈍く伝い落ちていった。

『なんだ? 先生、ちょっと様子がおかしかったな』

 ふたりきりになった個室で、菱川が釈然としない表情でそう零した。

『奥さんが心配で仕方がなかったんでしょう。ところで、ライフメディカルと共同研究していた例の薬の件ですが』

『あ、はい。無事審査がとおりまして。渡部薬品さんに、治験薬として国立医大へご紹介いただけないかと――』

 それまでの一時間強ほどの時間が最初からなかったかのように、ふたりは商談の話へ移行した。

 畑山に手渡した茶封筒。中身は松野が調べた調査結果のコピーだった。




 それから、数週間後の年の暮れ、朝刊の地方ニュースの枠にひとつの事件が小さく掲載されていた。

“一家心中か?! 進学塾講師、息子と妻を撲殺して自殺”

 被害者は畑山聖斗と、その母親。容疑者とされる男の顔写真は若い頃のものと思われる。間近で見たあの顔よりも、随分と正義感溢れる精悍な顔立ちで写っていた。

『……一家仲よく死に逃げ、か』

 新聞を持つ手が、震えた。予想以上の早さと、想定外の結末、そして何より望んでいたはずの犯人の死を目の当たりにした自分の抱く心境に。

(……これが、俺の望んでいたことか?)

 古傷が、疼き出す。翠を死んだ方がマシな目に遭わせた当人たちが、一人残らず既に他界していたと知った時に味わった口惜しさとよく似た感情が穂高を襲っていた。

 ――本当は、死んでも贖えないんだよ。

 翠を辱めた彼女の兄に吐いた辰巳の言葉が、数十年ぶりにリピートされた。

『何が……したかってん、自分』

 望は近場へ買い物に出る程度には回復の兆しが見えていたが、事件から四ヶ月経とうとしているその頃になっても、穂高と過ごす自宅マンションに戻ることを拒み続けていた。

 ――矛先が私じゃないだけで、パパだって、男だわ。

 望を預けた貴美子から、彼女がそう零したと知らされた。泰江との面会も固く拒んでいた。

 何ひとつ変わらない現実。壊れてしまった帰る場所。不安げに問い詰める泰江に重ねていく下手な嘘。

『く……そッ』

 まだ読み終えていない朝刊が、まっぷたつに引き裂かれた。

 殺しても、死んでも、留まることを知らない憎悪。穂高はそれを自覚した瞬間、そんな自分に吐き気を催した。

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