大人のやり方 2
長い梅雨が過ぎ、ようやく訪れた夏休み。芳音は、数ヶ所分の学校案内資料と説明会参加の整理番号などの、必要アイテムをバックパックに詰め込んだ。一泊分のネットカフェ滞在費をもう一度だけ確認する。不在の理由を克美にどう告げようか。考えた末、藪診療所の助手、赤木総司に事情を話してアリバイを頼み、彼の家で過ごしていることにした。
『まったく。家の子たちの子守をだしにするなんて』
そう言いながらも許してくれるのは、赤木も克美のこれまでの既往歴や現状を知っているからだ。小学生と保育園年長組になる赤木の子供たちに土産を買って来ると約束し、遠回りながらも温泉街へ立ち寄ってから再びバイクで松本駅を目指した。
待ちに待った今日という日。今日中に二校の学校巡りをしてから不動産屋を当たり、翌日別の学校の説明会に参加し終えたら。そうしたら、やっと望にまた会える。そのままここへ連れ帰って来れる。ふたりで、また懐かしい時間をあの別荘で少しの間だけでも、過ごせる。
「うしっ、いざ、推して参るッ!」
一瞬過ぎったネガティブな発想が、芳音にそんな言葉を吐き出させた。
その後、北城の件がどうなったのか解らない。藪に一度だけ尋ねたら、すごい形相で睨み返され、無言という答えを返された。部外者扱いなのか子供扱いなのかも分からないまま、何も知らされない日々だけが過ぎていた。
自分とよく似た大人の顔が嫌な意味で脳裏を過ぎる。関西弁で容赦なく芳音を罵る彼が、何度夢の中に出て来たかさえ、もう数え切れなくなっていた。
それでも、元に戻りたかった。完全な元どおりが叶わないとしても。せめて望とだけは、昔のような形に戻りたかった。
正午を迎える少し前、ようやく渋谷の駅に降り立った。とにかく迷子タイムはなんとしても避けなくては。そんな弱気な田舎根性が、芳音に拠点の場として見知った土地を選ばせた。
「うぉ、あぢぃ……」
信州とは、暑さの種類が違う。皮膚呼吸さえ阻みそうなほど全身にまとわりついて、むせ返りたくなる重たい空気。十二年ぶりに味わう東京の夏は、妙に上がっていた芳音のテンションを一気に半減させた。
正面改札口を出て、センター街を目指す。スクランブル交差点で青信号を待っていると、巨大スクリーンから流れる音声が鼓膜を破りかねないボリュームでCMを垂れ流していた。なんとなくその画面を見上げて青を待つ。切り替わった画面と同時に、芳音の耳に馴染みの深いアップビートのメロディとシャウトの歌が轟いた。
(あ。サンパギータだ)
それは圭吾をバンド結成に駆り立てた四人組のアーティストグループの名だ。日本で今トップと謳われている彼らの曲は、芳音もどちらかと言えば好きな方だった。
だがそれに浮きだったのは一瞬のことで、あっという間にスクリーンを埋め尽くす宣伝テロップの方へ意識を向けさせられた。
“Watanabe Medicine & Daiko Publication Presents”
“サンパギータの生みの親・北城大樹が、次はキミを掴まえに行く!!”
オーディション会場とされた都市名が、次々と浮かんでは消えていく。
「うそぉ、選考会場全四十ヶ所って、何それ」
芳音の前で退屈そうに信号待ちをしていたカップルの女の方が、同じものを見上げて呆れ声を漏らした。
「っていうか、公開オーディション観覧権って、なんだそりゃ」
もう片方の男が口にした直後、その問いに答えるようようなタイミングで、派手な文字色のテロップが芳音もよく知る音楽雑誌の名前を浮かび上がらせた。
“詳しくは、本日発売の『Mashup!!』で!(シリアルナンバー付)”
その雑誌の購買意欲を煽るように、サンパギータの女性ボーカル、アルがカメラ目線で微笑とウィンクを投げ掛ける。
『キミ達と間近な距離で会える日を、楽しみに待ってるよ!』
彼女がそれだけ告げると、真っ赤な画面いっぱいに
“公開オーディションプロジェクト・本日始動!”
の荒ぶる白い筆文字が踊った。
「え、間近って」
別のところから声がする。歩行者信号の青を告げる電子音がその声に被さり、芳音を我に返らせた。
(『Mashup!!』……買わなくちゃ)
人の流れに押されながら、センター街から原宿方面に向かうとおり沿いへと行き先を変えて歩き出した。一番近い書店に入り、目的の雑誌を急いで探す。サンパギータの表紙と『封入特典!! 公開オーディション応募シリアルナンバー』の煽り文句が、その雑誌の発見を容易にさせた。
(ギリ、セーフ)
まだ昼を回る前なのに、その雑誌が残り一冊になっていた。芳音は慌ててそれを手に取り、念のために数冊の経済関連の雑誌とゴシップ誌も同時にレジへ持っていった。もどかしい思いで店員から釣り銭を受け取ると、すぐに座れそうな目ぼしいスタンドコーヒーショップに入った。手軽過ぎるランチもそこそこに、芳音はまずキーアイテムと思える『Mashup!!』の封を解いた。
なかなか手に入らない、サンパギータのライブチケット。今回の公開オーディションは“沖縄支援チャリティ企画”と銘打たれていた。三千円で一般入場者にチケットを販売し、その売上金を昨年の今日に沖縄を襲った巨大台風被害の復興支援金として全額寄付されるらしい。
シリアルナンバーを添付したデモテープはすべてホリエプロダクションの美女木社長がじかに審査するらしい。その一次審査を通過したアーティストたちが、全国四十ヶ所に分けられた二次審査会場への参加資格を得る。協賛企業が彼らの交通費を負担の上、沖縄で公開オーディションが開催されることも決定事項として記されていた。二次審査会場では協賛企業から各二名、ホリエプロから五人の役員が審査員になるととともに、サンパギータの面々もそこに加わるようだ。
(なるほど。間近な距離で待ってるって、そういう意味か)
その程度の認識でつらつらとその記事を読み進めていった。
(最終選考で、サンパギータと、セッション?)
公開オーディションの真意に初めて気づく。バンドに興味のない一般のファンにとっても、サンパギータの生演奏をこの破格値で見られるのなら、往復の交通費くらい出しそうだ。雑誌付録のシリアルナンバーは、最終選考日に限定されたホテル一泊招待券の抽選ナンバーを兼ねていた。
(なんでここまで? 赤字だろ? 協賛企業って、まさか)
サンパギータの四人が沖縄出身だというのは、芳音も圭吾から聞いて知っていた。だが、一アーティストのためにここまでするのは普通じゃない。
巨大スクリーンに一瞬映ったアルファベットの会社名。見間違い且つ同名別会社でない限り、渡部、と読めた気がする。そして今手にしているこの音楽雑誌、『Mashup!!』は大公出版発行の雑誌だ。
頭がくらくらとして来る。芳音はグラスに残っていたアイスコーヒーを一気に流し込み、大きく息を吐き出した。再び雑誌に視線を落とす。画策めいた不審な点がないかを調べるようにくまなく読み漁った。
――ちっさいハコで歌うのは何年ぶりだろう、ってワクワクしてる。
またみんなの顔が見える場所から、みんなと一緒に歌えるんだよ。今からすっごく楽しみ。
二次、三次選考のときは、もちろんあたしたちも未来の後輩を見に行くよ!
一緒に沖縄の空の下でシャウトしようね! 【アル】
――俺らが去年の秋に発表した、初めてのバラード『Kana-Sand』。
実は“かなさんどー”、愛してる、という沖縄の言葉。
俺ららしくない甘ったるい歌詞も、みんな受け容れてくれて嬉しかった。
俺らの故郷のことも同じように愛してくれると嬉しい。 【フラン】
――一番被害の大きかった波照間島は、俺たちが中学まで育った場所。
そこで最終選考が行なわれるって聞いて、すごく今から楽しみだ。
俺らとセッションするのは、誰なんだろうな。
ひとりでも多くの人に、再生した沖縄と初セッションのステージを見に来て欲しい。 【イザヤ】
――ほかのメンバーみたいに、うまいことは言えないけど。
賑やか大好き、お祭り大好き。
沖縄魂が今俺の中で踊ってる!
みんなと一緒にこのテンションを沖縄へ届けに行けたらいいな。 【グッシー】
ホリエプロダクションの看板アーティストとも言えるサンパギータのひとりひとりが、顔写真とともに綴る純粋なメッセージ。そこに策略めいた臭いは感じられない。そのあとに掲載されたホリエプロダクションの美女木社長のメッセージからも、特にこれといった不審な点は見い出せなかった。ただ。
『ちゅらBLOG――北城大樹の沖縄日誌で、沖縄の現在を毎日更新中。着々とプロジェクトは動いてますよ。是非こちらにもアクセスしてくださいね!』
「沖縄に、いるのか」
スカウトマン、企画部長だったあの北城が、裏方紛いの仕事をしている。その点が、不審と言えば不審に見えた。携帯電話からそのブログにアクセスする気にはなれなかった。一度硬く瞼を閉じて、こめかみに走る頭痛をぐっと堪える。気を落ち着けるために深呼吸を二度、三度。北城、という名前を見ただけで自分が別の何かに変わってしまいそうな感覚に陥っていた。
『Mashup!!』を脇に置き、大公出版発行の『週刊女性エイト』に手をつける。こちらもくまなく記事に目を凝らしたが、芳音が心配していた望に関するゴシップもなければ、渡部薬品に関するゴシップも掲載されていなかった。
芳音はそれを『Mashup!!』の上に放り投げ、最後の一冊、同出版社から発行されている経済雑誌を開いて目的の記事の有無を目次で確認した。
(……あった)
大々的な特集記事ではなく、連載コーナーのサブタイトルに“渡部薬品”の名を見つけた。そのページを開けば、ページの半分以上を文字が覆い尽くす見慣れない小難しい記事。インタビュー時の写真が数枚掲載されていた。
「……」
相変わらずと言えば相変わらずの不遜な笑みが、十二年前より少しだけ年を重ねた面差しに宿っている。医療雑学ジャンルのバラエティ番組で、薬学や薬品流通についての解説員としてテレビに顔を出していた十年ほど前とさほど変わらない風貌を保つ穂高が映っていた。
芳音は『異種業界への進出劇――渡部薬品・安西社長がその真意を語る』と題された記事本文へ目を通した。
――老舗の渡部薬品は、安西社長の代になって以降、大改革とも言うべき指針の変換を感じさせる異業種参画を続けていますが、一部では安西社長のワンマン経営、渡部薬品先代以前の経営方針と根本は何も変わっていないのではないか、という批判の声も聞こえて来ます。安西さんはその辺りを、どう受けとめていらっしゃいますか?
安西 言葉のままに(笑)
ただ、それは事実じゃあない。経営陣にいる渡部一族は、現在私のみですし。会長の久我も、故人となった私の前妻と養子縁組をした手前、戸籍上は身内と解釈されがちですが、むしろあの人が一番私に咬みつく厄介な姑ですよ(笑)
――そうなんですか(笑)五年前に彼女を代表取締役として設立したクガフーズも、現在好調な伸びを示していますね。多角経営によるシナジー効果を見込んだ食品業界への進出は、健康食品の共同開発により、ここに来て見事に花開きましたね。
安西 親ばか、婆ばかな話で恐縮ですが、きっかけは娘だったんですよ(笑)とにかく食うのが好きな娘で、反抗期の始まった彼女の機嫌取りに悩んで同世代の役員に愚痴を零したことから、あのプロジェクトが構想された、という(笑)ふたを開けてみれば、なんとも情けない発端でしょう?
――いえいえ、そんなこと(笑)
安西 でも、すべての基本はお客さま個々の生活から消費が生み出されます。机上で理屈を捏ね回しているだけでは画期的な新規プランは浮かばないものだ、というのが私の持論です。今の渡部薬品は、下からの意見の吸い上げ、つまり全社員がある意味で総経営陣とも言える企業です。
――なるほど、その一環で、今回の音楽業界への参入も?
安西 いきなり核心を突いて来ましたね(笑)
――まだシークレットなんですよね。敢えてどことはお尋ねしませんが、クガフーズのときとは異なり、かなり高リスクの展開ではないか、と。既に情報をキャッチしている投資家たちの間では、渡部薬品株そのものに不安を覚える声も上がっています。
安西 でしょうね(苦笑)さすがに今回のプロジェクトは、先ほど話した日常会話が発端ではなく、もう少し別の角度から考えた末の展開です。
渡部薬品では、国内に於ける各種災害時に先立って物資や義捐金の支援を行なっております。まあ減税対策と揶揄されているので、その辺はそちらもとっくにご存知ですよね(笑)
――ええ、まあそういう噂は(担当、タジタジ)
安西 私が就任して以来、そういった活動を続けて来た中で、疑問や問題と感じられる点が幾つかありまして。
一点は、支援がどうしても一次的になってしまうこと。それは、そちら、マスコミさんにも一因があると思うんですよ(笑)
――あはは……返す言葉もありません(苦笑)
安西 需要があって供給があるので、一方的にそちらさんを責め立てることも出来ませんが。企業の性で、致し方ない部分があるとは思うものの、私個人としてそんな現状をどうにも承服出来なくて。しかし支援にも限界があり、こちらもやむを得ず支援を終了させることばかりでした。ある程度まで復興すると、もう医薬品や食料品の支援は必要なくなってしまうんですよね。だけど、真の復興までは、まだまだ問題が山積している。経済を回すためには、産地であれば漁港、農地などの復旧が完遂されていなくてはならない。渡部薬品や同業の賛同企業だけではどうにも出来ない部分です。
――それで、異業種への進出を?
安西 そうですね。そういった思いが個人としてはあります。実現が伴っていない今、偉そうに語ってはいけないんでしょうけどね。
もう一点が、付随する話になるのでしょうが、被災された方々は、いつまでも支援を必要とはしない。ある一定の時期を過ぎると、その善意が重荷になる。それに気づいた当初、私は相当愚鈍な自分を恥じました。
――愚鈍、ですか? 善意を行動に起こせる人など、一般には賞賛に値すると思っていたのですが。
安西 賞賛どころか、相互扶助で当然の行いだと思いますよ。それまで彼らの生み出したもので潤った生活をしているのが我々じゃあありませんか。
彼らが支援のお陰で人としての生活をある一定まで確保出来たところで、ふと気づいてしまうらしいのです。いつまでも人に寄りかかっている自分という存在の無力さや罪悪感、なす術のなかった災害への憤り。それらがゆがみを伴い、彼らの自尊心を傷つけます。働けない環境が、ろくなことを考えさせないんです。
彼らは、自立したいと思考や思いに心をシフトさせていきます。だが現実に転がっているのは、災害による被害で失った財産、勤め先、土地、家族……収入源、というシビアな問題に、個々では立ち向かい切れない。
上からの奢った視点で物を言っていると捉えられるのを覚悟で述べさせてもらえば、小さな積み重ねで恩恵を施して来てくれた彼らに、我々がそんな時こそ一括返済しないで一体いつします?
――まさか、安西さんは、全ての業界を網羅しようと考えていらっしゃるんですか?
安西 私が、ではありませんよ。少なくても渡部薬品の経営陣の大半がそう考えています。若手を多く起用しましたし、社員一丸と認識しています。そして渡部薬品だけでもない。各業界の同意している企業間では、互いが手を取り合い得意分野で貢献出来れば、と考えています。中期的に見れば損益に見えるでしょうが、長期で見れば全体を潤す金になる。あ、ちなみに乗っ取りではありません(笑)基本は提携、ということになるでしょう。共倒れはお互いにとってリスクが高過ぎますからね。
――……。(担当、言葉が浮かばず)
安西 めっちゃドリームでしょう(笑)いつまでも、夢見てる子供でいたいんですね、きっと自分は。
共感してくれる若い部下や、同世代でも諦めの知らない気の若い連中ってのは、老人よりもはるかに世間を動かしてくれるんで、信じさせてもらってます。
――若い世代、それが今回のプロジェクトのキーワード、ですか?
安西 そうですね。先般台風被害で一次は壊滅と絶望視された沖縄ですが、ひょんなことから、そちら方面の関連会社と面白い形で繋がれましてね。ええと、今日は何日でしたっけ?
――七月三日、ですね。
安西 じゃあ、今月か。今月末、先方から正式に発表されると思いますよ。今回はあくまでも裏方として渡部薬品は動きます。一部で言われているような道場破りめいた企業乗っ取りでもなければ、多角経営によるリスク分散という保身でもありません。渡部薬品は、見てのとおり安定した経営を続けています。
と、こんな感じで少しは投資家の不安を軽減させること出来ましたか?(爆笑)
――そんなことを言ってしまっては、全部嘘に聞こえてしまいますよ(笑)突然の取材申し込みにご快諾くださってありがとうございました。
最後にひとつだけ、私個人としてちょっと伺いたいのですが、いいですか?
安西 どうぞ(笑)
――何が安西さんを、そこまで支援に突き動かすのですか?
安西 ……(長い沈黙)
一番なんでも出来る若い時分に全部諦めて、動くことをサボっていたから、でしょうかね?
自分が出来ること、自分にしか出来ないこと、今しか出来ないこと、今出来ること。やらないときっとあとで必ずあなたが後悔する。亡くなった前妻も、そして今自分を支えてくれている現在の妻も、ふたりしてそう発破を掛け続けるので、投げ出す権利が自分にはない、という(苦笑)カミさんの尻に敷かれている、情けない亭主なんですよ、実は(笑)
――まさか最後にノロケを聞かせていただけるとは思いませんでした(笑)
そういえば、奥さまはカウンセラーをなさっているとか。渡部薬品が無機質な企業でない印象なのは、奥さまの内助の功によるものなんですね(笑)
安西 社員全員の配偶者の功、ですよ(笑)根がしっかり張っていれば、幹も葉も花も立派に育つ。社員あってこその企業です。今後も、異論や疑問の声には真摯に耳を傾け、今回のようにきちんと釈明させていただくつもりなので、またこういう場をよろしくお願いします。
――こちらこそ、貴重なお時間とお話をありがとうございました。
パタンと雑誌を閉じる。小さなその揺れが、すっかり空になったアイスコーヒーのグラスで暇を持て余している氷を、からんと一度踊らせた。
「……ペテン師」
苦々しげに、独り呟く。強く奥歯を噛みしめる。
記事に書かれていた“ひょんなこと”とは、藪が伝えたあの電話から、事実関係を調べてホリエプロダクションをターゲットしたことを言っているに違いない。
北城にどうアプローチを掛けて、二度と望に近づかせないようにしようかと考えていた芳音に対し、穂高はその上を取り込む形で、しかもたったの数ヶ月で北城を物理的にも社会的にも望の周辺から排除した。
――自分が出来ること、自分にしか出来ないこと、今しか出来ないこと、今出来ること。
フォントで綴られただけなのに、余裕たっぷりな笑みを零しながらそう言ったであろう姿が目に浮かぶ。望の、如いては穂高にとってマイナスになる要因を一切表沙汰にさせないだけでなく、逆にそれを利用して自社の利益に変換させたやり口に、大人ならではの汚さを感じた。だが同時に痛感させられる。望や自分がどう思おうと、まだ望は穂高の庇護の下にいる。自分はどうしてやることも出来なかった。何も出来ないまま、終わってしまった。
「……っくしょう……」
自分の非力さが、芳音の握った掌に爪を食い込ませた。