恋愛小説 【時の狭間】
夕暮れの駅前。
修二は、なぜか足を止めていた。
理由は分からない。
ただ、「ここで待たなければならない気がした」。
「……すみません」
背後から声がした。
振り向くと、見知らぬ女性が立っていた。
年の頃は同じくらい。だが、どこか浮世離れした佇まいだった。
「初めてお会いしますよね?」
修二がそう言うと、彼女は少し困ったように微笑んだ。
「ええ。でも……お久しぶりです、と言ったほうが正しいかもしれません」
「……?」
彼女は名を名乗った。
「恵と申します」
その瞬間、胸の奥が軋んだ。
理由のない懐かしさ。
ずっと呼び続けていた名前を、ようやく思い出したような感覚。
「前にも……会ったこと、あります?」
修二が尋ねると、恵は首を振る。
「いいえ。この時代では、今日が初めてです」
「この時代?」
修二は笑ったつもりだったが、声が少し震えた。
「変な言い方ですね」
「そうですね。でも、私にとっては大切な言い方なんです」
二人は自然に会話を重ね、何度も会うようになった。
だが、恵の言葉は時折、時代からずれていた。
「それ、今は普通そう言いますよ」
修二がそう言うと、恵は驚いた顔をする。
「……そうでしたか。すみません。癖でかたじけない。」
「江戸時代みたいな言い回し、しますよね」
冗談半分で言うと、恵は一瞬、遠くを見る目をした。
「……懐かしいですから」
「え?」
「いえ、何でもありません」
ある夜、修二は思い切って聞いた。
「恵さんって……何者なんですか?」
沈黙。
風が木々を揺らす音だけが流れた。
「修二さんは、運命を信じますか?」
「信じてないですね。偶然の積み重ねだと思ってます」
「では……二百年待ち続けた想いは?」
修二は息を呑んだ。
「待ちに待った二百年越しの恋が、やっと成就するんです」
「……冗談ですよね?」
恵は首を振った。
「私は、過去に江戸で生きていました。あなたと私は、江戸の町で、火に包まれて手を繋ぎ死にました。」
「……やめてください」
「でも、名だけは残った。想いと一緒に」
修二は、信じられない話を聞いているはずなのに、
不思議と否定する言葉が出なかった。
やがて二人は結婚を決める。
式の前夜、修二はもう一度問いただした。
「全部……話してくれますか」
恵は白無垢の袖を整えながら、静かに語り始めた。
「私は、江戸の大火で亡くなった祖先の“名”です。
炎の中で、愛する人に想いを伝えられなかった」
「それが……俺?」
「ええ。あなたの祖先です」
修二は立ち上がった。
「じゃあ……その火事は?」
「起こしたのは、私の親友でした。矢代という名の人です」
その名を聞いた瞬間、修二の背筋が凍った。
「……矢代は、俺の家の古い記録にも残ってる」
「そうでしょうね。だから、時は歪んだ」
二百年の憎しみ。
二百年の後悔。
二百年の想い。
それらが、修二と恵を再び引き合わせた。
式の日、恵は修二の手を強く握った。
「怖いですか?」
「正直……少し」
「それでも、越えてくれますか」
修二は答えた。
「二百年待ったなら……
これからは一緒に生きよう」
その瞬間、どこか遠くで火の音が消え、
鈴の音が鳴った。
過去は赦され、未来は静かに動き出す。
そして時の狭間は、ようやく閉じられた。
【時の狭間】完




