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第10話「邪神の影~農地を蝕むもの~」

 魔法灌漑システムのおかげで、ローレンツ領は大旱魃を乗り越え、王国中の難民を受け入れる巨大な避難所となっていた。俺たちの領地だけが緑を保ち、豊かな収穫を続けている。それは誇らしいことであると同時に、奇妙なことでもあった。

 なぜ、これほどまでの異常気象が起きているのか。その根本的な原因が、誰にも分からなかったのだ。


 そんなある日、領地で新たな異変が起きた。

 あれほど青々と育っていた魔導稲の一部が、一夜にして黒く変色し、枯れ果ててしまったのだ。

 まるで、生命力を根こそぎ吸い取られたかのように。


「なんだ、これは……」


 俺は、枯れた稲の根が張っていた土を手に取った。そこには、あるはずの生命の気配が全く感じられない。まるで、以前の不毛な土地に戻ってしまったかのような、死んだ土だった。

 病気や害虫の仕業ではない。もっと根源的な、土地そのものの汚染。

 その現象は、日を追うごとに、領内のあちこちへと広がっていった。緑の楽園だったローレンツ領が、黒いシミに侵食されていくように。


 領民たちの間に、不吉な噂が流れ始めた。


「邪神の呪いだ……」


「我らだけが豊かになったことへの、神の怒りじゃ……」


 不安と恐怖が、人々の心を蝕んでいく。俺は、科学的なアプローチで原因を突き止めようと、土壌の成分分析などを試みたが、全く手がかりは掴めなかった。前世の知識が、初めて通用しない壁にぶつかった瞬間だった。


 途方に暮れる俺に、一つの可能性を示してくれたのは、シルヴィアだった。彼女は、黒く汚染された土を手に取ると、眉をひそめて言った。


「ケンイチ様。この気配……私には覚えがあります。これは、『瘴気』です」


「瘴気?」


「ええ。邪悪な存在が放つ、生命を蝕む毒気。かつて、私が神殿にいた頃、邪神の眷属がこの瘴気を振りまき、土地を汚染するのを何度も見てきました」


 シルヴィアの口から、初めて彼女の過去が語られた。彼女は、元は邪神と戦うことを使命とする「神殿騎士」だったのだ。しかし、ある戦いで仲間を全て失い、その無力感から神殿を抜け出し、冒険者になったのだという。


「邪神……。まさか、この大旱魃も、作物が枯れるのも、その邪神とやらが原因だと?」


「可能性は高いです。邪神は、世界の生命力を喰らい、自らの力とします。全ての生命の源である『土』と『水』を汚染し、世界を死へと導くのが、奴らのやり方です」


 シルヴィアの話は、にわかには信じがたいファンタジーだった。だが、目の前で起きている現象は、彼女の言葉を裏付けている。


「どうすれば、この瘴気を払うことができるんだ?」


「神殿の浄化魔法であれば可能ですが、これほど広範囲に汚染されては、気休めにしかなりません。根本的な解決方法はただ一つ……瘴気の源、すなわち邪神の力を弱めることです」


 邪神の力を弱める。そんな途方もないことができるのか。

 俺が悩んでいると、シルヴィアはさらに続けた。


「古文書によれば、邪神の瘴気に対抗できる、聖なる力を持つ植物が存在したと言われています。その植物は、瘴気を吸い取り、代わりに浄化の力を大地に返す……人々はそれを『浄化作物』と呼んだそうです」


 浄化作物。その言葉に、俺の中で何かが繋がった。

 農業コンサルタントとしての知識と経験が、ファンタジーの世界と結びつく。

 植物が土壌の特定の成分を吸収する性質を利用して、汚染された土地を浄化する「ファイトレメディエーション」という技術が、前世にはあった。それと同じだ。

 問題は、その「浄化作物」が何なのか、そして、どこにあるのかだ。


 俺たちは、領地にある古い文献を片っ端から調べ始めた。そして、ついに一冊の古文書の中に、それらしき記述を見つけ出した。

『月の光を浴びて銀色に輝く穂を持つ麦あり。その根は穢れを吸い、その実は聖なる力を宿す。名は、月光麦』

 古文書には、その月光麦の種が、領地の奥深くにある古代遺跡の祭壇に奉られているとも書かれていた。


「これだ……!」


 俺は、シルヴィアとガレン、そしてカールの四人で、古代遺跡へと向かうことを決めた。カールは戦闘員ではないが、彼の商売道具である様々な便利アイテムが、遺跡の罠を突破するのに役立つかもしれない。

 遺跡は、魔物の巣窟と化していた。ガレンが屈強な体で道を切り開き、シルヴィアが魔法と剣技で魔物を薙ぎ払う。カールは持ち前の機転で古代の仕掛けを解き、俺は農業知識(植物の分布から安全な道を見つけるなど)を駆使して、一行を導いた。

 仲間たちとの連携。これまで培ってきた絆が、俺たちを遺跡の最深部へと導いた。


 そして、ついに俺たちは、月光に照らされた美しい祭壇を見つけ出した。

 その中央には、小さな革袋が一つ、静かに置かれていた。中には、銀色に輝く数粒の麦の種。これが、月光麦の種だ。


「よし、これを持ち帰って、育てるぞ!」


 俺たちが種を手にし、遺跡から脱出しようとした、その時。

 遺跡全体が激しく揺れ、瘴気が渦を巻いて、一つの巨大な影を形作った。


「ククク……愚カナ人間ドモメ……我ガ復活ヲ、邪魔サセハシナイ……」


 邪神の眷属が、俺たちの前に姿を現したのだ。

 絶望的な力の差。だが、俺たちの手には、世界を救う希望の種がある。

 この種を、無事に領地まで持ち帰らなければならない。俺は、仲間たちと視線を交わし、覚悟を決めた。

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