第9話:西の道標
本日より、【第三章:因果の残響】が始まります。
人間の「裏切り」という、最も残酷な形で安息の地を追われた二人。 再び死の街へと放り出され、絶望的な逃避行が始まりました。
しかし、あの塔での出来事は、二人の間にあった「亀裂」を焼き尽くし、 歪で、しかし強固な「信頼」を生み出します。
新たな章の始まり。 二人は、この瓦礫の街から、次の一歩を踏み出せるのでしょうか。
塔から逃げ延びた後、二人は何時間、獣のように走り続けたか、もはや定かではなかった。
背後から追ってくる人間の怒声も、前方に待ち構えていたはずのスペクターの気配も、どうやらあの場から動くことはなかったようだ。
彼らは再び、かつて潜んでいた地下聖堂とは別の、完全に崩れ落ちた家屋の地下室で、泥のように眠り、そして、冷たい湿気の中で目を覚ました。
地上からは、相変わらず世界の何かが壊れ続ける音が、地響きとなって遠く響いてくる。
降り積もった沈黙が、この埃っぽい狭い空間を支配していた。
先にその沈黙を破ったのは、エララだった。
「……ごめんなさい」
ぽつりと、か細い声が響く。まるで、この空間に吸い込まれて消えてしまいそうなほどに。
海斗が視線を向けると、エララは膝を抱えたまま、俯いていた。ジャージの袖が、彼女の小さな体を不格好に包んでいる。
「あなたの言う通りでした。私……人の善意を、ただ、信じたかっただけで……」
あの時、塔での生活に偽りの希望を見出し、海斗の警戒心を非難してしまったことを、悔いているのだ。
「いい」
海斗は、短く遮った。
エララが、はっと顔を上げる。
「生きている。それだけで十分だ」
その言葉に、非難の色も、優越感も、一切なかった。
ただ、冷徹な、揺るがしようのない事実があるだけ。
エララは唇をきつく結び、そして、こぼれそうになる何かをこらえるように、静かに、深く頷いた。
彼を疑う言葉も、自分の甘さを嘆く言葉も、もう必要なかった。
あの塔での「裏切り」という名の炎は、二人の間にあった不純物――少女の幻想と、少年の焦燥――を焼き尽くし、歪で、しかし強固な信頼だけを残していた。
彼らは、この絶望的な世界で共に生きる、唯一無二の「共生者」となったのだ。
◇
「この街を出る」
数時間の、休息とは名ばかりの仮眠の後、海斗は告げた。
「塔の奴らに見つかるのも、スペクターに鉢合わせるのも、時間の問題だ。ここももう安全じゃない」
エララは、黙って頷いた。
二人は、王都を囲む外壁の、大きく崩れた場所を目指して移動を開始した。この牢獄のような街から脱出するためだ。
その、外壁近くを偵察していた時だった。
瓦礫の山、その下から、微かなうめき声が聞こえたのは。
「……!」
海斗は咄嗟にエララを庇い、その体を背後に隠す。
塔でのトラウマが、彼の神経を「人間」に対して最大限に警戒させていた。不可視の怪物よりも、今は、同じ人間のほうが恐ろしかった。
だが、声は弱々しく、敵意は感じられない。
警戒を解かぬまま、音を殺して近づくと、そこにいたのは、鎧を無惨に半壊させた一人の兵士だった。
その腹部は、致命的に引き裂かれている。こびりついた血はすでに黒く変色し、もはや助からないことは誰の目にも明らかだった。彼は、この国の紋章を掲げた、王国騎士の一人らしかった。
「……生存者か……」
騎士は、海斗とエララの姿を、霞む目で認めると、血の気の失せた顔で、安堵したように息をついた。
「王都は…もう、終わりだ…だが…」
彼は最後の力を振り絞り、鎧の隙間、懐から何かを取り出そうともがく。
海斗が、その震える手を無言で手伝うと、現れたのは、羊皮紙に描かれた一枚の地図だった。
「西の…山脈を越えろ……」
血の泡が、彼の唇からこぼれる。
「そこに、人類最後の砦…要塞都市『イージス』がある…」
「そこへ…行け……」
それが、彼の最後の言葉だった。
託された地図を握りしめ、海Toは、静かに息を引き取った騎士を見下ろした。
イージス。
それは、ただ当てもなく逃げ続けるだけだった二人の道行きに、初めて灯された、遠い、確かな道標だった。
第9話「西の道標」、お読みいただきありがとうございました。
「生きている。それだけで十分だ」
エララの謝罪を遮った海斗の言葉。 彼らは、ついに本当の意味で、この絶望的な世界で生きる唯一無二の「パートナー」となりました。
そして、瀕死の騎士が託した、一枚の地図。 人類最後の砦、要塞都市『イージス』。
ただ当てもなく逃げるだけだった二人の旅に、初めて明確な「目的地」が示されました。 そこは、本当に安全な場所なのでしょうか。
次回、イージスを目指す二人の過酷な旅路が始まります。 そして、彼らはついに、この世界の「敵」に関する、最初の謎に直面することになります。
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