第5話:希望の狼煙(のろし)
海斗の「勝利」によって、なんとか命を繋いできた二人。 しかし、廃墟の街で手に入る食料にも、ついに限界が見え始めました。 このまま地下室にいても、待っているのは緩やかな「死」です。
じりじりと追い詰められる中、偵察を続けていた海斗が、 遠くの空に「ある可能性」を見つけます。
それは希望か、それとも絶望への入り口か。 二人の、最初の大きな決断が始まります。
あの日を境に、二人の奇妙な共生関係が始まった。
海斗は一日に数回、あの生存のためのスプリントを繰り返した。
石壁の陰で息を殺し、不可視の敵の巡回パターンを読み切り、その空白の数十秒間に、すべてを賭ける。
最短距離で廃墟を駆け抜け、食料品店や、時には無人の家屋から、わずかな乾パンや濁った水を持ち帰る。
エララは、地下聖堂の闇の中、海斗が持ち帰ったそれらを、文句も感謝も言わずに受け取り、静かに口に運んだ。
彼女はもう「なぜ戦わないのか」とは問わなかったし、海斗もまた、必要以上の言葉を口にしなかった。
彼が脱いだジャージは、今や彼女の肩を覆うケープのようになっていた。
冷たく、乾いた、しかし確実な「生存」のための、研ぎ澄まされた関係だった。
だが、その綱渡りも限界に近づいていた。
海斗のスプリントによって確保できる食料は、日に日に少なくなっていたのだ。
荒らされた街で、見つけやすい場所にある食料は、もう尽きかけている。昨日持ち帰れたのは、指の先ほどの乾パンだけだった。
このままでは、遠くないうちに、二人は再びあの動けないほどの飢餓に戻る。
トラックの上とは違う、じりじりと首を絞められるような焦りが、海斗の冷静さを蝕み始めていた。
そんなある日のことだった。
いつものように、地上への出口近くで、息を殺して外を偵察していた海斗は、それを見つけた。
(……煙?)
遥か遠く、この廃墟の街でひときわ高くそびえる、半壊した尖塔。
その頂上付近から、細く、しかし途切れることなく、灰色の狼煙が上がっている。
あれは、単なる火事の煙ではない。
燃え広がる様子も、立ち上る勢いもない。規則正しく、明らかに人の手によって維持された、「生存者」の合図だった。
海斗は、心臓が大きく掴まれたように鼓動するのを感じた。
希望か、それとも――。
脳裏に、あの広場で一瞬にして両断された兵士たちの、生々しい残骸がよぎる。
あるいは、見えない敵が、生き残ったネズミをおびき寄せるために仕掛けた、巧妙な罠か。
だが、どちらにせよ、このまま地下室で、じりじじりと餓死を待つ生活を続けることもできない。
賭けるしかない。
◇
地下聖堂に戻ると、エララは壁に背を預けたまま、海斗の帰りを待っていた。その瞳が、彼の両手が空であることに気づく。
海斗は、前日の残りである乾パンの最後の一欠片を、無言で彼女に渡し、短く告げた。
「遠くの、高い塔の上から狼煙が上がっているのを見た」
エララの肩が、ぴくりと震えた。
「あれは、人の手によるものだ。他の生存者がいる」
海斗は言葉を切り、続けた。
「あそこに行けば、助かるかもしれない。食料も、安全な寝床もあるかもしれない」
「だが」と、彼は暗闇の中でエララの目を真っ直ぐに見据える。
「罠の可能性もある。行った先で、もっと酷い目に遭うかもしれない。あの見えない敵が、あの塔で待ち構えているかもしれない」
それは、選択を迫る言葉だった。
この薄暗い地下室で、尽きかけた食料を分け合い、いつ果てるとも知れない潜伏生活を続けるか。
それとも、危険な賭けに出て、あの狼煙の場所へ向かうか。
エララは、海斗の目をじっと見つめ返した。
彼女の瞳には、もう出会った頃のような非難の色はない。
この数日間の、言葉のない共生で、彼女は理解していた。目の前の少年は、両親が願った「勇者」ではない。自分と同じように、ただ必死で「生きようと」している、孤独な人間なのだと。
エララは、小さな、しかしはっきりとした意志を持って、こくりと頷いた。
その数時間後、二人は地上に出ていた。
もう隠れ潜むのは終わりだ。
目指すのは、瓦礫の街の向こう、黒煙に霞む空へと突き立つ、一本の塔。
そこに希望があるのか、それとも新たな絶望が待っているのか。
今は、誰にも分からなかった。
第5話「希望の狼煙」、お読みいただきありがとうございました。
そして、ここまでが【第一章:廃墟の生存者】となります。 お付き合いいただき、本当にありがとうございます。
隠れ、潜み、ただ耐えるだけだった二人が、ついに危険な「賭け」に出ることを決意しました。 あの塔に、他の生存者はいるのか。 そして、彼らは本当に「味方」なのか――。
次回より、【第二章:生存者の掟】が始まります。 死の世界で、彼らが新たに出会う「人間」とは。 そこは、安息の地となるのでしょうか。
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