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召喚されたら、俺の武器は「逃げ足」だけだった。 〜チートなし陸上選手、少女と二人で絶望世界を生き抜く〜  作者: 品川太朗


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第4話:勝利(スプリント)

冷たい沈黙が支配する地下室で、三日が経過しました。 「見えない敵」に見つかる前に、飢えと渇きという、もう一つの「死」が二人を飲み込もうとしています。


エララが期待した「勇者」にはなれなかった海斗。 しかし、彼もまた「生きる」ことを諦めてはいません。


チート能力を持たない彼が、唯一持っている武器(脚力)を使い、 生きるための「勝利」を掴み取りにいきます。 彼の、命を賭けたスプリントが始まります。

冷たい沈黙が、地下聖堂の空気を石のように固めていた。

三日が過ぎた。

持ち物は、何もない。海斗が纏う薄い陸上用のウェアと、エララの、今はもう泥と埃に汚れた上質なワンピースだけ。ポケットの中で擦れる日本の硬貨は、何の価値も持たない金属片の虚しい重みだ。

水も、食料も、尽きている。

飢えはすでに鋭い痛みの段階を通り過ぎ、内側からじわじわと体温を奪う、鈍い虚脱感に変わっていた。

「……っ」

壁にもたれたエララが、小さく身じろぎする。

その唇は乾ききって白くひび割れ、浅い呼吸を繰り返す彼女は、ぐったりとして意識も朦朧としているようだった。

このままでは、あの「見えない敵」に見つかる前に、飢えと乾きが二人の命を確実に刈り取る。

海斗は、無言で立ち上がった。

危険を承知で、地上へ出る。それ以外に、選択肢はなかった。

「……絶対に、ここを動くな。声も出すな」

力なく頷いたのかどうかも判然としないエララにそう言い残し、海斗は地上へと続く階段を、石を踏む音すら殺して慎重に上った。

昼なお暗い、廃墟の街。

海斗はまず、崩れた壁の陰に身を潜め、埃っぽい地上の空気に肺を慣らしながら、じっと周囲の気配を探った。

世界は、死んだように静まり返っている。

どれくらい経っただろうか。

不意に、大通りの空気が陽炎のように揺らめいた。

来た。例の「見えない敵」。空間の歪みが、まるで決まったルートを巡回する警備員のように、一定の速度で移動していくのが見えた。

(あいつの動きを、読む……!)

その瞬間、海斗の思考が切り替わる。

飢えも、焦りも、絶望も、全てが意識の表面から消え去り、精神が針の先端のように研ぎ澄まされていく。

ここは、400メートルのトラックの上だ。

敵は、隣のレーンを走るライバル。

その呼吸、ストライド、ペース配分。全てを読み切り、自分のリミッターを外し、限界を超えるための一瞬のタイミングを見計らう。

海斗は、心の中で秒数を数え始めた。

歪みが角を曲がってから、再び同じ場所に戻ってくるまでの時間を、呼吸を殺して、何度も、何度も。

(巡回周期は、およそ15分。移動速度は、早歩き程度。ルートは大通りを中心とした円周……)

――勝負は、奴が最も遠ざかる、7分後からの30秒間。

目標は、道の向こう側にある、半壊した食料品店らしき建物。

距離にして、約120メートル。

海斗は息を殺し、心拍を制御する。

クラウチングスタートの要領で、瓦礫の地面に指をかけ、全身の筋肉を瞬発の直前までしなやかに弛緩させた。

今だ。

地面を蹴った。

それは、生存のためのスプリント。

瓦礫の山を避け、崩れた馬車の残骸を跳び越え、最短距離を一直線に駆ける。

風を切る音だけが、耳元を通り過ぎていく。

陸上競技で培った全てが、今、この一瞬に、生きるための技術として結実していた。

およそ15秒で目標の建物に到達。

残りの15秒で、店の中を獣のように素早く確認する。

荒らされていたが、奇跡的に、打ち捨てられた棚の奥に埃を被った乾パンの袋と、半分ほど水が残った瓶を見つけることができた。

すぐに身を翻し、元いた隠れ場所へと全力で戻る。

30秒後、彼は地下聖堂の入り口である壁の陰に滑り込んでいた。息一つ乱れていない。完璧なペース配分だった。

英雄の戦利品には程遠い、みすぼらしい収穫。

だが、それは間違いなく、二人の命を繋ぐための、現実的な「勝利」だった。

地下室に戻ると、エララは眠っているようだった。

物音で目覚めさせないよう、海斗は静かに、手に入れた乾パンと水を傍らに置いた。少し濁った水は、煮沸もしていないから腹を壊すかもしれない。それでも、飲まないよりはマシだ。

ふと、エララの体が、カタカタと小さく震えているのに気がついた。

地下聖堂の空気は、思った以上に体温を奪う。

海斗は無意識に、自分が着ていた薄手のジャージの上着のジッパーを下ろし、脱ぐと、そっと彼女の体の上に掛けてやった。

その布の感触で、エララが、うっすらと目を開けた。

焦点の合わない瞳が、海斗を捉える。

海斗は、バツが悪そうに視線を逸らした。

エララは何も言わなかった。

ただ、自分の体に掛けられた、異世界の匂いがするジャージと、傍らに置かれた食料を、黙って見つめていた。

やがて、彼女はゆっくりと身を起こすと、乾パンの袋に手を伸ばした。

一口、また一口と、その乾いた咀嚼音だけが静かに響く。

文句も、なかった。

だが、感謝の言葉も、なかった。

しかし、海斗の言うことを聞かずに、一人で意地を張ることはもうしなかった。

言葉はない。だが、それは確かな変化だった。

この日を境に、二人の奇妙な共生関係が始まった。

敵を倒す、派手な勝利ではありません。 ですが、これは高槻海斗が、陸上選手として培った全て(分析、ペース配分、瞬発力)を注ぎ込んで掴み取った、現実的な、そして命を繋ぐ「勝利」です。


文句も感謝もない。 けれど、差し出された食料を口にし、掛けられたジャージを無言で受け入れたエララ。 二人の間にあった深い亀裂に、か細いですが、確かな「共生」の橋が架かった瞬間でした。


しかし、このまま地下室に隠れ続けても、いつかは限界が来ます。 そんなある日、偵察を続けていた海斗が、「次」の可能性を見つけます。


次回、二人は新たな賭けに出ます。


もし「海斗ナイスラン!」「二人の関係、どうなる?」と少しでも思っていただけましたら、 【ブックマーク】や【★★★★★】での応援、どうぞよろしくお願いいたします! (皆様の応援が、海斗の次の一歩に繋がります!)

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