第18話:あなたを守る
本日より、ついに【最終章(第八章):終着点】が始まります。 そして、この第18話が、【第一部】の最終回となります。
人類は勝利しました。 地平線を埋め尽くしていた鋼鉄の敵は、もう動かない。 高槻海斗とエララの、長く、過酷だった「逃避行」は、今、ようやく終わろうとしています。
「イージス」は、もう目の前。 二人がたどり着いた「終着点」で、彼らを待つものは。
どうか、彼らの旅の、最後の一歩まで見届けてください。
地鳴りのようだった勝利の雄叫びが、遠い丘の上まで届いてくる。
やがて、その熱狂的な歓声も少しずつ静まり、まるで嘘のような、穏やかな、ありふれた静寂が世界を包み込んだ。
空を覆っていた黒煙は風に流れ、地平線を埋め尽くしていた鋼鉄の津波は、完全にその動きを止めた「モノ」と化している。
終わったのだ。
その事実を実感した瞬間、高槻海斗とエララは、全身を支えていた最後の緊張の糸が切れるように、その場にへたり込んだ。
「……終わった…のですね…」
エララの瞳から、こらえていた涙が、堰を切ったように溢れ出す。
それは、王都で両親を失った時とも、塔で裏切られた時とも違う、ただ、生き延びたことへの、子供のような安堵の涙だった。
海斗は、そんな彼女の小さな背中を、言葉もなく、ただ優しくさすってやる。
彼自身、初めて、思考から「次、どこへ逃げるか」「次の食料は」という生存本能の問いが消えていることに気づいていた。
明日を、考えられる。この先の未来を、想像できる。
暖かいベッド。お腹いっぱいの食事。もう、何からも逃げなくていい日々。
長かった、あまりにも長い旅が、ようやく終わるのだ。
◇
気持ちを落ち着かせた二人は、勝利に沸くイージスへと、最後の一歩を踏み出した。
丘を下り、眼前に広がるのは、先ほどまで死の戦場だった場所。
数千、数万のスペクターが、様々な形で破壊され、沈黙している、広大な鋼鉄の墓場だった。
胴体を両断されたもの、光線に融解されたもの、そして、まるで眠っているかのように、無傷のまま機能を停止しているもの。
二人は、その残骸の間を、縫うようにして歩いていく。
それは、自分たちがこれまで逃げ続けてきた「恐怖」の、亡骸の上を歩く、不思議な感覚だった。
「…見て、カイト! 城門が開いています!」
エララが、まだ涙声のまま、嬉しそうに声を上げた。
イージスの巨大な城門が、ゆっくりと開かれている。城壁の上では、兵士たちが勝利の旗を振っているのが見えた。
門からは、生存者を捜索するためだろうか、一隊の斥候が出てくるのが見える。
安全は、もう目と鼻の先だった。
「すごいな…本当に、勝ったんだな、この世界の人たちは…」
「ええ! これで、もう安心ですね!」
二人の間に、初めて、何の屈託もない、未来だけを見る笑みが浮かぶ。
もう、大丈夫だ。
彼らは、ひときわ大きく破壊されたスペクターの残骸の横を、通り過ぎようとした。
それは指揮官機の護衛だった機体だろうか、胴体は両断され、あの忌まわしい赤い単眼も砕けている。
完全に、ただの鉄屑だった。
その、はずだった。
全ては、一瞬だった。
ガ、と。金属の軋む、小さな、しかし静寂の中ではあまりにも明瞭な音。
統制AIを失い、完全に破壊されたはずの機体が、最後のバックアップ電源と、破損した戦闘プログラムの断片によって、痙攣するように、一瞬だけ再起動した。
その腕部に残された、対人用のヒートブレードが、最も近くにいる生命反応――エララの背中――を、最後のターゲットとして認識した。
「――!」
海斗は、音に反応した。
彼が振り返った時、目にしたのは、背後からエララの小さな背中に振り下ろされようとする、灼熱の刃だった。
考える時間は、なかった。
声を出す暇も、なかった。
彼の体は、思考よりも早く、完璧な反射で動いた。
これまで廃墟で、塔で、渓谷で、何度も、何度も、エララを守るために繰り返してきた、その動き。
ただ、彼女を守るという、そのたった一つの目的のために、彼の肉体は最適化されていた。
彼は、エララの体を、力任せに突き飛ばした。
そして、自分が、その場所に滑り込んだ。
◇
衝撃は、なかった。
ただ、背中に、焼けるような、それでいて何も感じないほどの熱が走っただけだった。
振り下ろされたヒートブレードは、海斗の背中を、その下にある心臓ごと、静かに貫いていた。
最後の一撃を放ったスペクターは、今度こそ完全に沈黙し、その腕をだらりと落とした。
「……え?」
突き飛ばされ、地面に倒れたエララが、何が起きたか分からずに振り返る。
そこには、
胸から赤熱した刃を生やし、
驚いたような顔で、
自分を見つめている、海斗の姿があった。
「……カイト…?」
海斗の膝が、ゆっくりと折れる。
彼は、エララの目の前で、音もなく、崩れ落ちた。
遠くから、異変に気づいたイージスの兵士たちが、何かを叫びながら駆け寄ってくるのが見える。
「いや…いやっ! カイト!」
エララは、血の海に倒れる海斗の体を、必死に抱きかかえる。
傷口からは、おびただしい量の血が、彼女の服を、勝利の地を、赤黒く濡らしていく。
「あ……ぁ……」
海斗の口から、声にならない、空気が漏れる音だけが聞こえる。
彼は、最後の力を振り絞り、エララの頬に手を伸ばそうとした。
だが、その手は、途中で力なく、地面に落ちた。
ただ、その目は、最期の瞬間まで、しっかりとエララの顔を捉え、
そして、ほんの少しだけ、笑ったように見えた。
彼は、世界の英雄ではなかった。
だが、ただ一人の少女を守り抜いた、生存者だった。
「いやあああああああああああああああああああっ!!!!」
少女の絶叫が、勝利に沸いていたはずの、静かな、静かな戦場に、いつまでも、いつまでも、響き渡った。
第18話「あなたを守る」、そして【第一部】最後までお読みいただき、 本当に、本当に、ありがとうございました。
高槻海斗の旅は、ここで終わりました。
彼は、世界を救う英雄ではありませんでした。 最後まで魔法も使えず、剣も振るわなかった。 彼は、ただの「生存者」でした。
そして、その最後の瞬間まで、「ただ一人の少女を守る」という、 彼がこの世界で唯一つ決めた行動原理を、 その命と引き換えに、貫き通しました。
チート能力を持たず、ただひたすらに「逃げ続けた」少年の物語に、 ここまでお付き合いいただけたこと、作者として、言葉にできないほどの感謝でいっぱいです。
高槻海斗の物語は、ここで【完結】です。 しかし、彼の「死」は、 あの「観測者(謎の女性)」が求めた、世界を救うための「トリガー」でした。 あの「移民船団(AI)」が恐れた、因果律の「エラー」でした。
少女の絶叫が、戦場に響き渡ります。 ですが、物語は、まだ終わりません。
次回、【エピローグ】。 彼の死によって、この世界はどう変わるのか。 そして、残された少女・エララの手を引く、あの人物は――。
第一部の結末に、もし何かを感じていただけましたら、 【ブックマーク】や【★★★★★】での評価、そして、 よろしければ感想などで、皆様の声をお聞かせいただけると、 これからの物語を紡ぐ、何よりの力となります。
本当にありがとうございました。 どうか、エピローグでお会いしましょう。




