第10話:吊り橋の奇襲
王都を脱出し、明確な目的地「イージス」を見つけた二人。 過酷な旅の中、互いを助け合う彼らは、真の「パートナー」となりつつあります。
ほんの少しだけ、平穏な時間が流れたかもしれません。 ですが、ここは、あの「見えない敵」が支配する世界です。
彼らの「油断」と「慣れ」を、 鋼鉄の悪魔は、決して見逃しません。
王都を離れると、世界の風景は一変した。
黒煙と瓦礫に支配された「灰色」の世界は、荒涼とした岩と枯れ草がどこまでも続く、「茶色」の荒野へと変わった。
人の気配は完全に消え、時折、空の高い場所を、あの不可視のスペクターが戦闘機のように高速で通過していくのが見えるだけ。その軌跡の下では、風の音しかしない。
二人の過酷な旅が始まった。
しかし、その乾ききった旅の中で、二人の関係は確実に変化していった。
「待って。その草は、食べられます。子供の頃、母様に教わりました。少し苦いですが、根を潰せば……」
「この枝のしなり具合なら、簡単な罠が作れる。ウサギくらいなら捕まるかもしれない。足首を固定するんだ。こうやる」
エララは、かつて両親から授けられたであろう、貴族の娘らしからぬ知識の断片を、飢えの中で必死に思い出し、海斗を助けた。
海斗は、そんな彼女を信頼し、自分が持つ生存のための技術――音を殺す歩き方、獲物の痕跡の読み方――を惜しみなく教えた。
夜、小さな焚き火(敵に見つからないよう、岩陰で最小限に)を囲む時も、会話はほとんどない。
だが、その沈黙は、地下聖堂で感じた冷たい亀裂とは異なっていた。
パチリ、と枯れ枝が爆ぜる音。互いの呼吸の音。そして、自分の背中を預ける相手が、すぐそこにいるという確かな感覚。それは、奇妙なまでに心地よかった。
あの塔での裏切りが、皮肉にも二人を本物の「パートナー」にしていた。
騎士の地図によれば、王都を離脱した彼らは、スペクターの主要な「巡回ルート」からも外れているはずだった。
事実、この十日間、あの忌まわしい空間の揺らめきを感じたことは一度もなかった。
その、わずかな「慣れ」と、それによって無意識に蓄積された「油断」が、彼らの足元を掬い取ろうとしていた。
◇
旅を始めて、十日が過ぎた頃だった。
古びた渓谷に架かる、一本の吊り橋。
風が吹き抜けるたびに、腐りかけた板がギシギシと不安な音を立てている。
これを渡れば、イージスのある西の山脈はもうすぐのはずだった。
「俺が先に渡る。揺れるから、一本ずつだ」
海斗は、陸上のスタート前のように集中し、腐りかけた板を踏みしめ、慎重に自分の体重移動で安全を確認しながら対岸へ渡った。
「大丈夫だ、来い」
エララが、彼の言葉を信じて、小さな一歩を踏み出す。
彼女が橋の中ほどまで進んだ、その時だった。
ピシュン、という空気を切り裂く、蚊の羽音よりも微かな音。
直後、吊り橋を支えていた対岸(エララ側)の主塔が、閃光と共に爆散した。
狙撃。
あまりにも静かで、正確無比な、スペクターの奇襲だった。
「――ッ!?」
足場が、轟音と共に奈落へと大きく傾く。
バランスを崩し、滑り落ちそうになるエララ。傾斜で加速する重力が、彼女の小さな体を渓谷の底へと引きずり込もうとする。
「エララ!」
海斗は、対岸(自分側)から即座に反応した。
傾く橋の上から、絶望的にこちらへ手を伸ばすエララの体を、力任せに突き飛ばす。それは、助けるためというよりも、ただ遠ざけるための、反射的な行動だった。
その直後。
ズガガガガッ!
海斗の立っていた足場が、背後の岩盤ごと、二射目の光線に抉られ、崩壊した。
一射目とは比較にならない、圧倒的な破壊力。
「きゃあああっ!」
「ぐ、ぁっ……!」
エララは、海斗に突き飛ばされた勢いで、対岸の地面になんとか転がり込んだ。
だが、海斗は、崩落した岩盤の巨大な瓦礫の直撃を受け、なすすべもなく数メートル下の岩場へと落下していった。
全身を襲う、骨が砕け、内臓が破裂するかのような激烈な衝撃。
肺から、全ての空気が叩き出される。
側頭部から、熱い何かが流れ出し、視界を赤く染めていくのが分かった。
視界が急速に霞んでいく。
遠のく意識の中、崖の上から、自分を見下ろす、あの忌まわしい、赤黒い単眼が見えた。
エララの絶叫が、まるで水の中から聞くように、遠く、くぐもって聞こえる。
(ああ……ここまで、か……)
アスリートとして鍛え上げた精神力も、理不尽な死そのものの前では、あまりにも無力だった。
高槻海斗の意識は、深く、冷たい闇へと沈んでいった。
第10話「吊り橋の奇襲」、お読みいただきありがとうございました。
エララを庇い、崖下へ転落し、意識を失う海斗。 そして、崖の上から冷徹に二人を見下ろす、スペクターの赤黒い単眼。
「ここまで、か」
絶望。 チート能力を持たない彼にとって、この状況は「詰み」にしか見えません。 ついに、二人の逃避行も、ここで終わってしまうのか――。
……しかし。 次回、エララの絶叫が響く戦場で、誰も予測しなかった「異変」が起こります。 敵であるスペクターに、原因不明の「エラー」が発生するのです。
この世界の「謎」の核心に触れる、重要な回となります。
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