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29:エピローグ K.H


「來、荷物これで全部か?」

「あ、はい。っていうか自分で持ちますよ」

「いーって、まだ腹に穴開いてんだろ」


 伸びてくる來の腕を簡単に避けてしまうと、慧斗は大きなボストンバッグを肩に病室を出て廊下を歩いていく。続いて後を追いかけてくる來の顔には、新品の大きな眼鏡がかけられていた。


「眼鏡、新しくしたんだな」

「はい。これだけは無いとどうにもならないので」


 そう言いながらしっかりとした足取りで隣を歩く來の姿に、慧斗は密かに胸を撫で下ろす。

 すべてが片付いた直後、救急車を呼ぶ慧斗の傍らで意識を失った來は想像以上に出血していたらしく、病院に運ばれるとすぐさま集中治療室へと担ぎ込まれていった。


 気絶していた加苅も同じ病院へと運ばれてきたものの、彼は手術を必要とするほどの状態ではなく――そうはいっても肋骨骨折の重傷だと聞かされた――慧斗と共に來の治療が終わるのを待ってくれた。

 親族である彼が同席していなければ、慧斗が経過を教えてもらうことはできなかったかもしれない。

 銃弾が貫通した状態だったことも幸いして、手術を終えた來は数日を過ぎてからようやく意識を取り戻した。


 憑りつかれていた上に弾みであったとはいえ、來を撃ってしまったことを加苅はひどく気に病んでいた。

 慧斗だって、自分がもっと別の手段を取っていれば彼が被弾せずに済んだのではないかと、責任を感じて気を落としたものだ。

 被害を受けた來ですらも、自分にもっと力があれば他の手段を選べたと自責を重ねるものだから、病室で顔を突き合わせた三人の空気は、それはそれは重たいものとなってしまう。


『……やめましょう。また憑かれたら困るんで』


 來のその一言で、誰が悪かったのかという責任の追及は以降しないことにした。

 生きているのだからそれでいい。そうして前を向かなければ、(くら)い気持ちに囚われてしまいそうだと、全員が思っていたのだろう。それから経過観察を経て、無事に來の退院が決まったのが今日だった。


 加苅も未だ病み上がりの状態ではあるのだし、特に他から迎えを呼ぶつもりもないという來に、迎えを申し出たのは慧斗の方からだ。


「慧斗さん、忙しくなかったんですか?」

「ん? 忙しいぜ、俺こう見えて就活中だしな」

「なら、わざわざ迎えになんて来なくても……」


 荷物を運ばせた上に迎えの足に使う形になってしまい、來がバツの悪そうな顔をしているのがわかる。けれど、慧斗は気にすることなく病院の外に出ていくと、駐車場に停めてある軽自動車のロックを遠隔操作で解除した。


「……え、車買ったんですか?」

「買うかよ。レンタカーだっての」

「てっきりバイクで来るのかと思ってました」


 迎えに行くとだけ連絡をしていたこともあり、來がそう予想するのも無理はない。後部座席のドアを開けて荷物を載せると、運転席に乗り込んだ慧斗に倣って來も助手席へとその身を滑り込ませる。


「バイクだと荷物載せらんねーだろ。車もたまに乗っとかないと感覚鈍るしな」


 そう言いながら來がシートベルトを装着したのを確認すると、慧斗は小回りの利く小さな車を発進させた。深い傷を負った手のひらは包帯の下で未だに鈍い痛みを訴えるが、我慢できないほどではない。

 広い道路に出て先を走る車の流れに乗ると、前方を見据えながらゆっくりとアクセルペダルを踏み込んでいく。


「そういや加苅さん、おタヌと一緒に暮らし始めたらしいな」

「みたいですね。写真送られてきました」

「加苅さんって猫好きだったんだなあ」


 事件に関する謝罪等の連絡と共に添えられていたのは、気を重くするばかりの報告の中でも数少ない温かな内容だった。


「……結局、事件のことは報道されないままなんだな」


 怪死事件に関する報道は、テレビを点ければ連日どの報道番組でも目にするものだったのだが、正しい情報を伝えている局はただのひとつもない。

 犯人はとっくに国外逃亡したものとして、警察の失態を非難する声は上がっているが、事実がそこにないことを知る者はほんの一握りなのだ。


「公に幽霊の話なんてできないですからね、そういうもんです。ネットの一部では怪異の噂も出回ってはいますけど」


 当たり前のように話す來の横顔を、慧斗は一瞥する。彼の言い方から察するに、これまでに関わった事件でも同様の結末を迎えたことがあったのだろう。

 事件の全容については、憑りつかれていた際の加苅の記憶からの情報と、霊的なものに関する來の知識で流れを掴むことができたらしいと聞いていた。


 愛情を拗らせたセラが宮原妃麻を殺害したことをきっかけとして、蘇った宮原妃麻の霊による事件が発生する。

 一部の霊は自身の死に方を真似る傾向にあり、心臓発作を起こして殺害をした後、被害者の身体の一部を切り取っていった。

 死後の注文と身体の一部を配達したことに関しては、標的である慧斗に自分の存在を認識させることで、己の存在を強める目的があったのではないかと推測される。


 慧斗にとっては些細な親切心からの行動が、これほどまでに大きな執着として周囲を巻き込むことになるとは、あの時は想像もしていなかった。


「……もっと早く気づけてたら、違ったんかな」

「慧斗さん?」

「ずっとそばで見てきたつもりだったけど、セラのこと。何もわかってなかったんだなって思ったよ」


 喧嘩をしたりぶつかることもあった相手だが、心の底から信頼関係が築けていると信じて疑わなかったのだ。

 今でもまだ、彼女があんな風に自分のことを憎んでいただなんて信じられずにいる慧斗は、事件の後も何度も後悔を繰り返していた。


「……もしかすると、セラさんも憑かれていたのかもしれません」


 信号が赤になり、ゆっくりと速度を落としながら車を停止する。自分のことを励ましているのだろうかと來の方を見るのだが、彼は何事かを考えている様子だ。


「本来は咎められるいわれも無い感情を、セラさんは長い間押し込めてきた。その反動は、きっととてつもない大きさになる」

「けど、好きな相手をいきなり盗聴はダメだろ」

「それはそうなんですけど……癇癪(かんしゃく)を起こせば親は叱ったり宥めたりするでしょ。子どもがそうして感情の扱いを学んでいくように、彼女の押し殺した感情の扱い方は、教えてくれる人がいなかったんですよ」


 蓋をした内側から溢れ出した感情は、セラの意思とは無関係に彼女を振り回し、思い通りにならないそれに心がパニックを起こした。そんなセラの心の隙間に悪霊が入り込んだのかもしれないと、來は苦い顔をする。


「真相はもう、僕にもわかりませんけど。お人好しな慧斗さんとずっと一緒だったセラさんが、根っこから悪い人だったとは思えないので」

「お人好しって……そんなことねえと思うけど」

「じゃあ、(たわ)け者ですかね」

「いやなんでだよ!?」

「信号変わりましたよ」


 突然の悪口とも取れる物言いに咄嗟に突っ込みを入れてしまった慧斗は、青に変化した信号に渋々という顔でアクセルを踏む。


「……だってそうでしょ。あんなこと言われて、普通は受け入れないですよ」


 彼のいう言葉がどれを指すのか、始めは思い当たるものがなかった慧斗は、少し記憶を辿ってから廃墟での來とのやり取りを思い出す。

 透明なナイフを手にした來は、宮原妃麻の霊を倒すためにとある提案をしてきたのだ。


『僕に殺されてください』


 はっきりと告げられた言葉は、通常であれば到底受け入れられるものではない。

 実際に慧斗自身も、來の提案の意味が理解できずに説明を乞いたかったのだが、目の前に今にも襲い掛からんとしている宮原妃麻の姿があった。だからこそ、自分自身の直感を信じるままに來の作戦に乗る決断をしたのだ。


「そういえば、あれってどういう仕組みだったんだ?」


 あの後、來がすぐに気絶してしまったので詳細を聞くことができないままだった。物が当たる感覚はあったものの、慧斗の胸には痣ひとつついていない。


「あのナイフは、僕が力を籠めると生きた人間には刺さらない仕組みになってるんですよ。だからセラさんの案を採用して、慧斗さんの死で宮原妃麻を動揺させようと思ったんです」

「スゲーな、そんなことできんのか」

「まあ、僕も初めての試みでしたけど」

「…………は?」


 しれっと告げられる新事実に思わず急ブレーキを踏みそうになるが、どうにか動揺を堪えて運転する慧斗は、無事にアパートまで帰ってくることができた。


「だから言ったんですよ、戯け者だって」


 確証があるものと思って作戦に乗ったというのに、彼にとっても一か八かの賭けだったらしい。今頃自分は生きていなかったかもしれないと考えると、慧斗は改めて自身の胸を撫でて己の無事を確かめる。


「……まあ、お前が信じろって言ったからな」

「え?」

「ダチの言うことは信じる主義なんだよ、俺は」


 はっきりそう告げた慧斗にきょとんと目を丸くした來は、僅かに目尻を色付かせた後に慌てて車を降りていく。

 コインパーキングに停めた車を置いてアパートに到着すると、やるべきことを終えたためか、急に慧斗の腹が空腹を訴え始めた。


「腹減ったな。そういや朝食ってねーわ」

「……迎え来てもらったんで、お礼になにか出前でも取りますか?」

「そーだなあ……って、は……?」


 まずは荷物を部屋に置いてから考えるべきかと視線を落とした慧斗は、目の前の光景に思わず足を止めてしまう。


「慧斗さん? どうし――」


 それを不思議に思った來もまた、彼の視線の先を辿って両眼を見開く。

 慧斗の部屋の玄関の前に、白いビニール袋に入った何かが置かれていたのだ。もちろん注文をした覚えなどあるはずもない。


「っ、マジかよ……!?」


 ボストンバッグを地面に落とした慧斗は、慌ててポケットから取り出したスマホを確認する。

 事件の後に確認をしたデリマスのアプリには、もう死の配達の文字はどこにも表示されていなかったはずだ。けれど、まだ終わっていなかったのかと冷や汗が伝い、震える指が上手く画面を滑らない。

 周囲を警戒する來も眼鏡を外して、現れているかもしれない異変を探ろうとした時だった。


「あっ、すいません! それウチのですぅ……!」


 二人の後ろから大きな声が響いたかと思うと、駆け寄ってきた中年の男性が頭を下げる。

 そうして隣を通り過ぎていくと、玄関前の袋を手に取って中身を確認し、もう一度こちらに向かって会釈をしてきた。


「配達の人が部屋間違えたみたいで、すいませんでしたぁ……!」


 バタバタと慌ただしい男性は一方的な謝罪を済ませると、慧斗の隣の部屋の玄関を開けて、室内へと姿を消していく。

 残された二人は顔を見合わせてから、どちらからともなく気の抜けた笑みをこぼした。


「……っとに、ビビらせんなよ……!」

「慧斗さん、さすがに笑えないです」

「笑ってんじゃねーか! ほら、さっさと部屋行くぞ!」


 拾い上げたボストンバッグの汚れを払うと、慧斗は二段飛ばしで階段を上がって來の部屋を目指す。

 念のためにと視線を落としたスマホの画面には、普段通りのアプリが表示されているだけだった。


 投げて寄越された鍵を使って扉を開けた慧斗は、一足先に部屋の中へと上がり込んでいく。

 続いて自らも部屋へと踏み入れようとした足を止めると、來は背後を振り返る。赤い瞳を凝らしてみても、そこに何かがいるはずもない。


「來ー? 腹減ったって」

「急かしても腹は膨れませんよ」


 待ちきれない様子の声に視線を正面へと戻すと、今度こそ部屋の中に身体を滑り込ませる。ようやく取り戻された平和な日々を邪魔されないよう、來はそっと扉を閉めた。


 たとえ再び、日常が崩れ去るその日がやってくるのだとしても。


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