02:誤配
「マジかよ……これってつまり、誤配ってやつか?」
スマホを操作して注文履歴を見てみても、慧斗が注文したのは間違いなくカツカレーだ。断じてハンバーガーではない。
念のために玄関の外を確認し直してみるが、他に配達されている料理も無ければ配達員の姿も見当たらなかった。
「俺の……カレー……」
画面に表示された『配達完了』の文字を恨みがましく見つめたところで、そこからカレーが現れるわけではない。
部屋に戻った慧斗は、誤配されたハンバーガーをローテーブルの上に乗せて向かい合う。
本来であれば、アプリを通じて誤配を知らせれば正しい商品が届けられるはずだ。しかし、問題は己の今の空腹度合いにある。
配達されたカレーがようやく食べられると期待していたこともあり、慧斗の胃袋は完全に今から食事をするモードに入ってしまっていた。
誤配の連絡をして作り直しをし、届けてもらうまでに再び15分は待つことになる。場合によっては、配達員が確保できずに今以上に時間が延びるリスクもゼロではない。
さらに言えば、二千円近く支払いをしていたのなら意地でもカレーを食べようと行動を起こしていただろうが、この注文はクーポンのお陰でタダになっている。
つまり、本来望んでいた料理を口にすることはできないものの、それ以外に慧斗自身が損をしている部分は無いのだ。
(飲食の誤配って、結局廃棄されるって聞くしな……)
このハンバーガーを注文した人間は他にいて、おそらくその人物も今か今かと料理の到着を待ち望んでいることだろう。
同じ配達員が料理を届けているのだとすれば、慧斗の注文したカレーがその人物のもとに届いている可能性もある。
一度他人に届けてしまったものを、受け取り直して正しい配達先に届けることはできない。異物混入などのあらゆるリスク回避のためだ。
「……食っちゃうか」
考えていても腹は減る。とにかく腹を満たしたいと考えた慧斗は、誤配されたハンバーガーをそのまま食べてしまうことに決めた。
手にしてみれば熱々とは言い難いものの、見知ったチェーン店のそれよりも一回りほど大きいサイズ感だ。カツカレーを思えば腹の満たされ具合は違うだろうが、この時間の空腹を埋めるには十分だろう。
思いきり噛り付いてみると、口の中に少し変わったスパイスの味が広がる。パティはパサついているが、舌が肥えているわけでもない慧斗には及第点の味だ。
「ん、美味い!」
あれほどカレーの口になっていたのが現金なものだと思うが、このジャンクな味が嫌いな男はそういないはずだ。
それなりの大きさがあったハンバーガーは、あっという間に胃袋の中へと消えていった。
(悪くなかったな。どこの店のやつだ?)
空になった容器をテーブルの上に放置したまま、慧斗はスマホを手に取る。操作しようとしたところで、画面上に赤茶色の線が引かれてしまった。
「うわっ、最悪」
どうやら指にソースが付着していたらしい。慌てて箱の中からティッシュを引っ張り出して、画面を乱雑に拭いていく。
幸いにも汚れはすぐに取れてくれたのだが、その過程で反応したらしい画面には動画サイトが表示されていた。
それは、少し前まで慧斗が暇つぶしをしていた動画配信サイトだ。そもそも、空腹の原因を作ったのが動画広告であったことを思い出す。
冬季限定の焼きカレーがどうのという広告だったはずだが、残念ながらデリバリーの取り扱いは見つけられなかった。だからこそ、チェーン店のカレーを選んだのだが。
「……あれ? 俺こんな動画見たっけか」
ページは丁度、視聴履歴を表示したところで止まっている。一度視聴した動画をもう一度見返す習慣は無いので、普段は履歴自体を目にすることもない。
縦一列に並ぶ視聴履歴のサムネイルの中に、ひとつだけ雰囲気の異なるものを見つけた。
動画のタイトルは表示されておらず、再生時間は10秒ほどの真っ黒なサムネイルだ。
「間違って触ったんかな?」
寝ぼけてスマホを操作したり、ちょっとしたタイミングで指が当たることもある。おそらくそうした時のものだろうと予想しつつ、慧斗は何気なくその動画を再生した。
大きくノイズの走る不鮮明な映像の中に映っているのは、どこかの建物の外観らしい。等間隔に並ぶ玄関扉から、アパートだろうかと予想を立てる。
画面の中に動きが無いので静止画のように見えたのだが、次いで扉が開かれてそれが動画であると確信を持つ。だが、扉の向こうから姿を現した人物に慧斗の心臓が大きく跳ねた。
「これ……って、俺……?」
スウェットパンツにパーカーを羽織った姿の黒髪の男。それだけならば、慧斗以外にも似たような背格好の人間は世の中にごまんと存在しているだろう。
けれど、その内側に身に着けている赤いシャツの表面には、遠目に見てもわかるほど特徴的なキャラクターがでかでかと描かれている。
このTシャツは世に流通しているものではない。慧斗が通っていた高校の、三年生の文化祭で発注したオリジナルのクラスTシャツなのだから。
「嘘だろ、まさか隠し撮り……!?」
無謀だという考えも頭にない慧斗は、その足で部屋を飛び出してアパートの敷地外に出る。
改めて確認したアパートの外観は、やはり動画に映っていたものと瓜二つだ。映像が撮影されたと思しき箇所へ足を向けてみるが、そこにカメラが仕掛けられている様子はない。
だとすれば、潜んでいた何者かが撮影をして逃げたということなのかもしれない。気味が悪いが、それをネット上にアップロードする理由はもっとわからなかった。
(つーか、タチの悪いイタズラだとして……なんでピンポイントで俺のスマホに表示されんだよ)
そもそもがおかしくはないだろうか、と慧斗はもう一度スマホを手にする。
あれは視聴履歴に表示されていた動画なのだ。けれど、出前の注文をしてからは動画を観ていない。
にも関わらず、動画の中の慧斗は配達された置き配の袋を手に取ろうとしているところだった。時系列がおかしい。
「……気持ち悪ィな」
妙に寒気がして、これ以上この場に留まりたくないと判断した慧斗は踵を返す――つもりだった。
(あれ?)
進むはずだった脚を止めたのは、何かの影が動くのを視界の端に捉えた気がしたからだ。
「は……?」
顔を上げた先の光景に、時間が止まったような気さえする。
慧斗がそう感じたのはおそらく時間にしてほんの一秒にも満たない間で、次の瞬間には力強く地面を蹴り出していた。
半ば飛び込むようにして伸ばした腕の中に、人間が落ちてきたのだ。
「あッ~~……ぶねーな!?」
「い、った……」
どうにか受け止めることができたとはいえ、落下してきた人一人の衝撃は決して小さくない。受け止められた側だってそれは同じなのだろう。
立っていることができなくて地面についた膝は、もしかしたらスウェットの下で擦りむいているかもしれない。
顔を顰めている彼は小さく呻いている。ああ、綺麗な顔をしているなんて場違いな思考が過ぎるものの、慧斗は青年が額に脂汗を滲ませていることに気がついた。
「お、おい。大丈夫かよ?」
「う……っ、ね……」
「ん? なに?」
「僕の、めがね……」
振り絞るようにそう呟いたきり青年の伏せられた瞼が持ち上がることはなく、腕にずしりと預けられる体重から意識を失ったのだということを理解する。
「え……どうしろと……?」
見ず知らずの他人とはいえ、時刻は22時を過ぎようかという頃合い。気絶した青年をこの場に置き去りにするというのは、さすがに良心が咎めた。




