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17:相棒


「お前なあ~、とうとうやったか」


 自分の顔を見上げてくる小さな小さな塊は、加苅が身を屈めようとしたとろこで大袈裟なほどに飛び上がり、そのまま部屋の奥へと駆け込んでいく。

 危害を加えようとしたわけでもないのにあんまりだと思うのだが、猫とはそういう生き物なのだろうと己を納得させることにした。


「とうとうってなんスか」

「一人暮らしの男が猫なんか飼ったら、婚期が遠のくぞ」

「加苅さん、そんな話信じてるんスね~」


 ヘラヘラと笑いながら子猫を追いかけて部屋に上がり込む男は、自分が招いたというのに客人をそっちのけで扉の向こうへ消えていく。擦り傷だらけの革靴を脱いだ加苅は、小さく溜め息を吐き出してから彼の後へ続くことにした。

 加苅にとって倉敷八一という男は、奇妙というほかない存在だ。恐れ知らずともいえるのかもしれない。


 上層部は扱いづらい加苅の存在を煙たがっているし、同僚たちにとっても面白くない存在だ。

 いっそクビにでもすればいいと思うことすらあるが、規則は破るが成果も持ち帰ってはくるので、扱いに困っている人間が多いことは加苅自身も理解している。


 周囲に評価されたくて刑事になったわけではないので、誰にどう思われようと加苅にとってはどうでもいいことだった。

 ただ、そう思ってはいても不遜な態度を向けられれば不快にもなるし、面倒を押し付けられれば煙草の本数は増える。

 だから、警察学校を卒業したばかりの若造を相棒として紹介された時には、表にこそ出さないがそれなりに荒れたりもしたものだ。


『倉敷八一です! よろしくお願いします!』


 初対面から元気の塊だった青年は、元スポーツ少年だったというプロフィールも頷ける声の大きさで、デスクに座っていた加苅は一気に注目の的になった。


『…………加苅だ。声がでけえ』

『すみません……! 加苅さんって、下の名前は螢さんっていうんですよね?』

『……なんでもいいだろ』


 名乗っていないというのにフルネームを知っているのは、加苅の席を案内したのが同僚の佐伯だからだろうと察しがつく。

 他者を見下すのに必死な男で、同じ部署に配属された当初から加苅のことを目の敵にしている。一方で、加苅は相手にもしないことが余計に彼の気に障っているらしい。


 時折子どものような嫌がらせをしては、同じように加苅のことを気に入らない同僚たちと溜飲(りゅういん)を下げているのだ。

 その証拠に、今も倉敷とのやり取りを遠巻きに眺めながら、口元をいやらしく歪めているのが見て取れる。

 くだらない幼稚な男だと思うが、下手に反応を見せれば奴の思うつぼだということも理解していた。


『あ、いや、素敵な名前だなって思ったんでつい』

『は?』


 幼少期から可愛いだとか女子のようだと揶揄されたことはあれど、そんな言葉が返るとは想像もしておらず、加苅は目を丸くしてしまう。


『自分、長野出身なんスよ。家の近くにホタルが有名なスポットがあるんですけど、綺麗で大好きなんスよね!』

『ああ……確かにあるな』

『加苅さん、行ったことあります!?』

『いや、ネットで見ただけだな』

『じゃあ今度、一緒に見に行きましょうよ!』


 約束をしたわけでもないのに、決まりですねと破顔する彼に裏の感情は無いのだと、直感的に感じ取っていた。

 つい今しがた知り合ったばかりだというのに、こうも好意的に接することができる理由が加苅には理解できない。


『……その前に、お前はまず仕事を覚えるところからだろうが』

『あっ、そうっスね! よろしくお願いします!』


 初対面から懐いてくるその男は、単純にコミュニケーション能力が高いだけだったのかもしれない。それでも共に仕事をこなすうちに、倉敷の隣は加苅にとって、少しだけ肩の力を抜いても良いと思える場所になっていた。


 今日のようにこうして自宅まで足を運ぶ機会が増えたのも、倉敷が自身のテリトリーへ加苅をすんなり招き入れたことが大きい。

 警戒心が足りなさすぎるのではないかとも思うのだが、本人曰く誰にでもというわけではないらしいので、加苅はますます彼のことがわからなくなった。


「おタヌ~、加苅さんは怖い人じゃないっスよ~」


 廊下を歩くほんの短い時間に彼との出会いを思い返していた加苅は、己の名が出たことで意識を現実へと引き戻される。

 あれから二年ほどが経とうとしている今日、家族が増えたというので仕事終わりにこうして家に招かれたのだが、まさか動物を飼うとは思いもしなかった。


「猫に言ってもわからんだろう」

「そんなことないっスよ! おタヌは利口な猫なんで」

「ピャ」


 倉敷の腕に抱き上げられた子猫は、背の高い彼との対比でますます豆粒のようなサイズに見えてしまう。すっかりおタヌにメロメロになっている倉敷は、仕事中には聞いたことのない甘い声で子猫に話しかけていた。

 子猫もまた、玩具のような高い声で何やら返事をしてるものの、何を言おうとしているのかは加苅にわかるはずもない。


「お前は犬の方が好みかと思ってたがな」

「犬も好きっスよ? 動物って可愛いっスよね」


 お前自身も動物のようだとは口に出さなかったが、人間だって動物なのだから、言葉を喋るかどうかの違いでしかないのだろう。

 加苅がソファに腰を下ろすのを見ていた倉敷は、おタヌを床に下ろしてキッチンへと足を向ける。もてなしは不要だと初めて訪れた際に伝えてはいるものの、そういう性分なのだろう。少ししてお茶の香りが加苅のもとまで届き始める。


「…………ん?」

「ピャ」


 ふと、つま先の辺りに違和感を覚えた加苅はそちらに視線を向ける。焦げ茶色の塊が、小さな前脚を自分の足に乗せているのが見えた。


「……お前、さっきは逃げただろ」

「ピャ」


 完全に警戒しているものと思っていた子猫は、興味津々な様子でふんふんと鼻を鳴らしながら足回りのニオイを嗅いでいる。

 今日は外を歩き回るほど大きな事件も無かったので、一日中デスクに張り付いて過ごしていた。とはいえ、革靴を履いていたのだから臭いかもしれない。

 人間相手ではないのだから気にする必要などないとはいえ、なんとなく加苅は脚を引いたのだが、遊んでもらえると勘違いをしたのか子猫は足に飛びついてくる。


「お前、っ……こら、この……!」


 負けじと左右に足を移動させる加苅は、結果的に子猫を遊ばせる動きになってしまっていることに気がつく。

 小さな毛玉は全身を使って一生懸命に足を追いかけていて、時折爪を立てられるのが少し痛いのだが、その様子を見ていた加苅は自然と表情が綻んでいた。


「加苅さんって、猫好きなんスね」

「あ? 別にそういうわけじゃ……」


 ないとは言えずに、もごもごと口を動かす。好きどころではない。正直にいえば、加苅は猫という生き物が大好きだった。

 自身でだって飼いたいと思ったことは数えきれないが、家を空けがちな仕事柄どうしても踏ん切りがつかずに今日まできてしまったというだけで。

 ニコニコと笑いながらマグカップをテーブルに並べた倉敷は、斜め向かいに腰を下ろした。


「自分に何かあったら、おタヌのことは加苅さんにお願いしようかな」

「なーにをバカなこと言ってんだ」

「だって、この仕事じゃ何があるかわからないじゃないっスか。先月だって窃盗犯追いかけてる時に、段差で足(くじ)いたし」

「あれは間抜けだったな」


 転んだ瞬間の情けない悲鳴を思い返した加苅は、思わずこぼれてしまった笑いを隠すように顔を背ける。

 倉敷は抗議の声を上げているのだが、それがますます当時の姿を思い起こさせるので、加苅にしてみればむしろ彼が笑わせにきているとさえ思えた。


「おタヌも、加苅さんなら安心だよなあ?」

「ピャ」


 それが肯定なのか否定なのかはわからないが、その後は脚をよじ登ってきた子猫に膝上を占拠されて、帰るのが随分遅くなってしまったのを覚えている。

 この子猫が大きくなるまでに、倉敷はまた何度か怪我をするかもしれない。

 元スポーツ少年だったのだから、運動神経は良さそうなものなのに。いや、実際には運動神経自体は良いのだ。ただ、時々やたらと間の抜けたことをするだけで。


 それまでに笑い話のネタは増えるだろうが、今日のように倉敷は抗議しながら子猫に同意や意見を求めるのだろう。

 そんな姿を時折眺めにやってくるのは、想像してみれば案外悪くないと思えた。


「…………や、いち……?」


 車の後部座席の窓ガラスにはスモークが貼られているが、運転席と助手席にはそれがない。

 だから車内の様子は通常であれば見えるはずだというのに、赤黒い何かがべったりと塗りつけられていて、窓越しには視認することができなかった。


 ドクドクと音を立てる心臓がうるさくて、周囲の音がよく聞こえない。やけに冷たい指先は知らず震えているようで、運転席のドアを開けるだけの動作に加苅はやたらと手間取る。

 ようやく握ったドアハンドルを引くと、何かに押されるような形で開いたドアの隙間から、大きな塊がどさりと車外に転げ落ちてきた。

 落下の際に飛び散った生温かい血液が、乾いた地面と車体、そして加苅のスーツを汚す。


 加苅の足元に横たわっているそれは、両腕を失った倉敷の身体だった。


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