12:疑惑
「來に気をつけろって、どういう意味だよ?」
警察署で初めて來の姿を見た時、興味津々に話しかけていたとは思えないセラの発言に、慧斗は怪訝な顔をするしかない。
離れた場所に立って通話をしている來の話し声はこちらに聞こえていないので、小声で話すセラの声も來のもとには届かないだろう。
彼女も今一度來のその様子を確認してから、言いづらそうにではあるが口を動かす。
「その……視えるとか視えないとか、慧斗は本気で信じてる?」
「は? そりゃ、來が視えるって言ってるし……」
「あたしは、來くんが嘘をついてるんじゃないかって思ってる」
「お前……あのなぁ、っ」
はっきりとした言葉でそう言い切るセラ。すぐさま反論しようとした慧斗の眼前に、壁のようにセラの掌が差し出される。
声を飲み込んだことがわかると壁はすぐに引き下がっていき、言葉を探すセラの瞳が空中をうろうろと移動していた。
「嘘っていうか、不思議な力があるのはホントなのかもしれないけどさ。幽霊もいたわけだし?」
「そうだろ、來がわざわざ嘘つく理由とか……」
「でも、呪われた日に來くんと出会ったんでしょ? しかも同じアパート住まい。それで一緒にいたらまた変なことが起こって、部屋にまで泊まらせるって……普通そこまでしなくない?」
「それは……來がいい奴だから」
「ちっがう!」
昨晩は慧斗も同じ疑問を抱いたが、來なりの気遣いなのだということを感じ取ったので、慧斗がその先を疑う理由もなかった。しかし、セラは声音を潜めながらも真剣な表情で忠告を続ける。
「偶然にしては出来すぎてるでしょ? あたし、慧斗の呪いに來くんが関係してるんじゃないかって思ってる」
「なんで、そんなこと……」
「理由なんてわかんないけど、普通じゃないことが起きてるんだもん。警戒はしといた方がいいよ」
彼女の言うように來が呪いをかけている張本人なのだとして、彼にどんなメリットがあるのだろうかと、慧斗は遠い背中を見る。
來に救われたのは間違いのない事実だが、出会い方が普通でなかったのも確かだ。
「こんなこと言ってごめんだけど、あたしは友達として慧斗のこと心配してるの」
「セラ……」
他人を家に上げる來のことを、リスクを考慮していないと考えていたが、それは自分も同じだったのかもしれないと慧斗は己を省みる。
それなりに付き合いの長いセラのような友人であるなら、困った時に手を貸してくれるのは自然な流れともいえるだろう。
けれど、ほとんどが初対面に近い人間の手は、必ずしも自分を助ける善意で差し出されたものだとは限らない。特殊な力を持っているというのであれば、その力で誰かを呪うことだってできるかもしれないのだから。
「……心配してくれてありがとな。ちゃんと気をつけるよ」
「ん。困ったらうち来たっていいんだからね、あたしは慧斗なら――」
「いや、それはさすがに遠慮するわ」
いくら善意の申し出とはいえ、ホイホイと異性の家に泊まりに行くほど慧斗も考え無しではない。
何か言いかけていたセラは少しばかり不満そうな雰囲気を見せているけれど、その逃げ場所は本当の最終手段に取っておくべきだ。
そんなやり取りをしているうちに、用事を済ませたらしい來が二人のもとへ戻ってくる。
「お待たせしました。あの、悪い知らせなんですけど」
「悪い知らせ……?」
難しい顔つきで歩いてきた來を迎え入れると、慧斗は無意識に彼の表情をまじまじと見つめてしまう。
綺麗な顔立ちだという点を抜きにしても、何か悪事を企んでいるようには思えなかった。彼の善意は本物なのだと、慧斗が思い込みたいだけなのかもしれないが。
あまりにも意味ありげに凝視してしまっていた慧斗の脇腹をセラが小突くことで、來の報告内容に意識を戻すことができた。
「例の連続怪死事件、新たに被害者が出ました」
「えっ……また人が死んだってこと!?」
「加苅さんから報告が入ったばかりで、現場検証中だそうです」
先ほど通話をしていた際に、加苅から報告を受けたのだろう。どこか遠くを通過していくサイレンの音が聞こえる。
今回の事件とは無関係の車両なのだろうが、その音を耳にするだけで三人の間に緊張が走るのがわかった。
「被害者の人たちってさ、呪いで殺されてんのかな?」
「それはまだわかりませんけど、僕はこれから現場へ視に行ってきます」
「行ってきます、って……遺体のある場所にか!?」
少しコンビニに寄ってきます、とでもいうような軽さで告げてきた來に、問い返す慧斗の声が思わず裏返ってしまう。
意図せず大きな声が出てしまったために、砂場で遊んでいた子どもやその親たちの視線が、慧斗たちの方へと向けられる。
対する來は表情を変えることもなく頷いていて、慧斗は彼にとっては特別なことでもないのかもしれないと思わされる。
「現場を視てわかることもあるので」
「……じゃあ、俺も行く」
「えっ、慧斗!?」
思いがけない発言に驚きの声を上げたのはセラで、同様に來も目を丸くして慧斗のことを見ている。
「俺もきっと無関係じゃないし。現場に行ったらあの女の霊のこと、何かわかるかもしんねーし」
「でも、慧斗っ……危ないよ?」
慧斗の服の裾を掴んで不安そうに見つめるセラの言葉には、二つの危険に対する心配が含まれているのだろうと察する。
意図を理解していると伝えるために笑みを見せて、慧斗は彼女の手をそっと引き離すと來の隣に立った。
「大丈夫、ちゃんと気をつける。事件現場なら警察だっているしな」
「それはそうだけど……」
慧斗が來と共に行動することを選んだ理由もまた、言葉にはしないものの二つの意味を含んでいる。
一つは、セラの言うように來が本当に危険な企みをしている人間なのかを、自身の目で確かめるためだった。彼女の心配が杞憂ではないのだとすれば、行動を共にすることでなにか尻尾を掴むことができるかもしれない。
もう一つは、慧斗自身が純粋に來の安心材料になりたかったからだ。
初めて出会った時の苦しげな彼の表情と、慧斗に触れた時の安堵の様子。疑いの目を向ける必要があると理解した今でも、慧斗の中にどうしても捨てきれない感情が宿っていた。
異常事態の中で親切を受けたことで、來に対する情のようなものが生まれたのかもしれない。
「慧斗さんなら同行を許可してもらえるとは思います」
「ダメだったら外で待ってる」
「そこまでしなくても……まあ、目の届く場所にいた方が安心感はありますけど」
どことなく呆れたような物言いにも聞こえるのだが、來が僅かに口元を緩ませたのがわかる。
彼の言う”安心”はおそらく、慧斗の身の危険に対するものなのだろう。実際に、何の力もない自分はきっと守ってもらう立場になってしまう。
それを理解しているので反論はしないものの、來に同行する中で自分にも役割を見つけられたら良いと、慧斗には少しばかりの期待もあった。
「……じゃあ、あたしはバイトあるしそろそろ行くけど。気になるから逐一報告してよね!」
「りょーかい。ありがとな、セラ」
「來くんも、またね!」
「あ……はい、また」
一通りの話を聞き終えたセラはまだ不満そうな表情を見せながらも、スマホで時刻を確認すると一足先に公園を後にした。
早朝から連絡が入って集合まで掛けられたものの、セラの言動はひとえに慧斗を心配してのものだ。慧斗だってそのことを十分に理解している。
彼女にこれ以上心配をかけることがないためにも、自身の目で正しい選択を見極めなければと、慧斗は密かに決意を新たにする。
「……仲いいんですね。慧斗さんとセラさん」
「ん? まーな、中学からの腐れ縁みたいなもんだし」
「ちょっと、…………羨ましいです」
來の口からそんな発言が飛び出すとは思いもせず、公園の出口を見ていた慧斗はワンテンポ遅れて隣へ顔を向ける。
「そんな顔で見ないでください」
「どんな顔してるかわかんねーけど」
「びっくりした顔してます」
指摘を受けると確かに普段よりも目を見開いている気がして、慧斗は何度か瞬きを繰り返した。文句を言いたげだった來は目を伏せると、大きな眼鏡のフレームを指先でなぞる。
「……昔から、あまり親しい間柄の誰かがいたことがなくて」
「ボッチってこと?」
「言い方どうにかなりませんか?」
口調それ自体は淡々としたものだが、コミュニケーション能力がどうだとか、そうした次元の話ではないのだろうと直感的に慧斗は感じる。
彼の不思議な力が本物なのだとして、それがいつから備わっていたのか、生まれた時からのものなのかはわからない。
ただ、そうした異質な力を持つことで苦労するであろう場面があることは、慧斗の頭でも想像に難くない。特に子ども同士ともなればなおさら、他と少し違うというだけで嫌悪の対象になったり、距離を置かれてしまうものだ。
「まあ、そうなんですけど。だから、お二人の関係がいいなって思っただけの話です」
話はこれで終わりだとでも言いたげに、來は公園の出口に向かって歩き始める。その背中を見つめていた慧斗は、少し考えてから小走りに彼の後を追いかけて無遠慮に肩を組んだ。
「うわっ!? ちょっと、何するんですか」
「昔のことは変えてやれねーけどさ、今は違うじゃん?」
「え?」
驚いた拍子に少しずれたフレームの向こうで、赤い瞳が慧斗を映し出す。
悪事を働こうという人間の瞳がこんなにも綺麗なものなのだろうかと、慧斗の頭に答えが見つかるはずもない疑問が浮かぶ。
「俺は來と、羨ましいって思われるような友達になれたらいいって思うよ」
疑惑や警戒。間にある複雑な問題はひとまず抜きにして、それは慧斗の持つ純粋な感情だった。
「…………重いんですけど」