表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

プロローグ

都は鼻歌を歌いながら二人分のお弁当を作っていた。都自身は歌っていることに気付いていない。

 お弁当を作るという作業は好きだった。自分の思う味を目指して、切り方や調味料を調節する工程は、大袈裟に言うと何かを突き詰めるような感覚。お弁当の隙間を詰めている間も心地よく感じていた。

「でーきたっ!」

 都は並んでいるお弁当のおかずの箱二つを見て、一つ頷く。

 その様子を煙草をふかしながら見ていたやすは、幸せをかみしめていた。

 結婚して五年、都のお弁当を作る姿を見てきた。いつも鼻歌まじりに作る彼女のお弁当はとても美味しい。やすの好みに寄せて、ちょっと濃い目で作ってくれるのも嬉しかった。子宝にはまだ恵まれてないが、近い将来、できるだろうと勝手に思っていた。

 この幸せ、ずっと続くんだろうな……。

 やすは煙草の煙をくゆらせながら思っていた。

 都は、ご飯を二つの入れ物に詰めると、ふう、と息をついた。そして。

「やす、話があるの」

「お? どうした、改まって?」

 やすは灰皿で煙草の火を消すと、都が向かいに座るのを待っていた。

 しかし、都は台所から出てこなかった。

「あのね、離婚してほしいの」

 やすは時が止まったかと思った。

「……え?」

「だから、離婚して?」

 都の言い方はコップ取って、とでも言っているかのような軽さだった。やすは理解できない。

「えっと、今、離婚って言った?」

「言ったねぇ」

 都は自分用にコーヒーを入れながら相変わらず軽い口調で言う。

「……なんで?」

 やすはこの言葉をやっと捻り出した。

「あなたねぇ、気付いてないと思うけど、私のこと下僕とでも思っているかのようよ、行動?」

 やすはそんなつもりは全くなかった。確かに家事はやってもらっている。でも、それは得意な方が家事をしたらいいと思っていたからだ。稼ぎはきちんとある。マンションや車のローンも滞っていない。……何がいけなかったんだ?

 やすの頭の中に離婚の文字がぐるぐる回り始めた。

 俺、一人になるの? 都が居なかったら俺、どうやって生活すんの?

 今から家事をしている自分がイメージできなかった。飯、どうしたらいいの? 洗濯? 掃除? 俺、家事全般できないんだけど。

「今、私のことより、自分がどうなるかしか思い浮かんでないでしょ、あなた」

 都に言われたやすは図星過ぎて面食らった。

「そういうところよ。あなたは私の気持ちなんて考えてない」

「え、あ、いや、考えてる」

「じゃぁ、共働きの夫婦なのに、なんで家事を覚えようとしてこなかったの?」

 都はやっと、コーヒーを持ってやすの前に座る。

「私だって仕事をしているのだから、時間の制約はあるわ。確かにお給料はあなたの方が高い。でも、賃金の高さと仕事の大変さは比例するとも限らないし、時間は賃金関係なく一緒に過ぎるの」

 都には自分のことをする時間が全くなかった。仕事と家事。疲れ果てて泥のように眠る毎日。自分の価値はそれをこなすことだと思い頑張っていたが、ふと心が立ち止まった。私、何のために生きているの?

 下手に完璧主義なのがダメだったかもしれない。

 楽しくなかった。ぢこなすだけの毎日。今日も終わった、今日も終わった、今日も終わった……。

 そして、ついでだからと、どうでもいいこともやすに言ってやろうと思った。

「あと、ね。名前が嫌なの」

「な、名前?」

「私、町田都」

「……それが?」

「みんなに茶化されるのよね。町なの、都なのって。会う人、みーんな」

「そ、それは俺にはどうしようもない。お前、旧姓に戻っても茶化されるだろ?」

 都の旧姓『(じん)

 確かに、子供の頃から(神の都)なんてスゲーな、とか、(かみ)様助けて、とか茶化されてきたが。

「生まれ持った呼び名ら諦めもつくもん。人生の六分の五はその呼び方だったし」

 都が二十五歳の時に結婚。プロポーズはやすからだった。

「一緒にいると、俺が幸せだから結婚しよ」

 俺が幸せ。そう、最初から都の幸せは保証してなかった。二十代の間はその言葉が嬉しかった。自分がいれば、相手は幸せなのだ。幸せにできるんだ。相手を幸せにできることが幸せだった。三十代に近づくにつれ、相手はどうなのか、と思い始める。

 私は、なにかしてもらっているだろうか。

 都は合わせていた。しかし、やすは? 私に気を使うことはあるのだろうか。

 私だけが合わせている。それに気付き、自分が苦しいと思い始めていることに気付く。

 今日を終わらせることで精一杯の日々は、息が付けていなかった。

『このままでは、私だけが壊れる……』

 ソファに座っているだけのやすを見ていたら、ぼんやりと頭の中に浮かんでいた。

 うん、言おう。

 衝動だったのかもしれない。(衝動で行動して失敗したら何も残らない)昔、言われた気がする。

 でも、衝動でしか、言えなかった。

「明日、離婚届もらってくるね」

「みやこ……俺は、別れたくない」

「家事をしない私でも、愛せる?」

 やすは固まる。家事をしない都。愛せる、の前に、イメージすらできなかった。

「そんな、わからないよ、いきなり」

「将来、そうならないとは限らないのよ?」

「そんな遠い先なんて」

「遠いとも限らないのよ。私が明日、事故にでもあって半身不随になったらあなたが全部するのよ。できないでしょ」

 やすは口をパクパクさせるしかなかった。

「明日、離婚届もらってくるね」

 都は再び断言した。やすはもう、何も言えなかった。


 これが、十七年前の出来事。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ