流れ着いた人々
波の音が、ざらついた映像に重なる。20✖✖年、奄美にポツンと浮かぶ無人島。険しい崖に囲まれたその島は、地図にも載らない、誰の記憶にも残らない場所だった。だが日の光がひとたび岩壁を照らすと、風化した模様が刻々と浮かび上がる。
サカナ、トリ、ヒト、ウズマキ...まるで古代が手を伸ばしてくるような、かすれたメッセージ。
「間違いない!これはただの絵じゃないんだよ!一説にはめっちゃやばいって有名じゃんか!なんてったって、これを掘り出したのはヒトじゃなくてAIだなんて!まだ人間が足を踏み入れたことのない未開の地...もう最高じゃない!」
宮城碧は、煙たいテントの陰で汗をぬぐった。考古学者、24歳。彼女の表情は、じめじめとした洞窟で一層に輝いていた。
「これ見てよ!本当に信じられない!」
そう言って彼女が差す方には、岩壁の壁画。縄文土器のような渦巻き、狩猟文化の名残、人のようなものが得体のしれない形へと変化していく描写。まるで子供の落書きのような、どこか背筋にこみあげてくるものがある。
「これ...本島から何百キロも離れた無人島。古文書にも、現代地図にもその名前すら載ってない。なのにこの壁画、放射年代測定で...紀元前5000年頃...縄文時代前期のものだよ!それなのにこんなに精巧に..保存状態も異常なほど...ありえない..」
彼女の声は興奮と緊迫から震えを隠すことはできなかった。沖縄で考古学者を生業とする彼女にとって、壁画はまるでこの国、いやこの世界のものではないようであった。
「宇宙人?オーパーツ?これだよこれ!私がしたかった発見!」
そういう彼女を遠くから見つめるのは、近くのR大学に通う卓也だった。碧と違って考古学者でもなければ、専攻しているわけでもない。彼が今日この場にいるのは、ある不思議な縁があってのことなのだ。
...
「頼むよ卓也!この通り!」
懇願する悠斗の声が食堂に響き渡る。
「お前、そろそろ講義くらい自分で出たらどうなんだよ。」
「そう言わずにさー、彼女が待ってんだよ、な?最後にするからさ!」
「何回言ったんだよ、それ。もう最後だからな。」
「それでこそ卓也だ!持つべきは親友だな!!」
吉城卓也、21歳の大学三年生。この通り人からの頼みを断れない。お人よしなのか従順なのか、自分でもよくわからなくなっていた。頼みごとの内容はいつもと同じだった。
講義のノートを「代わりに取ってきてくれ」。
レポートの参考文献を「ちょっと調べておいてくれ」。
ただ今回は――
「無人島に連れてってくれって……お前、本気かよ」
「あたりまえじゃん! 宮城碧ちゃんが『絶対に見せたいものがある』ってLINEしてきたんだよ! しかも『君みたいな現実を疑うタイプの感性の人にこそ見てほしい』だって! わかる? 俺にピンポイントで言ってくれてるんだぜ!?」
「いや、わかるけどさ……」卓也はため息をついた。相手はいつもの軽いノリの幼馴染そのものだったが、今回は明らかに様子が違う。目が本気だった。いや、怖いくらいに本気だった。
「で、どうやって行くんだよ。無人島って言っても、奄美からボートで何時間もかかるような場所だろ。普通に行けるわけないじゃん」
「そこはもう手配済み! 碧ちゃんのゼミの教授が持ってる古い漁船を、特別に貸してくれるって! もちろん俺たちも手伝うけどさ。食料とか水とか、テントとか、全部揃ってる!」
「……教授が?」
「うん。なんか『あの壁画は人類史を覆す可能性がある』って興奮してて。許可さえ下りればすぐにでも調査隊を編成するつもりらしい。でもまずは碧ちゃんが『信頼できる友人』を連れて行きたいって言ってるんだって。で、その友人枠に俺とお前が選ばれたってわけ!」
卓也は黙ってコーヒーをすすった。信頼できる友人。
その言葉が妙に引っかかった。碧とは、悠斗を通じて二、三回会ったことがあるだけだ。
考古学に興味があると言ったら、目を輝かせて土器の写真を見せてきたり、YouTubeで拾ったオーパーツ動画を熱弁してきたりしたことは覚えている。
でも「信頼できる友人」というほど親しいわけではない。なのに、なぜ自分を?
「なぁ、卓也」悠斗が急に声を潜めた。
「実はさ……俺、あの壁画の写真を見た瞬間、なんか……変な感じがしたんだ」
「変な感じ?」
「うん。頭の奥が、ざわざわするっていうか。波の音が聞こえてくるような……でもその波の音が、俺の名前を呼んでる気がしてさ」卓也はカップを持つ手を止めた。
「……お前、疲れてんじゃねーの?」
「自分でもそう思ったよ。でも碧ちゃんにその話したら、すげぇ食いついてきたんだ。『それ、すごく大事なサインかもしれない』って。だからさ、俺だけじゃなくて、卓也も誘いに乗ってほしいんだ。お前ってさ、なんか……変なもんを引き寄せる体質じゃん?」
「は? んなわけねーだろ」
「いや、あるって! 中学のとき、誰もいない廃墟で変な影見ただろ!高校のときも、文化祭の準備中に誰もいない教室から足音したって言ってたじゃん!」
「……あれは気のせいだって結論になったはずだが」
「でもさ、今回だけは違う気がするんだよ」悠斗はスマホを取り出し、画面を卓也の方へ向けた。
そこには、荒々しい岩肌に刻まれた壁画の写真が映っていた。渦巻き。魚。鳥。
そして――人間とも獣ともつかぬ、途中で形が崩れていくような影。一瞬、卓也の視界が揺れた。波の音が、本当に、耳の奥で鳴った気がした。
「……行くのか?」
「行くしかねぇだろ。こんなチャンス、二度とねぇよ」悠斗はニヤリと笑ったが、その目はどこか怯えているようにも見えた。卓也はしばらく黙っていた。そして、ゆっくりと息を吐く。
「……わかった。行くよ」その瞬間、スマホの画面の中で、壁画の渦巻きが一瞬だけ――まるで呼吸するように、うねったように見えた。誰も気づかなかった。
...
数日後。奄美の小さな港。古びた漁船の甲板に、3つの影が立っていた。
宮城碧。目を輝かせ、興奮を抑えきれない考古学者の少女。
悠斗。期待と不安が入り混じった表情の大学生。
そして吉城卓也。彼は船の縁に寄りかかり、水平線を見つめていた。波の音が、少しずつ、大きく、はっきりと、自分の鼓動と重なり始めていることに気づきながら。船がゆっくりと動き出す。まだ誰も知らない。この小さな船が向かう先で、何が彼らを待ち受けているのかを。岩壁に刻まれた「メッセージ」が、
本当に誰に向けて書かれたものなのかを。
そして――ダレが記したものなのかを。




