プロローグ 〜ヒの国の王〜
少年には大志があった。
それを実現するためにならなんだってする。
たとえどのような障壁があったとしても、どんな困難があったときでも…
必ず実現させてみせる…!
少年はそっと夜空を見上げて
満天の星々に向かって願いを込めた。
―――――
ネウナ大陸の南東に位置する辺境国家バルティカ。
国家規模はネウナ大陸最小の零細国家である。
国境を超大国と接しているため頻繁に列国からの圧力が強く、領土問題を起点とした諸問題を抱えている。
地政学的には、南東が大きく海と接地しており、東西には連邦国家との間に山脈を隔てているので他国からの侵入を防ぐことができる。加えて、山脈から流れる河川が国家を南北に縦断して海へと繋がるので、海上交通の要所としての地理的重要性も備えている。
また、気候も比較的温暖で、大規模な自然災害も滅多に起きないので、国家運営を行ううえでも比較的良好な土地なのである。
そして、良好な環境を有しているのが幸いしたのか、バルティカは大陸全土に名を馳せる大陸随一の特色がある。それは、優秀な人材の輩出である。
現在、バルティカを含めて、大陸内における多くの国には、バルティカの優秀な人材が登用されている。その分野は、政治、商業、軍事等々、分野を問わず多岐に渡る。実際、国家としても優秀な人材の輩出は国家政策として推進していて、列国との国交関係を良好に保つ為にも重要なのである。
そんな国において少年は生を受けた。
なんとない田舎の領民の家庭。
バルティカでは、国家全土を王都から派遣された貴族が領主として統治している中央集権国家である。領主の任命は4年に一回、王都で国王の勅命によって決定されるが、今ではその多くが世襲制となっているため、この制度自体が形骸化している。
基本的には領主に地方自治の裁量権が付与されているために、領主によっては、圧政を強いられてしまう可能性もあるためにどの領主の領民となるかはとても最重要案件なのである。
少年はバルドー領に属している。
バルドー領の領主ジロン・バルドーは比較的領民思いの領主であった。
領民からの支持も厚く、周囲の領主との関係も良好で、農業、工業の発展のためにも開放的に人材の登用や技術の使用などを推奨している。しかし、王都からは遠い辺境地で連邦国家との国境沿いに位置しているので、度々連邦国家とのイザコザが発生する。加えて、異邦移民やならず者などが多く行き来する場所でもあって、治安が多少悪いのが玉に瑕である。
「今日は収穫祭でしょ、早く準備しなよ」
ヒノが仁王立ちしている。
「はいはい」
やれやれ、と気怠そうに体を起こしながら支度に向かう。
「”はい”は一回でいいのよ」
顰めっ面で支度に向かう後ろ姿を見る。
説明が遅れたが、少年には妹がいる。
ヒノ。普段はとても真面目で面倒見が良くて律儀な“良い子”であるが、意外とおっちょこちょいであったり、甘いものに目がなかったりする。
ここでは詳細を省くが、過去にとあるアクシデントに遭遇してしまい、その時のショックからトラウマを抱えている。ヒノが時折みせるあの空虚な表情はその時のショックが影響しているのかもしれない。
「まったく…なんだってこんな時期に収穫祭なんてやるんだか」
「いいじゃない、こんな時だからこそ、楽しいことでもして心を紛らわせたいのよきっと」
支度をしながら収穫祭について悪態をつく。
収穫祭というのは、毎年秋ごろに行われる豊作祈願のフェスティバルである。この辺り一体が、農作に適しているのは、気候や地形などの地理的要因に基づくものであるが、大昔の人々は、この土地には、農業の守り神がいる、とかなんとかで毎年豊作祈願をしていたらしい。その時の慣習や伝統が今でも残っていて、それが収穫祭というわけである。
「それにしても、まさか国王陛下がお亡くなりになるなんて…」
「突然の訃報で驚いたわ」
こんな時期、といったのには訳がある。
というのも、つい最近、王都で国王がお亡くなりになったという訃報が大きな騒動を巻き起こしていた。突然、その波紋は国家全土に波及する。
国王は、稀に見る人格者で、周囲列国はもちろんのこと、長期にわたる貴族派と王族派との対立を緩和するために尽力していた名君なのである。
最近は、派閥同士の対立の緩和の傾向にあり、王都の雰囲気も和やかで、しばらくは争いごとも起きないだろうと言われていた…その矢先にこの訃報だ。
「一体、王都で何があったんだろうな」
「訃報の件から、王都では後継者問題を巡って再び対立が激化しているらしくて、、、早く解決してくれるといいけど」
まぁ、しばらくは無理だろうな、と心の中で思いながらも、あえて口にすることはなかった。
「それに最近は、国境周辺で野盗や人攫いも出没しているらしいって守衛さんたちが言ってたからお兄ぃも気をつけなよ」
「ご心配どうも」
バルティカは優秀な人材を数多く輩出しているが、その中でもとりわけ他国からの評判がいいのは魔法適性のあるベルギアだ。
ベルギアとは、魔法適性のある者の総称である。多く者は、魔法適性のある者をペルギアと呼ぶが、ある特定の場所では、ハーデルと呼んだりもするらしい。
そして、バルティカはペルギアを数多く輩出している訳であるが、魔法適性というのは、先天的なもので、後天的に身につけることはできない。出生の時点で決まってしまうので、列国はペルギアの原産地であるバルティカからでないと魔法適性のある者を供給出来ないので、その需要は計り知れないのである(酷い話であるが)。
今では、多くのペルギアが大陸内外を問わず世界中に散らばっているために、その血筋から更に次世代のペルギアが生まれ…そのまた次…といった感じにペルギアの人口は着々と増加しているため、以前ほど列国のペルギア需要は激しくはない。
それでもいまだに問題となっているのが、ペルギアの売買が行われていることである。今でも、ペルギアの需要は大きく、多くの場所でペルギアが欲しいという者たちの声は相次いでいるために、たびたびバルティカに野盗や人攫いが入ってきては、ペルギアを攫って商売先に売り捌いているのである(奴隷ほど酷い扱いは受けていないらしいが)。
その人攫いがバルドー領内に出没しているという守衛の情報もあってのことが、領主ジロンは、収穫祭に際して、自警団や領主の私設部隊等を配備して、人攫いに対する厳戒態勢を敷くように厳命していた。
「領主も警備体制に抜かりはないって言ってたし、そんな心配することもないと思うけどな、、それに…」
「それに…?」
「いや…なんでもない」
「なによ、最後までいいなさいよ」
「いや、なんでもないって」
適当にあしらうようにして支度を続けた。
なんなのよ、と後ろから小さい声で呟いていたが聞こえてないふりをした。
準備が整うと、
はやくしてよね、とばかりに腰に手を当てて待っているヒノの元に急いで向かう。
「よし、行くか!」
―――――
5分ほど歩くと収穫祭の開催地に着いた。
開催日は明日だが、もうすでに8割ほど準備は済んでおり、もう殆ど終了間近といった感じであった。
「遅れてごめんなさい」
「気にしなくていいよ、どうせ兄貴の野郎が寝坊したんだろ」
ヒノが開口一番に謝ると準備を進めている領民たちはこころよく許してくれる。やっぱり、ヒノに任して正解だった。ここの人たちは、みんなヒノには甘いからな。
ただ、どうせ兄貴のせいって決めつけられるのは腑に落ちないけどな…まぁ、その通りなんだけどね
「はい、兄さまがあさ…」
「おい、みなまで言うな、みなまで」
急いでヒノの口を閉じる。
これじゃ俺が寝坊魔みたいな印象がついちまう、まぁ寝坊したんだけど…!世の中には言わぬが仏という言葉があるじゃないか、、あれ仏じゃなくて吉だったっけ?
「おい、妹にあんまり迷惑かけんなよ、お兄さん」
「はいはい」
「"はい"は一回でいいんだよ」
「それで、俺たちは何をすればいい?」
「ああ、お前たちは農作物を運ぶのを手伝ってきてくれ。あっちは人手が足らなくて猫の手も借りたい状態だからな」
「はいはい」
「"はい"はいっ…」
「もういいよ!それ!」
毎年、収穫祭では、様々な農作物や他領主からの輸入品などを仕入れて盛大な盛り上がるのだが、今年は特に力を入れているらしく、例年の倍以上の量があるらしい。
今年は警備体制上の問題とあって人数はかなり多いはずだから、どこも人手が足りなくて困っている様子だ。
まったく、、領主は一体どれほど大きな祭りを開催しようとしているのだろうか。
―――――
農作物やその他の輸入品の仕入れ先に着くとそこには、何台もの馬車がまばらに停まっていた。それも結構な数が停まっていて、それぞれの場所から何人かの人が積荷を下ろしている。
「ああ、お前たち、待ってたぞ」
「ターキンさん、手伝いに来ました」
ターキンさんは、バルドー領のお抱えの商人で、さまざまなものを仕入れては良い値で売り捌いてくれるため領民たちに重宝されているのだ。
面倒見がよくていつも良くしてくれる昔ながらの顔馴染みの親戚みたいな感じに思っている。
「今回は王都からなんか仕入れてきてくれたんですか?」
「あぁ、美味しそうな特産品をいくつかな」
ターキンさんは、元々王都で商人をやっていたらしいが、訳あってバルドー領で商人をやることにしたらしい
が、詳しい話を聞いたのは過去の話なので忘れてしまった…なので割愛する。
「それにしても、今回はすごい数の商人が来ているんですね」
「あ、あぁ。そうなんだよ、ヒノちゃん」
「なんかあったんすかね」
「それがよく分からんのだ。いくら今年が豊作だとしてもこんな人数になることなんてないんだが、一体なんなんだが」
「まぁ、それだけジロンさんが人望厚いってことすかね」
領主ジロンの名采配っぷりは他領主はもちろん王都にも届くほどであるから、相当いいんだろう。ゆくゆくは、王都に次ぐ第二の都市になる日もそう遠くないかも、と密かに心を弾ませる。
―――――
その後しばらく荷下ろしや荷運びなどを手伝い、気づけば夕方になっていた。
「やっとおわったっすね」
「まさか夕方までかかるとはなぁ」
ふぅ〜、と一息着くと夕日を眺めながら商人たちが帰っていくのを見送る。
「こうして沢山の商人が行き来しているってのもなんだか感慨深いなぁ。以前は人の往来も希薄で全く寂しい場所だったのが、いまやこれだけの人が行き来するようになった」
「やはり、連邦国との交易通路としての重要性が増したことが影響しているんでしょうかね、ジロンさんも領内に通る商人に対する関税は撤廃しているし、以前よりも連邦国とバルティカの交易が活発化しているのかもしれないっすね」
「おまえ…ガキのくせになかなかどうして達観してやがるな。まぁ、おおむねその通りだろうがよ。いまや、どこもかしこも交易通路の開拓が進んでいる。列国との交易通路の中継地としての発展を狙っているんだろうが、まぁ問題も多いだろうなぁ」
中継貿易…
列国との交易通路を増やしていくことは、確かに恩恵も多いだろうが、連邦国家は不法移民の数も多い。
これが多種族国家の悪影響の温床とならないことを祈らんばかりである。
「そういえば、ヒノはどこです?」
「あぁ、そういえば見てねぇな、つい少し前までは積荷を運ぶのを手伝っていたと思うが…」
途中までは一緒に作業していたはずだが、一体いついなくなってしまったのか。過去を振り返って考えてみるが、そのタイミングが思い出せない。
「なんせこの人数だからな、一度離れてしまったらなかなか見つからないかもしれんな。一応、他の奴らにも声をかけてみよう」
「ありがとうございます」
その後もしばらくの間ターキンさんの呼びかけによって集まった何人かとあたりを散策したがヒノは見つからなかった。
「あいつ、見つかりました?」
「いーや、見たからねぇな。」
「そうですか…」
これだけ探しても見つからないということはあるいは、と考えて始めるのと同じタイミングで、
「これはもしかすると人攫いかもしれんな。もちろん、ただの迷子の可能性があるが、、いずれにせよ早急に対応しないと手遅れになるかもしれない。すぐに自警団とジロンさんの私設部隊にも知らせてこよう」
チッ、やはりそうか。
まさかこの俺を出し抜いてヒノを攫う奴がいるとはな。完全に油断していたな。
そうなると1番怪しいのは、あの商人団だ。例年を超えるあの数の商人、そして近頃流行っている人攫い。ひょっとしたら、と考えて注意深く観察していたが、まさか目を盗んでヒノを連れ出す奴がいるなんてな。
「ユスティカ、いるか」
「いつでも準備は出来ています」
「ヒノは…」
「恐らく人攫いでしょう。こちらでも密かに調べていましたが、実は、今日来ていた馬車のうち一台が他の馬車団とは別に早めに出発していることが分かりました」
「それはクロだな、ほぼ確定で人攫いにあったとみて間違いない」
「えぇ、いますぐ追いますか」
「あぁ。まさか、ヒノの正体に気づいたってことはないよな?」
「それはないでしょう。あいつらはただ人攫い。そんな蛮族どもには、ヒノ様の詳細なんて知る由もないと思います」
まぁ違いないだろうな。
このことを知っている奴なんて今のところ俺とユスティカだけのはずだ。しかし、もしばれていないとしても、その正体が判明してしまう前に、ヒノを取り戻さなければならない。
―――――
「まさか、こんな可愛い子がいたなんてな」
「こいつは、良いね買い取ってくれますよ。ペルギアでありますし、最優良物件ですね」
人攫いたちは馬車の荷台でヒノの品定めをしていた。
人数は5人。全員がそれなりに屈強で衣服の上からでも相当のやり手であることが分かる。
「わりぃな嬢ちゃん。俺らは別に嬢ちゃんに恨みがある訳じゃねぇんだが、これも世の中の残酷な現実だ。俺たちはお前を得意先に連れてかなきゃならない」
「貴方たち、私をどうするつもり?」
人攫いの噂は聞いたことがある。幼女や少女を攫っては金持ちの道楽や性的嗜好の道具として使われているとかなんとか。
それを考えると途端に恐怖心に囚われて顔が真っ青になる。しかし,平和に暮らしていた日常からの急激な落差にヒノはいまだ現実を直視できずに、漠然とした恐怖感が襲ってくる。
「安心しろ、嬢ちゃん。お前を欲しがっている依頼人は、お前が考えているような奴じゃねぇ。なんなら、扱いは丁重にって厳命しているあたり、お前のことを乱暴にするって感じじゃなかったぜ」
「それは、一体誰なんです?」
ヒノにはそんな扱いをされる覚えはなかった。一体どこの誰が私のことを欲しがっているのか、ただただ不思議に思うばかりである。
「それは言えねぇな。依頼人は明かさないってのは、この仕事では暗黙の了解なんでな。依頼人との信用問題になっちまう」
「そうですか、じゃあ、私のことについて何か言ってましたか?」
「いや、それについては特に言ってなかったな。いな、正確には教えてくれなかった」
一体誰なのか全く見当もつかないが、どちらにしてもそんな誰かも分からない場所に連れて行かれるなんてごめんだ。なんとかしてここから抜け出さければ…
ヒノが脱出案を模索していると、次の瞬間には大きな爆音と共に馬車は木っ端微塵になった。
「ヒノ、大丈夫か?」
「お兄ぃ、どうしてここが?」
「お前がいなくなった後に怪しかったこの馬車の跡をつけてきたんだ」
「ありがとう、お兄ぃ」
ヒノは安堵の笑みを浮かべるとそっと目を閉じる。
わりぃな、ちょっとの間眠っててくれ。
あとは俺がなんとかするからよ。
「ユスティカ、ヒノを家まで送ってくれ」
「御意」
ユスティカはヒノを連れてすぐに帰還していく。
あいつに任せておけばあとは安全だろう。
「お前、一体誰だ?」
「やっと、ご挨拶か。随分と待たせてくれるじゃないか」
「何故、ここが分かった…いや、そんなことはこの際どうでもいい。それよりも、おまえ、あいつを取り逃してしまった責任どうとってくれるんだ?」
「それはこっちの台詞だ。まさか、よりにもよってヒノに手を出してしまうとはな。運がなかったなお前」
「あ?それはどういう…」
次の瞬間、目の前の景色が歪む。
それは刹那、否、人間の認識する事ができないほどに短い時間のうちの出来事であった。
『王の勅命』
「お前の死はもはや避けられない決定事項になった。
最後になにか言い残すことはあるか?」
「お前は……いっ…たい………なん…なんだ…?」
意識が遠のいて視覚が暗くなっていく、もはや自分の死期を体が先に悟ってしまったかのように体中の力が抜けていく。
そうか、俺は敵対する相手を間違えてしまったのか…
今更どうにもならない後悔が走馬灯のように頭に駆け巡っていく。どうしようもない現実、圧倒的にかけ離れている実力。もはや、生物としての規格外のバケモノだ。
「あぁ、そう言えば答えていなかったな。
私は……ネロ。
ヒの国の王だ」
―――――
星々は問いかけた。
お前は何になりたいんだ、と。
少年は答えた。
「…王様になりたい」
星々は続けて問いかけた。
お前はどんな王様になるんだ、と。
「誰よりもすごい、全世界中にその名が轟くようなそんな絶対的な王に」
星々は続けて問いかけた。
お前はどの国の王になるんだ、と。
「俺は…ヒの国の王になる。」