人類の終わりをこの目に
ついにタイムマシンの開発に成功した博士は、喜びを抑えきれずに飛び跳ね、自らの成果を自画自賛した。そして、「タイムマシン? ははっ、不可能だよ」と自分を侮蔑した人々を思い浮かべては、口汚い言葉を吐き、さらに世間という無形の相手を罵った。このように人間嫌いを深めていた博士だったが、その憎しみを原動力にしたおかげでこの偉業を成し遂げたので、結果的には、めでたしめでたし。終わりよければすべてよしということである。
「いっひっひっひ、人間どもの終わりを見てやるぞぉ」
……と、めでたしには程遠い、邪悪な笑みを浮かべて独りごちる博士。『人間ども』などと敵意剥き出しに言うその博士ももちろん正真正銘人間であるが、これまで人々から受けた冷たい仕打ちと、タイムマシンを開発したという確かに人並外れた偉業を成し遂げたことにより、自分以外の人間は凡、猿、愚民。そして私は神だ、という風にこの時、博士の自己肯定感は極限まで高まっていたのである。
その博士がタイムマシンを使い、まず初めに見ようと考えたのは、恐竜時代でもなく、未来ではあるが、人類の滅亡の時代、つまり荒廃した世界だった。科学者でありながら、車が空を飛ぶような科学技術が発展した未来を見たいとは思わない。そんな未来に行けば、せっかくタイムマシンを開発したばかりなのに劣等感を抱くかもしれないからだ。
「さてと、私の見立てでは、もう千年くらいは今の人類の歴史は続くだろう。気候変動、疫病、人口の増加、カウントダウンはすでに始まっているがな……これでよし。千年後にセット完了だ。二千年後でもよかったかもしれないが、まあ、これで様子を見るとしよう」
タイムマシンに乗り込み、行き先を設定した博士は狙い通り、遥か未来へと飛んだのであった。
「ほほう、これが未来の世界か……」
博士が予想していた通り、世界は荒廃しており、地上には赤茶けた風景と瓦礫の山が広がっていた。博士はレーダーを見つめ、生体反応があった近くの丘にタイムマシンを着陸させた。防護服を着こみ、タイムマシンの外に出て景色を見下ろすと、博士は「やはりこうなったか。人類は愚かだ」とほくそ笑んだ。防護服の小窓からスコープを覗き、生体反応があった辺りを見渡すと、博士はまたニヤッと笑った。
博士は丘を下り、かつて町であったであろう瓦礫の山へと向かった。
「まるでネズミだな」
博士はそう呟いた。崩れた建物の中にいくつか人の姿があった。彼らは体を丸め、暗がりからこちらの様子を窺っているようだった。
博士は銃を握りしめた。引き金を引けば光線が飛び出し、相手を瞬時に気絶させることができるのだ。これはタイムマシンにも搭載されており、博士が不在時に誰かが近づけば自動で作動する。これもそれも博士の警戒心もとい人間不信から発明されたものである。
歩いていると、暗がりから一つの人影が博士の前に出てきた。身構える博士、しかしすぐにその警戒は緩んだ。
それは子供だった。ボロボロの衣服を身に纏い、口元は布を巻いてマスクにしているようだった。博士が懸念していた『未来の人類が化物のような進化を遂げている』という点はなさそうだった。未来の人類と博士の間に特に違いは見受けられなかった。
子供は博士に近寄り、博士の足に手で触れるとすぐに離れ、また近づくといった動きを繰り返した。その様子を見て他の子供も集まり始め、同じようにその動きを何度か繰り返すと、博士に対する警戒心を解いたようで子供たちは博士に手招きをした。
博士はそれに応じ、子供の後について行った。
むろん、罠の可能性も考えられたが、博士は自分が作った防護服の耐久性に絶対的な自信があった。それに、人類がどうしてこうなったのか、その理由を知りたかった。その愚かさをたっぷりと。
博士が到着した場所は、廃材を利用して作られた家々が立ち並ぶ村だった。博士の目には全てがくすんで映っていた。しかし、それは日が陰っているためで、よく見れば花や作物が育っている。子供たちの騒ぎを聞きつけたのか、わらわらと大人たちも博士の周りに集まり始め、皆、警戒と物珍しそうな目で博士を見つめた。
その村人たちの顔色も、よく見ればそれほど悪くはない。今日はたまたま天気が悪かっただけで、晴れの日もあるのだろう。計器によると放射能濃度もやや高くはあるが、人体に害とまでは言えない。少なくとも短時間は平気だ。博士は防護服の頭部を取り外し、顔を見せた。そして、片手を挙げ、口角を上げてみた。博士は人に笑いかけることが不慣れなので引きつった笑みであったが、一応、村人たちは警戒心を解いたようで博士に道を開け、博士は村長らしき男の家に案内された。
「ははぁ、とととーいカッコから腰を振りになすったのですはな」
「あー、ゴホン。だから、それを言うなら、遠い過去からお越しになった、だ」
驚くべきことに彼らと言葉が通じた。ところどころ発音などに違いが見受けられたが、言語体系というのは過去、つまり博士がいた現代ですでに完成されつつあったのかもしれない。また、それを維持しようという、紡ぎ出されてきた人類の意志というものを博士は感じ、自分でもなぜかはわからないが身震いした。
博士は村長と会話を重ねたが、残念なことに人類がどうして今のような荒廃に至ったその理由はわからなかった。だが、博士は、まあそうだろうと思った。ジワジワと家が老朽化するようにこの星は、人類は知らず知らずのうちに摩耗していったのだろう。いや、知ってはいたが見て見ぬふりをしていた。そして、どうにかしなければと思ったときはもう遅く……。
しかし、村長の口ぶりからすると、彼らは自分たちが絶望的な状況にあるとは思っておらず、むしろ未来に対して希望を抱いているようだった。それは見栄や強がりや無知からくる楽観的な考えでもなさそうで、博士もまた繁栄の兆しを感じた。ゆえに博士はこう思った。
「つまらんな……」
「はい?」
「もう行くよ。話を聞かせてくれてどうも」
「あ、そうですかぃ、あの」
「ん?」
「あなーたの時代に戻ったら、すこーしでもこの未来の世界がよくなるよー、お願いしますね」
「は? 未来がよくなるようにって何をしろというんだ」
「それはそにょう、いろろろと」
「具体的な策はなし、か……。丸投げとはまったく、いい大人が恥ずかしいな。それに今の生活に満足しているんだろう? ゴホッ、私には耐えられないがね。この匂いとかも」
「あ、あ、それーはもう、へへへ」
「じゃあ、いいじゃないか。では、さよなら」
「あ、あのぅ」
「まだ何かあるのか……。私は忙しいんだ」
「あ、あの、よければ、われわーれの中から一人をそちらの時代へ連れとって欲しいがです。これからの未来を担う子供に目標となーる、かつての、いい世界を、目に」
「あー、無理だ。一人用なんでな」
「一人も? 一人もですか? そこをどぅーにか膝の上に乗せるとか……」
「どぅーにかできないよ。しつこいな」
家の外で話を聞いていた大人たちも「お願いします」「なんとか」「どーにか」と博士に懇願した。これは面倒な流れになったぞ、と思った博士は家を出てタイムマシンに戻ることにした。
「ヅアングだなあの人、ギャッ!」
「何と言ったのかはわからないが、悪い意味なのはわかるぞ」
博士は自分を指さし、ひそひそと話していた男たちに情け容赦なく銃の引き金を引いた。そして、博士は立ち尽くす人々をに背を向け、タイムマシンに戻ったのであった。
「人類は思ったよりもしぶとかったな。次は二十年後まで行くか」
その後、小型の通信衛星を宇宙に飛ばすなど調査を進めた結果、博士が行ったあの村よりも大きな村は存在しないことが分かった。むろん、さらに入念調査を続ければ結果は違うかもしれないが、おそらく、この地上には似たような光景が広がっているだろう。
そのため、博士はあの村を観察することに決めた。あの村の滅び、それは人類の絶滅を意味するだろう。そう考えた。
そうは言っても、まだもう少しは持つだろう。博士はそう考えたが、しかし、あれから二十年後の村を目にした博士は驚いた。今度は思ったよりも村は寂れていたのだ。だが、そういうものなのかもしれない。あれは一時の安らぎだったのだろう。土台は腐っている。やはり人類は滅びる運命にあるのだ。
博士はそう納得し、そして一年、二年とさらに小刻みにタイムスリップした。直接彼らと接触することは避け、上空からドローンを飛ばして彼らを観察した。
村は縮小傾向にあり、僅かな資材と共に村人たちが新たな地に移動したかと思えば、そこもまた寂れ、時には他の村と合流し、彼らはまるで雨の日のナメクジのように今よりもマシな場所を求め、自然と寄り集まっているようであった。
しかし、それも終わりの時が来たようだ。
現代から数千年後の未来。博士は上空から地上へタイムマシンを着陸させると外に出て、その廃村の中を歩いた。
「……やあ、おめでとう。レーダーによると、あんたが最後の人類のようだ」
嫌味ではなく、博士は心からその男を褒め称えた。
痩せこけていく人類。それでも懸命に生きようとする彼らを観察するうちに、博士の中にある種の情が芽生えたのだ。男は目を見開くと、震える手で博士を指さして言った。
「あ、あんた、その、カッコー」
「ん? 会ったことがある連中は生きてはいないはず、ゴホッ、ああ、まあ言い伝えられてはいるか」
「おれ、子供の時、あんたに会った! あ、あんた、そうやって咳してた! あんたが、あんたのせーで病が、流行った!」
「は……? いや、そんな、確かに熱っぽいとは思ったが、それはタイムマシンが完成したことによる興奮、もしくは疲れていたからで、そうか、でも風邪だとすると、お前たちは抗体もないか……」
と、博士は呟いた。男は目と歯を剥き、おそらくそれもまた長年紡がれてきたのだろう怒りを露わにした。それに対し、博士はまあまあ、とぎこちない笑みを浮かべる。
だが、やはり慣れないことをするものではない。博士の細めたその目に向かって、男が隠し持っていた刃物を振り抜いた。
「あっ、ああ、あ、ああああーっ、ああああ!」
痛みに叫びながら、博士は男の追撃を恐れてその場を離れ、よろけながら走った。
しかし、男は興奮したせいか、それとも寿命を迎えたのか、すでに事切れていた。
だが博士がそれに気づくことはなかった。恐怖に駆られ、ただ闇雲に走り続けた。
力を失い、タイムマシンを見失った博士が、自分が人類最後の男だということに気づくのは、まだ先のことである。