囮役
「おっ、アシル! お澄まし顔の貴族の令嬢みたいやな!」
合流地点に遅れて到着したばかりのガインが湖の沖合いにいるアシルを大声でからかう。
「あ!? どこがだよ!!」
小舟の上から体を乗り出して怒声を上げるも、バランスが崩れて転覆しそうになり、慌てて彼は真ん中に戻る。
「ねぇ、どこが貴族の令嬢に見えたのか分かる?」
キャロルが傍にいたフローレンスに訊く。距離からしてガインにもアシルにも聞こえない。
「物憂げに遠くの山を眺める姿かしら」
「あいつ、ずっと怒鳴ってたじゃない」
「じゃあ、足を畳んで座っている姿かしらね」
「たしかに。それは少し女々しいわね」
舟近くの湖面が盛り上がり、黒い頭が現れる。ぶはっと一気に息を吐いたそれは、ポールだった。
舟べりに手を掛け、素早くアシルの横に上がる。
「おい! 揺れてる、揺れてる!」
「舟だから揺れて当たり前だろ」
抱きつこうとしてきたアシルを両手で押し返す。
「ポール! 水中に何かあったー!?」
キャロルの声にポールは手を振って答える。その明るい動作に皆は期待を感じる。
「何もなかったー!」
「は?」
キャロルの失望の吐息とともに、ポールは隣の大男の拳骨も貰っていた。
「まぁ、そんな簡単に見つかるんやったら苦労せんわな」
戻ってきた2人にガインは笑う。
「しかし、アシルさん、あれですね。水が苦手なのに、ポールさんが溺れた場合に備えて舟に乗ってたんですか?」
ヤニックが感心したように言う。
「あ? こいつでも死なれたら寝心地が悪いだろ」
「やっぱり仲間想いですね。一見、仲悪そうなのは互いに損してますよ」
「ふん。ポールは役に立つから置いてやってるだけだ!」
「あ? こっちの台詞だぜ。役に立たないアシルなんてごろつき未満だからな」
ポールはアシルに言い返しながら、フローレンスから差し出された布で頭や顔を拭った。この布はガイン達が運んできた幌無しの簡易馬車の荷台にあったものだ。
彼らは陸と湖の両面からこの場所へとやって来た。主に金銭的な理由であって、大きな船を借りることはできず、また、舟を乗せられるような大きな馬車も借りれず、馬の頭数を増やすことも困難であったからだ。
舟を人力で運びながら、数日に渡ると予想される探索用物資は陸送したのだ。
「ガインさん、流石ね。この場所は当たりだったわ」
「そうか? そりゃ良かったわ」
フローレンスが持ってきた古い依頼書だが、ガインはその依頼の背景を調べた。30年近く前に竜の巫女の乗った大型船が転覆し、何人かが行方不明になった。その際、生存者の証言として、湖の中に白い化け物が見えたというものがあり、その調査を当時のギルドが依頼書に纏めたものだった。
また、50年以上前にもシャール伯付きの魔術師が遊覧中に行方不明になった記録も見付けており、その他大小を含めて湖での行方不明事件は少なくないことを掴んでいた。
「でも、聖竜様じゃないの」
「そうか。残念やわ。でも、フローレンスは何かがおるって言ってる訳やな。魔物であっても楽しみやわ」
ガインは笑う。彼は純粋に未知の存在に心を踊らしている。
「でも、続きは明日やな。もう夕刻やからな」
フローレンスはそれを聞かない。
「ダメよ。私、ポールさんと美味しい食事を約束したもの」
それを聞いてガインはポールを見る。
「や、約束してない! 俺は潔白だ!」
頭をブンブン振りながらの大否定。探索の初日からデートに誘うとか大顰蹙ものであることを彼は理解している。
「してないんですか? てっきりフローレンスさんを遂に誘ったのかと思いましたよ」
「ねぇ。ポールも積極的じゃんとか思ったわ」
「仲間に色目を使うとは不貞な野郎だな! 殺すぞ!」
アシルの言葉には多少なりと本物の殺気が混ざっていたが、皆は笑って流し、誤解の元となったフローレンスが補足する。
「4人では食べきれないと思ったけど、6人でも食べきれるかしら」
「ちょっ。話の流れ的に湖の中に魔物が潜んでいるっぽいけど、食べる気なの?」
「勿論よ」
「そもそも、あれやで。馬車の道の関係で、ここで合流したけど、目標地点はもう少し進んだところや。今から向かったら暗くなるから続きは明日や」
ガインはもう一度休息を主張した。
「ダメ。休んでいる時に襲われそうなの」
その言葉は一行に衝撃を与える。フローレンスの予感は当たる。特に魔物関係では外すのが珍しい。
「待ってや。フローレンス、どういうことや?」
「ずっと付けられてると思うのよ」
「ヤニック、分かる?」
キャロルは自分と同じく魔法使いである青年に尋ねるが、彼は顔を横に振る。魔力の動きを感じ取るのに優れた彼らでもフローレンスの言う魔物の存在は分からなかった。
「おい、ガイン! こういう時のフローレンスは本物だぞ! 暗くなる前に湖を離れるか、明るい内に叩くかだ!」
「分かっとるわ」
ガインは考える。そして、しばらくの沈黙の後に冷たくフローレンスを質す。
「フローレンス、お前、それが分かっとって、2人を湖に浮かべたんか?」
「ごめんなさい。誰を狙っているのか分からなくて。相手は動かなかったから、たぶん、私かキャロルさんが狙いなんだと思うわ」
「俺は気にしてねーぜ」
「あぁ。俺もだ。敵を騙すなら味方からだろ。俺たちが意識していたら、相手も気付いて逃げたかもしれないからな」
フローレンスの意図通りではあるが、彼らも強がっているのではなくて本心だった。
死が身近な冒険者という仕事をしていると、どうしても自分の命を安く考えてしまう。だから、仲間の為に役に立てたという気持ちが勝ってしまうのだろう。
「フローレンス、ちゃんとした詫びがいるわな」
「いつもの事じゃないの。ガインさぁ、しつこくない?」
「ありがとう、キャロルさん。でも、良いのよ。私が悪いわ。ごめんなさい」
フローレンスは頭を深く下げた。
「で、どうすんのよ? アシルが言ったみたいに退くか戦うかよ」
キャロルはガインに向けて言う。彼の判断がこの6人の中で最も最良だろうと普段から考えている為である。
「ここで野宿するで」
「ガインさん、本気ですか? フローレンスさんがダメって言ってるんですよ」
「フローレンス、今度はお前が囮役や」
「えぇ、それがお詫びね」
自信の表れなのか、信頼挽回のチャンスと思ったのか、それとも、自分の作った流れにガインが乗ってくれた感謝なのか、彼女は柔らかく笑みを浮かべた。