古い依頼書
シャールの街壁の外には広場があり、街へ入る為の審査待ち合い場所となっていた。また、更にそこから別地方へ延びる街道沿いには、何らかの理由で街へ入れない者達や入りたくない者が集まる宿屋通りが大昔からできていた。
暇な者がいればその者を求める者もいて日雇い仕事の斡旋場となり、程なく雇い主や引受人の間での情報交換が始まり、互いの身元を信用保証する職も現れ、遂にはそれらの機能を併せ持つ複合施設となり、収益も程ほどに良いものだからそれらが立ち並ぶ地区となっていた。
日雇い仕事を請け負う連中の内で腕が良いものは冒険者と名乗り始め、同じような経緯で各地に出来た複合施設がいつの間にか冒険者の活動範囲の拡大と共に国をまたいで組織となった。その組織や施設を冒険者ギルドと称す。
そんな冒険者ギルドの1角で、朝からフローレンスは脱力して、この場で1番大きい食卓に体を預けていた。
周囲は他の冒険者達の集まりで賑やかだったが、フローレンスの傍にはやってこない。
仲間を失って悲しみに包まれているのかもしれない。或いは、冒険から戻ってきたばかりで疲労困憊なのかもしれない。或いは、腹痛に耐えているのかもしれない。
予想される理由は何であれ、近付く者はなく、フローレンスの不用心を忠告する者もしばらく居なかった。
「何をしているんだ?」
カウンターで自分の朝食を受け取ったポールが空席を探している最中にフローレンスに気付いて声を掛けた。
「聖竜様のことを考えていたの」
ポールには到底そんな風には思えなくて、フローレンスの頭近くに数個の一口大の芋をふかした物を置く。それは少食である彼の朝食である。
「ありがとう。頂くわね」
ポールにそんな意図はなかったのだけど、フローレンスの手が伸びる。湯気の出具合からして素手で触るのはどうかと推測できるのだが、彼女は熱さに動じもせずに素早く口へと運んだ。横から見える頬がもぐもぐと動く。
なんて怠けた様子なのだろうか。しかし、ポールはフローレンスを咎めなかった。いや、逸る気持ちがそんな事を考えさせなかった。アシルが不在の今が好機、と考えたのだ。
「な、なぁ、フローレンス?」
「何、ポール君?」
「昨日は時間が無かったけど、シャールの街に良い場所があるんだぜ。飯も旨いって。一緒に行ってみないか?」
「行かないわ」
悩む素振りなしの顔を突っ伏したままの即答。
ポールの振り絞った勇気を粉砕するには十分すぎるものだった。
「これ、恋ね。私はね、聖竜様に恋しちゃったのよ、きっと」
「そ、そっか……」
異種生物に好意があると脈絡もなく言い放ったフローレンスに対して、ポールは「これ、2度と誘うなって言外に言われてる?」とか「それ、恋じゃないだろ」とか「キャロルを誘うか」とか「しかし、フローレンスは捨てがたい」とか「俺がお前の聖竜になってやるぜ」とか、複雑な感情を持つのは青年期の男の性なのだろうか。
悲哀とそれを打ち消す思考を巡らせて黙りきるポールの後ろから別の者が現れる。彼も朝食を取るつもりで、片手に果物を絞ったもの、別の手に丸パンとハムの皿を持っていた。
後から来る仲間達の為に奥側、つまり、フローレンスの隣に座ろうとするが、彼女の両手もテーブルに無造作に広がっていて邪魔であった。
「フローレンス、寝るんやったらベッドで眠りや」
「そんな嫌みを言うのはガインさんね」
声と訛りで分かるだろうに、フローレンスは敢えて嫌みを強調した。
「皿の置場所がないねん」
「もぉ。いけずね」
ガインの国でよく使われる単語をこれも敢えて使いながら、フローレンスは漸く起き上がる。
そして、不味いと言ったばかりのポールの朝食をまた摘まむ。
「仮眠は終わりね」
「そうか。で、竜神殿では収穫なかったやろ」
「えぇ。愛想が良いのは一部の売り子さんだけで、殆ど相手をしてくれなかったもの」
「ありゃ、情報を隠してるって訳やなくて、聖竜様がおるかどうかも分かってへんと思うで」
「そうかしら……」
「もしも聖竜様がおると思ってんやったら、あんな荒い稼ぎ方せーへんで」
竜神殿はシャールの有名な観光地となっているが、勤める巫女達の給金を支えるため、様々な手段で金を集めている。ガイン達も高価な土産を押し売りに近い形で買わされていた。引き換えに得た情報は「聖竜様はシャイだからお姿を見せない」なんていう、役に立たないものだった。
「参拝客が入れへんとこも探索せなあかんやろうけどな」
「見つかったら怒られるわね」
「フローレンスは怒られ慣れてるやろ」
「もぉ。怒られたことなんて1度もないわ」
しれっと答えたフローレンスにガインは苦笑する。
「話を戻すで。そもそもな、聖竜様を目撃してるのは俺らだけみたいなんやわ」
ガインが他の冒険者に聞き回った成果である。白い竜は湖の上を飛んでいた。あの夜、湖周辺で活動していたのはガイン達だけではなかったのに、1つも目撃情報が出てこなかったのだ。
「俺たちが見間違えたってことか?」
ポールが尋ねる。
「いいえ、ポール君、はっきり見えたわよ」
迷いなくフローレンスは断言する。
「そうや。色んな可能性はあるんやけど、俺達やから見えたって思っておこう思ってるねん。何せ誰も見たことない聖竜様やで。そない簡単に見えたらあかんわ。あの時の俺らが特別やって考えたら、どうやろ」
「特別ねぇ。で?」
平凡さを自覚するポールは続きを要求する。
「時と場合によって、聖竜様は見えたり見えなかったりするんちゃうやろか」
「それ、あくまで想像でしかないだろ」
「まぁ、そうやけど、そう考えて動いた方が聖竜様に近付くんちゃうやろか」
ポールは不満げな表情を示す。
しかし、フローレンスは違った。
「ガインさん、そうなのよ。魔力の多い場所に精霊が現れるって話があるでしょ? あれって、近くにいても魔力が少ない場所だと視えないのよ。聖竜様も精霊だと考えたら、その可能性はあるわ。で、私、この辺りの過去の魔物討伐依頼の内、魔物が見つからなくて達成しないまま流れた案件を調べました。ジャジャーン」
フローレンスは懐からインクの色も薄くなる程の古い紙を数枚、テーブルに広げる。
「食べてから見るわ。汚れたらあかんやろ」
「えー、折角出したのに。ポール君、先に見て良いわよ。全部、白くて大きい魔物なの」
ポールはフローレンスから渡された紙を読む。「ってか、俺が最初に来たときに見せろよ」と思いながら。
さてさて、未達成の依頼書にあるのは、船を砕いた湖の主、森に現れた人食い獣、地下水路で蠢いていた不気味な白い物。古い依頼だと30年以上前になっていた。
「古過ぎて、居たとしても死んでるか移動してるんじゃねーのか?」
「もぉ、それを確かめるのが私達よ。聖竜様の痕跡があるかもしれないじゃない」
フローレンスは眠そうな顔で笑っていた。