キャロルの決意
キャロルも魔力感知が使え、フローレンスの接近に気付いていた。しかしながら、獣道くらいしかない森の中で、しかも夜の暗闇の中で、フローレンスを引き離す程の技量と体力は彼女を持たない。
フローレンスの追跡をどちらかは逃れられるように、キャロルは合流した仲間と分かれて走る。
「くぅ、教会ももっとマシな人材を寄越しなさいよ」
自分のものだけでなく中継地点で待機していた仲間の転移魔法でうまく撒けるはずだった。しかし、仲間の魔法発動が遅かったのは大きな誤算だ。
「散々、私がフローレンスはヤバイって手紙を送ったのにさ」
幸いなのか、フローレンスはキャロルとは別方向に逃げた男の方へと向かっている。
「油断しないわよ」
暗視付与と身体強化の術を再度掛けてキャロルは加速し、森の奥へと突き進む。額の汗は疲れだけでなく、焦りの影響も強い。
自分よりも能力の高いフローレンスが自分と仲間を取り違えるはずがない。あっちに向かった意図は絶対にある。
案の定、仲間に追い付いたフローレンスは、少しの間の停止を経て、こちらへ向かっていた。
魔力の量が激減しなかったことから、仲間は殺されなかったようだ。しかし、動いてもいないということは気絶か大怪我をさせられたか。
「早過ぎるわね。空でも翔んでるのかと思うわ。敵に回したらここまで恐ろしい相手だっただなんて」
フローレンスはキャロルに難なく高速で近付いており、キャロルは逃亡を諦める。残る選択肢は、不意打ちの魔法か交渉か。
「まぁ、フローレンスなら許してくれそうね」
キャロルは魔法詠唱に入る。
「キャロルさん、戻りましょうか。皆、待ってるわ」
フローレンスが藪の中から現れる。キャロルは位置的な微調整をして魔法を発動。
上空から無数の氷の礫がフローレンスを襲う。
一つ一つが頭蓋を破壊したり体を貫通したりして、人を絶命させる威力があるというのに、フローレンスは真上に向けての拳打1つで全ての氷塊を粉々に砕いて無力化した。
「ごめんね、フローレンス。照明魔法と間違えたの」
「良いのよ、キャロルさん。気にしないで。お茶目な間違いよ」
タフな奴。ヤニックの死亡に気付いているくせに、それを一切感情に乗せていない。あぁ、でも、それは私もかとキャロルは思い直す。
「少し話をしたいわね」
「えぇ。そうなのね」
フローレンスは戦闘態勢を取っていない。まだ私の裏切りを知らないのか?
いや、そんなはずはない。こんな猛追をしていたのに。都合の良い解釈は死を招くだけ。
「その前に、その血塗れの左手は何?」
フローレンスが先に襲った仲間の血だとは分かっている。それでも、フローレンスを責め立てる端緒になればとの思いだ。
「これはね、ケヴィン君の血なの。急に告白されて、私、動揺して、エイッてお腹を突き刺しちゃったの」
「……ん? 何?」
「エイッて、ケヴィン君の肝臓を少し削った時の血よ。ごめんね、ビックリさせたわよね。私も突然だったから驚いたのよ。仕方のないことなの」
「そっかって、納得しかけた自分が凄いわ」
ヤニックとケヴィンに渡した秘薬は精神に影響するもので、仲間を庇うことだけを考えるようにさせる効果がある。普通の毒薬と違い、死んでも異常だと思われにくい利点があった。
狙い通り、ヤニックはキャロルを守る為に無抵抗で魔物に殺された。ケヴィンはフローレンスを守ろうとし、却って、彼女の反感を買ったというところであろうと、キャロルは考える。
「ケヴィンを倒したって訳ね。皆殺しにするつもりだったから助かるわ」
「そんな恐ろしいことは言わないで。キャロルさん、一緒に聖竜様を探しましょうよ」
「そうね。でも、一旦、私は教会に戻るわ。許可を取って戻ってくるから待っておいてよ」
「そんなのダメよ」
フローレンスが一歩ずつ近寄ってくる。
「ダメって何よ。私は教会で出世するつもりなの」
「土産話を持って?」
キャロルは度肝を抜かれる。こいつ、知っていたのかと。その驚きでほんの少しだけ目を見開いた瞬間をフローレンスは見逃さず、優しく微笑んだ。対して、キャロルは動揺を隠せなかったことを後悔する。
「私の村の秘密が知りたかったのね。どうしてかしら?」
続けて核心に触れられ、キャロルは腹を括ってフローレンスの問いに答える決意をする。
「あんたの村は悪魔信仰してた。教会としては討伐するしかないの」
「それは秘密を知りたい理由じゃないと思うのよ」
「悪魔を作っていたでしょ。許せることじゃない」
キャロルはわざと遠回りで答えている。
「分からないわ」
「あんたみたいなおかしな連中が何人か居たでしょ。あいつらが悪魔。あぁ、フローレンス、あんたも悪魔でしょ?」
「そんな事はないわよ。悪魔か天使かを決めるのは人間だもの。良いことをしたら天使、悪いことをしたら悪魔だなんて曖昧だと思わない?」
幼い頃から教義に触れている彼女にとってフローレンスのセリフは極めて原始的で稚拙なものであり、キャロルは笑いを隠せなかった。
「そういう考えも好きよ。でも、決めるのは私達でなく偉大なるお方。相容れないわね」
偉大なるお方とは、彼女が信じる神である。
「もぉ。絶対に悪魔も天使もロクでもないと思うわ」
「ずっとあんたを監視していたけど、フローレンス。あんたも大概だったわよ」
動かなかった仲間の魔力が消えたことをキャロルは感知する。感覚的には魔物に襲われての絶命ではなさそうだ。森からの脱出に成功したか。
フローレンスも気付いているだろうが、追わないところを見るに、あっちは逃がすつもりなのだろう。
「あんたが見逃したヤツも転移魔法を使えるのよ。あのままだと国に逃げるけど良いの? あんたが大事に秘密にしていたことを教会に伝えるわよ」
「良いのよ。キャロルさん、私は貴女と聖竜様を探したいだけなのよ」
「ヤニックを殺したのに?」
フローレンスは動じない。
「ヤニック君は戦って死んだの。本当に残念だわ。橋に居た時に応援を呼びに行って貰っていたらこんな悲劇は起きなかったのかしら。悲しいわ」
それで押し通すから戻ってこいってこと?
ガインが許さないでしょ。それとも、ガインより私を選ぶのか?
「天使の作り方は教会だけの秘密にするつもりよ。だから、ヤニックだけでなくあんたもガインもロクサーナもポールもケヴィンも、皆、殺すつもり」
「話を聞いて、キャロルさん。もうそんなことはしなく――」
「私の仲間は転移魔法で遠くに逃げたわ。今に、もう一度の転移魔法も使うでしょう。いずれは国境を超えて彼はそのまま教会に戻って私の功績が伝えられるの。だから、仮に、私があんたに殺されても私は死後の国で高位の魂として受け入れられる。それを否定できないでしょ? 交渉の余地はもうないの。私は目的を達成したのだから」
「ううん、否定できる――」
「それは貴女の論理。私とは相容れないわ」
フローレンスの言葉に被せてキャロルは結論を言い、精神集中に入る。
長く一緒に旅をしたフローレンスの強さは十分に知っているが、それでも絶対に勝てない訳ではない。彼女の神に祈りを捧げてこれからの死闘に備える。