本気の一撃必殺
ヤニックは師匠であるエルバの講釈を思い出していた。
人間は火球魔法と一括りに表現しているが、実際には数多くの種類が存在し、それこそ、魔法行使に関与する精霊の数、つまり無限にあると言っても良い。無論、それはあらゆる魔法に通じた話であるのだが、ここは火球魔法だけに限って説明する。
火は物質ではない。一般的には光と熱を同時に発する現象を人間がそう読んでいるだけである。
例えば、一番単純なものとして、術士の呼び掛けに応えた精霊が高熱の可燃物を噴射して、それが空気と反応することで燃焼する火炎魔法がある。
これだけでも、可燃物を作るのか、それとも転送してくるのか、最初から高熱なのか、作成後に温めるのか、種火が別にあるのか、噴射の方式、可燃物の種類と様々な選択肢がある。
その選択肢を調整するのが魔法詠唱と呼ばれる呼び掛け文句だ。
最盛期の私レベルになるとな、只の火炎魔法でなくて、辺り一面の生物を殺す光を発する火炎魔法なんてのも打てたんだからな。
お前も私を見習って頑張れよ。
話が長いだけでなく過去の栄光も必ず押し付けて来る師匠を思い浮かべてヤニックは苦笑する。
「ヤニック、炎を見ながら笑うの気持ち悪いわよ」
「いえいえ。綺麗に火が着いて嬉しかったんですよ」
「それ、私が言ったままでしょ」
ヤニックの火炎魔法は彼が意図した通りに森で炸裂し、多くの木々が燃え上がっている。熱で木が割れる音がここまで響き、火の粉が空を舞う。
問題は、火勢が強過ぎる為に前衛の突撃が途中で止まったことと、敵の動きを見失ったこと。
ヤニック以外の魔法使いの火炎魔法もそれなりに効果があったのだが、師匠の秘蔵っ子であるヤニックの魔法には遠く及んでいない。
そもそも戦時中であり、貴重な魔法使いの多くは冒険者ではなく、それよりは安全と高給が保証される魔法兵士となっている。
ここにいる魔法使いも悪くはないが、一級ではなかった。
「おい。これは何事だ?」
騎馬が近付いて来ていたことは音で分かっていた。大火事を引き起こした狼藉を叱責しに来たのだと思っていたキャロルは無視を決め込んでいた。
「キャロル、お前に訊いている」
自分の名前を出されて、振り向く。
そこには仮面を外したロック。今は黒い鎧ではなく白銀の鎧に身を包むロクサーナ伯爵がいた。隣の馬には従者であるネイトも武装姿でこちらを見ていた。
「畏れ多くも伯爵閣下、今回の騒動の原因を排除しようとしております」
他の冒険者の手前、丁寧に対応するキャロル。偉そうな女が誰であるかも教えてやる心遣いも見せていた。
「あの炎の先に居るのか? 見えんぞ。森の奥に帰らせるつもりなら愚策だ」
「は?」
愚かと呼ばれたのが反射的に癪に触った。
「フローレンスはあんなので止まんないわよ」
なお、愚策という指摘は正解である。平時であれば、魔物の後方を狙うようにヤニックに命じて退路を断っていただろうとキャロルは思う。
「そうか。なら、私も行こう」
「お待ちください、閣下。ここは連中に任せるべきかと」
慌てて最高指揮権を持つ者を引き留めたのはネイトであり、若干眉を顰めて不満を示したのは伯爵閣下であった。
「フローレンス、行けるか?」
「うずうずしてるわよ。ヤニック君、凄いわ。これからはヤニックさんって呼んだ方が良いかしら」
「どっちでもえぇやろ」
「大事なことなのよ」
「そうか。でも、はよせんと、あいつ逃げるで」
ガインも違和感を持っていた。自分ならもっと近付いてから魔法攻撃する。そうでなければ、ヤニック以外の魔法使いの魔法の距離が足らず効果が薄くなる。
手前を一般の魔法使いに焼かし、威力も距離もあるヤニックの魔法を直接魔物に当てるか、更に後方を狙うことを試みる。
合理的な考えができるキャロルが分からないはずがない。暗さのせいで目算を誤ったのだろうか。
「おい、ガイン。キャロルからの差し入れだ」
炎を見上げる冒険者の間から現れたのは場違いに全身金属鎧のケヴィンだった。
今にも突っ込む体勢だったフローレンスも止まる。
「あいつの宗教に伝わる疲労回復の秘薬らしいぜ」
ガラスの小瓶を腰に吊った小袋から取り出して見せる。それをフローレンスが覗き込む。
「まぁ、キャロルさん、やっぱり」
フローレンスが呟く。
「やっぱり?」
ガインは聞き直す。
「故郷で見たことのある瓶だわ、それ」
「キャロルも生意気一辺倒ではないのだな! 東方王国の味もいけるもんだぜ。それで、ポールはどこだ? あいつの分もある」
「左翼を任せとる。あっちやな」
「了解した。しかし、この炎! ヤニックのヤツ、張り切り過ぎたな!」
去るケヴィンの後ろ姿を目だけで追いながら、ガインは考える。
フローレンスの故郷。フローレンスだけを残して滅んだ村。
手元にある瓶。様々な商品を取り扱っていた自分が見覚えのない瓶。キャロルが秘伝という薬。滅んだ村にはあった瓶。意味ありげなフローレンスの呟き。
「……飲まん方がえぇんか?」
「きっと」
「ケヴィンにも言うたれよ」
「飲んでたら可哀想だもの」
「飲んでたで」
「なら可哀想よね、きっと」
「何とかできへんのか?」
「してみる。でも、期待はしないで。効果が分からないのよ。そもそも、私の勘違いかもしれないわ」
悲鳴が上がり、戦闘が後陣から始まったことを知る。
「敵は誰や、キャロル!?」
ガインが叫ぶ。小柄な彼の出したとは思えない大声量で、森を燃やす炎も一斉に揺らいだように見えた。
敵は魔物であるはずで、このガインの妙な問い掛けには、まだ可能ならキャロルに踏み止まるように伝える意図があった。
「キャロルさんは魔法詠唱中! 死んだはずの魔物が襲って来てます!」
ヤニックが返す。彼が無事であったことにガインは安堵する。
「左翼は前や! フローレンス、突撃! 右翼は後ろ! 俺に付いてきぃや!」
「ダメだわ。あっちが前に出てきたもの」
炎を物ともせず、巨大な人型の魔物が迫ってくるのが見えた。爛れた肌は火傷ではなく元からで、肥えた腹は所々が腐っており中から腐った体液がドロリと垂れていた。
左腕は朽ちて落ちたようで肘より先はない。無事な右腕に棍棒代わりに枯れた樹木を握っていた。
「あれも死んだ魔物が動いてるんかいな……ひょっとして死霊使いか!?」
「ガインさんは私の援護。後ろはロックさんが来てるから、あの人に任せましょう」
「ケヴィンとポールは!?」
「私が敵の立場なら、誘い込んで挟み撃ちに成功したのなら、勝ちを確定させるために第3波の襲撃を横から入れるわ」
真剣な顔をしているフローレンスはガインも久々であった。それだけに信じる他ない。
「ポール、ケヴィン! さっきの変更や! その場に留まれ! 側面を警戒! どっちから来るか分からへんで!」
ガインの指示が響く中、既にフローレンスは前へと駆けていた。
地下水路で苦しんだのと同じ死臭を放つ魔物に狙いを定めていた。
対する魔物も急接近するフローレンスの存在に気付いて、顔を下げる。引き抜いたばかりなのか根っこもある枯木を後ろに引いて、間合いに入り次第、フローレンスを薙ぎ払う意図が感じ取れた。
「ごめんなさいね!」
フローレンスは謝る。
「臭いの嫌いなの!!」
魔物が打撃を開始するつもりだった距離を正確に読んでいた彼女は、その寸前で腕を振るいながら、強く踏み込む。
そして、放つ。
神をも殺せるのではと思わせる拳速は、乗せた魔力の効果もあって、空気を高密度に圧縮する。
目で捉えられた者は居なかった。気付けば、森の木々が真っ直ぐに薙ぎ倒され、その部分の地面が削られていた。
魔物は吹き飛ばされていた。正確に言えば、腐った巨体の魔物はフローレンスの放った強烈な指向性の衝撃波により粉々に砕かれて森のあちこちに散らばっていた。
自分の攻撃速度に耐えきれずに外れた肩を無理矢理にゴキゴキと填めるフローレンスは、同時に振り向いて味方の様子を伺う。
衝撃波の殆どの力は正面に放たれていたが、僅かながらも少しは激しい音波として周囲に漏れ、広範囲を砂埃で埋め尽くしていた。
その視界が悪い中、フローレンスは高速で移動してヤニックの無事を祈るのであった。