村の秘伝
狭い通路に何人もの武装した兵士達が駆け込んできた。ネイトの頼みを受けてキャロルが呼んできた者達である。走る彼らの靴音や金属鎧が擦れる音が壁に反響していた。
ネイトはフローレンスの力を直で見て、主君の眼の確かさを改めて認めていた。彼女が拳で破壊した敵の数は10体を越えており、また、どれも一撃で的確に急所を撃ち抜いていた。
lリビングデッドは骸に魔力が宿り動き出したもので、そもそもが死んでいる為に多少の攻撃では動きを止めない。個体ごとに魔力の動きを遮断する場所を見極める必要があるのだ。
フローレンスは高速で前進している最中に敵の攻撃を最小の動きで躱しながら、それを実行してみせたのだ。
「お迎え遅いわね」
「もう到着しますのでお待ちください」
地下通路の最奥でフローレンスとネイトは応援を待っていた。戦闘はもう終わっている。ただ、生身の人間を確保しており、それを衛兵に引き渡す予定なのだ。
黒いマントに体を隠し、フードで顔も隠していた人間。ネイトは気絶している男を見下ろして言う。
「彼が墓地に眠る方々を操っていたのでしょうか」
「そうよ。変な魔力が見えたもの」
かなり数は限定されるが魔力の流れを視認できる者はいる。シャールでもそういった人間を雇って、治安維持などで活躍していた。
「彼は死霊使いと呼ばれる者でしょうか」
「えぇ。そうだと思うわ」
親しい者を蘇らせたいと願う者は多いが、蘇生に成功した術士は皆無である。諦めきれなかった者が最後に縋るのが死霊使い達である。
「フローレンス様、我が主とのご会談の最後に私から今回の状況を説明したいと考えています。目撃者として同席をお願いしてよろしいですか?」
「えぇ、勿論。キャロルさんもかしら」
「はい。お願いするつもりです」
気を失ったままの死霊使いを兵に引き渡した後、フローレンスとキャロルは大きな風呂に案内されて身を清める。
「ふぅ、快適だったわ」
「湯船に花まで浮かべていたわよね。地獄の後に天国に来た気分よ」
「私に付いて来て良かったでしょ?」
「悔しいわね。認めざるを得ないのが」
湯で温まった体のままタオルを巻いて椅子に座って果汁を飲んでいる。
服も汚れ、ひどく悪臭が残っていたために洗濯に出されており、それが終わるのを待っているのだ。それぞれにお付きの女給が付いており、風呂場では体を洗うのを手伝い、今は空のグラスを渡すと追加の飲み物を注いでくれる。
「お待たせしました」
手洗いの後に魔法的な乾燥工程を経た衣服が彼女らに渡され、いそいそと着替える。
「ご案内致します」
服を持ってきた女給がそのままフローレンス達を連れて宮殿の中を進み、特段に豪華な扉の前で止まる。
「ちょっ、フローレンス。何をやってんのよ?」
「この花瓶、綺麗だからガインさんへのお土産にしようと思って」
「預かり知らないところで共犯者に仕立てあげられたらガインも可哀想でしょ」
「うふふ、そうかしら」
「当たり前でしょ!」
冗談だとは分かっている。でも、無視したら実行しかねないヤツがフローレンスだ。
女給のノックの後に3呼吸くらいの間を置いて、中から扉が開かれる。開けたのはネイトだ。
彼に一礼をして女給は去り、代わりに彼がフローレンス達を中へと招く。
「私は忙しい。要点をまとめて話してくれ」
自分の宮殿では当然に仮面をしていないロクサーナが机に座っており、積もりに積もった書類の束の向こうから目線を上げずに言い放つ。
ネイトは訪問者2名をロクサーナの机の前にあるソファに案内し、自分はフローレンスと対面する位置に座った。
「このフローレンス殿は、何らかの有用な情報をお伝えしたいとのことです。本来であれば、私が内容を確認して閣下へ上申致すところでありますが――
「ネイト、お前も端的にだ」
「――はっ。それではフローレンス殿、閣下に申し上げることを許可する」
フローレンスは口を開く。キャロルも横で聞き漏らさないように集中する。
「ロクサーナさんは強くなりたくて、家の秘伝に従って、迷宮の奥に住む魔物を倒して食べているけど、今のままじゃ非効率だわ」
強くなれないのところで、忙しなく動いていたロクサーナの筆が止まる。
「あれじゃ情報が足りないの」
「早く言え」
ロクサーナの言葉は鋭くて殺気さえも混ざっていた。
「私の村にも同じような言い伝えがあるのだけど、奥の魔物を食べるのは一緒。でも、人語を解する魔物だけが自分を強くしてくれる」
「人語を解する? そんな魔物は少ないだろう」
「そう。でも、一番奥の魔物は時間が経てば人語を喋る。ロクサーナさんは攻めるのが早過ぎよ」
「分かった。どれくらい待てば良い?」
「そうね。季節が変わるくらいの時間は欲しいわ」
「分かった。他は?」
「食べ過ぎ注意。栄養が有りすぎるのか、私のお姉さんは気が触れて死んでしまったわ」
「ふむ。1口くらいで良いのか?」
「いいえ。魔力が濃いところは避けた方が良いらしいの。そこを食べると、自分の体の中でも魔力が溢れてしまうみたい」
「どれくらいの濃さからよ?」
ロクサーナとフローレンスの会話を遮って、キャロルが口を挟む。不快感とまではいかないが、ネイトの眉が少しだけ動く。
「それは人に依るの。あっ、あと、食べて欲しがるヤツも危険って聞いたことがあるわ」
「魔物が自分を食べて欲しがる?」
「えぇ」
「人語を解するのだから、自分で食えと言うのであろうな。ふむ、それは確かに食べたくない。と言うか、食べる方が異常だな」
泣きながら大百足の肉を手掴みで喰らうのは異常じゃないのかとキャロルは思った。
「食べるとどうなるの?」
「昔の人の何人かは食べた魔物の姿に変わったらしいわ。体を乗っ取られたみたい」
「寄生虫みたいなものね」
彼女らは知らず、また、世界にそれを知る者も少ないが、地下迷宮の奥に住む魔物は魔物でなく精霊であることがある。本来、魔力だけの存在である彼らは、この世界に顕現するに当たり自らの魔力を変化させて肉体を構築するのだが、その目的は自分の魔力を生物に食べさせて自分の魔力の支配下に置くためである。精霊からダイレクトに送られる魔力は強烈であり、それが過ぎると、自我が壊れたり、魔物の如く変貌したり、魔力に耐えきれず消滅したりする。
ただ、精霊は自分の眷属を守るために力を与えることも多く、それがロクサーナが知っていたサラン家の秘伝に繋がっていた。
「分かった。話は以上か? 有用であった。褒美を取らす」
「ありがとう。じゃあ、私を竜の巫女にして」
「ん?」
ネイトを見るロクサーナ。主君の無言の問いに彼は小さく頷く。
「ネイトに任せる。悪いようにはしないように。しかし、私の狩りにフローレンスが同行できるよう最善の便宜を計らって欲しいと、ツィタチーニアに申し添えておけ」
フローレンスは満足であった。滅んだ村とはいえ、村の掟を破って秘密を喋った甲斐があったというものだ。
キャロルも満足であった。辛いことも多かった冒険者生活の最大目的を達したから。
しかし、両者とも予想していたことだが、新たな課題が発生していた。
その為に、ネイトによる死霊使いの報告については適当な相槌を打ちながら、どうしたものかと悩むことになる。