隠し通路
「そちらのお嬢様とは初めてですね。私はロクサーナ・サラン・シャール伯爵閣下に仕える侍従のネイトと申します」
女給が茶を淹れ終えた後に、彼は挨拶をする。キャロルも卒なく返して、暫くは他愛のない話題が続いた。
「それで、お願いがあって来たのだけど、聞いて下さる?」
2、3の話題切り替えがあり、キャロルもそろそろと思っていた矢先にフローレンスが切り出す。
「えぇ、勿論です。ご自由に仰って頂ければと思います」
ネイトは主人から厚遇を以て接せよと命じられており、その通りに極めて丁重に遇していた。
「この宮殿の中に地下通路があると思うの。場所を教えて頂けない?」
「それは何ヵ所かありますが、幾つかは伯爵様専用の物でして、全ての通路入り口に案内することは、残念ながら控えさせて頂きます」
「むぅ。でも、分かったわ。あと、もう一つあってね、私を竜の巫女にロクサーナさんから推薦してほしいの。お金もよろしく」
「竜の巫女となるには条件がありまして……」
「大丈夫よ。聖竜様の声が聞こえるもの」
「そうでしたか。それは失礼しました」
ある程度の社会的地位と名誉が約束される竜の巫女への就職斡旋は、各地の貴族から依頼が来る。なので慣れた作業ではあるものの、主君のお気に入りである者を神殿に縛り付けて良いものかネイトは悩む。お忍びでの冒険に支障を来すかもしれない。
「本当に大丈夫よ。ロクサーナさんのお呼びがあれば、いつでも駆け付けるから」
先回りしたフローレンスの回答にネイトは感心する。寄進を多目にして巫女長の便宜も取り計らえば、彼女の言うこともまんざら無理な話ではない。
「良い返事をできると思いますが、数日頂ければと存じます」
「ありがとうね」
満足するフローレンスの横から、キャロルは口を挟む。
「良くないと思うわ。私は違う宗教の者だから詳しくは分からないけど、今の話みたいな口利きで入るなんてフローレンスに失礼じゃない? ここは、彼女の実力が神殿に認められるまで待つべきよ」
「そうなのですね。フローレンス様、如何なさいます?」
「構わないわ。前向きに検討して頂戴な」
フローレンスの決意は固く、キャロルは残念に思う。使命を達成する時期が伸びてしまったと。
「承知致しました」
「本当に有難う。聖竜様に一歩近付いた気がするわ。ロクサーナさんには感謝するわね。そうそうお土産もあるのよ」
土産? キャロルは不思議に思う。道中でそんな話題をしたけれども、フローレンスが用意した様子はなかった。
「それは我が主も喜ばれるでしょう。しかし、我が主はお忙しく、失礼でなければ、私を経由してのプレゼントにしても宜しいでしょうか」
万が一危険な物であるといけないので、全ての献上物はネイト達侍従の綿密な調査と魔法的解析を経て伯爵に渡される。
「物じゃないのよ。貴重な情報なの。私の村に伝わる貴重な情報。きっとロクサーナさんの欲しいものよ」
フローレンスの村と聞き、キャロルは心臓が高鳴る。が、気付かれないように平静を装う。
「我が主に問い合わせましょう」
ネイトはテーブルの隅にあった呼び鈴を鳴らす。直ぐ様に女給が入室してきて、腰を低くする彼女の耳元でネイトは小声の指示を出した。
「少々お時間を頂くことになるでしょう。地下通路の一部にご案内しましょうか」
フローレンスはキャロルの顔を見る。そして、彼女が頷いたのを確認して、ネイトに承諾の意を伝えた。
「では、近くの場所にご案内します」
訪れた先は、城の地下牢であった。薄暗く風もない空間は湿度を高め、牢の区切りである鉄柵も一部には錆が発生していた。
「実は100年近く使われてない牢なんですよ」
実際に牢に入っているのは人ではなく埃を被った壺などであった。鍵もされていない。
一番奥まで進み、ネイトは石積みの壁の下方を鋭く蹴る。すると、その部分の石が凹み、代わりにネイトの肩近くの石レンガが突き出てきた。それを彼は両手で揺すりながら引っ張って壁から外すと、木製のレバーが隠されていた。そして、そのレバーを横に回して壁の右端を再び蹴ると、壁全体が半回転して隠し通路が出現した。
「これ……地下水路にも同じ仕組みがあるとしたら、調べるのが手間ね」
「片っ端から壁を破壊するしかなくなるわ」
「ご容赦願います。水路はシャールの生命線ですので。少し進みますか?」
「勿論よ」
先は真っ暗であるけども、フローレンスは即答する。
「承知致しました」
壁に掛かっていた魔導式ランプを手に取り、ネイトは先導する。
暫く進んで、鼻を鳴らしていたキャロルが尋ねる。
「もしかして、この先は墓地?」
「よく分かりましたね。その通りです。秘密でお願いしますね」
この通路は使われておらず、また、非常時にも使用する可能性が低いとネイトは判断している。大昔には墓地近くの湖畔から小舟で逃亡することを想定していたようだが、今は複数の別の地下通路に転移魔法陣を構築し、もっと簡単で安全で迅速な移動手段を確保しているためである。
「臭いで分かったわ」
「あの臭いね」
フローレンスは地下水路の隠し部屋で酷い目にあったのを思い出していた。
「戻りますか?」
なお、ネイトは近い内にここを埋めて封鎖するつもりである。自ら案内したとはいえ、外部の者に知られた通路は無用どころか害悪である。逆に言えば、潰しても良い場所を選んでいた。
「服に臭いが付くから帰った方がいいんじゃない?」
「風があるのね」
「……進まざるを得ませんね」
キャロルの言葉に同意しようとした矢先にフローレンスの指摘を受け、ネイトは思い直す。確かにおかしい。墓地側の入り口も封印されているはずだからだ。
「換気口からじゃないの?」
「確かめましょう」
前に出ようとするフローレンスを腕で制止し、ネイトが優しく言う。
「お嬢様方の後ろを歩いていたなんて我が主の耳に入ったら怒られますので。私が先導します」
「まぁ、礼儀正しいのね」
「フローレンスと違ってね」
通路の上部が崩壊して土砂が積もっている箇所は幾らかあったが、地上まで穴が空いている所は見付からない。
「ここまでとしましょうか。我が主を待たせることになるかもしれ――っ!?」
ネイトはフローレンスに押されて横の壁に激突する。そして、鋭い音を残して何かが後方へと飛んでいった。
「……矢ですか?」
「そうね。何かいるわ」
「キャロルさん、誰か呼んできて」
「は? 私も戦うわよ」
「街中で魔法は厳禁だもの。それに杖も持ってないのよ、あなた」
「地下だからバレないわよ」
ネイトはその間に素早く前に出て、宙から出した剣で二の矢を弾きながら突進する。
「凄いわね。手品かしら?」
「収納魔法でしょ」
「良いわね、あれ。私も使いたいわ」
「気軽に覚えられる物じゃないの。生まれながらの才能よ」
「ずるいわ。私も欲しいのよ」
「ほら、早く行ってネイトさんを援護しなきゃ。もしも殺されたら、私達が疑われるわよ」
「分かったわ。キャロルさんは手を出さなくて良いわよ」
「はいはい。分かったから」
フローレンスも前に出る。そして、1体目を倒し2体目と鍔迫り合いの形になっていたネイトの横に周り、敵の側頭部を拳で撃ち抜く。
壁に頭から激しく激突した敵はずるりと崩れ落ちる。ねっとりした体液が壁に残された。
ネイトの頬にもそれが跳ねており、胸元から出したハンカチで拭く。
「酷く臭いわ」
フローレンスの言う通り、強烈な腐敗臭が漂う。そのため、ネイトも拭いたばかりのハンカチを捨てざるを得なかった。
「リビングデッドですね。まだ奥で蠢いています」
「本当ね。一番奥の人が親玉かしら」
フローレンスは少し考える。なお、ネイトには前方は暗闇だけで、どこにその親玉がいるのかは分からなかった。
「ロクサーナさんをお待たせするのは良くないのよね?」
独り言のように呟いた後、彼女は姿を消す。音の反響からすると、敵を撃ち倒しながら高速で通路を前進しているようだった。