地下水路の地図から
「アシル、戦争に行くんだ?」
隣に座るフローレンスにキャロルは確認する。洗濯したばかりで純白の衣に身を包む彼女は、アシルの現状を聞いても表情を変えなかった。
「えぇ。元気そうだったわ。片手で剣を振る練習をしていての」
「振るのは簡単だろうけど、問題は守備じゃないの?」
ヤニックの作業がまだ終わっていないということで、それを待つ間、フローレンス達は昨日の顛末をキャロルに伝えていた。
2人ともコップに入った柑橘の果汁を飲みながら、穏やかに話をしている。
「軽やかに攻撃を躱してとか、あいつのガラじゃないしな」
向かいに座るポールが飲むのはヤギの乳。彼が幼い頃は水代わりに飲んでいたもので、今も好んで口にする。
「死なへんだら良いんやけどな。こればかりは運やな」
「ネイトさんが配慮してくれるって言ったもの。危ない場所には配属されないわよ」
ネイトとはロクサーナ伯爵付きの従者長であり、昨日にフローレンス達に対応した青年のことである。
「戦士たるもの、戦場でこそ輝くものだぞ。お前達の配慮は却って彼に不幸なのではないか」
ケヴィンの言葉は真実ではある。戦場にいながら功を立てられない戦士に存在価値はないのかもしれない。
「シャール伯の戦略はえげつないで。ロックは話せばえーヤツやけど、帝国でやってることは褒められへん」
盗賊を雇って村々の井戸や畑の破壊し、それらの村民を都市部に追い立てての治安悪化など、あのロックが指揮を取っているとは思いにくい。用兵も苛烈で、募集や徴用した冒険者や犯罪者、捕虜中心の最前線の兵士については、その損耗を恐れない力押しを強いている。それらが退く素振りを見せようものなら、味方に向かって矢を射ることも辞さない非道さである、と聞いたことがある。
「アシルは自分で志願したって話じゃん。死ぬ覚悟だったのかもね。あれだけカラ元気だったのは絶望の反動よ」
「私もそう思ったのよ。でも、ちゃんとアシル君に会えて良かったわ。命は大事だもの」
今の戦場の事情を理解しての昨日のフローレンスの強引な行動だったのかと、ガインは思っていた。
「名誉と命、俺なら前者を選ぶがな」
そう言ってからケヴィンは薄めた葡萄酒を口に運ぶ。
「名誉のない死やったらどないすんねん」
「そうよねぇ。ケヴィン君は無駄死にの野垂れ死にの犬死になったら良いのよ」
「辛辣過ぎるだろ! 俺はやんごとなき身だぞ!」
まだヤニックは来そうにない。
白く汚れた口元を袖で拭ってから、ポールはキャロルに尋ねる。
「んで、お前らは何をしてたんだ?」
「昨日? ケヴィンが墓参りするって言うからお供してあげたわ」
「そいつも僧侶の端くれらしいからな。白蛇にやられた仲間達の弔いを頼んだんだ」
「まぁ、それは感心よ、ケヴィン君。野垂れ死の祈願は撤回してあげる」
「犬死にと無駄死にも撤回したりや」
「祈願って何だよ! お前が言ったら、本当になりそうで妙に怖いだろ!」
「聖竜様、私の願いはお取り消しください。ケヴィン君に幸福で名誉のある死を」
「死を願うなよ!」
「お待たせしました!」
紙を何重にも折り畳んだ物を両手で抱えてヤニックが食堂に現れる。彼の顔は仕事をやりきった高揚感で紅潮気味であった。
「大作っぽいな」
「えぇ。自分でもこんなに描いていたんだと驚きましたよ」
尋ねてきたポールにヤニックは笑顔で答える。
まずは食器を片付けて、テーブルに広げる。地下水路探索の度に、ヤニックが記録していた通路の地図を何枚も張り合わせて1枚の大きなものに仕立てあげている。余りに枚数が多くて、いつも6人で囲んでいた食堂のテーブルにも収まりきらず、もう1つ食卓を移動させて来たくらいである。
「結構な広さね。それに複雑」
「その時代、時代の都合で増設したり廃止したりしとるからな」
ロックが誘った2件の地下迷宮よりも分岐が多く、延べ長さも全体の広大さも遥かに上であった。それであるのに、まだ未踏の部分が多く残っていた。
「ここら辺かな。やんごとなき身のケヴィンが捕まったの」
「私には分からないわ。地図は苦手なのよ」
「こっちですよ。ほら、記念に赤丸を付けておきましたから」
「おい! 何の記念だっ!?」
「この青丸は、強烈な臭いの隠し部屋かいな?」
「そうです。よく分かりましたね」
「フローレンスよりは方向感覚がえーさかいな」
「もぉ。地図なんて見ていたらドキドキ感が少なくなるもの」
「ん? ここって水路が避けてるの?」
ジッと地図を見ていたキャロルが気付く。彼女が指摘した箇所は、張り合わせる前の地図を何枚も斜めに横断しての真っ直ぐな線状の空白地帯であった。
「よく気付きましたね。はい、そして、ここがシャール伯爵のお城の庭で、こっちは竜神殿に続いています」
「シャール伯爵家の逃亡用の隠し通路に思えるな」
「そうかもしれません。ちなみに、あの強烈な隠し部屋の上は墓地でした。墓の下で腐った体液が地中に染み込んで、あの部屋に滞留していたのかもしれませんね」
「墓って湖近くのか?」
「あっ、ポールさん、よく知っていますね。あれですか? キャロルさんかフローレンスさんをデートに誘うときに調べたんですね。 でも、そこはデートスポットじゃないですよ」
「う、うるせーよ!」
ヤニックの軽口にポールは反応したものの、女性2人は聞き流した。それよりも聖竜への道。
「調査は必要ね」
「そうよ。秘密の通路は怪しいわ」
勢いよくフローレンスは神殿側の空白地帯の末端に指を置く。
「ここに行きたいわ」
「せやろ。俺も忍び込みたいと言ってたやないか」
ガインは満足げな表情でフローレンスに答えた。